ピアノの家のふたりの姉妹

九重智

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第四章

第五十八話

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 クリスマスの日に必ず雪が降り、必ず寒くなければならないという法はない。秋子と夏樹が海に行ったときむしろ妙な湿り気があって、コートではすこし暑かった。

 秋子が望んだ海に着くまで、ふたつ駅を乗り継ぎ、二時間かかった。隣席の夏樹の横顔は強張り、決心じみたものを感じる。秋子は恋人の凝りをやわらげようといくつか冗談をいった。夏樹は気の利いた返しを出さなかった。

 海は観光用とは言い難く、しかし穴場というわけでもなくて、相応にゴミがあり、相応に濁っていた。海は、深緑の毒々しい海面をしている。秋子はこの海に入ったときの、自らの細やかな肌の隅々にプランクトンやら奇怪な色の細菌が住みつくのを想像した。もしここで溺れたりしたら(あえて秋子はここで「溺れる」という言葉に留まった)、わたしの身体は宇宙人のような色で浮かび上がるんじゃないかしら。

 海岸に着いたあと、ふたりはあてもなく歩いた。それは覚悟の儀式ではあったが、そのわりに秋子の心にはざわめきばかり湧き立ち、あれほど熱中したものがほろほろと崩れかけている。

 しばらく儀式はつづいたが、夏樹は何も言わない。その沈黙が秋子の脳裏に浮かぶ宇宙人の溺死を確かなものにさせた。ああ、わたしは死ぬのだ、この人と一緒に。

 秋子は童話や小説で聞く、火あぶりにあう聖女がその最期、清い顔をしたという逸話を嘘だと思った。火あぶりが光に満ちた教会でおこなわれるだろうか。そうではない。きっと火あぶりは路頭の、酔いの醒めるところでおこなわれる。それはちょうど秋子が徳之島の海で死ねないように。

 秋子は聖女の自覚があった。秋子は神を信じていない。しかし秋子の半身が別の存在でできているという点では聖職者と似ていた。秋子は訊きたかった。神が自死を望んでいたとして、それを止めない聖職者がいるだろうか。

 手垢混じりの海に秋子の白い脚が入った。冷ややかだったが、秋子はかろうじて反応を抑えた。なにかすこしでも反応すれば、この命を賭した計画のすべてが台無しになると思った。秋子は夏樹の手を握った。夏樹も恋人の手を握り返したようだった。ふたりはそれから自然のうちに足並みを揃えた。樹海のような海へふたりの恋人は奥へ々々入っていく。
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