鬼系上司は甘えたがり 苦手な主任が私にだけ独占欲も甘えたがりも鬼並みな件

白野よつは(白詰よつは)

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■1.鬼と下僕の奇妙な週末

<2>

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「じゃ、そういうことで。お疲れさまでーす」
 退散するに越したことはないとばかりに、薪は踵を返すと出口へ向かう。
 今日はたまたま映画館で遭遇してしまったけれど、薪はもともと、真紘とは仕事以外で関わらないと決めている。理由は簡単だ。だって真紘が鬼だから。
 薪割りなどと同じ〝薪〟という名前にかこつけて『火にくべて燃やすぞ!』と日々しごかれている薪には、真紘を鬼だと思わない理由なんて存在しない。
 仕事は丁寧かつ迅速で、頼りになるし、尊敬だってしている。なんだかんだ、薪の面倒もよく見てくれるし、社内外からの信頼もとても厚い。そんな真紘だけれど、なんせ一歩間違えれば炎上してしまい兼ねないほどに口が悪いのだ。
 プライベートの時間まで燃やされたくないと思ったって致し方ないだろう。
「待て。さっき逃げないって言っただろ」
「ひぃっ!」
 けれど、がっしりと二の腕を取られ、薪は呆気なく捕獲されてしまう。
「ちょっと付き合え」
「っ!」
 おそるおそる振り向くと真紘の頭に見えないはずのツノが見たような気がして、薪は、ああこれはやっぱり念書を書かされるコースなんだと、せっかくの金曜の夜に突如降りかかってきた自分至上最大の不運に、がっくりと肩を落とすしかなかったのだった。

 *

「薪はちょっとここで待ってろ。ざっと片付けてくる」
「……わ、わかりました」
 そうして言われるままに連れてこられたのは、真紘が一人暮らしをしているというマンションだった。一人暮らしにはちょっとリッチな広めの1LDKの部屋が、どうやら真紘の城らしく、薪を玄関まで入れるとそう言い置いて中に入っていく。
 いつも会社にマイカーで出勤してくる真紘は、映画館にも、もちろん車で来ていた。駐車場で半ば強引に車に押し込められたときは、さすがに何かされるんじゃないかと変に勘ぐってしまった薪だったものの、何のことはない、こんな夜中に外で二人でいるところを、もし会社の誰かに見られて変な噂が立ってしまったら仕事がやりにくくなる、ということのようだった。
 とはいえ、真紘はそこまで親切に説明してくれるような人ではないので、薪が勝手にそう推測し、結論付けたにすぎない。
 でも、あながち間違ってはいないと思う。自分のことに置き換えて考えてみれば、薪だったらそうするだろうと思ったからだ。
 だからといって、上司に当たる真紘の部屋にお邪魔するというのもどうかと思ったわけだけれど、怖くて言い出せないまま、こうして今に至ってしまっている。
 ――ほんと、どうしてこんなことに……。
 真紘に言われた通り玄関先で縮こまりながら、薪は自分の不運を呪う。 
 幸か不幸か、薪も真紘と同じ一人暮らしのため、誰に気兼ねすることなく自由にできるけれど、まさか真紘が相手になるなんて思ってもみなかった。
 ――だから私は主任が苦手なんだってば。
 そう心で悪態をつくものの、二年半の間ですっかり下僕体質が染み付いてしまった薪には、上手く理由をつけて帰る方法も、この場を切り抜ける画期的な策を思いつくこともできそうになく、ただただ、真紘が部屋を片付け終わるのをここでじっと待つことくらいしかできない。
「おい薪、なんでまだそんなところにいるんだよ」
 すると真紘が部屋の奥からひょっこりと顔を出し、いまだ靴を履いたまま玄関で所在なさげに立っている薪を一瞥すると、不満げにふんと鼻を鳴らす。
「ええっ⁉」
 当然、薪は思いっきり驚いた声を上げる。
 ――ここで待ってろって言ったの主任ですよ⁉
「いいからさっさと入ってこいよ」
「そんな無茶苦茶な」
「早く」
「……わ、わかりましたよ」
 けれど、どうやら薪には最初から拒否権なんてものはないようだった。
 理不尽だなと心で文句を言いつつも、あわあわしながら靴を脱いで「……お、おじゃましまーす」と中に入る。
 ここまで来れば、もうやけくそだ。
 真紘の言う通りにしたほうが早く帰してもらえるかもしれない。
 そうしてドア一枚で隔てられたリビングに通されると、けれど薪は、すぐに目を輝かせながら歓声を上げることになった。
「わあ、大きなテレビですね! しかも、テレビ台の下も映画のDVDでいっぱいじゃないですか。え、こっちにはパンフレットも? 主任、すごいすごい!」
 十二畳はありそうな広いリビングに鎮座していたのは黒光りする超大型テレビに、その下のテレビ台には所狭しとDVDが並べられ、テレビの横に置かれているマガジンラックには映画のパンフレットが飾られていた。その時々の気分で差し替えているのだろうか、古いものから新しいものまでパンフレットは様々で、眺めているだけ薪の顔には笑みが浮かぶ。
 薪が恋愛映画を観ることを趣味にしたのは、就職して半年が経った頃だった。
 最初のうちは、仕事と恋愛を両立できる大人の女性に憧れて、自分なりにそれらしく振る舞う努力をしていたものの、想像よりハードだった仕事内容や、鬼の真紘による熱血指導に徐々に自分自身に構う時間がなくなっていき、今の薪が出来上がっていった。
 だから薪の趣味歴は、足掛け二年ほどだ。
 恋愛に割く時間を作るのが現状では難しいのであれば、いっそ仕事に体力を全振りしたほうが真紘に怒られる頻度も減るだろうと考えた結果でもある。
 同期の由里子はその辺りの要領がとてもよく、薪と仕事内容は同じなのに、いつも髪の先も爪の先も手入れが行き届いていて、プライベートも充実しているらしい。真紘に鬼発言をかまされる場面も少なく、伸び伸びと仕事をしているように薪には見えている。
 薪には由里子は〝完璧な同期〟という位置付けで、だから憧れだ。
 そんな彼女を間近で見ているうち、だんだんと〝私にもときめきがほしい〟と考えるようになっていって、そうして思い至ったのが、恋愛映画を観ることだった。
 そうやってこの二年で観てきた映画は、薪の感覚では、かなり多い。けれど、真紘のそれは想像を超えてはるかに多かった。
 本当に恋愛映画が大好きなんだなと嫌でも思わされるほどにコレクションは充実していて、いくらにわか仕込みの薪といえど、目が輝く。
「だろう? 薪なら絶対、気に入ると思ったんだ。秘密にしてても仕方ないし、この際だから部屋を見せた方が早い。それに、いい加減、観た映画の感想を言い合う仲間もほしいと思っていたところだ。趣味が同じなら薪だって構わないだろ?」
「はい!」
 勢いよく返事をした薪に、真紘が満足げに笑う。
 なんて嬉しい申し出なんだろう。
 趣味として楽しんではきたけれど、いつもひとりで観に行くため、やっぱり寂しかったし、本音を言うと、感想を言い合う仲間もずっとほしいと思っていた。
 もともと薪の交友関係はそれほど広くはなく、就職してからは大学時代の友人とも、ほとんど連絡を取らなくなってしまった。現在は唯一の友人と言っても過言ではない由里子を一度誘ってみたことがあるけれど、彼女ときたら『何が悲しくて女二人でゲロ甘の恋愛映画を観なきゃならないの、ほか当たって』と、気持ちいいくらい、はっきり言い切った。
 それからというもの、軽くトラウマになってしまったことは言うまでもなく、今日、真紘に遭遇するまでの間、薪は誰かと映画の話をしたことはなかった。
「それに、勝手にポップコーンも食っちまったしな。罪滅ぼしってわけじゃないけど、薪の好きな映画を観ていいぞ。晩メシがまだたっだたら選んでる間に何か適当に作ってやるけど、食えないモンあるか?」
 聞かれて薪は、ぱっと顔を輝かせる。
「本当ですか! まだです! 食べられないものもないです!」
「そういや薪は会社でもけっこうなんでも食ってるもんな」
「なんでもって……。それじゃあ、雑食みたいじゃないですか」
 主任の手料理なんてプレミア付きのレアだと喜び勇んで答えたものの、相変わらずの真紘の毒舌っぷりには薪もさすがに苦笑をこぼすしかない。
 どうして『好き嫌いがない』と素直に言えないんだろうか。偏食の人も多い中、貴重な存在だと思うのだけれど。
「薪のくせに」
 すると、肩を竦める薪に少しムキになった顔をした真紘は、そう言い捨ててキッチンに向かっていった。けれど、相変わらずの棘のある言葉とは裏腹にその横顔には楽しそうな笑みがわずかに浮かんでいて、薪もつられて楽しくなってくる。
 ここが真紘の部屋だということも頭からすっかり飛んで、本気で観たい映画を探しはじめているあたり、薪は自分でも、なんだかんだ浮かれているなと思う。
 けれど、金曜日の解放感がそうさせるのか、思いがけない真紘の一面を知って、それが可愛らしく思えてしまったからなのか、自分でも無意識のうちに「ふんふん」と鼻歌を口ずさんでしまっていて、こんな金曜の夜もありかもしれないとさえ思えてくるから不思議だ。
 チチチチとガスコンロをつける音や、サクサクと野菜を切る音、フライパンで何かを炒める食欲がそそられる音と匂い――そんな、心がほんわか温まる生活音を背中で聞きながら映画を選ぶ薪は、なんだか全身がふわふわと軽かった。

 やがて、料理が出来上がるのとほぼ同時に薪が手に取ったのは、オードリー・ヘップバーン主演の不朽の名作『ローマの休日』――王女様と新聞記者のたった一日だけの恋を描いた映画だった。オードリーなら『ティファニーで朝食を』も大好きだけれど、さっきの映画館で見逃した映画の切ない恋の余韻がまだ尾を引いているのか、今日はこちらの気分だった。
「これにします!」
「お、なかなかベタなの選ぶじゃねーの」
 にこにこと顔を綻ばせながらDVDのパッケージを見せると、さすが素直にものを言えない真紘だけあって、上から目線で鼻につくようなことを当たり前に言う。
 ――主任も好きだから持っているんでしょうが。
 この人、行動と言動のギャップが半端ないなと心で苦笑をこぼしつつ、それでも薪は頬が緩みっぱなしだ。真紘がこういった映画を好んでいることはもうわかっているので、どんなに口の悪いことを言おうと〝好き〟の裏返しにか聞こえない。
「それより薪、カウンターにワインとグラスを用意してるから、持ってきてくれ。あと、スプーンとフォークも出してあるから、ついでに頼むわ」
「はーい」
 大型テレビの前に置かれているガラス製のローテーブルに映画のパッケージを置き、両手にほうほうと湯気の立つお皿を持ってきた真紘と入れ替わるようにして、キッチンに向かう。
 頼まれたものをテーブルに運び、軽くセッティングをしていると、テレビの前にしゃがみ込んで再生の準備をしていた真紘が、その足でカーテンを引きに窓へ向かい、続いて部屋を間接照明だけの明かりにしてテーブルに戻る。テーブルの下のラック部分からリモコンを取り出してポチッと操作をすると、間もなくしてテレビ画面いっぱいに映画が映し出された。
「冷めないうちに食えよ。キノコとキャベツのクリームパスタだ。味は保証する」
「あははっ。それでは遠慮なくいただきます」
 真顔でワインをグラスに注ぎはじめた真紘に笑って、薪は甘い匂いが漂う白いスープの海にフォークを沈め、濃厚なクリームが絡みついたパスタや野菜をくるくると巻き取る。一口頬張れば「んん!」と唸らざるを得なかった。
「主任、めちゃウマです! やばいです!」
 見た目も綺麗で、まるでお店で食べるようだと、うっとり眺めたけれど、味は保証すると言うだけあって、本当に美味しい。
 確か有名どころの大学を出ていると聞いたことがあるし、頭もよくて仕事もできて、おまけに料理も上手だなんて、スペックが高すぎて普段からの鬼のような発言やドSな性格もかすんでしまうのがなんだか怖い薪だ。
「おまっ、パスタを飛ばしながら喋るな! 手に付いたじゃねーか!」
「ひゃーっ! すみませんっ!」
 そんな中、あまりに勢いがよすぎたのか、薪は大失態を犯してしまう。
 左隣に座る真紘の、フォークを握っている右手の甲の部分――見ると確かに薪が飛ばしたと思われるパスタの残骸がテレビ画面の光に反射して光り、その存在感を主張していた。
「――んっ」
 慌てて真紘の手を取り、薪は甲に口を寄せてそれをチュッと吸い取る。薪の家では、よく母も父も薪がまだ小さい頃はこうして取ってくれたものだった。
 幼い頃からの習慣はなかなか抜けない。
「……は?」
「え?」
「薪、今、何やった……?」
 けれど真紘の、まるで鳩が豆鉄砲を食らったような顔を見て、薪は全身から一気に血の気が引いていく。もうオードリーどころではない。
 いくらそれが当たり前の環境で育ってきたからとはいっても、無意識に真紘にしてしまうなんて、どうかしている。
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