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第四章
第五十話
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「あんなのおかしいわ!」
帰り道、秋子は怒りのあまりそういった。
「ああ、僕もあんな誕生日会ははじめてだね」
「はじめてどころじゃないわ。狂ってたわよ。雪ちゃんはあんな化粧だし、飯島くんは部屋でなにもいわずに本ばっかり読んで、ハッピーバースデーを弾く電子ピアノは壊れているわ、ケーキもパンと生クリームでつくったものやら……なにがおかしいって、雪ちゃんはそれをさも世界一の支配人のような顔をするんですもの」
「まあ、でも、僕はそれなりに楽しんだつもりだよ、ほら、秋ちゃんも笑ってたじゃないか」
「私は、笑わなきゃかえってあのひとたちがかえって喜ぶと思ったから笑ったの。……あの人たちは人形遊びしてるつもりなんだわ」
「人形遊び?」
「そうよ。観念だけで自分を動かして、人も一緒に巻き込んで楽しんでいるんだわ。タチが悪いわ」
「……君は雪子さんのことが好きだと思っていたけど」
「ええ、好きよ、いまでも。だからあんな振る舞いは我慢できないの」
「ねえ、誕生日会、上手くいったと思わない? 私、いままでのどのパーティーより楽しめたわ。ねえ、貴方は?」
「いや、うん、雪さんが楽しんでくれたならよかった」
「? ねえ、どうしたの。私は貴方が楽しんでいるかと訊いているのに」
「いや、楽しかったよ、うん、すごく」
「嘘をついているわね、貴方、ふふ、ねえこっちいらっしゃいな、膝枕をしてあげる」
雪子は太ももをぽんと叩いた。飯島は黙ってそこへ寄り、頭をのせた。
「でも、やりすぎだと思うんだ」
「やりすぎ? どこらへんが? 私は適切だと思うわ。ねえ、見た? 私が音の出ない電子ピアノを弾いたときの、アキのあの引きつった顔」
「僕は、どうして君があんなことをするかわからない」
「どうして? どうしてって貴方が訊くの? 貴方は私と心中するのよ。だからこれはそのための準備じゃない」
「ああ、僕は死ぬといったね」
「ええ、そうよ、覚えているでしょう」
「ああ……言ってしまったんだね」
飯島は奇妙な感覚に囚われた。それは無意識に見知らぬ電車に乗ったような感覚。もっとも近い世界が自分の意識と乖離して動いている。飯島はいつまで経っても観念的な人間であった。観念的に肯定しては観念的に責める人間であった。彼の観念の遊戯は、彼の実際的な問題が保全されるからこそ可能だった。いわば観念は実際の土台に築かれていて、彼の死ぬ死なないの問答は、確固たる地盤上の積み木だった。
しかし雪子は違った。雪子は、昔から観念のために実際を犠牲にできる女だった。妹の安寧のためならすべて演技的にこなせる姉だった。実際的な恐怖や興奮より彼女を突き動かせたのは観念と覚悟であった。
雪子は何も恐れていない。
帰り道、秋子は怒りのあまりそういった。
「ああ、僕もあんな誕生日会ははじめてだね」
「はじめてどころじゃないわ。狂ってたわよ。雪ちゃんはあんな化粧だし、飯島くんは部屋でなにもいわずに本ばっかり読んで、ハッピーバースデーを弾く電子ピアノは壊れているわ、ケーキもパンと生クリームでつくったものやら……なにがおかしいって、雪ちゃんはそれをさも世界一の支配人のような顔をするんですもの」
「まあ、でも、僕はそれなりに楽しんだつもりだよ、ほら、秋ちゃんも笑ってたじゃないか」
「私は、笑わなきゃかえってあのひとたちがかえって喜ぶと思ったから笑ったの。……あの人たちは人形遊びしてるつもりなんだわ」
「人形遊び?」
「そうよ。観念だけで自分を動かして、人も一緒に巻き込んで楽しんでいるんだわ。タチが悪いわ」
「……君は雪子さんのことが好きだと思っていたけど」
「ええ、好きよ、いまでも。だからあんな振る舞いは我慢できないの」
「ねえ、誕生日会、上手くいったと思わない? 私、いままでのどのパーティーより楽しめたわ。ねえ、貴方は?」
「いや、うん、雪さんが楽しんでくれたならよかった」
「? ねえ、どうしたの。私は貴方が楽しんでいるかと訊いているのに」
「いや、楽しかったよ、うん、すごく」
「嘘をついているわね、貴方、ふふ、ねえこっちいらっしゃいな、膝枕をしてあげる」
雪子は太ももをぽんと叩いた。飯島は黙ってそこへ寄り、頭をのせた。
「でも、やりすぎだと思うんだ」
「やりすぎ? どこらへんが? 私は適切だと思うわ。ねえ、見た? 私が音の出ない電子ピアノを弾いたときの、アキのあの引きつった顔」
「僕は、どうして君があんなことをするかわからない」
「どうして? どうしてって貴方が訊くの? 貴方は私と心中するのよ。だからこれはそのための準備じゃない」
「ああ、僕は死ぬといったね」
「ええ、そうよ、覚えているでしょう」
「ああ……言ってしまったんだね」
飯島は奇妙な感覚に囚われた。それは無意識に見知らぬ電車に乗ったような感覚。もっとも近い世界が自分の意識と乖離して動いている。飯島はいつまで経っても観念的な人間であった。観念的に肯定しては観念的に責める人間であった。彼の観念の遊戯は、彼の実際的な問題が保全されるからこそ可能だった。いわば観念は実際の土台に築かれていて、彼の死ぬ死なないの問答は、確固たる地盤上の積み木だった。
しかし雪子は違った。雪子は、昔から観念のために実際を犠牲にできる女だった。妹の安寧のためならすべて演技的にこなせる姉だった。実際的な恐怖や興奮より彼女を突き動かせたのは観念と覚悟であった。
雪子は何も恐れていない。
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