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■6.鬼と下僕と、愛の言葉

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 真紘がサプライズで連れて行ってくれたクリスマス旅行からほどなくして、怒涛の忙しさだった十二月は、社員全員を集めた会社の大ホールで行われた社長の年末のあいさつとともに、ひとまずの区切りがつくこととなった。
 社長が話している途中で退席するのは、ほとんどが営業部の社員だけれど、その中に交じって編集部の真紘もスマホを片手にホールを出ていく姿を隣に座った由里子とともに見つけた薪は、私の恋人はなんて格好いいんだろう、なんて少々、場違いなことを思いながらも、誇らしい気持ちでその背中を見送る。
「主任、超格好いいじゃん。年末のあいさつなんて昨日までに全部済ませてるから、本当は電話なんて鳴らないはずなのにさ。あれ、きっと主任に個別であいさつしたい顧客先からだよ。やるからには私もあそこまで信頼されたいよね」
「うん。もう超格好いい。めちゃくちゃ好き」
 そこに由里子が小声で話しかけてきて、薪は、どうしてもふにゃふにゃと緩んでしまう口元を両手で覆いながら、こくこく頷く。
 由里子が言った通り、すでに各顧客先への年末のあいさつを済ませているこんなときに電話が鳴るなんて、信頼が厚い真紘だからこそだろう。
「薪ちゃん、そこは嘘でも〝私もああなれるように頑張る〟って言うとこだよ」
「へへ」
 事前に先方の都合を聞いてからあいさつに伺うものの、どうしても席を外せなかったり急な仕事が入って不在だったりと、会えないままになってしまうことも、ままある中、ああやって直接、電話をかけてもらえるのは、それだけ真紘が相手に尽くし、寄り添った誌面作りをしてきたからにほかならない。
 そんな真紘と背中を預け合えるようになりたいと思ったのはつい先日のことだけれど、今はまだクリスマス旅行の余韻が強くて、薪の気持ちは真紘を格好いいと思うほうに大きく傾いているままだった。
「んもう……。でも、サプライズで旅行に連れて行ってもらったら、薪ちゃんじゃなくても、ますます惚れちゃうよね。二泊三日の間、いっぱい、いちゃいちゃしたんでしょう? 薪ちゃんも主任も幸せそうで私も嬉しいよ」
「ありがとう、由里子。由里子もいっぱい、いちゃいちゃした?」
「もちろん。薪ちゃんと一緒だよ」
 ふたりでえへへと笑い合うと、ちょうど社長のあいさつが終わった。
 最後は一本締めで場が締まるまで真紘は戻ってこなかったところを見ると、まだまだ顧客先に捕まっているか、あいさつの電話が鳴り止まないか、一足先に編集部に戻って仕事を再開しているかの、どれかかもしれない。
「プレゼントのネックレスも、なんか〝薪ちゃん〟って感じだもんね。すごい似合ってるよ。さすが薪ちゃんしか目に入らない人が選んだプレゼントだよね」
 ぞろぞろとホールを出て、それぞれの部署に戻る社員たちの波に乗りながら、薪の首元に目を落とした由里子が、にっこりと口元を綻ばせる。
 どうやらまだクリスマス旅行の話は続いているらしい。
 薪は、自慢かなと少しだけ思ったものの、由里子ならきっとそうは受け取らないだろうと思い直して「そうなの。主任ね、これを見つけた瞬間、目が離せなかったんだって」と、小花と蝶のネックレスをそっとひと撫でした。
「あらあら。お熱いね、ふたりとも。で、薪ちゃんは何をプレゼントしたの?」
「うん、あのね――」
 由里子に尋ねられ、薪は二十五日の朝のことを、かいつまんで説明する。
 それぞれの部署に戻る人の波は、まだまだ引かない。この調子だとエレベーターもすぐには乗れないだろうから、待っている間に話すにはちょうどいい。

 *

 イブの夜に何度となく抱き合った翌朝、ベッドの中でふたりでひとしきり、いちゃいちゃしてからリビングに出てカーテンを開けると、外は薄っすらと雪が降り積もったホワイトクリスマスだった。
 目が覚めた瞬間、ちょっと寒いなとは思ったものの、予報では冷え込みが厳しいとだけあったため、薪と真紘は一夜の間にすっかり様変わりした白い世界に一瞬にして目を奪われ、次の瞬間には「綺麗ですね」「綺麗だな」と声が重なった。
 真紘に背中から抱きしめられる格好でリビングの窓辺に立ちながら、同じタイミングで同じ台詞を言ったことに、一緒だと微笑み合った薪と真紘は、どちらからともなく顔を寄せ合うと、ちゅっちゅっとついばむようなキスをする。
 お互いに髪はボサボサで、まだまだ眠そうな顔をしていて、真紘はちょっとだけひげが伸びて、会社での〝新田真紘〟や〝渡瀬薪〟の面影はひとつもない。
 こんな朝がこれまで何度もあって、これからも何度となく迎えられるだろうことに言い表しようのない思いが込み上げた薪は、幸せってこういうことを指すのかもしれないなと、キスをしながら、ふとそんなことを思った。
「そうだ、主任。ネックレス、ありがとうございます。昨日はあれからすぐに寝ちゃって、お礼を言いそびれてたので。すごく嬉しいです。ずっと大事にしますね」
「ん。昨日の薪、すげー綺麗だった」
「もう。昨日もそればっかり……。そ、それより、私も主任にプレゼントがあるんですよ。ブレスレットとどっちにしようか、かなり迷ったんですけど――」
 キスのあと、昨夜言えなかったネックレスのお礼を言うと、真紘が改まった顔をして〝綺麗だ〟なんて言うものだから、もうとっくに身体の隅々まで知り尽くされているというのに急に恥ずかしくなった薪は、さっと真紘の腕を抜けて旅行バッグに入れて持ってきていた包みを取り出すと、照れやがって可愛いやつだな、と言いたげな顔でこちらを見ている真紘にそれを渡した。
 とことん甘く、どこまでも優しく抱かれながら何度も果てを見て、その中で真紘は、まるでうわ言のように『……綺麗だ』と繰り返した。一夜明けてそれを改まって言われると、やっぱり恥ずかしさや照れくささが先に立ってしまう。
 真紘は薪がどういう反応をするかをわかって言うから、なおさらだ。でも、そんな真紘もまた薪は好きなのだから、もうどうしようもない。
「開けていいか?」
 聞かれて薪は、こくりと頷く。
 包みを渡すときにも言ったけれど、ブレスレットとこれと、最後まで散々、迷った。どちらも目に入るたびに自分を思い出してもらえるだろうところは同じだ。けれど、アクセサリーの類いを付けているところも、真紘の部屋にそれらしいものもなかったため、薪が最終的に手に取ったのは、こちらのほうだった。
「……時計だ」
 すると、箱を開けた真紘がぽつりと声を落とす。
「はい。主任、よく時間に追われてるじゃないですか。余裕がないときに見たら、私を思い出して和んでくれるかな、なんて思って。あと、主任は私のものだっていう、けん制です。……主任、ほかの部署の女の子たちからモテモテなので。ネクタイも一応、候補にはあったんですけど、毎日、替えますもんね。それじゃあ、私的にはあんまり意味がないっていうか……」
 時計を選んだ経緯を説明しながら、薪は自分でも、なんて私は独占欲が強いんだろうと思った。真紘が自分のことしか見ていないのは、薪もよくわかっている。気を揉むだけ無駄だということも。
 でも、それとこれとは別の話だ。時計を見るたびに思い出してほしいのも本当だけれど、周りに――特に真紘を格好いいと言うほかの女の子たちに、少しでも〝真紘には誰かいるかもしれない〟というアピールになればいいなと思った。
 それにはネクタイは少し弱い。仕事のときは特に常に身に着けていてほしかったので、より実用性の高い時計をプレゼントしようと、そう思って選んだのだった。
「ははっ。薪はどんだけ俺のことが好きなんだよ。可愛いな」
「もう。笑うとこじゃないですよ。私が選んだものを身に着けていてほしくて時計にしたくらい、主任のことが好きですし、めちゃくちゃ独占したいですよ」
「わかってる。俺も薪と同じ気持ちでネックレスを選んだ。これっていうタイミングもないから編集部にはまだ言えてないけど、これでお互い、手綱を握り合ったようなもんだな。……薪が付けて。昨日の俺みたいに、薪が俺を独占して」
「はい」
 そうしてクリスマス旅行から戻った薪たちには、仕事納めの今日もネックレスと時計がそれぞれ首元と左手首に付けられているというわけだった。

 *

「なるほどねえ。考えたね、薪ちゃんも。確かにネクタイじゃ弱いし、ブレスレットだとスーツには合わせにくいかも。でもさ、そこまで思い合ってるなら、もういっそのこと、既成事実のひとつでも作って、さっさと結婚しちゃうってのもありだなって思えてきたんだけど……そういう話はまだ出てないの?」
「ちょっ、由里子っ。誰が聞いてるかわかんないんだからっ……!」
 無事にエレベーターに乗り込み、編集部のあるフロアに着くと、廊下を歩きながら急に既成事実だの結婚だのと言いだした由里子を慌てて小声で窘める。
「まあまあ、薪ちゃん。ちょっと落ち着いて。ひとまず既成事実は置いておいて、薪ちゃん大好きな主任のことだから、すぐにでも婚姻届に名前を書かせるくらいのことはしそうじゃんって話でさ。私は結婚に付き合いの長さは関係ないと思ってる派だから、余計にそう思うのかもしれないけど、お互いに〝自分のもの〟って周りにわかってもらう方法なら、それが一番、手っ取り早いのになって思うんだよね。タイミングもあるんだろうけど、勢いも大事だよ」
「……うん」
 けれど、確かにそれも一理あるなと思った薪は、途端に目の前にちらつきはじめた〝結婚〟の二文字に、否応なしに心がぐらつきだすのを感じずにはいられなかった。真紘ならすぐに婚姻届に名前を書かせそうなのも否定できない。
 とはいえ、薪は今、仕事が楽しいし、真紘と半年、組んでいる状態だ。婚姻届も見せられていないし、付き合っていることも、これといったタイミングがなくて、まだ部長をはじめとした編集部の面々に言えていないわけで、そんな中で密かに周りにアピールするには、ネックレスや時計が精一杯のけん制だろう。
 真紘はそんなつもりはなくて、ただ〝薪は俺のもの〟という印や証としてネックレスを選んだのかもしれないけれど、真紘が自分しか見ていないのはわかっているとはいえ、薪には時計は、周りへのアピールやけん制の意味合いが大きい。
「ま、こればっかりは、ふたりで決めることだからね。編集部への周知も含めて、薪ちゃんたちが今だって思ったときがベストなんだと思うよ」
「うん。ありがとう、由里子」
 そこまでの会話を終えたところで、ちょうどよく編集部へ着いた薪と由里子は、さっと仕事の顔と頭に切り替えると、残りの仕事を片付けはじめた。
 明日から一週間ほど、年末年始の休みだ。仕事納めの今日をすっきり終えられるように、仕事始めの日を気持ちよく迎えられるように、そして休みの期間中も真紘とゆっくり過ごせるように、今できる最大限のパフォーマンスで仕事に打ち込む。
 そんな中でもちらと真紘を見ると、スーツの上を脱いだ真紘は、ワイシャツを腕まくりして相変わらず掛かってくる顧客先からの電話の対応に追われているようだった。左手首には薪がプレゼントした時計が付けられていて、何度もそれに目を落としては、なかなか自分の仕事が進まない気持ちを宥めている。
 真紘のデスクの書類の山がホールへ行く前と変わっていないところを見ると、どうやら、あのまま編集部に戻って仕事を再開しようとしたはいいものの、掛かってくる電話の多さに、それどころではなくなっているらしい。
「……、……」
 ――結婚、かあ……。
 頑張れ主任、と心でエールを送っていると、ふと、ホールから戻ってくる間に由里子から言われたことが頭の中に響いて、薪はその二文字が自分の中でだんだん大きく膨らんでいくのを感じた。
 もちろん結婚したくないわけではないし、結婚するなら真紘以外は考えられない。でも、つい二か月前までは、自分が誰かと結婚するなんて考えたこともなかったから、急に意識しはじめるなんて現金なんじゃないかとさえ思えてくる。
 由里子は結婚に付き合いの長さは関係ないと思っていると言ったけれど、漠然と、先に結婚するなら由里子のほうだろうとさえ思っていたくらいだ。それほど薪にとって〝結婚〟は意識の外にあって、まるで雲を掴むような話だった。
 それなのに、今はどうだろう。
 ――編集部に打ち明けるタイミングも含めて、主任と話してみようかな。
 やはり現金だなと感じつつも、せっかく明日から一週間も年末年始の休みなんだし、と思い直した薪は、今は仕事に集中しなきゃと、再度、顔と頭を仕事に切り替えると、仕事納めのその日を精一杯、やり切ったのだった。
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