醜悪の町

九重智

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第十三話

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 私は列車を見送り、その高ぶりのまま駅を出た。走り、一本道を通り過ぎ、はやくキヨに話したかった。
 しかしもうすぐで宿に着こうというころ、腕を掴まれた。手の感触には、どこかしら覚えがあった。
「おい、待てよ。よくもやってくれたな」
『先生』はわなわなとした息遣いで右手の握力を加えた。
「何するんだ、痛いじゃないか」
「痛いで済んだらいいもんだ」
『先生』は腕を掴んだまま土道に淡を吐いた。見るからに余裕がなく、私はこういう『先生』を見たことがなかった。にやつきもせず、苛立った凝視をつづける『先生』の姿は、その大きい身体と濃い体毛が強調される。
「どうしたんだ、いったい」
 私は内心おびえそうになりながら、あくまで毅然とした態度に努めた。
「どうしたんじゃない。もう今後一切、こういうことはやめてくれ」
「何のことだ?」
「……君が駅に行く途中、にしさんをぶっとばしただろう」
「ああ。だがあいつが急いでる僕の腕を掴んだんだ。もし逆の立場なら僕が殴られている。むしろ、あいつは手加減せずに僕を立ち上がれなくなるまでやったはずだ。それなのに僕はあいつを殴ったら駄目なのか?」
 私がそう言うと、『先生』は困惑したようにかぶりを振った。どうやら興奮して、自分でもあまり整理できていない感じだった。
「……いや、殴ること自体はいいんだ。この町はそれ自体に罪はない。しかし君の起こした騒ぎが、そしてあのあと、駅で皆を解散させただろう。そのせいで皆は車両で寝ている乗客を起こせなかった。いいかい、ここに来る乗客はたいがい寝ていて、こっちからの声がないと目覚めないんだ。それなのに、君が皆を遅れさせて、挙句の果てに解散なんてさせたから……」
「いいじゃないですか、乗客のひとりぐらい。こんなにも人がいるんだから」
「いや駄目だ。それじゃ駄目なんだ。いいか、俺らは常に圧力に晒されているんだ。そしてその圧力を覆すためには人がいるんだ。我々の存在が世界に必要であることを示さなきゃならない。世界のベクトルに抗わないといけないんだ」
 正直、私は『先生』の言うことが理解できなかった。しかしそのかわり、以前、それもかなり昔の、車掌の言葉が思い出された。
「どうして……。そんなのはですね、この世界のベクトルなんですよ。これは人間が有史以来作り上げたベクトルなんだ。ええ、ベクトル、ベクトルですよ! この世界に生まれ落ちた人間の契約と言ってもいい。あんなところに降りてはいけない! あんな、あんな不快な場所!」
 私は意地の悪いことを思いついた。
「じゃあ、もし僕がここから出ていけば、貴方たちはどうなるんです?」
『先生』は睨んだ。睨むだけ睨み、何も言わなかった。
「以後、気をつけますよ。これで、話は終わりですか?」
『先生』はうなずいた。私の右の手首には『先生』の太い指の跡がのこった。跡は白く、血流がめぐってもとの血色を取り戻した。
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