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■第一話 猫はお手柄
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その数ヵ月後に届いた英恵からの手紙によると、一考の遺骨を引き取り、茂木家の墓に入れて供養を済ませると、ふきさんはまるでこの世にひとつも心残りがなくなったかのように急速に老いが進み、間もなくして穏やかに息を引き取ったそうだ。
臨終の言葉は『ありがとうございました』だったという。
手紙で英恵は、母の最期がこんなにも穏やかだったのは、中村や谷々越たちが尽力してくれたからにほかならないと言い、感謝してもしきれないと書き連ねていた。それから、七十数年ぶりに一考を見つけてくれた、お手柄猫――三郎にも。
事務所を訪れ、その手紙を見せてくれた際、中村は「正直、父や祖父に外に相手がいたのかと思って肝が冷えました」と苦笑した。谷々越が最初にした推理では、長男であるはずの考次郎の名前に〝次〟の字が入っているのは少しおかしい、ということだったので、中村がそう思っても無理はないだろうと思う。内心、蓮実も、見せてもらった家系図に考次郎の兄弟の名前がなかったことで、失礼ながら真っ先にそのことを疑ってしまった。かつらさんのことも、同じく。……事が事だっただけに、けして口には出さなかったけれど。
でもこれですべては解決だ。中村家の庭もすっかり元通りになったそうで、秋には例年と変わらずイチョウの葉が色づき、庭一面に黄色い絨毯を敷かせるだろうと中村は笑う。
帰り際、中村は言った。
「もしかしたら三郎は、木の根元に一考君が眠っていることを知っていたのかもしれませんね。谷々越さんたちが来てから急に庭の土を掘りはじめたのだって、谷々越さんたちなら骨が誰のものなのかをきちんと調べてくれると思ってのことだったのかもしれません。私に知らせたところで、かつらさんにたどり着けるか不安だったんでしょう。だから二十日も家に帰らず気を引いていたのかもしれませんね。十五年一緒にいますが、いまだに三郎の考えていることはわかりませんから。こちらで勝手に解釈するしかありませんよ」
そして、本当にありがとうございました、と深々と頭を下げる。
「いえ、僕たちのほうこそ、首を突っ込んでしまって申し訳ありませんでした。余計に気を揉ませてしまったことも、重ね重ねお詫びいたします。でも、これで考次郎さんは戦争の中にあっても相手を気遣い、心を砕くお人柄だったことがわかってよかったです。本当に素晴らしいお父様をお持ちで羨ましいです。僕も、そんなお父様とかつらさんの親交を心に刻むことができて光栄でした。この件に関わらせていただき、ありがとうございました」
そう言う谷々越ともども、蓮実も深く頭を下げる。
本当に谷々越の言う通りだ。庭から骨が出てきたときは、またややこしいことになると心底辟易したものだったけれど、中村とともにたどり着いた真実は、悲しくも温かい思いで溢れていた。そのことに深く関わることができて本当によかったと蓮実も思う。
中村も言ったように、猫の考えることは謎だらけだけれど、こちらがいいように解釈するしかないのであれば、今回の三郎はお手柄だったと言えるだろう。だって七十数年ぶりに母親の元へ帰ることができ、またふきさんも思い残すことなく旅立てたのだから。
「……私、真相を知ったときもそうだったんですけど、ふきさんの口癖だったという、『言わなくても手を見ればわかる』って言葉が、一番心に刺さりました。依頼主さんの喜ぶ顔を見るのはもちろん好きです。今までが手を抜いていたわけでもありません。でも、これからはもっと依頼と依頼主さんに向き合おうと思いました。頑張って生きてきた手は、どんなに綺麗に磨かれた手よりも綺麗です。そうなれるように私も頑張りたいです」
何度も頭を下げつつ帰っていった中村を見送ると、蓮実はたまらず谷々越に言った。手入れの行き届いた手は、そりゃあ綺麗に決まっている。でも、介護施設で見たふきさんの手も、お茶を淹れてくれた英恵の手も、蓮実はそれ以上に綺麗だと思ったのだ。
わざわざ言わなくても、それまでの人生を語ってくれるような雄弁な手になりたい。
今の蓮実にできることは、日々入ってくる細々とした依頼を地道にこなしていくことくらいしかないけれど。それでも、谷々越探偵事務所を選んで依頼してくれたのだ、こちらも成果で、それ以上に心で返していきたい。強く強く、そう思う。
「そ、そうだね。ぼぼ僕も、そう思う。働き者の手は、なにより美しいよ」
そう言って笑う谷々越に「そうですね」としみじみ返しながら、蓮実は、なんでもないときでも谷々越を定期的に外に連れ出してもいいかもしれない、と思った。
高確率でややこしい事態に巻き込まれるのは、やっぱり面倒くさいし嫌だけれど、谷々越がいなかったらたどり着けない真実がそこにはある。その真実に触れたとき、これからも続く長い人生の道しるべとなるような発見があるかもしれない。そう思えば、谷々越のこの体質にも少しは寛容になれる気がしないでもない……なんだかそんな気もする。
「所長、今日のランチはどこで食べましょうか?」
聞くと谷々越の顔がぱっと華やいだ。
「じじ実は、もうひとつ、入ってみたいお店があるんだよ」
そうしていそいそと見せられたスマホの画面には、先日のパンケーキ屋に負けず劣らず、プライベートでも仕事の格好でも入るのに躊躇してしまうような外観の店が表示されていた。思わず半眼で「……なんですか、ここは」と聞けば、
「聖地だよ、聖地」
弾んだ声が返ってくる。
「……聖地? なんのですか?」
「ほら、去年の夏にめちゃくちゃ流行ったアニメ映画に出てきたカフェだよ。期間限定でオープンしてて、映画とそっくりのメニューが食べられるって。写真も撮り放題なんだよ。これはぜひともインスタに上げなきゃと思ってね。行けるものなら行きたいんだ」
そういえは、そんなニュースも巷を賑わせている。蓮実もこの前テレビで見て、ほぅ、と思った記憶がある。ただそれは、コテコテのファンシーな外観とともに平日でも何時間待ちなんてザラの超人気店だ。逆にランチタイムなら時間も限られているため空いているかもしれないけれど、やっぱり浮きまくること必至の谷々越と入るには気が引けてしまう。
「てか、まだインスタなんてやってたんですか」
なんだか妙に気になり、ときたま覗いてみているけれど、いまだ谷々越のフォロワーはゼロだ。よくそんなんで新しく写真を上げたいと思うものだと逆に関心さえする。
「ひ、ひどいよ蓮実ちゃん……」
思わず本音がダダ漏れる中、けれど蓮実は、どうせ電話は鳴らなさそうだし、と失言の詫びも兼ねて「わかりました、行きましょう」と承諾することにした。ひとりでは入れないけれど、やはり蓮実も気にはなっていたのだ。それに、依頼もすべて解決したことだし、谷々越にも自分にも、それなりのご褒美は必要だと思い直したのだった。
「これでフォロワーが増えるといいですね」
「蓮実ちゃんがフォローしてくれると嬉しいんだけどね」
「……」
「え、なな、なにか言ってよ」
「……」
そうしてちょっとばかり谷々越をからかいながら食べたランチは、ぺろりと平らげてしまうくらい美味しかった。黙秘を貫く蓮実に谷々越は終始、寂し気な視線を送っていたけれど、映画の中からそっくりそのまま出てきたような店内の装飾やメニューには満足したようで、店を出たときには心から幸せそうな顔だった。から、よしとする。
臨終の言葉は『ありがとうございました』だったという。
手紙で英恵は、母の最期がこんなにも穏やかだったのは、中村や谷々越たちが尽力してくれたからにほかならないと言い、感謝してもしきれないと書き連ねていた。それから、七十数年ぶりに一考を見つけてくれた、お手柄猫――三郎にも。
事務所を訪れ、その手紙を見せてくれた際、中村は「正直、父や祖父に外に相手がいたのかと思って肝が冷えました」と苦笑した。谷々越が最初にした推理では、長男であるはずの考次郎の名前に〝次〟の字が入っているのは少しおかしい、ということだったので、中村がそう思っても無理はないだろうと思う。内心、蓮実も、見せてもらった家系図に考次郎の兄弟の名前がなかったことで、失礼ながら真っ先にそのことを疑ってしまった。かつらさんのことも、同じく。……事が事だっただけに、けして口には出さなかったけれど。
でもこれですべては解決だ。中村家の庭もすっかり元通りになったそうで、秋には例年と変わらずイチョウの葉が色づき、庭一面に黄色い絨毯を敷かせるだろうと中村は笑う。
帰り際、中村は言った。
「もしかしたら三郎は、木の根元に一考君が眠っていることを知っていたのかもしれませんね。谷々越さんたちが来てから急に庭の土を掘りはじめたのだって、谷々越さんたちなら骨が誰のものなのかをきちんと調べてくれると思ってのことだったのかもしれません。私に知らせたところで、かつらさんにたどり着けるか不安だったんでしょう。だから二十日も家に帰らず気を引いていたのかもしれませんね。十五年一緒にいますが、いまだに三郎の考えていることはわかりませんから。こちらで勝手に解釈するしかありませんよ」
そして、本当にありがとうございました、と深々と頭を下げる。
「いえ、僕たちのほうこそ、首を突っ込んでしまって申し訳ありませんでした。余計に気を揉ませてしまったことも、重ね重ねお詫びいたします。でも、これで考次郎さんは戦争の中にあっても相手を気遣い、心を砕くお人柄だったことがわかってよかったです。本当に素晴らしいお父様をお持ちで羨ましいです。僕も、そんなお父様とかつらさんの親交を心に刻むことができて光栄でした。この件に関わらせていただき、ありがとうございました」
そう言う谷々越ともども、蓮実も深く頭を下げる。
本当に谷々越の言う通りだ。庭から骨が出てきたときは、またややこしいことになると心底辟易したものだったけれど、中村とともにたどり着いた真実は、悲しくも温かい思いで溢れていた。そのことに深く関わることができて本当によかったと蓮実も思う。
中村も言ったように、猫の考えることは謎だらけだけれど、こちらがいいように解釈するしかないのであれば、今回の三郎はお手柄だったと言えるだろう。だって七十数年ぶりに母親の元へ帰ることができ、またふきさんも思い残すことなく旅立てたのだから。
「……私、真相を知ったときもそうだったんですけど、ふきさんの口癖だったという、『言わなくても手を見ればわかる』って言葉が、一番心に刺さりました。依頼主さんの喜ぶ顔を見るのはもちろん好きです。今までが手を抜いていたわけでもありません。でも、これからはもっと依頼と依頼主さんに向き合おうと思いました。頑張って生きてきた手は、どんなに綺麗に磨かれた手よりも綺麗です。そうなれるように私も頑張りたいです」
何度も頭を下げつつ帰っていった中村を見送ると、蓮実はたまらず谷々越に言った。手入れの行き届いた手は、そりゃあ綺麗に決まっている。でも、介護施設で見たふきさんの手も、お茶を淹れてくれた英恵の手も、蓮実はそれ以上に綺麗だと思ったのだ。
わざわざ言わなくても、それまでの人生を語ってくれるような雄弁な手になりたい。
今の蓮実にできることは、日々入ってくる細々とした依頼を地道にこなしていくことくらいしかないけれど。それでも、谷々越探偵事務所を選んで依頼してくれたのだ、こちらも成果で、それ以上に心で返していきたい。強く強く、そう思う。
「そ、そうだね。ぼぼ僕も、そう思う。働き者の手は、なにより美しいよ」
そう言って笑う谷々越に「そうですね」としみじみ返しながら、蓮実は、なんでもないときでも谷々越を定期的に外に連れ出してもいいかもしれない、と思った。
高確率でややこしい事態に巻き込まれるのは、やっぱり面倒くさいし嫌だけれど、谷々越がいなかったらたどり着けない真実がそこにはある。その真実に触れたとき、これからも続く長い人生の道しるべとなるような発見があるかもしれない。そう思えば、谷々越のこの体質にも少しは寛容になれる気がしないでもない……なんだかそんな気もする。
「所長、今日のランチはどこで食べましょうか?」
聞くと谷々越の顔がぱっと華やいだ。
「じじ実は、もうひとつ、入ってみたいお店があるんだよ」
そうしていそいそと見せられたスマホの画面には、先日のパンケーキ屋に負けず劣らず、プライベートでも仕事の格好でも入るのに躊躇してしまうような外観の店が表示されていた。思わず半眼で「……なんですか、ここは」と聞けば、
「聖地だよ、聖地」
弾んだ声が返ってくる。
「……聖地? なんのですか?」
「ほら、去年の夏にめちゃくちゃ流行ったアニメ映画に出てきたカフェだよ。期間限定でオープンしてて、映画とそっくりのメニューが食べられるって。写真も撮り放題なんだよ。これはぜひともインスタに上げなきゃと思ってね。行けるものなら行きたいんだ」
そういえは、そんなニュースも巷を賑わせている。蓮実もこの前テレビで見て、ほぅ、と思った記憶がある。ただそれは、コテコテのファンシーな外観とともに平日でも何時間待ちなんてザラの超人気店だ。逆にランチタイムなら時間も限られているため空いているかもしれないけれど、やっぱり浮きまくること必至の谷々越と入るには気が引けてしまう。
「てか、まだインスタなんてやってたんですか」
なんだか妙に気になり、ときたま覗いてみているけれど、いまだ谷々越のフォロワーはゼロだ。よくそんなんで新しく写真を上げたいと思うものだと逆に関心さえする。
「ひ、ひどいよ蓮実ちゃん……」
思わず本音がダダ漏れる中、けれど蓮実は、どうせ電話は鳴らなさそうだし、と失言の詫びも兼ねて「わかりました、行きましょう」と承諾することにした。ひとりでは入れないけれど、やはり蓮実も気にはなっていたのだ。それに、依頼もすべて解決したことだし、谷々越にも自分にも、それなりのご褒美は必要だと思い直したのだった。
「これでフォロワーが増えるといいですね」
「蓮実ちゃんがフォローしてくれると嬉しいんだけどね」
「……」
「え、なな、なにか言ってよ」
「……」
そうしてちょっとばかり谷々越をからかいながら食べたランチは、ぺろりと平らげてしまうくらい美味しかった。黙秘を貫く蓮実に谷々越は終始、寂し気な視線を送っていたけれど、映画の中からそっくりそのまま出てきたような店内の装飾やメニューには満足したようで、店を出たときには心から幸せそうな顔だった。から、よしとする。
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