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■第一話 本当のストーカーは誰?
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作品の主人公は、伊澄和希自身。作中の出来事にある、誰かに見られているような感覚も、ふと気づくと主人公の持ち物がなくなっていたという描写も、推測の域は出ないが、おそらく伊澄和希自身の身に起こったことを作品に投影させたのだろうと思う。
そんなことまでされてもなお、現実の伊澄和希がこの場所にいるのは、読み解いた文章の最後にあるように、それでも両親を心から愛しているからだ。ちひろたち幻泉社の誰かに気づかれるかもしれないというリスクを冒してまでそうしたのは、自分を執拗に管理しようとする両親に目を覚ましてもらいたかったから、という伊澄和希の切実な思い。
でも、家族だから愛さずにはいられないという、無償の愛だ。
そう考えると、法則さえわかれば簡単に解ける謎を仕掛けたことにも説明がつく。自分の気持ちをまず両親に気づいてもらいたいことが第一。それでも変わらないなら、気づいた人間がそれをどう扱うかによって変化するかもしれない状況に身を任せるのが第二。
そうして、ちひろたちは伊澄家の内側へと踏み込んだ。
どういうことを指して過干渉というのかは、具体的にはちひろはわからない。けれど本人の預かり知らないところで部屋に入ったりパソコンの中身を見たりすることを総じてそう呼ぶのだとしたら、父親が『抹消(仮)』にも目を通している可能性は否定できない。
そうだとしたら、逆によく第二稿まで漕ぎつけられたと思う。早峰カズキという作家と伊澄和希との間で何度も何度も苦しんだ結果、父親に気づいてほしい気持ち以上にこちらに過干渉に苦しんでいることを伝えたい気持ちが上回った、ということかもしれない。
とにかく、気づいてしまったちひろたちにできることは、これだけだ。
「お願いします」
「どうかお願いします」
頭を下げるちひろの隣で、櫻田も深く頭を下げる。
「僕たちは、決してこれを口外するつもりはないんです。ハイエナのようにと仰られたことは、本当のことすぎて弁解の言葉もありません。でも僕たちはただ、和希さんとご両親のことが心配なだけなんです。今回執筆をお願いした作品を改めて読ませていただくと、誤字脱字によって浮かび上がるメッセージとは別に、作品全体からひどく窮屈そうな息苦しさを感じました。誤解を招くようなことばかり言って大変申し訳ありません、ですが、和希さんをこれ以上お二人の中に閉じ込めないであげてはもらえませんかっ」
浮かび上がった文章を見て、櫻田は泣いた。今も櫻田の声には湿り気がある。ちひろだって胸が締め付けられるように痛かった。こうして頭を下げている今もだ。
自分たちの願いは、思いは、早峰カズキが作家としてではなく伊澄和希として願っていることと同じ――伊澄家の再生だ。彼は、両親に執拗に怯えているようではあるけれど、身なりもきちんとしているし、しっかり愛情を注がれて成長してきた感が窺える。両親はただ、その愛情の向け方を少しだけ間違えてしまっただけなのだ。そうじゃなかったら、苦しい助けてと叫びながらも〝愛してる〟なんて言葉が出てくるはずがない。
「お前たちの言いたいことはよくわかった。次に会うときは法廷の上だ」
「そうね。こんなの、名誉棄損にも程があるわ。覚悟してちょうだい」
しかし、頭を下げ続けるちひろたちの向かいで、両親が無情にも静かに吐き捨てる。
……これまでなのだろうか、自分たちは。息子がここまで恥を忍んで他人に家庭内のことを打ち明けたというのに、それさえ彼らは捻り潰そうというのだろうか。
悔しくてぎりぎりと歯を食いしばると、隣の櫻田からも同じ音が聞こえた。よく見るとテーブルの下で握られている彼の両手はところどころ白かったり赤かったりと色が変わっていて、それだけ力を込めて拳を握っていることが容易にわかった。
ちひろも同じだった。現実世界はなんて無力なことばかりに溢れているんだろうか。事実は小説より奇なりとはよく言うけれど、こんなにも悔しい思いをすることがあるくらいなら、ずっとずっと、もう一生、物語の中に引きこもってしまいたい。
「行くぞ、和希」
父親が早峰カズキの腕を取って立ち上がらせようとする。母親はもうすでに通路に立っていて、腕を組み、苛立たしげに「早く立ちなさい」と彼を促す。
――と、そのときだった。
「……かない」
「は?」
「行かないって言ったら、行かない」
早峰カズキが――伊澄和希が父親の手を振り払い、そうはっきりと言った。
驚いて顔を上げると、彼はスッと席を立ち、ズボンの後ろポケットの財布から小さな黒い物体をテーブルに転がす。それから上に羽織っている赤チェックの服の胸ポケットに差しているピンを取り外し、その装飾部分を指で摘まんで破壊した。
意外にもあっさり壊れたその中から出てきたのは、細い銅線のようなものだった。それを見たちひろと櫻田、それに早峰カズキの両親ははっと息を呑み、目を見張る。早峰カズキ本人だけが苦々しい顔で指先のそれを眺めていて、目は驚くほどに冷淡だ。
「斎藤さんの言う通りだよ。彼女だけなんだ、俺の声をちゃんと聞いてくれたのは。それぞれの原稿にわざと誤字や脱字を混ぜて、順番に繋げていけばこの文章になるように作った。親父たちがそれに気づかないようなら、本当は櫻田さん、あんたに気づいてほしかったけど。でも、そうしたら宝永社の担当編集みたいにちょこちょこ直されるし、逆に櫻田さんが担当についてくれて、よかったと思ってる」
ピクリと肩を震わせた櫻田を一瞥し、早峰カズキは続ける。
「斎藤さんの推理は、ほぼ正解。間違っていることがあるとすれば、俺はもうこの人たちに何も期待してないし諦めてるってことだけ。物心がついた頃からこうだったんだ、この人たちはもう、死ぬまで治らない。絶対に同じことを続けるんだ。だから俺は、この家族を〝抹消〟したい。斎藤さんは『誰?』のことを家族の再生の物語のように言ってくれたけど、俺はそれを読んで親父たちに自分が犯罪者なんだって気づいてほしかった。今回の小説だってそうだよ。主人公は自分の家族を次々に抹消していく猟奇的な殺人者だ。これは親父たちに向けての最後通告なんだ。これ以上俺の人格を自分たちの枠に当てはめないでくれ、もう十分付き合ってやっただろ、いい加減にしてくれってつもりの」
静かなその声は、父親とはまた違う凄みがあった。盗聴器を仕掛けられていることや作品を盗まれていることは、はっきりとは言わなかったけれど、暗にそれらを示しているような言い方は、両親の異常性をちひろたちに印象付けるには十分すぎる言葉だった。
その反面、頭では諦めているつもりでも感情が諦めきれないことも容易に想像させた。物心がついた頃からこうで、死ぬまで治らないとは言っても、本当はもっと違う形で愛情を注がれたかった、注がれたいという彼の切実な思いが言葉の端々から溢れている。
「……つーか、そうは言ってもわかってるんだ、親か俺のどっちかが死ぬまで干渉され続けるんだってことくらい。でも、いい機会だから言うよ。これを機に、親父もお袋も俺に干渉するのはやめてくれ。俺はもう十九なんだよ。ここまで育ててくれたことには感謝してるし、有難いと思ってる。けど俺だって……何をするかわかんないよ」
「……っ」
「……」
ぎろりと睨みつけられた両親が、はっと息を呑む。母親は蒼白な顔で口に両手を当てて目を見張り、父親は体を小刻みに震わせながら耳まで真っ赤にして目を充血させている。
ちひろは何とも言えない気持ちでそっと目を伏せた。
これが伊澄家の内情なのだ。
過剰な愛が異常なまでの過干渉を生み、母親にはどこにいても監視されるようになり、才能が開花した息子に間が差した父親はそれを自分のものにしようとした。
一人それに耐えてきた早峰カズキにも、もう限界が訪れている。驚くほど覇気がない目をしていた理由も、昨日、ここを出るまで一言も喋らなかったことも、わざわざアンケート用紙の裏に待ち合わせを書いたことも、常に監視の目に晒されていたからなのだ。
デビュー作の『誰?』は、どこかに出る前におそらく早峰カズキが死守したのだろう。今回の『抹消(仮)』は一歩賞を受賞したあとのことなので、執筆依頼を受けて書いているということがストッパーになり、見られていても原稿は守られた。だって、常に息子を監視している両親が幻泉社の接触を知らないなんてことはないのだから。
ただ誤算だったのは、早峰カズキの叫びに両親が気づけなかったことと、櫻田が担当編集についたおかげで校閲の段階でちひろがおかしな点に気づいてしまったことだ。
赤い屋根がよく映える白壁と、綺麗な装飾が施された鉄扉。芝生も綺麗に整えられてあったあの家は、外から見ているぶんには理想的な家族の形そのもののように思えた。けれど、その中はもうずっと、溺れ死んでしまいそうなほどの息苦しい空間だったのだろう。
「この我が家の恥さらしがっ――!!」
「春親さんっ!」
「お父さんに謝りなさいっ。こんな子に育てた覚えはないわっ!」
「千絵さんもっ! やめてくださいっ!」
怒鳴り声を上げながら早峰カズキに掴みかかった父親と、ヒステリックに叫びながら手を上げようとした母親を櫻田が慌てて止めに入る。その拍子にテーブルの上のコーヒーやメロンソーダが盛大に倒れ、こぼれた中身が原稿や『誰?』の単行本にかかった。
激しく揉み合う中、カップやグラスが床に落ちて大きな音とともに立て続けに割れる。店内はすでにこれ以上ないほどに騒然としていて、男性スタッフも混じりながら店員数人が何枚もの布巾を手にこちらに駆けてくる。しかし彼らも、あまりに激しいその揉み合いにたじろぎ、なかなか間に入ってくることができないようだった。
「……うっ」
そうこうしているうちに、なりふり構わず振り下ろした父親の拳が、早峰カズキを庇った櫻田の左頬に鈍い音を立ててヒットした。「ああっっ――!」と叫びながら早峰カズキを奪おうと伸ばした母親の綺麗にネイルされた爪が、櫻田の反対の頬を引っ掻く。
「恥さらしがっ! 自分に才能があるなんて思い上がるんじゃないっ!」
「今までずっといい子だったじゃないの! どうして急に!」
「ここまで育ててやった恩を仇で返しやがって!! なんて息子なんだ、お前は!」
「なんでお母さんたちの愛がわからないのっ! どこかの悪い人に変なことを吹き込まれたんでしょ? そうなんでしょ!? そうだと言いなさい、和希っ!!」
もう見ていられない光景だった。赤の他人が家庭の中に踏み込んでいくことがどれだけ相手の神経を無視したことなのかを、まざまざと見せつけられているような気分だ。
誰かが「通報!」と叫ぶ。近くの交番から駆けつけた警察官が、早峰カズキと彼を庇い続ける櫻田から両親を力づくで引き離すまで、その聞くに堪えない罵倒は続いた。
そんなことまでされてもなお、現実の伊澄和希がこの場所にいるのは、読み解いた文章の最後にあるように、それでも両親を心から愛しているからだ。ちひろたち幻泉社の誰かに気づかれるかもしれないというリスクを冒してまでそうしたのは、自分を執拗に管理しようとする両親に目を覚ましてもらいたかったから、という伊澄和希の切実な思い。
でも、家族だから愛さずにはいられないという、無償の愛だ。
そう考えると、法則さえわかれば簡単に解ける謎を仕掛けたことにも説明がつく。自分の気持ちをまず両親に気づいてもらいたいことが第一。それでも変わらないなら、気づいた人間がそれをどう扱うかによって変化するかもしれない状況に身を任せるのが第二。
そうして、ちひろたちは伊澄家の内側へと踏み込んだ。
どういうことを指して過干渉というのかは、具体的にはちひろはわからない。けれど本人の預かり知らないところで部屋に入ったりパソコンの中身を見たりすることを総じてそう呼ぶのだとしたら、父親が『抹消(仮)』にも目を通している可能性は否定できない。
そうだとしたら、逆によく第二稿まで漕ぎつけられたと思う。早峰カズキという作家と伊澄和希との間で何度も何度も苦しんだ結果、父親に気づいてほしい気持ち以上にこちらに過干渉に苦しんでいることを伝えたい気持ちが上回った、ということかもしれない。
とにかく、気づいてしまったちひろたちにできることは、これだけだ。
「お願いします」
「どうかお願いします」
頭を下げるちひろの隣で、櫻田も深く頭を下げる。
「僕たちは、決してこれを口外するつもりはないんです。ハイエナのようにと仰られたことは、本当のことすぎて弁解の言葉もありません。でも僕たちはただ、和希さんとご両親のことが心配なだけなんです。今回執筆をお願いした作品を改めて読ませていただくと、誤字脱字によって浮かび上がるメッセージとは別に、作品全体からひどく窮屈そうな息苦しさを感じました。誤解を招くようなことばかり言って大変申し訳ありません、ですが、和希さんをこれ以上お二人の中に閉じ込めないであげてはもらえませんかっ」
浮かび上がった文章を見て、櫻田は泣いた。今も櫻田の声には湿り気がある。ちひろだって胸が締め付けられるように痛かった。こうして頭を下げている今もだ。
自分たちの願いは、思いは、早峰カズキが作家としてではなく伊澄和希として願っていることと同じ――伊澄家の再生だ。彼は、両親に執拗に怯えているようではあるけれど、身なりもきちんとしているし、しっかり愛情を注がれて成長してきた感が窺える。両親はただ、その愛情の向け方を少しだけ間違えてしまっただけなのだ。そうじゃなかったら、苦しい助けてと叫びながらも〝愛してる〟なんて言葉が出てくるはずがない。
「お前たちの言いたいことはよくわかった。次に会うときは法廷の上だ」
「そうね。こんなの、名誉棄損にも程があるわ。覚悟してちょうだい」
しかし、頭を下げ続けるちひろたちの向かいで、両親が無情にも静かに吐き捨てる。
……これまでなのだろうか、自分たちは。息子がここまで恥を忍んで他人に家庭内のことを打ち明けたというのに、それさえ彼らは捻り潰そうというのだろうか。
悔しくてぎりぎりと歯を食いしばると、隣の櫻田からも同じ音が聞こえた。よく見るとテーブルの下で握られている彼の両手はところどころ白かったり赤かったりと色が変わっていて、それだけ力を込めて拳を握っていることが容易にわかった。
ちひろも同じだった。現実世界はなんて無力なことばかりに溢れているんだろうか。事実は小説より奇なりとはよく言うけれど、こんなにも悔しい思いをすることがあるくらいなら、ずっとずっと、もう一生、物語の中に引きこもってしまいたい。
「行くぞ、和希」
父親が早峰カズキの腕を取って立ち上がらせようとする。母親はもうすでに通路に立っていて、腕を組み、苛立たしげに「早く立ちなさい」と彼を促す。
――と、そのときだった。
「……かない」
「は?」
「行かないって言ったら、行かない」
早峰カズキが――伊澄和希が父親の手を振り払い、そうはっきりと言った。
驚いて顔を上げると、彼はスッと席を立ち、ズボンの後ろポケットの財布から小さな黒い物体をテーブルに転がす。それから上に羽織っている赤チェックの服の胸ポケットに差しているピンを取り外し、その装飾部分を指で摘まんで破壊した。
意外にもあっさり壊れたその中から出てきたのは、細い銅線のようなものだった。それを見たちひろと櫻田、それに早峰カズキの両親ははっと息を呑み、目を見張る。早峰カズキ本人だけが苦々しい顔で指先のそれを眺めていて、目は驚くほどに冷淡だ。
「斎藤さんの言う通りだよ。彼女だけなんだ、俺の声をちゃんと聞いてくれたのは。それぞれの原稿にわざと誤字や脱字を混ぜて、順番に繋げていけばこの文章になるように作った。親父たちがそれに気づかないようなら、本当は櫻田さん、あんたに気づいてほしかったけど。でも、そうしたら宝永社の担当編集みたいにちょこちょこ直されるし、逆に櫻田さんが担当についてくれて、よかったと思ってる」
ピクリと肩を震わせた櫻田を一瞥し、早峰カズキは続ける。
「斎藤さんの推理は、ほぼ正解。間違っていることがあるとすれば、俺はもうこの人たちに何も期待してないし諦めてるってことだけ。物心がついた頃からこうだったんだ、この人たちはもう、死ぬまで治らない。絶対に同じことを続けるんだ。だから俺は、この家族を〝抹消〟したい。斎藤さんは『誰?』のことを家族の再生の物語のように言ってくれたけど、俺はそれを読んで親父たちに自分が犯罪者なんだって気づいてほしかった。今回の小説だってそうだよ。主人公は自分の家族を次々に抹消していく猟奇的な殺人者だ。これは親父たちに向けての最後通告なんだ。これ以上俺の人格を自分たちの枠に当てはめないでくれ、もう十分付き合ってやっただろ、いい加減にしてくれってつもりの」
静かなその声は、父親とはまた違う凄みがあった。盗聴器を仕掛けられていることや作品を盗まれていることは、はっきりとは言わなかったけれど、暗にそれらを示しているような言い方は、両親の異常性をちひろたちに印象付けるには十分すぎる言葉だった。
その反面、頭では諦めているつもりでも感情が諦めきれないことも容易に想像させた。物心がついた頃からこうで、死ぬまで治らないとは言っても、本当はもっと違う形で愛情を注がれたかった、注がれたいという彼の切実な思いが言葉の端々から溢れている。
「……つーか、そうは言ってもわかってるんだ、親か俺のどっちかが死ぬまで干渉され続けるんだってことくらい。でも、いい機会だから言うよ。これを機に、親父もお袋も俺に干渉するのはやめてくれ。俺はもう十九なんだよ。ここまで育ててくれたことには感謝してるし、有難いと思ってる。けど俺だって……何をするかわかんないよ」
「……っ」
「……」
ぎろりと睨みつけられた両親が、はっと息を呑む。母親は蒼白な顔で口に両手を当てて目を見張り、父親は体を小刻みに震わせながら耳まで真っ赤にして目を充血させている。
ちひろは何とも言えない気持ちでそっと目を伏せた。
これが伊澄家の内情なのだ。
過剰な愛が異常なまでの過干渉を生み、母親にはどこにいても監視されるようになり、才能が開花した息子に間が差した父親はそれを自分のものにしようとした。
一人それに耐えてきた早峰カズキにも、もう限界が訪れている。驚くほど覇気がない目をしていた理由も、昨日、ここを出るまで一言も喋らなかったことも、わざわざアンケート用紙の裏に待ち合わせを書いたことも、常に監視の目に晒されていたからなのだ。
デビュー作の『誰?』は、どこかに出る前におそらく早峰カズキが死守したのだろう。今回の『抹消(仮)』は一歩賞を受賞したあとのことなので、執筆依頼を受けて書いているということがストッパーになり、見られていても原稿は守られた。だって、常に息子を監視している両親が幻泉社の接触を知らないなんてことはないのだから。
ただ誤算だったのは、早峰カズキの叫びに両親が気づけなかったことと、櫻田が担当編集についたおかげで校閲の段階でちひろがおかしな点に気づいてしまったことだ。
赤い屋根がよく映える白壁と、綺麗な装飾が施された鉄扉。芝生も綺麗に整えられてあったあの家は、外から見ているぶんには理想的な家族の形そのもののように思えた。けれど、その中はもうずっと、溺れ死んでしまいそうなほどの息苦しい空間だったのだろう。
「この我が家の恥さらしがっ――!!」
「春親さんっ!」
「お父さんに謝りなさいっ。こんな子に育てた覚えはないわっ!」
「千絵さんもっ! やめてくださいっ!」
怒鳴り声を上げながら早峰カズキに掴みかかった父親と、ヒステリックに叫びながら手を上げようとした母親を櫻田が慌てて止めに入る。その拍子にテーブルの上のコーヒーやメロンソーダが盛大に倒れ、こぼれた中身が原稿や『誰?』の単行本にかかった。
激しく揉み合う中、カップやグラスが床に落ちて大きな音とともに立て続けに割れる。店内はすでにこれ以上ないほどに騒然としていて、男性スタッフも混じりながら店員数人が何枚もの布巾を手にこちらに駆けてくる。しかし彼らも、あまりに激しいその揉み合いにたじろぎ、なかなか間に入ってくることができないようだった。
「……うっ」
そうこうしているうちに、なりふり構わず振り下ろした父親の拳が、早峰カズキを庇った櫻田の左頬に鈍い音を立ててヒットした。「ああっっ――!」と叫びながら早峰カズキを奪おうと伸ばした母親の綺麗にネイルされた爪が、櫻田の反対の頬を引っ掻く。
「恥さらしがっ! 自分に才能があるなんて思い上がるんじゃないっ!」
「今までずっといい子だったじゃないの! どうして急に!」
「ここまで育ててやった恩を仇で返しやがって!! なんて息子なんだ、お前は!」
「なんでお母さんたちの愛がわからないのっ! どこかの悪い人に変なことを吹き込まれたんでしょ? そうなんでしょ!? そうだと言いなさい、和希っ!!」
もう見ていられない光景だった。赤の他人が家庭の中に踏み込んでいくことがどれだけ相手の神経を無視したことなのかを、まざまざと見せつけられているような気分だ。
誰かが「通報!」と叫ぶ。近くの交番から駆けつけた警察官が、早峰カズキと彼を庇い続ける櫻田から両親を力づくで引き離すまで、その聞くに堪えない罵倒は続いた。
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