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二十三章 いざ、サランディールへ
1
しおりを挟むまた、あの夢だった。
暗い地下通路。
近くで流れる、水の音。
そして、ある一人の男が──ダルク・カルトが、壁に背をもたせかけて、座り込んで死んでいる。
短く切った黒髪が、項垂れた顔の上半分を隠したままだ。
閉ざされた口は、もう二度と開く事はない。
子供の俺より子供みてぇにキラキラ輝く青い目ももう見れねぇ。
大きな温かい手が、俺の頭をぐしゃぐしゃっと撫でる事もない。
夢は、ただ鮮明にそのシーンだけを映し出していた。
ただそれだけを、永遠に──……。
◆◆◆◆◆
ペチペチ、と何か柔らかい肉球みてぇなもんが、俺の頬を叩く。
ペチペチ、ペチペチ。
ペチペチペチ……。
「う……うう゛……。
なんだよ、犬カバ、もーちょっと寝かせろよ……」
半分寝ぼけながらも、掠れ声で訴える。
気分は、最悪だ。
頭も重い。
これ以上この夢を見ていてぇとは微塵も思わなかったが、だからって起きちまおうってぇ気力も特にはなかった。
それに今 丁度夢が途切れたとこだしよ、もう一眠りすりゃあもっとなんか違う感じの、いい夢が見れるかも……。
なんてすややかに再び眠りにつこうとした俺の顔に。
ぎゅむん、と犬カバが四つ足で乗っかった。
そーしてそのままふみふみふみふみ、と足踏みする。
俺はそいつにほんの数秒ほども耐えたが……
「~だあぁぁっ……!!」
ととうとう我慢出来ずに跳ね起きた。
ゴシゴシと服の裾で犬カバが踏みつけまくったこのイケメン顔を擦り、目を覚ますと、ベッドの上にフツーに着地した犬カバが『やっと起きたか』って言う様な顔で俺を見ていた。
「なんっだよ、犬カバ。
もーちょっとゆっくり寝かせてくれって言って……」
んだろ、との言葉はある声によって遮られる。
「いい加減起きたらどうだ。
もう昼過ぎだぞ。
それに、お前宛てにハント卿から手紙が届いている」
言ってくるのは、もちろん犬カバ──なんかじゃなく、俺の寝ていたベッドのすぐ横に立つ、ジュードだ。
つーか、ハント卿……?
って、ヘイデンの事か!!
一気に目が覚めて、俺は慌ててベッドから抜け出して、
「それを早く言えっての!」
ジュードから手紙を受け取る。
そーしてそのまま手紙の封に手をかけかけたんだが……。
そこでふと、ジュードがすげーじと目で俺を見てくる事に気がついた。
まるで呆れる様な、責める様な、そんな目だ。
「……な、なんだよ?」
思わずたじろぎながら聞くとジュードが はぁっと深く、溜息一つつく。
そーして言った言葉は、
「……別に、何でもない」
の一言だけだ。
ったく……。
一体何だってんだよ?
ジュードの野郎、ここ二、三日くれぇ前からしょっちゅうこーゆー態度取ってくんだよな。
人の顔見りゃ、空気読めねぇ奴、みてぇな目で見て来やがって……。
そのくせ俺が「なんだよ?」って声をかけても、今みてぇに溜息つかれて「何でもない」って返されるだけだしよ。
俺が何かお前にしたかってんだ。
つーか んな事より。
俺はジュードから受け取った手紙の封を手でちぎり、中からキレイに三つ折りに畳まれた便箋を取り出す。
便箋は、二枚入っていた。
それぞれ紙質も違うし、フツーなら二枚まとめて三つ折りにして封に入れる所を、わざわざ一枚ずつ別々に折って入れられていた。
それも、よく見ると折り目も違う。
どーゆう訳か一枚ずつ、別々に折って入れたもんらしかった。
と、犬カバが俺の傍からひょこんっと顔を出して手紙を見つめ、ジュードが『一体何の手紙だったんだ?』とばかりに俺の方を見る。
俺は気にせず便箋の内の一枚を開いて読んだ。
『お前から頼まれていた件、先方に伝えた。
手紙にて返事が届いたので、そちらに送る』
ヘイデンらしい、無駄なモンの一切ねぇ簡素な文だ。
ってぇ事は、この別口で折られた便箋が、『先方』からの手紙って訳だ。
ごくり、と思わず息を飲んでその『先方』からの手紙を手に取る。
と、ジュードが──よっぽど気になったんだろう、声をかけてきた。
「何か、重要な内容か?」
俺はそいつに答える前に手紙を開いて、内容を確認する。
そうして読み終えてから、事の次第を話してやる。
「ここに来る前、ヘイデンにさ。
サランディールの英雄ガイアスに、正式にレイジスに協力してくれるよう頼んで欲しいってぇ手紙を、送っておいたんだよ。
ついでに俺ら二人がサランディールまでの航路や今のサランディールの状況確認を兼ねて一度偵察に向かうって事も。
あっ、言っとくけどもちろんアルフォンソの事は書いちゃいないぜ?
それでその、返事がこれ。
なんとガイアスから直々の手紙だぜ」
ガイアスの手紙をジュードへ差し出してやりながら言うと、
「クライン卿から!?」
とジュードがやたらに驚いて、受け取った手紙をギョッとした様に見る。
そうして──ただの紙だってぇのに本人を目の前にした時みてぇな真摯な顔で手紙を見つめ、小さく頭を下げてからようやくその手紙を開く。
そこに書かれてる内容は、こうだ。
『以前からヘイデンより事情は全て聞いていた。
このガイアス・クライン、喜んで力をお貸ししよう。
殿にもその旨、伝えられたし。
あなた方がサランディールに一度来られる際の滞在には、拙宅を使うのが良いだろう。
こちらへ来る際には国境まで迎えをやるので安心して参られるがいい』
ヘイデンと同じく、無駄なものの一切ない、簡潔な文だ。
文中にある『殿』ってぇのはもちろんレイジスの事だろう。
ちゃんと『レイジス』とか『殿下』とか入れなかったのは、万が一手紙が他の誰かの目に触れる事があったとしても大丈夫な様にって事か。
文の雰囲気を見る限り、どーやらガイアスってぇのはしっかり頭の回る武人らしい。
ジュードが──手紙を読み終えたんだろう、そこから顔を上げて俺を見る。
俺はそいつにニンマリ笑って見せた。
「──ありがたくも全面協力してくれるらしいぜ。
あとは俺らが出向くだけだ」
言ってやると、ジュードが「──ああ、」と気合の込もった一言で返し、俺を真っ直ぐに見る。
俺のすぐ隣で犬カバも「ブッフ」と気合の入った鼻息をついた。
俺も気合は十分だ。
あとはもうジュードと二人、サランディールに行って行動を起こすのみだぜ。
レイジスたちに告げてる飛行ルートの地理地形、風向きや天候なんかを見てきたり、サランディール城内の今の様子を探ってくるのはもちろんだが……。
『今のアルフォンソ』の事──必ず掴んで来て見せるぜ……!
気づけばいつの間にか──つい今さっき見た悪い夢の事は俺の頭からすっかり消え去っていた──。
◆◆◆◆◆
ミーシャはそっと静かに自室の窓辺に佇んで、窓の外の景色を見つめていた。
窓の外には、美しく整えられた花と噴水の庭園。
さらさらと水が吹き出す柔らかな音と、ふんわりとした花の香りが風に乗ってここまで届く。
気候も穏やかで、気持ちのいい昼下がり、だった。
けれどミーシャはそれらのものにはまったく心を向けずに──ただただ深く、ある一つの事を考え込んでいた。
それに小首を傾げて──
「ミーシャ様、この頃ずっと難しいお顔をなさってますわ。
何かお悩み事ですか?」
と、声をかけたのは、お茶とお菓子を運んできてくれたマリー(正確には、運んでテーブルにお茶の準備をしてくれているのは侍女で、マリーはついてきただけ、なのだが)だ。
その表情はどこかすっきりと晴れやかな様子、なのだけれど──。
少し、目元が腫れている……?
まるで、泣いて泣いて泣きまくった後の様な……。
……気のせい、かしら。
何だか聞くのも憚られて──ミーシャはマリーの問いかけに ふるふる、と小さく首を横へ振って、微笑する。
「いえ……なんでも、ないの」
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