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■第三話 デジャヴはある日突然に

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 就活がまったく上手く行っていないことも、面接で嫌な目に遭ったこともそうだが、あれだけ多くの人が歩いていながら視界にも入っていなかったんだろうかと思うと、蓮実はたまらなかった。まるで社会から「いらない」と言われているような気がして、ショックと気持ち悪さも相まって、どんどん気が滅入っていくばかりだったのだ。
 これが社会だというのなら、もうやっていける気もしなかった。もともと幾多のお祈りメールを受け取っていたことで自信もない状態だったから、なおさら落ちてしまう。
 ――でも。
「でも、それでも頑張らないといけませんね。まだ就職が決まらなくて可哀そうなんて目で見られたくありませんし、大学まで行かせてもらった感謝もあります。どこかに拾ってもらうまでは、なにがなんでも頑張り続けないと。今回もきっとダメでしょうけど、また就職課に通って面接を受けられる会社を探します。それしか道はありませんから」
 カップをソーサーに戻し、蓮実はなけなしの前向きな気持ちを奮い立たせた。
 仕方ない、次に行こう、次に――。
だって今の蓮実には落ち込んでいる暇はない。心の底から悔しいが、行きずりの谷々越に話を聞いてもらってだいぶすっきりしたし、こうして無理やりにでも気持ちを切り替えなければ、到底、やっていられる気分でもなかった。受けた会社が悪かっただけだと諦めるしかないのだ。もし万が一、受かったとしても、こっちから内定を蹴ってやる。それがせめてもの復讐というやつだろうか。正直、喉から手が出るほど内定は欲しいけれど。
「いいの? このまま泣き寝入りしてしまって」
「え?」
 けれど谷々越は、改まったように背筋を伸ばし、懐から名刺入れを取り出した。黒いシンプルな革製のそれから一枚を抜き取ると、テーブルに置き、蓮実の前にスライドさせる。
背筋を伸ばしても猫背は変わらなかったが、纏う雰囲気がどこか違った。急にしゃっきりしたというか、スイッチが入ったというか、頼りなさげだった人柄が一瞬で反転してしまったような。そんな空気が谷々越からは感じられて、蓮実は数瞬、固まってしまった。
そんな中、谷々越はふっと不敵な笑みをこぼして「実は僕、こういう仕事をしているんだ」と、トントンと指で名刺を突いた。恐る恐る名刺に目を落とすと、そこには【谷々越探偵事務所】とあり、名刺から目を上げた蓮実は谷々越の顔を見て大きく目を瞠った。
それまで探偵といえばテレビドラマや映画、小説でしか見たり読んだりしてこなかった蓮実は、本物の……と言えばいいのだろうか、実際の探偵に会うのは谷々越が初めてだったのだ。しかも名刺まで渡されてしまい、探偵ってこんなに簡単に自分の身分を明かしてもいいものなの? と理解が追いつかない。ある意味、都市伝説だと思っていたところもあった蓮実は、探偵って本当にいるんだという衝撃から目をぱちぱちとしばたたかせるだけだ。
「もしよかったら、相談に乗るよ。別件で同じような依頼があって、ちょうどこの辺りうろうろしてたところだったんだ。ここで会ったのもなにかの縁だと思うし」
「え、あ、別件……ですか。なにかの縁……」
「そう。役に立てると思うよ。よかったら検討してみてもらえれば」
「はあ」
 すると谷々越はなにやら自信たっぷりに言い、逆に蓮実は内心で首をかしげた。
別件というのも気にはなるが、要は半信半疑なのだ。今まで探偵は都市伝説的なものだと思っていたので仕方のない部分もあることにはあるが、調査の内容や、どうやってターゲットのことを調べるのかまったく見当が付かないのだから、生返事にだってなってしまう。
「じゃあ、辻堂さん……だっけ? 君もやってみる?」
「へ?」
「ちょうど君くらいの年齢の女性に協力してもらいたいと思ってたところなんだ。面接の予定が入ってないときで構わないから、手伝ってもらえるとありがたいんだけど」
「……はいっ⁉」
 そんな蓮実の心中を察したのだろう谷々越は、なにを思ったのか、唐突に協力を要請してきた。蓮実は思わず大声を上げる。探偵ってド素人にもできるものなのだろうか。
「いい気晴らしになるんじゃないかな。バイト代も、もちろん出すし」
「う……」
 しかし、そうダメ押しを食らわされると、ぐらりと気持ちが揺らいだ。
人手が必要なのも本当だろうけれど、蓮実の目にはむしろ「そんなに半信半疑なら自分の目で見て確かめてみたらいいよ」とけしかけられているように映り、ほんのちょっとだけ癪に触ってしまったのだ。それに、落ち込むことしかない毎日の中に唐突にポンと落とされた刺激の種は、正直なところ、蓮実の興味を大いにそそるものでもあった。
この時期になっても連敗続きで、おまけに今日はセクハラまでされた蓮実にもできることであれば、気晴らしと小遣い稼ぎにちょっとやってみてもいいかなと思う。
「な、内容は……?」
ほんの出来心のつもりで尋ねると、谷々越は不敵な笑みを見せて言った。
「――別人のふりをして、もう一度、あの会社に面接を受けに行ってほしいんだ」
 あ、これはもうこの件から手を引けない展開だ。
それを聞いた瞬間、蓮実は興味本位で聞いてしまったことを後悔した。しかし蓮実も、そうまで断言されれば別件とやらの依頼の内容に大方の察しはついた。だから前言の「いい気晴らし」だったのだろうと、そこでようやく気付く。もしかしたら、蓮実に声をかけたのも協力者を得たかったからかもしれない。だって男性ではセクハラの対象にはなりにくい。
でも蓮実は、そのときなぜか、それでもいいやと思った。
自分のように面接で嫌な目に遭った子がいる。その子は絶対に泣き寝入りしたくないから谷々越に相談したのだ。さっきはそれでも頑張るしかないと言ったが、蓮実だって本当は吐きそうになるほどショックを受けたし、泣き寝入りなんてしたくないと思っている。
――だったら、その子と自分のために成敗してくれようではないか。
「わ、わかりました」
 ゴクリと唾を飲み込んだ蓮実は、そうして谷々越に協力することを決めたのだった。

 *

「へえ、蓮実にもそんなことがあったのか。いや、知らなくてすまんかった」
 話を聞き終えるなり、菖吾はそう言って小さく頭を下げた。私だって菖吾がしばらく痴漢に遭っていたことを知らなかったんだからお互い様だろうと思うのだが、ことのほか頭を上げた菖吾の顔が真剣で、蓮実は喉まで出かかったその言葉を慌てて飲み込んだ。
 代わりに、ちょっとだけ素直になってみる。
「私のほうこそ、ごめんだよ。みんなこんなものなのかなって、ちょっと悪いほうに納得しかけてたところもあったし、菖吾にも余計な心配かけたくなくて言わなかったんだから」
 ただ、あそこで谷々越に会わなかったら、すっかり泣き寝入りしていたことは確かだ。
これはセクハラなんじゃないかと思う一方で、吐き気をもよおしてもなお、面接官がまさかと思う気持ちも拭い去れなかった。もしかしたら、ほかの会社に面接に行った女子学生も似たようなことを言われたりしたんじゃないかと思う気持ちもあって、自分だけ過敏になって声を上げてもいいものなのだろうかと、疑問や抵抗を感じたりもした。
みんな、その笑顔の下では嫌なことを必死に飲み込んでいるかもしれない。そう思うと、むしろ誰にも言わずにいたほうが大人なんじゃないか、些細なことでいちいち目くじらを立てるほうが子供なんじゃないかと、そういう方向にどんどん気持ちが傾いていくのだ。
今ならそれは絶対に間違っていると断言できる。けれど当時は〝わざわざ面接を受けさせてもらっている〟立場から、一種の洗脳に近い状態だったのではないかと思う。
就活の闇を見たのだろう。本当に谷々越に会えてよかったと思う。
「でもさ、男と女じゃ違うだろ。どっかのバカな官僚が『セクハラ罪という罪はない』なんて言って物議を醸したりもしたけどさ、実際俺は、十分罪に値すると思うんだよ。男女平等なんて言うけどさ、全然平等じゃねーじゃん。どっかで見下してっから、そんな発言が出てくんだろ? 頭の固いクソオヤジどもめ、誰の腹から産まれてきたと思ってんだよ」
 すると菖吾が少々語気を荒げた。
「菖吾……」
蓮実が話している間にすでに中ジョッキ二杯目に突入していたので、日中の体力仕事もあって軽く酔ってきているのかもしれない。全面的に蓮実の味方についてくれ、素直に嬉しいと思う反面、気づけなかった当時の自分に怒っているような口調に胸がぎゅっと痛む。
ふざけるときは、とことんふざける男だけど、実は熱いやつなんだよなあ……。
そういえば菖吾はそういう男だったと思い出し、ずっと黙っていた罪悪感が蓮実の胸を重くする。親には言えなくても、菖吾には言ってもよかったかもしれない。別になにをしてくれなくてもいいのだ。ただ話を聞いてもらうだけでずいぶん救われただろうから。
「でも、谷々越さんが解決してくれたんだろ? それだけでもよかったよ」
 自分が解決したかった、というようなニュアンスを匂わせながら菖吾がぐびりと飲んだビールジョッキをテーブルに置く。若干充血しているが、その目は話の続きを促している。
「うん」
 蓮実もジョッキを傾けると、その目に応える。
 その後の顛末は、こうだ。
 偽名を使って面接に臨んだ蓮実は、例のごとく面接官からまた繰り返されるセクハラ発言の数々を、谷々越から事前に預かりポケットに忍ばせておいたレコーダーにすべて録音した。偽の大学名や学部、履歴書などは谷々越がすべて用意してくれた。蓮実はただ、メイクや髪型をいじって別人に見せかけるだけでよかった。難なく二次面接まで進み、そうして面接官から執拗に繰り返されるセクハラ発言の一部始終の持ち出しに成功したのだった。
 それを公表された会社側は、言わずもがな大打撃を受けることになった。詳しいことはわからないが、録音テープの公表を境にネットや週刊誌がざわつき、ちょっとしたニュースにもなった。最終的に社長が紙面で謝罪する事態に陥り、面接を担当していた社員は、顔と名前こそ公にならなかったもののクビを余儀なくされ、ひとまずの着地点となった。
 あとから知った話では、女子学生に限り一次面接は形だけで、全員が二次面接へ進めるらしかった。要は、二次面接の場を使ってセクハラ発言をするためだけに通されたようなものだったのだ。長期間、新入社員の募集をかけていたのも、そのためだったという。
 ちゃんちゃら人をバカにしている。
 その元社員も会社も、今どうなっているかはわからない。わざわざ調べたいとも思わないし、会社のあるオフィスビルの近くにも行きたくはない。ただ思うのは、そのときだけじゃなく三年経った今もきちんとした面接をしていてほしいということだけだ。
 なりふり構っていられなかった蓮実にも、会社の本質を見抜けなかった落ち度はあった。けれど、今度こそは、次こそはと熱意と情熱を持って面接にやってくる学生たちの立場を逆手に取った卑劣な面接をする企業側の体質にも、大きな問題があっただろう。
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