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第三章
第三十六話
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雪子は秋子らと目が合い、そして妹の期待と裏腹に、近づき、秋子の隣に座った。飯島はおどろいて、さながら執事のように恋人の席のうしろで突っ立っている。いや、おどろいたのは彼女の恋人だけではなかった。秋子も、いや時田でさえも、雪子の振る舞いにはぎょっとし、緊張していた。雪子は、絶えず微笑みを浮かべていた。
「お久しぶりね」と雪子はいった。その日もつけていた口紅が、あまりにも自然な曲線を描いている。
「ああ、そうだな、何年ぶりだっけか」
時田は若干のしどろもどろさで答えた。
「今日はどうしてここへ? スーツで、とても目立ってるわ、貴方」
「ああ、彼女の迎えで」
「まあ、素敵。……そういえばこの左手の指輪は? 結婚したの?」
雪子があまりにも淡々として、しかし嫌味もなく接するものだから、時田は気恥ずかしさに襲われた。美玖の迎えと建前をつけて秋子を探したことも、左手の指輪も、どうしようもなく子供じみていた。
「いや、結婚はしてない。……まあ、むこうにせがまれてね。うん、まじないみたいなもんだよ」
時田がそういうと、秋子が隙を見たように、
「嘘。貴方が美玖にそんなこと要求したんでしょ。いい年にもなって幼稚なロマンチックだわ。まあ、昔からだけど。いえ、昔っていっても三年前ね。三年も進歩しないのも問題だわ」
と責めた。
「まあ、そんなこと言っちゃダメよ、アキ。いいじゃない、指輪。うん、そういうの好きな人もいるわ。恋人同士なんだから、ふたりのあいだに幼稚とか、大人とか他の人がとやかく言うのは野暮よ」
雪子の物言いは、秋子の非難より時田を傷つけた。しかし睨んだら負けのようで、ただ澄ませた表情を精一杯努めた。すると雪子の背にいる幽霊のような青年が気になった。
「なあ、そこの子は、君の彼氏かい?」と時田はいった。
「そうよ」
「じゃあ、構内デートってわけだ」
「デートでもないわ。用事を済ませたの」
「仕事も休んで?」
「それほど大事な用だったの」
「ふうん」と時田は鼻を鳴らした。時田の見る限り、雪子は動じていない。しかし後ろの青年は、眉を瞬時しかめさせた気がした。
時田はまたつづけてこう訊いた。
「そういえば、雪子にしてはよく化粧しているね。……すこし痩せたみたいだ。恋はなんたらだね」
「そういってもらえると嬉しいわ。別にこのひとの趣味ってわけでもないけど」
「でもプライドの高い君にここまでさせるってことはとてつもない男なんだろう」
時田はこのとき、さらに飯島の眉間が狭まるのを認めた。
「ええ。私はそう思っているわ」
「できた男だ。そしてぱっと見、頭も良さそうだし、ほら、右手にはグレーバーなんて持ってる」
「……」
「でもそれだけじゃあ、君を落せないな。きっと人格者なんだろう。飛びっきり優秀で、飛びっきり性格がよくて……」
「やめてください!」
飯島が大声を出した。それは秋子の知るかぎりもっとも怒りをにじませた声で、発声の余韻にはわずかな震えがあった。そして飯島はすぐに雪子の手を引き、挨拶もせず席から去った。秋子は唖然としていた。正面の時田を見る。すっかり社会に適応した顔は満悦である。秋子はすごすごとふたりを追った。
「お久しぶりね」と雪子はいった。その日もつけていた口紅が、あまりにも自然な曲線を描いている。
「ああ、そうだな、何年ぶりだっけか」
時田は若干のしどろもどろさで答えた。
「今日はどうしてここへ? スーツで、とても目立ってるわ、貴方」
「ああ、彼女の迎えで」
「まあ、素敵。……そういえばこの左手の指輪は? 結婚したの?」
雪子があまりにも淡々として、しかし嫌味もなく接するものだから、時田は気恥ずかしさに襲われた。美玖の迎えと建前をつけて秋子を探したことも、左手の指輪も、どうしようもなく子供じみていた。
「いや、結婚はしてない。……まあ、むこうにせがまれてね。うん、まじないみたいなもんだよ」
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と責めた。
「まあ、そんなこと言っちゃダメよ、アキ。いいじゃない、指輪。うん、そういうの好きな人もいるわ。恋人同士なんだから、ふたりのあいだに幼稚とか、大人とか他の人がとやかく言うのは野暮よ」
雪子の物言いは、秋子の非難より時田を傷つけた。しかし睨んだら負けのようで、ただ澄ませた表情を精一杯努めた。すると雪子の背にいる幽霊のような青年が気になった。
「なあ、そこの子は、君の彼氏かい?」と時田はいった。
「そうよ」
「じゃあ、構内デートってわけだ」
「デートでもないわ。用事を済ませたの」
「仕事も休んで?」
「それほど大事な用だったの」
「ふうん」と時田は鼻を鳴らした。時田の見る限り、雪子は動じていない。しかし後ろの青年は、眉を瞬時しかめさせた気がした。
時田はまたつづけてこう訊いた。
「そういえば、雪子にしてはよく化粧しているね。……すこし痩せたみたいだ。恋はなんたらだね」
「そういってもらえると嬉しいわ。別にこのひとの趣味ってわけでもないけど」
「でもプライドの高い君にここまでさせるってことはとてつもない男なんだろう」
時田はこのとき、さらに飯島の眉間が狭まるのを認めた。
「ええ。私はそう思っているわ」
「できた男だ。そしてぱっと見、頭も良さそうだし、ほら、右手にはグレーバーなんて持ってる」
「……」
「でもそれだけじゃあ、君を落せないな。きっと人格者なんだろう。飛びっきり優秀で、飛びっきり性格がよくて……」
「やめてください!」
飯島が大声を出した。それは秋子の知るかぎりもっとも怒りをにじませた声で、発声の余韻にはわずかな震えがあった。そして飯島はすぐに雪子の手を引き、挨拶もせず席から去った。秋子は唖然としていた。正面の時田を見る。すっかり社会に適応した顔は満悦である。秋子はすごすごとふたりを追った。
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