50 / 62
第四章
第四十九話
しおりを挟む
月日は過ぎ去り、十二月。冬がもうめっきりと大手を振っている。薄い雪が降ったり降らなかったり、積もったり積もらなかったりする。往来の人々が、マフラーで隠しながら、りんごのような肌をちらつかせている季節である。
秋子はそのころ、ようやく雪子と連絡がついた。連絡がついたといっても内容は勝手で、飯島の誕生日パーティーの招待だった。秋子は夏樹を誘い、ふたりでアパートに向かった。
アパートは、壁にペンキでいくつか花が描かれて、ぎょっとする外観だった。描かれている花はシダ植物のように曲がりくねった茎をしており、それがいくつも交差して、その先で黄色やピンクやら目に煩い色を咲かせている。花弁はチューリップのようにも、薔薇のようにも見え、つまりどういう花か判然しない。壁は白いが、綺麗ではなく、端のほうは煤けていて、それゆえに土くれのまざった雪のような不快感があった。ふたりがアパートの前で立ち尽くしていると、そのうちの一室が開いて、何ともいえない怒号とともに女が一人飛び出した。
「けっこうな場所だね」と夏樹はいった。
「ええ、でも考えてたよりマシだわ」秋子の声はまだ明るい。
「これよりひどいことを想像してたの」
「想像なんかしてないわ。ただひどいものだろうと何度も唱えたら、意外と何事も平気なものよ」
雪子らの部屋は一棟四室のうち、二階の奥の部屋だった。インターホンを鳴らしたが、反応はなく、ノックをしてそれはおなじだった。
「鍵が開いてるわ」と秋子がいった。
「他人が勝手に入るのは悪いよ」
「わたしは家族よ」
秋子は夏樹を冷ややかに一瞥して、ドアノブを回した。
部屋にいたのは雪子一人だった。雪子は、居間の真ん中で、灰色のアパートや、煙草屋や、雪の降らない雲をぼんやりと眺めている。背筋をピンと張り、そこに貫かれた針金が枝のように分かれ、後ろ髪をも不動にさせていた。秋子は声をかけ、そしてようやく雪子は振り向いた。
雪子の顔を見て、秋子は悲鳴をあげたくなった。姉の顔は化粧を塗りたくられている。その化粧というのが、もはや日本人形の白粉の度合いで、色的に目と眉と唇が、さっき見た白壁にくっついているようである。雪子は微笑んだ。その微笑みの軋んだ音を秋子は聴いた。
「ごめんなさいね、ここ、インターホンが壊れているの」
「ええ、それは……こちらこそ、すみません、無理に入っちゃって……あの、雪子さんもお変わりなく……」
「お変わりなく? 変わりはしたでしょう、こんな化粧よ」
「自覚しているの?」
「ええ。もちろん」
「じゃあどうして」
「私は女優なのよ。フユは悲劇を望んでいる、だから私が演じて、悲劇にどっぷりと浸かってもらうの」
雪子は毅然としている。
「そのなことをしてどうするの?」
「死ぬのよ、ふたりして」
「ああ……やっぱり……」
秋子はそのころ、ようやく雪子と連絡がついた。連絡がついたといっても内容は勝手で、飯島の誕生日パーティーの招待だった。秋子は夏樹を誘い、ふたりでアパートに向かった。
アパートは、壁にペンキでいくつか花が描かれて、ぎょっとする外観だった。描かれている花はシダ植物のように曲がりくねった茎をしており、それがいくつも交差して、その先で黄色やピンクやら目に煩い色を咲かせている。花弁はチューリップのようにも、薔薇のようにも見え、つまりどういう花か判然しない。壁は白いが、綺麗ではなく、端のほうは煤けていて、それゆえに土くれのまざった雪のような不快感があった。ふたりがアパートの前で立ち尽くしていると、そのうちの一室が開いて、何ともいえない怒号とともに女が一人飛び出した。
「けっこうな場所だね」と夏樹はいった。
「ええ、でも考えてたよりマシだわ」秋子の声はまだ明るい。
「これよりひどいことを想像してたの」
「想像なんかしてないわ。ただひどいものだろうと何度も唱えたら、意外と何事も平気なものよ」
雪子らの部屋は一棟四室のうち、二階の奥の部屋だった。インターホンを鳴らしたが、反応はなく、ノックをしてそれはおなじだった。
「鍵が開いてるわ」と秋子がいった。
「他人が勝手に入るのは悪いよ」
「わたしは家族よ」
秋子は夏樹を冷ややかに一瞥して、ドアノブを回した。
部屋にいたのは雪子一人だった。雪子は、居間の真ん中で、灰色のアパートや、煙草屋や、雪の降らない雲をぼんやりと眺めている。背筋をピンと張り、そこに貫かれた針金が枝のように分かれ、後ろ髪をも不動にさせていた。秋子は声をかけ、そしてようやく雪子は振り向いた。
雪子の顔を見て、秋子は悲鳴をあげたくなった。姉の顔は化粧を塗りたくられている。その化粧というのが、もはや日本人形の白粉の度合いで、色的に目と眉と唇が、さっき見た白壁にくっついているようである。雪子は微笑んだ。その微笑みの軋んだ音を秋子は聴いた。
「ごめんなさいね、ここ、インターホンが壊れているの」
「ええ、それは……こちらこそ、すみません、無理に入っちゃって……あの、雪子さんもお変わりなく……」
「お変わりなく? 変わりはしたでしょう、こんな化粧よ」
「自覚しているの?」
「ええ。もちろん」
「じゃあどうして」
「私は女優なのよ。フユは悲劇を望んでいる、だから私が演じて、悲劇にどっぷりと浸かってもらうの」
雪子は毅然としている。
「そのなことをしてどうするの?」
「死ぬのよ、ふたりして」
「ああ……やっぱり……」
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
崩れゆく世界に天秤を
DANDY
ライト文芸
罹ると体が崩れていく原因不明の“崩壊病”。これが世に出現した時、世界は震撼した。しかしこの死亡率百パーセントの病には裏があった。
岬町に住む錦暮人《にしきくれと》は相棒の正人《まさと》と共に、崩壊病を発症させる化け物”星の使徒“の排除に向かっていた。
目標地点に到着し、星の使徒と対面した暮人達だったが、正人が星の使徒に狙われた一般人を庇って崩壊してしまう。
暮人はその光景を目の当たりにして、十年前のある日を思い出す。
夕暮れの小学校の教室、意識を失ってぐったりとしている少女。泣き叫ぶ自分。そこに佇む青白い人型の化け物……
あの時のあの選択が、今の状況を招いたのだ。
そうして呆然と立ち尽くす暮人の前に、十年前のあの時の少女が現れ物語が動き出す。
お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。
「だって顔に大きな傷があるんだもん!」
体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。
実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。
寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。
スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。
※フィクションです。
※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?


社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる