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■第二話 人にはいくつも顔がある

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 岡崎藍のほうは、あれから警察に捕まったとテレビのワイドショーで見た。なんでも、歴代の騙された男性たちがここぞとばかりに被害届を出したそうで、仕事にも行かず、ひとり部屋で飲んだくれていたところをあえなくお縄になったということだった。
 どうやら、あのイタリアンレストランでの狂気の沙汰を動画付きでSNSに上げた客がいたらしいのだ。確かめたところ、幸いにも蓮実たちの誰も顔が映ったり声が入ったりはしていなかったけれど、回り回って歴代の男性たちの目に入ったことで、今までのことはすべて金が目的だったのだと知った彼らに復讐される形となったようだった。
 面白おかしく盛り立てるワイドショーでは、今の岡崎藍の顔とは似ても似つかない、セーラー服姿の地味な女の子の顔写真が映し出された。整形である。加えて、恵まれない少女時代を過ごしてきたことも、同級生や実家周辺への取材で明らかになっていた。
 詳しくは割愛するが、母子家庭で貧しい家だったという。インタビューに答えた同じ中学だった女性の話によると、男子や目立つ女子グループのいじめの標的にもされていたらしい。おそらく、恵まれない少女時代を過ごしてきたことからお金や物欲への強い執着心が生まれ、男子にも女子にもいじめの標的にされていたことから、金のある男性たちからはそれをむしり取り、その男性たちを気に入った女性会員からは彼女たちの秘密を巧みに聞き出し横取りすることで復讐としていたのだろう。というのが、コメンテーターらの見解だ。
 可哀そう、同情。その言葉に過敏だったのは、生い立ちのせいもあったのだろうか。
 今となってはもうわからないが、谷々越が言った通り、それでも世の中にはお金では買えないものがたくさんあることを、どうか彼女には知ってもらいたいと思う。
「ただいまー。つーか聞いてよ、甘いものめっちゃ食わされたんだけど!」
「ごご、ごめん。でも、次に行くならあの店のあのメニューって決めてたんだよ」
「知りませんよそんなの。うあー、口の中がまだ甘い……」
「でもおかげでいい写真が撮れたよ」
「……そーですか」
「あ。ふたりとも、お帰りなさい」
 今回の案件に思いを馳せつつ待っていると、しばらくしてランチ外出に出かけていた谷々越と菖吾が戻ってきた。喉元を押さえて顔をしかめる菖吾に謝りつつも谷々越のほうも頑として譲れないものがあったらしく、インスタ用の写真が撮れて満足げな表情だ。
「お茶用意してるから飲んだら? 所長もどうです? あと、田丸さんがお見えになって、先ほど帰られました。感謝してくださってました、とっても。……三好さんとはしばらく距離を置くことになったそうですけど、それでも晴れやかな顔で笑っていて」
 谷々越と菖吾に水出しで作った渋めの玉露を勧めつつ、夏芽のことを報告する。ふたりとも、岡崎藍のその後のことはワイドショーや週刊誌で知ってはいたものの、もう一方の当事者である夏芽と三好のことは、今日、彼女が精算に来るまでは知らなかった。
「そう……」
「でもまあ、俺たちにできることはやったんだし」
「こら菖吾! あんたのそういうところがダメなのよっ!」
 表情を曇らせる谷々越に反してあっけらかんと言った菖吾にグーパンチ食らわす。誰がひっかき回したと思っているのだ、その張本人が無責任なことを言うんじゃない。
「冗談だろー……」
 パンチを食らった二の腕をさすりながら、菖吾が皮肉げなニヤリ顔で笑う。……ほんっと! そういうところが! 偶然ターゲットが重なったからとはいえ、自分のせいもあるって少しは考え――ん? するとそのとき、蓮実は唐突に菖吾の顔に違和感を覚えた。
「あれっ? 菖吾って、困ったときには頭の後ろに手を当てる癖があるよね?」
「なんだよ、藪から棒に」
 まじまじ見つめながら、たじろぐ菖吾に詰め寄る。その顔は相変わらず皮肉げだ。
「あ、蓮実ちゃんもようやく気付いた?」
「はい、きっと所長と同じことを。なんていうか、菖吾ってわりと気の毒な……」
「な、なんだよ」
 谷々越に言われ、さらに皮肉げに歪んだ口元を引きつらせる菖吾をまじまじ見る。やっぱりだ、菖吾は本当に困ったり悪いと思っているときには、それを向けられた人が思わず癪に障ってしまうような顔で笑うのだ。なんて気の毒な癖なんだろうか。それじゃあ誤解されることも多かっただろうし、反省していないと思われたことも多々あっただろう。
 もしかしたら、デパートで働いていたときのあの上客も、困れば困るほど菖吾の顔が皮肉な笑みになっていったのを見て、ますます頭にきたのかもしれない。事が事だっただけに、そう簡単に許せるものではなかっただろうけれど、そこに皮肉な笑みを引っ提げて何度も謝りに来られたら……。まさに火に油を注ぐ結果となってもおかしくはない。
 ということは、さっきの軽はずみな発言も本心ではなかったのだ。どうやら菖吾は菖吾で今回のことを反省しているらしい。気の毒だし、わかりずらいやつである。
「いい加減、教えてくれよー……」
 ひとり蚊帳の外に放り出されてしまった菖吾が困り顔で懇願する。
「嫌よ」
「僕もです」
「なんで谷々越さんまで⁉」
 しかし、あえなく撃沈し、菖吾は「鬼だーっ‼」と頭を抱えた。可哀そうだから、しばらく経ったら教えてやるのもやぶさかではない。けれど、そうなったら必死で癖を直そうとするだろうから、今度は蓮実のほうが菖吾が本当に困っているかどうか見分けがつかなくなるので、やっぱり教えたくないかもしれない。複雑な友達心というやつだ。
「そんなことより! 今日発売の『別冊アネモネ』、みんなで一緒に読みません? さっき田丸さんが置いていってくださったんですよ。事務所の電話も今のところ鳴る気配がしませんし、三好さんが元気かどうかは、これを読むほうが早いですからね!」
「おお! それはさっそく読まないと」
「ったくお前は……。でも読むよ。俺も好きだし」
 デスクの上の『別冊アネモネ』を胸の前に掲げてみせると、目をキラキラ輝かせた谷々越と、苦笑した菖吾が揃って快諾した。ということは、文句を言いつつも満更でもないのだ。
 ふむ、これはこれで嘘発見機みたいで便利だな。さっそく三人で寄り集まり、漫画雑誌をめくって読みはじめながら、蓮実はいいものを発見した気分で絵と台詞を追いはじめた。
 結果から言うと、今月の『ギンガムチェックとりんごパイ』も最高に面白かったし、実に巧妙な仕掛けが施されていて、来月の発売が今からものすごく待ち遠しい。
 十数分後、《来月号につづく》と添えられた一文までしっかり読み、ぱたりと雑誌を閉じた三人の顔は、誰もが微笑んでいた。だって、きっと同じことを思ったはずなのだ。
 ――そうか、来月号も〝元気でやっている〟ことを教えてくれるんだ。
 蓮実は、それだけでほんの少し、胸のつかえが取れたような。そんな気がした。
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