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第二章 7月

出た、オニの『山戻し』

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 七月に入ってすぐの木曜日は、紀美にとっては二度目のサンマーク活動日だった。
 紀美は重い足取りで、とぼとぼと学校に向かう。傘を差して。
 この日もまた、雨だった。

 先週木曜日、作業を終えて教室を出るとすぐに、廊下でルイが待ち構えていた。
「ママ、今日はいっしょにかえれるね」
 やった、しかも車だあ、はずむルイのことばとは裏腹に、紀美の心はすでに梅雨時の雨雲より重かった。
 しかも帰宅してすぐ
「じゃーん、みて!」
 ルイが出してきた紙に、つい、よろめいてテーブルに手をついた。

 A3くらいの大きさだろうか、パステルカラーの枠色内に、ぎっしりと番号、商品名、小さな商品画像とサンマーク見本が並んでいる。
『サンマーク一覧表』とあった。

「これね、ルイちゃんちにはないだろうから、おうちにはっておくように、って」
「貼って、おく……」
「れいぞうこのところとか、おだいどころのかべとか」
 あまりにも細かい図柄と商品のラインナップ、見れば見るほど日中の悪夢のごとき作業がよみがえってくる。
「それでね、お買いものしたら、ちゃんとサンマークがついてるかをかくにんして、ついていたらすぐらきりとって、学校にもっていくの」
 ルイのすきなポテチにも、ついてるんだよ、あと、『おととスナック』とか、ママがよく買ってるれいとうしょくひんにも、ついてるからね。それに
「ちょっと待って、ルイ」
 つい怖い声になっていたようで、ルイがことばをのみこんだ。
「こんなゴチャゴチャしたポスター、貼るところがないんだけど」
 子どもに言うにはきつすぎただろうか、ルイは固まったままだ。
 紀美は心をしずめ、やさしく言ってみた。
「冷蔵庫のところはさ、ルイが食べたいおやつやお弁当のおかずのレシピを貼って、溜まったらかわいいアルバムにしようね、って決めたでしょ? それに、お台所には他に紙なんて貼る所がないし」

 そうだ、こんな俗っぽい図柄は新しいキッチンには合わない。貼りたくない。
 それに毎日、『サンマーク』の文字と、サンマークのキャラ『サンちゃん』と顔を突き合わせていなければならないなんて……吐き気がしそうだ。

 しかし結局、ルイの懇願に負けて、冷蔵庫のど真ん中に貼ることになった。

 それからルイを連れて買い物に行くたびに、ルイの
「ママ、このちくわの方がいいよ! マークがついてる!」
 とか
「ママ、このジュースにもついてる、かわいいよ! 買って!」
 などと、いつもとは違うもの、余分なものまで買わされることが多くなった。
 ひとりで買い物している時でも、つい、商品のパッケージをまじまじとながめて、マークがついているのか確認してしまうようになった。
 まず価格、そして原材料や消費期限だけでもチェックがめんどうなのに、その上今まで気にも留めていなかったような小さなへんてこなマークまで、気にしなければならないのだ。

 それでも、冷蔵庫に貼った表のおかげで、少しずつ紀美にも、サンマーク商品の区別がつくようになってきていた。
 冷蔵庫脇につけたチャック付きのプラ袋には、一枚、また一枚と切り抜いたマークがたまっていった。

 そしてまた次の活動日。

 言われた通りハサミと雑巾、そして前回の課題として何とか仕分けを終えたハギラップのマーク計745枚を持参して、学校に十分前に到着した。
 にも関わらず、すでにメンバーはマークの回収を終えていたらしく、すでに全員例の会議室に勢ぞろいしていた。
 一番後から入っていった形になった紀美は、全員の視線をいっせいに浴びて、その圧力に数歩後すさる。
 いや、全員ではなさそうだ、フジコがまだいない。
 委員長は開口一番
「如月さん、ハギラップを出して」
 そう、手を出してきた。
 紀美が分けてきた三つの小袋を片手に下げて外からながめ、すぐこう訊いた。
「大きさ別に分けてきたの?」
「はあ」

 紀美が渡した小袋は三つ。やや大きめのもの、正方形に近い少し小さなもの、もう少し小さな長方形のもの。
 確か、前回ごっちゃになった紙片の袋をこちらに渡しながら、伊藤がこう言ったのだ。大きい順に台紙に貼るから、次回は台紙に貼り易いように分けてきてね、と。

 紀美がそう答えると、委員長は伊藤の顔をみる。
 伊藤は、口を酸素不足の金魚のごとくパクパクさせながら、やっとのことで声を出した。
「言ってませんよー。大きい順、じゃなくて点数の多い順に、って言ったのにー」
 委員長がまず、紀美の持ってきた袋、一番小さな紙片をざあっとテーブルにあけた。
「如月さん、これ見て」
 紙片は同じ色、同じロゴで『ハギラップ』と書かれている。が、その下の点数
「点数、書いてあるでしょ? これは1点、これは1.5、これは……」
 前回、春日がピンセット片手にブツブツつぶやいていたのを思い出した。
 そう、すべての紙片には細かく点数が書かれていたのだ。

 しかし……紀美が目をこらしてよくみると
「……同じ大きさの紙で、点数が、違う??」

「そう」
 委員長は他の二つの袋の中身もテーブルにあけた……せっかく分けたものを、また一つの大きな山に。
「鬼、オニだわ、ひさびさに見たわ、『オニの山戻し』」
 低く春日のナレーションが入っている。
 日常的なことなのか、委員長はじめ誰も動じる様子はない。委員長は続けた。
「ハギラップはね、点数が1、1.5、2、3、4点と5種類あるんだ。この分け方ではぜんぜんダメ。他所の団体はいざ知らず、うちのサークルでは、同じ点数のものをまとめてひとつの台紙に貼ってから集計する、って決まりだから。
 サンマークってね、商品の価格ごと、点数がだいたい決められてるの。大雑把に言うと、百円で約1点かな。
 マークの大きさや形にだまされないで、ちゃんと点数別に分けておいてくれる?」

 今日はその作業をやってくれればいいから、と去って行こうとした委員長、くるりと振り向き、紀美にこう告げた。

「分からないことがあったら何でも訊いてね」
 うわ、ちょっとだけ優しい。

「分からないことをずっと分からないまま続けられてそれが間違っていたりしたら、結局迷惑するのはチーム全体なんだから」
 やっぱりオニだ。

 伊藤は、放心したままの紀美に、
「初心者は、ありがちなんだよー。ま、がんば」
 妙に嬉しげにそう言い残し、委員長の後を追っていった。
「ありがち、初心者ありがち」
 背後で、先週に続きピンセットを使っていた春日の声がそう復唱した。
 周りはすでに、それぞれの作業に没頭している。
 紀美はため息が表に漏れないように、ゆっくりと椅子に座り、また、ハギラップの山と向き合った。

 確かに、点数がいろいろとある。
 小さな紙片の中にも、3点と書かれたものがわずかにあったし、大きなものでも1点という『ただの安くてデカいやつ』がある。
 紙の大きさと点数とは、まったく関連性がないようだ。
「1点……1点……3」
 いつの間にやら紀美も、先週の春日と同じような呪詛じみた小声を発していた。
 さすがに、『くん』づけはせず、呼び捨てではあったが。
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