ピアノの家のふたりの姉妹

九重智

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第四章

第五十二話

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 夏樹に飯島からの連絡があったのは、その一日ののちだった。

 夏樹は部室棟の付近にある喫煙所で煙草を吸っている。喫煙は再び夏樹に染みついて、地元の出戻りのように我が物顔で居座っている。ヤニを身体に回らせることがいまの夏樹には正常なことであって、長く吸っていないとき、明らかに何かしら飢えた感覚を覚えていた。

 夏樹の喫煙に秋子は何も言わなかった。その意図を、いやそもそもその反応に意図があるのかないのか、彼は知らない。秋子は姉の動向に夢中で、夏樹の喫煙など問題でなかったかもしれないし、冷ややかな叱咤をするほどの余裕さえないか、あるいはそもそも気づいてさえなかったのかもしれない。

 夏樹の推測は最後のものだった。秋子は日増しに美しさを落している。それまで彼女を彩っていた瑞々しさが取り除かれ、否応もなく心に侵犯する輝きがなくなっている。それは心を躍らせる庭園の花々がひとつひとつ造花に置き換えられるようなもので、秋子の活き活きとした神経は姉の変容に吸い取られているように見えた。もう彼女の残った神経に恋人へ割く余力がないほどに。

 電話の先で、飯島の声はくぐもっていた。

「夏樹くん、いまいいですか」

「ああ、いいよ。全然大丈夫」

 そういいながら夏樹は、自分の返事がやや軽やかなことに後悔した。この類の後悔は最近の彼にはよくあることで、夏樹はこの恋人をめぐる事態にあまり深刻を感じられなかった。 

 彼の理性は秋子の変りようや雪子の奇行に警笛を鳴らしている。しかしそれ以外の部分、直観じみた箇所が重々しい粘着性の予感を中和していて、その予感に夏樹はいまだ酔えない。度数のあるアルコールの接種にも関わらず、夏樹の肝臓は気味の悪いほど頑丈だった。

「それで、どういう話……」

 今度こそ夏樹はいかにも険しそうな声をした。飯島はふっと息をのんで、それから語り出した。

「僕はたぶん、雪さんに殺されます」

「殺される?」

「ええ、彼女は僕が死にたいことを信じて、心中するための準備をしているんです」

「心中の準備……」

「ええ、昨日の変な誕生日パーティーを見たでしょう? あれも準備なんですよ。妹を侮辱して、愛想をつかされて、関係を断ち切ってから死ねるんです、あの人は」

「観念的だね」

「ええ、観念的です。あの人は観念だけで動ける人なんだ。これは恐ろしいことなんです。観念だけで死ねるというのは」

「でも秋子はまだ雪子さんが好きらしい」

「それは雪さんからすれば別に問題ではないんですよ。雪子さんが妹との関係を断ち切れたと判断することが必要なんです。それだけがすべてなんです」

 夏樹はこんな頭中を泳ぎ回る話を億劫そうにこまねいた。

「夏樹さん、とにかくこれをどうにかできるのは僕らだけではありませんか。とりあえず今日の七時、ほらA大の近くにジャズ喫茶があるでしょう。『エチカ』というところです。そこで会いませんか」
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