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六章 サランディールのミーシャ

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「~リッシュ!リッシュ!!」

急にその場に倒れてしまったリッシュに必死に呼びかけ、ミーシャはリッシュを揺する。

リッシュの顔が死人の様に青白いのに半ば恐ろしく思いながら、ミーシャは近くでオロオロ右往左往する犬カバに呼びかけた。

「~犬カバ、ヘイデンさんを──ヘイデンさんを呼んで来て!」

呼びかけると犬カバが慌てた様に「クッヒ!」と一ついなないて部屋をバタバタバタッと出ていく。

ミーシャはそっとリッシュの頬に触れる。

思ったよりも、冷たい。

形のいい眉はぐっとしかめられていた。

こういう風に倒れるリッシュを見るのは、犬カバの屁の匂いに当てられた時以来だ。

けれど、あの時よりもずっと不安な気持ちになる。

ミーシャはちらっとリッシュが倒れる時に落としてしまった赤い古びた手帳を見る。

あれを手にして──リッシュは何の前触れもなしに倒れてしまったのだ。

ミーシャは……少しためらってその赤い手帳へ手を伸ばし、自分の懐にしまう。

どうしてそうしてしまったのかはミーシャ自身にも分からなかった。

カツ、カツ、と階段を杖をつきながらヘイデンが降りてくる音がする。

ミーシャはそれに気がついて「ヘイデンさん!」と声をあげた。

「こちらです!
リッシュが急に倒れて……」

言い終えるか終えないかのうちに、ヘイデンが急ぎ足に部屋に入ってくる。

その足元には犬カバも一緒だった。

ヘイデンが、リッシュのそばまで来て床に片膝をつき脈を診た。

そして額に触れる。

心配するミーシャの横でヘイデンは一つ息をついた。

「~何も心配あるまい。
だがこんな所に放って置く訳にもいかんからな。
念の為医者にも見せておいた方が良かろう」

言って、リッシュの腕を自分の肩に回して立ち上がろうとする。

ミーシャは慌ててリッシュの反対側の腕を取って手伝う事にした。

「~まったく、いくつになっても手間がかかる事だな」

ヘイデンが溜息混じりにぼやくのがミーシャの耳に聞こえてきた。

~まるで、かなり昔から──それこそリッシュが子供の頃から知っているみたい。

リッシュはそんな風には言っていなかったけれど。

ミーシャは不思議に思いながらもそれにはあえて触れずにヘイデンを手伝ってリッシュを抱えたのだった──。


◆◆◆◆◆

紅色のカーペットに、シンプルだが上質な調度品。

質素で落ち着いた雰囲気のこの部屋は、ヘイデン・ハントの屋敷にある一室だった。

ミーシャはベッドの上で眠るリッシュの端正な横顔を見つめる。

静かに眠ったままだが、ヘイデンが呼んでくれた医師の話では体は何ともないらしい。

執事さんが何も言わずリッシュの身なりを元の様子に戻し、服もあつらえてくれた為に、今はどこからどう見てもきちんと男の姿に見える。

ここへの道中──触れた服の感じからだろう、ヘイデンに「リッシュは女物の服を着ているのか?」とかなりいぶかしげに尋ねられてしまったので、ミーシャはためらいながらもヘイデンには全てを明かしてしまっていた。

ゴルドーの手先から逃れる為に女装をしている事。

普段街を歩く時は『リア』と名乗っている事。

そしてそれが……まったく違和感なく、街でも誰にも疑われる事なく過ごせている事も。

ヘイデンがゴルドーの所に突き出す事はないと踏んでの事だった。

もしヘイデンにそのつもりがあったのならリッシュに剣を突きつけた時にそのまま殺すか、捕らえてはずだ。

ヘイデンは初めから目の前にいるのがリッシュ・カルトで、そのリッシュが生死問わずの賞金首だという事を知っていたのだから。

『リッシュはきちんと借金を返すつもりだから、この事は誰にも言わないでほしい』というミーシャの願いも何も言わずに聞き届けてくれた。

リッシュを診る為に呼んでくれた老医師や、屋敷に一人だけいた老執事にも『他言は無用』と口止めをして。

リッシュの行動に対してなのか、それともミーシャがリッシュを庇う事に対してなのか、ヘイデンには呆れ返って物も言えないとばかりに大きな溜息こそつかれてしまったけれど。

それに関してはミーシャも同意見なので仕方がない。

ミーシャだってリッシュをこうも庇ってしまう事には自分でも半ば呆れていた。

一億ハーツも借金をして、飛行船をさっさと買い戻してしまえば良かったのに『もうちょっと金を膨らませようと思って』ギャンブルで全てを失った。

その上いくら命を狙われているからといって女装で追っ手をやり過ごそうとするなんて、信じられない様な大馬鹿者だ。

けれど………

真剣、なんだもの。

認めたくはないけれど、リッシュの飛行船に対する気持ちは真剣で、ミーシャはその様子を見ていると何故か応援したくなってしまうのだ。

いつもへらへらしていて、詐欺師みたいで、女装していて、鍵までヘアピンで開けて。

ウソつきでサボりぐせもあって、本当にどうしようもない人だけれど、でも……。

それでもリッシュの事を庇ってしまうのだから、本当に自分でも呆れてしまう。

と、部屋の戸をコンコンとノックするものがあった。

「──はい」

ミーシャが静かに応えると、部屋の戸がそっとこちら側に開く。

入ってきたのはヘイデン・ハントその人だった。

ヘイデンは目を閉じたままミーシャへ向けて言う。

「──まだ目を覚まさんのか?」

「──ええ。静かに眠っています」

ミーシャが答えると、ヘイデンは静かに一つ息をついた。

「まあ、医師もああ言っていたのだから心配あるまい。
以前は、こういう事はよくあったのだ。
ダルクに関する記憶を、取り戻しそうになる度にな。
──少し休まないか。
お茶も用意している。
ここにいても何もする事もあるまい」

言ってくる。

確かに、ヘイデンの言う通りだ。

ミーシャは ちら、と静かに眠るリッシュの横顔を見つめ、そうして再びヘイデンへ目を向けた。

「──はい」
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