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■7.ただ俺が見てみたいんだよ ◆浅石佑次

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「おいおい、マジかよ。吹部にいったいなにがあったんだよ」
「そんなの俺にもわっかんねーよ。でも、どうにかするしかないだろ。今、そのためにどうするのが一番いいか考えてるところなんだから、頼むからちょっと黙ってくれよ……」
 吹奏楽部が野球応援を正式に辞退したという話は、佑次のみならず、野球部の佐々木の心もおおいに戸惑わせていた。まだ吹部や生徒会といった限られた人にしか話はされていないはずなのに、どこから聞きつけたのか、血相を変えた佐々木に詰め寄られ、佑次はうねうねの髪を盛大に掻きむしりながら途方に暮れたように大きなため息を吐き出した。
 食欲が出ないながらも無理やり弁当を掻き込み、頭を悩ませていた矢先のことだった。昼休みの教室はガヤガヤと騒がしいが、佑次の席の周りだけ空気が重く垂れこめている。
 部長の西窪なずなに再度リストの見直しを頼んでから、たった二日の間の出来事だ。
 ……本当にいったい、吹部になにが起こったというのだろうか。
 しかもあれからなずなは部活に行っていないようだし、そういえば泣きながら佑次の脇を走り抜けていったことも気になる。一瞬の出来事だったので、呼び止めることは叶わなかったが、きっとその前にはもう、吹部の内部で事が起こったあとだったのだろう。
 それからは、代わりに中島とかいうやつが辞退の申し出をしてきた。正直、話が通じないとても厄介な相手だった。応援団が言い出したことなんだから、そっちがなんとかするのが筋なんじゃないか。こっちはもう最初に出した条件を変えて付き合ってきた、これ以上は譲れない。その一点張りで、佑次や会長、副会長などがどんなに平身低頭して頼んでも聞き耳のひとつだって持ってはくれなかった。最後には「正式に辞退させてくれ」である。
 なずなもなずなで、どこか頼りなさげというか、本気で自分たちに付き合ってくれているのか怪しいところはあったが、これならなずなのほうがずっとずっとマシだと思った。
 中島のことを見ていると、やつもやつで意地になっているようなところはある。でも、吹部がいなければ、そもそもの野球応援は成り立たないのだ。今さら自分たち賛成派で楽器を鳴らす練習をするわけにもいかないし、中島のことだ、余っている楽器を貸してくれたりもしないだろう。そこは吹部も折れてくれないと、ますます教頭の思うツボなのに。
「ちっくしょー……。少しずつだけど吹奏楽応援に賛成の声も集まってきた矢先だっつーのに、肝心の吹部がいなけりゃ、どうしようもないじゃんか……」
 頭を掻きむしる。今度は、佑次にはいささか小さい自分の机に伏して。
 なんでこう、上手くいかないことばっかり次々と起こるんだろう。綿貫先生のお見舞いに強引に連れ出したことをきっかけに、会長もやる気になってくれているというのに、前進どころか振り出し――いや、まるっきり後退じゃないか。
「……あの、さ、浅石」
「なんだよ」
 気まずそうな佐々木の声に仕方なく顔を上げる。佐々木の顔を見ると、声と同じでひどく気まずい顔をしていた。ただでさえ気が滅入る梅雨なのに、ますます気が滅入る。
「……頑張ってる浅石を見てたら、今まで言えなかったんだけど。もうどうにもなりそうにないんだったら、思いきって諦める選択肢も考えてみたらどうだ?」
「は? なに言って――」
「いや、俺らのために頑張ってくれてる気持ちは痛いくらい伝わってるよ。もちろん嬉しいし、ありがたい。でも、教頭の問題に加えて吹部も辞退したいっていうんだったら、なにもそこまでして応援してもらわなくてもいいって気持ちにもなるよ」
「……」
 椅子から立ち上がりかけた佑次を制して、佐々木が続ける。
「これも浅石には言えなかったんだけど……。野球部の中にも、練習に身が入らないって言い出すやつが出てきてさ。最初はみんな、面白そうってノリで賛成したけど、どんどん具体的に話が進んで、お前もビラ配りをはじめて。そうしていくにつれて、やっと自分たちのことなんだってわかってきたんだ。だって普通にビビるだろ、自分たちの応援のためだけに浅石が中心になって学校中を動かそうとしてるなんて。ケツの穴も塞がる思いだよ」
「そんな……」
「俺も正直、甘く考えてた。ここまで話を大きくしたお前にビビってる。こんなことになるんだったら、あのとき野球部でもっとちゃんと話し合えばよかったな。……ごめん」
「……」
 佐々木の言葉に、佑次はしばらく唖然とするしかなった。
 野球部には、今までどおりただ大会に向けて練習を積み上げていってほしいだけだった。
 バンカラ応援に吹奏楽が加われば、華も出るし野球部の士気も上がる。完全に佑次の妄想ではあるが、そこに新体操部から有志を募ってチアリーダーが組まれたりなんかした日には、私立の学校にも負けない大応援団で華々しく応援してやれると思っていたのだ。
 相変わらず〝伝統〟の二文字が重くのしかかっている。教頭だってラスボスだ。それでも佑次は、最後には吹奏楽応援の夢が叶うと――やれると思っていた。
根拠なんてどこにもないが、でも絶対に。
 それが、野球部のほうからも無理しないでくれと言われる日が来ようとは、ちょっと想像していなかった事態だ。すぐには思考が追い付かなくて、口がぽかんと開いてしまう。
「……悪いな、浅石。応援してもらう側の俺からこんなことを言っちまって。でもな、クサい台詞かもしれないけど、応援は心だから。どんな形でも応援してもらうことに俺たちは感謝を忘れないし、そのありがたみを感じながら九回までを必死で戦うんだ。そのことだけは、どうか浅石も忘れないでいてほしい。――俺から言えることは、これくらいだ」
「あっ、おい、佐々……」
 佑次の返事を待たずに佐々木が踵を返して去っていく。その背中は、なにか言われる前に逃げていくようでもあったし、佑次をこれ以上見ていられないようでもあった。
 悔しさを滲ませた顔で佑次は机の上の両手に拳を作る。
 傍から見たら、俺はひとりきりで頑張る不憫な野郎なんだろうか。直後、ふっと湧いたその思いが、佑次の頭を重くもたげる。再び机に伏すと、佑次は腕で顔を隠して思いっきり歯を食いしばった。……悔しい、悔しい、悔しい悔しい悔しい悔しい。
 なんでこういうことにしかならないんだ。
 俺は不憫でもなんでもないし、誰からも同情される筋合いはない。そりゃ、ひとりでビラ配りをしていて孤独だなって思うときだってあるし、ことのほか大ごとになって、こんなはずじゃなかったのにってビビってもいる。こんなに面倒くさいんだったら、やーめたって投げ出してもいいんじゃねえかなって、いつもそんな自分と心の縄張り争いだ。
 ――でも。それでも俺はやりたいんだよ。どうしても。
 思えば今まで、特にこれといったものもなく志望校も部活も選んできたように思う。
 北高に入れる頭を持っていたから北高に入った。部活紹介のとき、弓道部のデモンストレーションが一番格好いいと思ったから弓道部を選んだ。応援団に入ったときも、のちのちの就職活動に便利なんじゃないか、なんていう軽い考えで団長に志願した。
 北高でも応援に吹奏楽が入ってもいいんじゃないかという声があるのを聞いて、これだと思った。新たな伝統を作れば、就職面接で面接官に突っ込んで質問してもらえるだろう。そうすれば、それだけ自分を印象付けられる。しかも短期間で学校を動かせたとなれば、手腕があると思ってもらえるかもしれない。これはアピールポイントには事欠かない――前まではそうだった。
「くっそー……。もう時間がねえのに……」
 でも、今は違う。
 なにに有利だとか、どれが能力を測る材料になるだとか、そんなのもう関係なく、ただただ佑次はバンカラ応援に吹奏楽の演奏も加えたいと思っているのだ。
 俺をここまで突き動かすものはなんだ。
 何度となく自問した答えが、喉元まで出かかる。
「……そうだ、俺は見たいんだ」
 ぽつりと呟くと、急に視界が開けたような気がした。
 俺はただ見たいんだ、アルプス席に広がる壮観な光景を。バンカラと吹奏楽が融合して全校生徒が一喜一憂しながら応援する、その顔を。楽器の演奏に肩を組んで体を揺らす、みんなの姿を。真夏のギラつく太陽を一身に受けて光る、なによりも綺麗なたくさんの汗を。
 俺の独りよがりな夢だろう。我儘だろう。今年の野球応援に吹奏楽が加わっても、俺はたったその一回を終えれば、もう引退だ。でも、だからこそ見たい。たどり着いてみたい。
 きっと満足するはずなんだ、生徒のみんなも野球部も。終わってみれば、祭りのあとみたいに気が抜けて。でもそのあと、ああ、あんなこともあったなって。一生の思い出になるはずなんだ。俺はその、最高にクレイジーな時間を学校中のみんなと共有したいんだ。
「やんなきゃ……。ひとりででも、動かなきゃ……」
 佑次はなにかに取り憑かれるようにして、ゆらゆらと椅子から立ち上がった。「やんなきゃ」と、うわ言のように繰り返しながら、ふらふらと教室を出ていく。
 向かった先は、中島のクラスだった。そこには佐々木もいて、自身の席で頬杖をつき、物憂げな様子で窓の外を見ている中島にふらふらと近づいていく佑次を見て何事かと目を剥いている。けれど佑次には、佐々木の視線も、ほかのクラスメイトのざわつきも入ってこなかった。ただ真っ直ぐに中島のもとへ向かうだけだ。
「中島」
 声をかけると、中島は最初、突如として亡霊の如く現れた佑次にひどく虚を突かれた顔をした。が、言われることはわかりきっていると言いたげにキッと佑次を睨み上げると、
「どんなに頼まれても、やらないものはやらないからな」
 声を低くした。
 上背では佑次に分があるが、気の強さなら中島が有利だ。正式に辞退するという極論を投じ、自分たち賛成派を震撼させるとともに浮き足立たせただけあって、中島の目には確固たる意志と、それに見合うだけの強さがあった。この目に射られると、当初、会長のひらりに感じていたような怖さを思い出し、あそこがまた縮み上がりそうになってくる。
 けれど佑次は、中島に負けじとその目を見つめ返した。
「そうじゃない。それもあるけど、お前、見たくない?」
「なにをだよ」
「自分たちの楽器の音で学校のみんなが肩を揺らして応援する姿」
「そんなの……見てもしょうがないだろ。だいたい、今までだって応援団の声と太鼓の音で間に合ってたんだ、今さらそんなこと言われても吹部にとっちゃ迷惑だ」
「でも、俺は見たいよ。バカでハイでクレイジーになったみんなの顔とか、夏の太陽に反射してキラッと光るお前の楽器とか。なんで俺、こんなに必死になってんだろ、簡単に諦めらんないんだろってずっとわかんなかったんだけど、さっき、その答えが出たんだ。……ただ俺が見てみたいんだよ。どんなだろうって。その景色を単純に見てみたいんだ」
 言うと、中島があからさまに鼻白んだため息を吐き出した。いや、気色ばんだと言ったほうが正しいかもしれない。呆れ返っているようでもあるし、なんで折れないんだと怒っているようでもあるそのため息は、ひどく複雑な心情が入り混じってるように聞こえる。
 もしかしたら、中島本人にもどっちなのかすぐには判別がつかないのかもしれない。部長の西窪なずなと仲違いして意地になっている部分も見受けられるし、その反面、誰か自分を止めてくれと切実に訴えている部分もあるように、中島からは感じる。
 中島は吹奏楽に誇りを持っている。それは見ていればすぐにわかった。だからこそ、学校側から楽器購入の予算が下りるどころか、結局はリストの見直しというしわ寄せが吹部に集まってしまったことに腹を立て、そして辞退すると言ってきたのだろう。
 吹奏楽に対する誇りと、力を貸してくれと頼んでくる自分たち推進派との間で板挟みになっていたのは、部長のなずなだけではない。実質的な板挟みと精神的な板挟みとでは、どちらがよりストレスかなんて佑次には軽々しく指し示せるものではないけれど。でも、仮になずなと衝突したことをきっかけに、辞退の方向に歯止めが利かなくなって暴走してしまっただけなんだとすれば、誰も中島を責めることなんてできるはずがない。
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