ピアノの家のふたりの姉妹

九重智

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第二章

第十六話

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 夏樹は高校卒業してすぐ、同郷の仲間うちで煙草を吸った。それはある種の別れの盃のつもりで、夏樹含め四人のうち三人が島外に出る彼らはその儀式が腐らない果実のような、永久に青々しい意味をもつと思っていた。

 仲間たちのなかでもっとも縁遠い土地にいく夏樹は、集合場所の海岸にいちばんはやく着き、親父からくすねたウィンストンの一ミリをポケットのなかで転がしながら、堤防から海と村とを交互に眺めた。

 村には(これを町だとは口が裂けても夏樹はいえなかった)、廃屋のような家とその隣にある雑草の群生した空き地とセットになり、ぽつりぽつりと、しかし島としてはたしかに集落としてかたまっている。それはあたかも怯えて、頭を抱えながらしゃがむ子供の小集団に見えた。彼らは、いったい何に怯えているのだろう。背後の海からやってくる台風だろうか、それともまったく別の、人為的な何かだろうか。いずれにせよ夏樹はじんわりと、けれども耐えがたく、情けなかった。

 このころの夏樹には、雑草根性じみた都会に対する恨みがあった。それは名家出身のプライドも起因していたかもしれない。オープンキャンパスでしか都会の地を踏んでいない夏樹はその恨みが永く々々続いて、はっきりと彼の見た目にもわかるようになり、そしていつかあの漁師のような風貌をもつと思っていた。険しい眉間、力強い二の腕、白髭の茂った顎、年老いた英雄……。

 仲間が来た。そのうちの鹿児島の本土に出る奴が握ったこぶしをひらいて見せた。

「こいよお、親父が机んうえでほっぽってたからよ、もってきてやった」

 それはジッポライターだった。夏樹らはその無骨な銀の輝きに色めきあい、次々にその仲間を褒めた。

「ジッポなんちお前ん親父もっとんたんか!」

「イカすなあ。わっぜかっこよか」

「せっかくのやからこいで点けよち思って」

「ファインプレーや、ファインプレー!」

 ジッポをもってきた仲間は周りの歓喜に照れて、日焼けした顔が耳まで赤くなった。それを見て夏樹が小突くとまたみな笑った。みな笑ったが、何処かからからとした乾きがある。その乾きがどこから訪れたものか、夏樹はわからなかった。

 夏樹たちはしばらく海岸線を歩きながら話した。しかし何を話したのか、夏樹はおぼえていない。およそそれは仲間たちも同様で、彼らは儀式の前の名残惜しさだけで口を動かしていた。

 陽が落ちると、彼らは堤防越しに村から隠れるようにしてしゃがみ、着火されたジッポを見つめた。大口から解き放たれた火は、彼らの口に出さない興奮を発散させ、微妙に長さと白紙の濃さがちがう四本でその火をわかちあった。夏樹は茫漠と、利便性とコンクリートにあぐらをかいた軟弱な人間を思い描いた。そして胸のうちで、あの脂肪と眼鏡と傲慢な顔を、この大火で燃やし尽くした。

 点火された四本の煙草はそれぞれに離散し、彼らを照らすのは手先の小さな灯だけとなった。疎らな蛍のようなそれは、次第に静まり、命を絶った。

 哀しいかな、夏樹の決意は一年も足らずに頓挫した。とくべつの事件があったわけではない。ただ彼の、島から持ってきた卑屈でぎらついたものは、塩が水に溶けるようにほだされた。あるとき青年は、都会の人間も島とそれほど変わりがないように思えた。どだい悪人なんておらず、大まかに見ればそれほどの差異はない。都会の入道雲が島のものと似ていると感じたとき、夏樹はとっくに煙草をやめていた。
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