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■第二話 人にはいくつも顔がある
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夕方まで水族館を楽しんだふたりは、やがて池袋駅で手を振り別れた。数分後に夏芽から連絡が入り、メールで【そちらは彼氏さんですか?】と聞かれて一気に力が抜ける。
デートでの夏芽は、二日前の電話での様子とは打って変わって、ごくごく自然体だった。そのことに彼女自身も自信が付いていたのだろう、どうやら蓮実の様子を見る余裕もあったようで、偶然会った菖吾のこともわかっているようだった。
こちらは二倍どころか二乗で四倍は疲れたというのに、大したものだと苦笑が漏れる。
【いえいえ、この人は大学時代のサークル仲間で、新宿御苑でたまたま会っただけですよ】
【とか言って、イケメンさんじゃないですか】
【いやいや、本性はただのガキ大将ですから。これっぽっちも好みじゃありません】
【暇だったんですかね?】
【あー、詳しくは聞いてませんけど、彼女と別れたみたいですね】
【ああ、それじゃあ……】
【ええ、暇だったみたいですね。ご愁傷様な男です】
【あはは!】
デートの一部始終を見守ってもらった安心感と、やりきった解放感も重なっているのだろう。夏芽から次々と届くメールは、きゃっきゃと文面が弾んでいる。
なにより、ようやくデートできたことに対する幸せや嬉しさが、そうさせているのは明白だった。そういう蓮実はここのところ、とんとご無沙汰だが、やはりデートはいいものだとしみじみ思ったし、久しぶりに疑似体験して、正直、楽しかった。
夜までは一緒にいられなかったけれど、それでも十分、充電できたようだ。
「なに、メール?」
「ああうん、友達から」
菖吾に聞かれ、蓮実は【報告は後日に】と返しながら答える。菖吾がどこまで付いてくる気かはわからないが、谷々越にも報告を上げなければならないし、そうなってからでないと報告書の作成もできない。それに蓮実も、一日歩き回って、いい加減疲れた。
「じゃあ、私たちもそろそろ帰ろっか」
「も?」
「あ、いや、友達も一日デートで歩き回って、これから帰るところなんだって」
「ああ。んじゃあ俺らもボチボチ帰るか」
「そうしよう、そうしよう」
そうして蓮実たちは、一路、帰宅の途につくことにした。
探偵にだって休息は必要なのだ。持久力や忍耐力が必要不可欠なこの世界、また一生懸命に仕事に打ち込むためには、休めるときに休んでおかないと身も心ももたない。
それから電車に揺られること数十分。
俺はこれからまた乗り換えだから、ああそうなんだ、という別れ際。
「また会えるといいな」
菖吾は唐突にそう言って手を振った。
「? 会おうと思えばいつでも会えるでしょ」
蓮実は少々首をかしげつつも、そう言って電車を降りる。
なんで急にそんなことを言うんだろう。近々、転勤でもするのだろうか。
そんなことを思いながら、夕暮れの茜色が辺りを包む中を蓮実はひとり暮らしの部屋への道を歩く。部屋の鍵を開ける頃には、そのこともすっかり忘れていた。
だから蓮実は、谷々越に指摘されるまで気づかなかったのだ。
「はは、蓮実ちゃん。その男友達って、もしかして探偵なんじゃない?」
そう言われるまで、これっぽっちもその可能性を考えたことはなかったくらいに。
「――ええっ⁉」
「だだ、だって、なんでもないときに会うんでしょう? それも、田丸さんに会うときや、三好さんの仕事場兼自宅マンションに向かう道すがらとか、帰ってる最中とか。偶然にしては頻繁すぎない? 新宿御苑で会って二週間弱で六~七回は多すぎると思うんだけど」
目を瞠る蓮実に、けれど谷々越は心配そうな声色だ。見ると表情はひどく真剣で、喉元まで出かかった「なに言ってんですかぁ!」は寸前のところで止まる。
大声は出てしまったものの、ええっに続いてすぐに明るく笑い飛ばす感じで否定する用意はできていた。ただその前に谷々越の声が割って入った。こうして事実を並べ立てたられてしまえば、一気に不安になってくるのが人の心理というものだ。
「そ、そうなんでしょうか……」
代わりに出てきたのは、そんな言葉だった。背筋がゾワリとして、冷たい。
「蓮実ちゃんも数えてみるといいよ」
そう言われて蓮実は、この二週間の間で菖吾と会った回数を数えていく。
一回目は、デートを尾行した翌週の火曜日。蓮実と谷々越で三好の人間性を考察した報告書を持って夏芽に会いに行った帰りに道端でばったり会った。二回目の木曜日は、大型書店の男性向けライトノベルコーナーで。三回目は翌日の金曜日だった。夏芽から事前に聞いていた三好のマンション付近の道を歩いていたとき、ちょうどマンションを見上げている菖吾に会った。蓮実に気づいた菖吾は頭の後ろに手を当てながら「ここ、帰り道?」と聞いて、蓮実は「まあ、そんなとこ」と答え、軽く手を振り合うとそのまますれ違った。
この三回は、平日なこともあって時間帯は夜だった。
夏芽にも仕事があるし、昼間も書店に行って本を探したりはするものの、やはり勤務時間外でも探さなければ三好大介の作品はなかなか見つけられないと思ってのことだった。
三好のマンションへ出向いたのは、書類や宅急便の類いが届いていないかを確認するためだった。電子書籍作家なら編集者とメールのやり取りで済ませるのだろうか、そこのところはよくわからないけれど、契約書はさすがにメールでは無理だ。それに紙の本で作品を発表しているなら、見本誌や原稿など、それなりの大きさの荷物が届くはずだと思った。
作家には夜型の人も多いと聞くから、タイミングが合えば三好や彼の相棒がポストからそれらを取り出す場面を見られるかもしれない。幸い三好は、夏芽を部屋に上げたことはないが、住んでいるマンションなら教えてくれたという。「ここに住んでるんだ」と言って、たまたまデートの通り道だったときにマンションを紹介したらしい。
結局、変に怪しまれてはいけないと思い、その日は角を曲がったところでUターンして違う道から部屋へ帰ったが、そういえば四回目以降は時間帯はバラバラだったように思う。
週末、午前中からまた違う大型書店に出向いていたときとか、さすがにこの時間帯ならデパートで働いている頃だしと踏んで再び三好のマンションに足を向けた平日の日中とか(宅急便の有無だけでも確認したかった)、会ったり見かけたり、夏芽や三好の周辺をうろついているときに菖吾の顔を見る機会が多くあった気がする。
それを蓮実は「偶然が重なることもあるんですね」と、世間話のひとつとして谷々越に言っていた。律義に数えていたわけではなかっただろうけれど、短い間にこう何度も菖吾の名前が出てくれば自然と覚えるだろうし、会う回数の多さに疑問にも思うだろう。
「しょ、所長……」
再び背中がゾワリとして、蓮実は縋るような思いで谷々越の顔を見た。指を追って数えていた手はとっくに冷たくなっていて、じっとりと変な汗で湿っている。
行く先々で頻繁に菖吾と出くわしている事実に戦慄だった。そして、谷々越に指摘されるまで、シフト休みなんだろうなくらいにしか思っていたかった自分のぼんくら具合にも。
「うん。三好さんのほうでも、なんらかの理由で探偵を使って調べたいことがあるのかもしれないね。こう言っては語弊があるかもしれないけど、三好さんの交友関係は狭い。それを考えると、調べたい相手は田丸さんだろうと思う。彼女のなにが三好さんをそうさせるのかはわからないけど、ダブルブッキング的なことも、この世界にはあるんだ」
すると谷々越はそう言い、しばし思案顔を浮かべる。ややして、
「この依頼に僕も本格的に加わるね」
「はい……」
「大丈夫、これ以上ややこしいことにはならないよ」
顔面蒼白の蓮実に向かって、安心させるように下手くそな笑顔を作った。
というか、自分でも薄々、気づいていたのだろうか。自分が外に出ると、けっこうな確率でややこしいことになることに。と言っても、今回は蓮実が持ち込んでしまったようなものだ。三年も一緒にいれば、それとなく体質が伝染してくるのかもしれない。最近は野菜や果物も一緒のものを食べる機会もわりと多いし、ランチ外出にも付き合っているし。
って、そんなんで伝染したらなにかの呪いでしょう!
――でも、これが終わったらお祓いに行こうか。
「よろしくお願いします……」
今回もとうとうややこしいことになってしまったと心で大泣きしながら、蓮実は、さっそくよく効くお祓いをしているところを探そうと切実に思ったのだった。
そうして、三好大介の作品探しと身辺調査に加えて、菖吾が本当は何者なのかを調べる仕事も加わった。手始めに、就職が決まった際に聞いていたデパートに問い合わせてみたところ、人事担当からは「確かに働いていましたけど、一年と少し前に辞めましたよ」との返答があり、すでにデパートにはいない裏付けが取れただけだった。
『実は近々、大学時代のサークル仲間で久しぶりに集まろうと計画しているんですが、番号が変わってしまったみたいで連絡が取れないんです。確かこちらに勤めていると聞いていたので、お忙しいところ恐縮ですがお取次ぎ願えませんでしょうか』
そう言って問い合わせたのだ。
こういうときは、嘘の中に本当のことを混ぜることで、ぐんと信用度が増す。そういうことなら、と電話は人事のほうへ取り次がれ、菖吾はもう勤めていないことがわかった。
実際に会って話をしたり見かけたりしたときの菖吾は、服も流行りのものを着ていたし、血色もよく、なんなら蓮実より肌の色艶もよかった。……悔しい。それはともかく、生活に困っているような様子は見受けられなかったので、転職していると考えるのが自然だ。
それに菖吾は、熱烈な女の子に待ち伏せされたことは何度かあっても、自分から誰かを待ち伏せしたり、あるいはストーカーまがいのことをするような男ではない。『虫むしキャッチャーズ』の四年間で、それは蓮実が自信を持って「ない」と言える。
そういうことをする人は、どんなに外見を爽やかだったり好青年だったりに見せようとしても、裏にある本質や本性が透けて見えるものだ。隠しきれないというか、偽りきれないというか、勘が鋭くてもそうではなくても、感覚的に〝変だ〟と気づくときは必ず来る。
菖吾からは、それが感じられなかった。だからストーカーの線はない。
何度も偶然が重なれば菖吾だって少なからずバツが悪そうな顔にはなったが、頭の後ろに手をやるだけで、それ以外は特に変だと思った記憶はない。菖吾も探偵なのではと言われたときはさすがに耳を疑ったが、むしろ今はそれ以外はないと思うほうが大きい。
「やっぱりデパートは辞めてるみたいですね。辞めたのは一年と少し前らしいです。そのあとのことは、人事の人もさすがにわからないみたいですけど」
受話器を置くと、蓮実は谷々越に電話の内容を伝えた。
「そう。じゃあ、この一年以内にどこかの探偵事務所に転職してきた人がいないか調べてみよう。そっちは僕に任せて。悪質なところもあるから、そこにいないといいけど」
それを受けた谷々越はそう言い、「本当にそうですよね」と深く相づちを打つ蓮実に小さく頷いた。探偵業者の中には、依頼主に法外な報酬料を支払わせるところもあるし、適当な調査で報告書を作るところもある。そういう業者はいわゆるブラックリストに登録されており、情報提供料として毎月決まった使用料を支払っていれば、パスワードを入力しただけで閲覧できる。谷々越は、まずはそこにアクセスしてみるらしい。
これはいわゆる、健全な経営をしている探偵社が集まって作った組合だ。入会は義務ではないけれど、多くの探偵社が加盟している。むしろ、組合に入っていない業者は疑ってかかったほうがいいかもしれないくらいに、その規模は大きい。また、加盟していることでほかの探偵社からの信頼も得られるので、もちろん谷々越探偵事務所も入っている。
そしてそこには、依頼主からの情報も提供されている。例えば、〇〇探偵社の〇〇という人からすごい額の支払いを強要されたとか、ほとんど調査していないのに適当にでっち上げた報告書一枚で終わりだったとか。偽名なのだろうから〝〇〇という人〟を素直に探してもまず見つからない。でも、探偵社の名前は、事務所を構えているのだからわかる。たとえコロコロ社名を変えたとしても、一度リストに上がったら徹底的にマークされる。
探偵の探偵はどこまでも追っていくのだ。それこそ、この業界にいられなくなるまで。目を付けられれば恐怖しかないが、谷々越探偵事務所はこれからも一切、そのつもりはない。
デートでの夏芽は、二日前の電話での様子とは打って変わって、ごくごく自然体だった。そのことに彼女自身も自信が付いていたのだろう、どうやら蓮実の様子を見る余裕もあったようで、偶然会った菖吾のこともわかっているようだった。
こちらは二倍どころか二乗で四倍は疲れたというのに、大したものだと苦笑が漏れる。
【いえいえ、この人は大学時代のサークル仲間で、新宿御苑でたまたま会っただけですよ】
【とか言って、イケメンさんじゃないですか】
【いやいや、本性はただのガキ大将ですから。これっぽっちも好みじゃありません】
【暇だったんですかね?】
【あー、詳しくは聞いてませんけど、彼女と別れたみたいですね】
【ああ、それじゃあ……】
【ええ、暇だったみたいですね。ご愁傷様な男です】
【あはは!】
デートの一部始終を見守ってもらった安心感と、やりきった解放感も重なっているのだろう。夏芽から次々と届くメールは、きゃっきゃと文面が弾んでいる。
なにより、ようやくデートできたことに対する幸せや嬉しさが、そうさせているのは明白だった。そういう蓮実はここのところ、とんとご無沙汰だが、やはりデートはいいものだとしみじみ思ったし、久しぶりに疑似体験して、正直、楽しかった。
夜までは一緒にいられなかったけれど、それでも十分、充電できたようだ。
「なに、メール?」
「ああうん、友達から」
菖吾に聞かれ、蓮実は【報告は後日に】と返しながら答える。菖吾がどこまで付いてくる気かはわからないが、谷々越にも報告を上げなければならないし、そうなってからでないと報告書の作成もできない。それに蓮実も、一日歩き回って、いい加減疲れた。
「じゃあ、私たちもそろそろ帰ろっか」
「も?」
「あ、いや、友達も一日デートで歩き回って、これから帰るところなんだって」
「ああ。んじゃあ俺らもボチボチ帰るか」
「そうしよう、そうしよう」
そうして蓮実たちは、一路、帰宅の途につくことにした。
探偵にだって休息は必要なのだ。持久力や忍耐力が必要不可欠なこの世界、また一生懸命に仕事に打ち込むためには、休めるときに休んでおかないと身も心ももたない。
それから電車に揺られること数十分。
俺はこれからまた乗り換えだから、ああそうなんだ、という別れ際。
「また会えるといいな」
菖吾は唐突にそう言って手を振った。
「? 会おうと思えばいつでも会えるでしょ」
蓮実は少々首をかしげつつも、そう言って電車を降りる。
なんで急にそんなことを言うんだろう。近々、転勤でもするのだろうか。
そんなことを思いながら、夕暮れの茜色が辺りを包む中を蓮実はひとり暮らしの部屋への道を歩く。部屋の鍵を開ける頃には、そのこともすっかり忘れていた。
だから蓮実は、谷々越に指摘されるまで気づかなかったのだ。
「はは、蓮実ちゃん。その男友達って、もしかして探偵なんじゃない?」
そう言われるまで、これっぽっちもその可能性を考えたことはなかったくらいに。
「――ええっ⁉」
「だだ、だって、なんでもないときに会うんでしょう? それも、田丸さんに会うときや、三好さんの仕事場兼自宅マンションに向かう道すがらとか、帰ってる最中とか。偶然にしては頻繁すぎない? 新宿御苑で会って二週間弱で六~七回は多すぎると思うんだけど」
目を瞠る蓮実に、けれど谷々越は心配そうな声色だ。見ると表情はひどく真剣で、喉元まで出かかった「なに言ってんですかぁ!」は寸前のところで止まる。
大声は出てしまったものの、ええっに続いてすぐに明るく笑い飛ばす感じで否定する用意はできていた。ただその前に谷々越の声が割って入った。こうして事実を並べ立てたられてしまえば、一気に不安になってくるのが人の心理というものだ。
「そ、そうなんでしょうか……」
代わりに出てきたのは、そんな言葉だった。背筋がゾワリとして、冷たい。
「蓮実ちゃんも数えてみるといいよ」
そう言われて蓮実は、この二週間の間で菖吾と会った回数を数えていく。
一回目は、デートを尾行した翌週の火曜日。蓮実と谷々越で三好の人間性を考察した報告書を持って夏芽に会いに行った帰りに道端でばったり会った。二回目の木曜日は、大型書店の男性向けライトノベルコーナーで。三回目は翌日の金曜日だった。夏芽から事前に聞いていた三好のマンション付近の道を歩いていたとき、ちょうどマンションを見上げている菖吾に会った。蓮実に気づいた菖吾は頭の後ろに手を当てながら「ここ、帰り道?」と聞いて、蓮実は「まあ、そんなとこ」と答え、軽く手を振り合うとそのまますれ違った。
この三回は、平日なこともあって時間帯は夜だった。
夏芽にも仕事があるし、昼間も書店に行って本を探したりはするものの、やはり勤務時間外でも探さなければ三好大介の作品はなかなか見つけられないと思ってのことだった。
三好のマンションへ出向いたのは、書類や宅急便の類いが届いていないかを確認するためだった。電子書籍作家なら編集者とメールのやり取りで済ませるのだろうか、そこのところはよくわからないけれど、契約書はさすがにメールでは無理だ。それに紙の本で作品を発表しているなら、見本誌や原稿など、それなりの大きさの荷物が届くはずだと思った。
作家には夜型の人も多いと聞くから、タイミングが合えば三好や彼の相棒がポストからそれらを取り出す場面を見られるかもしれない。幸い三好は、夏芽を部屋に上げたことはないが、住んでいるマンションなら教えてくれたという。「ここに住んでるんだ」と言って、たまたまデートの通り道だったときにマンションを紹介したらしい。
結局、変に怪しまれてはいけないと思い、その日は角を曲がったところでUターンして違う道から部屋へ帰ったが、そういえば四回目以降は時間帯はバラバラだったように思う。
週末、午前中からまた違う大型書店に出向いていたときとか、さすがにこの時間帯ならデパートで働いている頃だしと踏んで再び三好のマンションに足を向けた平日の日中とか(宅急便の有無だけでも確認したかった)、会ったり見かけたり、夏芽や三好の周辺をうろついているときに菖吾の顔を見る機会が多くあった気がする。
それを蓮実は「偶然が重なることもあるんですね」と、世間話のひとつとして谷々越に言っていた。律義に数えていたわけではなかっただろうけれど、短い間にこう何度も菖吾の名前が出てくれば自然と覚えるだろうし、会う回数の多さに疑問にも思うだろう。
「しょ、所長……」
再び背中がゾワリとして、蓮実は縋るような思いで谷々越の顔を見た。指を追って数えていた手はとっくに冷たくなっていて、じっとりと変な汗で湿っている。
行く先々で頻繁に菖吾と出くわしている事実に戦慄だった。そして、谷々越に指摘されるまで、シフト休みなんだろうなくらいにしか思っていたかった自分のぼんくら具合にも。
「うん。三好さんのほうでも、なんらかの理由で探偵を使って調べたいことがあるのかもしれないね。こう言っては語弊があるかもしれないけど、三好さんの交友関係は狭い。それを考えると、調べたい相手は田丸さんだろうと思う。彼女のなにが三好さんをそうさせるのかはわからないけど、ダブルブッキング的なことも、この世界にはあるんだ」
すると谷々越はそう言い、しばし思案顔を浮かべる。ややして、
「この依頼に僕も本格的に加わるね」
「はい……」
「大丈夫、これ以上ややこしいことにはならないよ」
顔面蒼白の蓮実に向かって、安心させるように下手くそな笑顔を作った。
というか、自分でも薄々、気づいていたのだろうか。自分が外に出ると、けっこうな確率でややこしいことになることに。と言っても、今回は蓮実が持ち込んでしまったようなものだ。三年も一緒にいれば、それとなく体質が伝染してくるのかもしれない。最近は野菜や果物も一緒のものを食べる機会もわりと多いし、ランチ外出にも付き合っているし。
って、そんなんで伝染したらなにかの呪いでしょう!
――でも、これが終わったらお祓いに行こうか。
「よろしくお願いします……」
今回もとうとうややこしいことになってしまったと心で大泣きしながら、蓮実は、さっそくよく効くお祓いをしているところを探そうと切実に思ったのだった。
そうして、三好大介の作品探しと身辺調査に加えて、菖吾が本当は何者なのかを調べる仕事も加わった。手始めに、就職が決まった際に聞いていたデパートに問い合わせてみたところ、人事担当からは「確かに働いていましたけど、一年と少し前に辞めましたよ」との返答があり、すでにデパートにはいない裏付けが取れただけだった。
『実は近々、大学時代のサークル仲間で久しぶりに集まろうと計画しているんですが、番号が変わってしまったみたいで連絡が取れないんです。確かこちらに勤めていると聞いていたので、お忙しいところ恐縮ですがお取次ぎ願えませんでしょうか』
そう言って問い合わせたのだ。
こういうときは、嘘の中に本当のことを混ぜることで、ぐんと信用度が増す。そういうことなら、と電話は人事のほうへ取り次がれ、菖吾はもう勤めていないことがわかった。
実際に会って話をしたり見かけたりしたときの菖吾は、服も流行りのものを着ていたし、血色もよく、なんなら蓮実より肌の色艶もよかった。……悔しい。それはともかく、生活に困っているような様子は見受けられなかったので、転職していると考えるのが自然だ。
それに菖吾は、熱烈な女の子に待ち伏せされたことは何度かあっても、自分から誰かを待ち伏せしたり、あるいはストーカーまがいのことをするような男ではない。『虫むしキャッチャーズ』の四年間で、それは蓮実が自信を持って「ない」と言える。
そういうことをする人は、どんなに外見を爽やかだったり好青年だったりに見せようとしても、裏にある本質や本性が透けて見えるものだ。隠しきれないというか、偽りきれないというか、勘が鋭くてもそうではなくても、感覚的に〝変だ〟と気づくときは必ず来る。
菖吾からは、それが感じられなかった。だからストーカーの線はない。
何度も偶然が重なれば菖吾だって少なからずバツが悪そうな顔にはなったが、頭の後ろに手をやるだけで、それ以外は特に変だと思った記憶はない。菖吾も探偵なのではと言われたときはさすがに耳を疑ったが、むしろ今はそれ以外はないと思うほうが大きい。
「やっぱりデパートは辞めてるみたいですね。辞めたのは一年と少し前らしいです。そのあとのことは、人事の人もさすがにわからないみたいですけど」
受話器を置くと、蓮実は谷々越に電話の内容を伝えた。
「そう。じゃあ、この一年以内にどこかの探偵事務所に転職してきた人がいないか調べてみよう。そっちは僕に任せて。悪質なところもあるから、そこにいないといいけど」
それを受けた谷々越はそう言い、「本当にそうですよね」と深く相づちを打つ蓮実に小さく頷いた。探偵業者の中には、依頼主に法外な報酬料を支払わせるところもあるし、適当な調査で報告書を作るところもある。そういう業者はいわゆるブラックリストに登録されており、情報提供料として毎月決まった使用料を支払っていれば、パスワードを入力しただけで閲覧できる。谷々越は、まずはそこにアクセスしてみるらしい。
これはいわゆる、健全な経営をしている探偵社が集まって作った組合だ。入会は義務ではないけれど、多くの探偵社が加盟している。むしろ、組合に入っていない業者は疑ってかかったほうがいいかもしれないくらいに、その規模は大きい。また、加盟していることでほかの探偵社からの信頼も得られるので、もちろん谷々越探偵事務所も入っている。
そしてそこには、依頼主からの情報も提供されている。例えば、〇〇探偵社の〇〇という人からすごい額の支払いを強要されたとか、ほとんど調査していないのに適当にでっち上げた報告書一枚で終わりだったとか。偽名なのだろうから〝〇〇という人〟を素直に探してもまず見つからない。でも、探偵社の名前は、事務所を構えているのだからわかる。たとえコロコロ社名を変えたとしても、一度リストに上がったら徹底的にマークされる。
探偵の探偵はどこまでも追っていくのだ。それこそ、この業界にいられなくなるまで。目を付けられれば恐怖しかないが、谷々越探偵事務所はこれからも一切、そのつもりはない。
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