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■4.大きな問題が起こらない限り、それはしないよ ◆箱石ひらり

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 前期生徒総会というひとつの大きな山場を越えてから、早くも一週間が経とうとしていた。通常であれば、総会を終えたらしばらくは生徒会で集まることはないが、今日も生徒会室には役員メンバーの顔がずらりと並んでいる。
 塾だって行かなきゃならないし、六月下旬には体育祭もあるっていうのに、暇な時期くらいしっかり生徒会の仕事を休ませてくれたっていいじゃないか。ひらりは今にも吐いてしまいそうなため息をさっきからずっと喉の奥で殺しながら、湧き上がる苛立ちに耐える。
 しかし、今年は例外的にこれからもメンバーで集まることになるだろう。否決になればよかったものを、可決なんてされてしまったから、こっちの仕事が増えたじゃないか。
 実に面白くないし、面倒くさい。
「一応、承認にはなったけど、なんか手応えがなかったよね。雲を掴んでるようなさ」
 早急な対応として迫られている『楽器の予算について』という問題をホワイトボードにでかでかと書き終えると、書記の林原がそう言っていつものようにコンコンとノックした。
「そうだな。みんな半信半疑だった。え、やるの? でもみんなが賛成するなら自分も拍手しておかねえと、みたいなね。あれはそんな曖昧な拍手だったよ」
「確かにそうでしたね。当然今年もバンカラ応援をやるものと思っていた二、三年生と、まだ実際にバンカラ応援をやったことのない一年生でしたもんね。上級生はともかく、まだ五月の段階じゃ、一年生の反応はしょうがなかった部分も多いと思います」
 それを合図にしたように、ちらちらと声が上がった。
 総会の際、一時、不穏な空気に包まれそうになった場を見事に手際よくさばききった議長の瀬川大助と、会計の二年生、紺野《こんの》梓《あずさ》だ。ほかのメンバーも顔を見合わせ頷き合う。
 ひらりも一部始終を見ていたが、確か湯川と名乗った一年生を周りの男子数人でけしかけて質問を続けさせたあの場の空気は、わかる人にはわかるが、とても嫌なものだった。前に出て質問を受けていた三人も、けして気持ちよくはなかっただろう。逆によくやったと思う。あの場ではどうすることもできなかったが、今、彼は大丈夫だろうか。
 しばらくすれば大多数の生徒の記憶からは消えるかもしれない。でも、湯川本人の記憶にはずっと残り続けるだろう。それを考えると、苦虫を噛み潰したような気持ちになる。
「でもまあ、承認されたんだから、生徒会は生徒会でできることをするしかないでしょ」
 すると会長より会長らしい景吾が場をいさめる。
「吹奏楽部からも購入を検討してほしい楽器のリストが出たことだし、あとはこれを精査して学校にかけ合うしかない。顧問の先生のハンコも押してあるから、そんなに面倒なことにはならないだろうけど、俺たちのほうでも精査しましたよっていう跡を見せないと、教頭あたりがなんて言うか。いつも俺らの味方でいてくれる綿貫先生にもあんまり迷惑はかけられないしね。俺たちでできることは、ちゃっちゃとやってしまうべ」
 あの新一年生男子数名に胸糞の悪さを覚えていたひらりも、そこではっと我に返り、景吾やほかのメンバーに向けて「じゃあ、やっちゃおっか」と声をかけた。あらかじめ人数ぶんコピーしておいた手元のリストを各々眺め、疑問や意見を出し合っていく。
 しかし致命的なことに、生徒会メンバーの中に少しでも吹奏楽をかじった者はひとりもいなかった。聞けば小学校四年生頃からはじまるクラブ活動、中学校の部活、家族や親類の中にも誰もいないらしく、早々に全員で頭を抱えることとなる。
疑問らしい疑問や指摘が出なかったことは幸いではあるが、これでは教頭にただ吹奏楽部からの要求をスライドさせただけだと思われかねない。
 教頭も総会の場にいたはずだ。なあなあで承認された議案が本格的に動き出そうとしている現段階では、まだなにも言ってこないが、これからどうなるか。このリストから精査のあとが見えなければ、ねちっこい小言を言われるのは生徒会だけではない。
 教頭は、のほほんとしている校長と違って神経質だ。見るからにそんな顔をしている。生徒総会の資料も一応は校長までお目通しをしてもらうのだが、だいたい教頭のところで止まる。こちらとしてはどうでもいいようなことでも、まるで重箱の隅をつつくように、ねちっこく言ってくる。進学校と銘打っているので、校長もあまりのほほんとしすぎているのもどうかとは思う。しかし教頭も、もうちょっと大雑把でもいいのではないだろうか。
 一口に教師と言っても、いろいろとタイプがあるようである。
「ねえ、みんな、なにかない?」
「……」
「……」
 ひらりの問いかけが虚しく生徒会室に消える。綿貫先生のためにも、少しだけでもいいから精査のあとを見せたい気持ちはみんな一緒だった。けれど、楽器のことについては全員がまったくの無知なので、ただひらりから目を逸らすメンバーが続出しただけだった。
「すまん。俺にも楽器のことはさっぱりだ」
 会長より会長らしい景吾でさえも、苦笑する有り様だ。なんということだろう。
「……あ、そう」
 ひらりは頭を抱えるしかなかった。
 それに問題はまだある。
 意地の悪い質問だと誰もが思ったはずだが(教頭もそう願う)、応援団と野球部にそれぞれ出されたあの質問は、悔しいけれど的を得たものだったと思う。
《野球部は、応援に吹奏楽を取り入れることを本当に真剣に考えたのか》
《応援団は、伝統のバンカラ応援を変えてまで吹奏楽を取り入れることに本当に意味があると思っているのか。また、どのような応援のしかたをするつもりなのか》
 吹奏楽部はまだいい。部長の西窪なずなが見事に論破し、有無を言わせぬ迫力でもって湯川の――おそらくは例の男子数名にけしかけられてした質問を一蹴した。
 しかし団長と佐々木は完全に浮き足立っていた。核心に迫る質問だったので、この場でそれを言わされるのはさすがに気の毒だなとひらりも同情の余地を隠せなかったが、ねちっこい教頭がそんなふたりの動揺に気づかないわけがないのだ。逆に、あの場だからこそ言えなければならなかった、などと揚げ足を取られたら、たまったもんじゃない。
 今のところ彼らも教頭に呼び出されたり真意を問われたりはしていないようだが、その点でもこれはまさに綱渡りである。もしかしたら、各顧問の先生が上手く教頭を言い含めてくれているだけかもしれない。あのふたりは、そこらへんをどう思い、どう対処していくつもりでいるのだろうか。ひらりの悩みは、ますます増えていくばかりである。
「仕方ない。じゃあ、生徒会の立会いのもと、どの楽器がどんなふうにダメだから新しく欲しいかを説明してもらうことで、生徒会の精査ってことにしようか。だってこんなの、俺たちだけで考えてもどうしようもないじゃんか。わっかんねーんだし」
 誰もが無言の空間に痺れを切らしたように、景吾がため息混じりにそう吐き出す。やはりそうなるか。自分たちの中に楽器についてわかる者がいなければ、しっかりと精査したあとを見せるためには、こちらから現場に出向くしかないようだ。面倒くさい。
「やっぱりそうなるよね……。じゃあ、私と八重樫でまた行こうか。みんな部活もあるんだし、ここに長く引き留めておくわけにもいかないもんね」
「そうだな。じゃあ今日は解散ってことでオーケー?」
「うん。みんなごめんね、わざわざ集まってもらっちゃって」
 そうして今度は吹奏楽部に話を聞きに行くことになったひらりと景吾は、ほかの生徒会メンバーが各々部活へ向かう姿を見送り、この前、団長の浅石佑次に会いに武徳伝へ行ったときと同じように、生徒会室に鞄を置いて音楽室に向かった。
 とはいえ、音楽室は生徒会室の目と鼻の先にある。図書室や放送室、視聴覚室などの特別教室が押し込まれた本校舎四階の廊下を、景吾と並んでてくてく歩く。この間のように自転車を漕ぐ必要がないだけ、まだ断然マシだった。駐輪場まで行くのがもう面倒くさい。
「練習中にごめん。このリストのことなんだけど、一応、どうして必要なのか、ひとつひとつ説明してもらってもいいかな? 教頭に変に首を突っ込んできてほしくないんだ。形式的な感じで全然大丈夫だから、ちょっと時間もらってもいい?」
 ものの十数秒で音楽室に着くと、さっそく部長の西窪なずなに話をする。なずなは教頭の名前が出ると「ああ~……」と同情のこもった相づちを返し、「生徒会も大変だねぇ」と言いながら、音楽室の隣にある音楽準備室へと、ひらりと景吾を案内した。
「一応リストの説明をしておくと、上位に挙がってる楽器であればあるほど、吹奏楽部としてはぜひとも購入を検討してもらいたい楽器になってるんだ」
 ぱかぱかと楽器ケースを開けながら、なずなが言う。
 音楽準備室は、日光の侵入を避けるためか、窓辺は黒の遮光カーテンで覆われていた。そのカーテンを開けることなく電気を点けたなずなに、やっぱり吹奏楽部員は楽器に対する意識が高いんだなと、ひらりは内心でとても感心していた。
 隣の景吾もそのようだった。
「やっぱ楽器って日光が敵なんだ?」
「まあ、あんまり過敏になる必要はないんだけどね。でも、うちの部は、そこそこ強いわりに、そんなに楽器が揃ってるってわけでもないからさ。実際のところは、みんなのマイ楽器でなんとか、って感じなんだよね。私のトランペットも親に買ってもらったものだし」
「じゃあ、わりと逼迫《ひっぱく》系?」
「うーん。そうだね、ぶっちゃけ、そうなるかな」
「そっか……。なんか、今まで無関心でごめん」
「いやいや、なにも八重樫君が謝ることじゃないじゃん」
 そうしている間も、なずなは手を休めることなく、ぱかぱかとケースを開けていく。
 四畳ほどのこの準備室にどれだけの楽器が詰め込まれているのか、生徒会では特に把握はしていないけれど、まるで子どもの知育玩具みたいな得体の知れない楽器が無造作に置かれてあったりもして、注意深く眺めていると、なかなか面白い。
「じゃあまず、リストどおりクラから説明していくね」
 リストにあるすべてのケースを開け終えると、なずなはその中からクラリネットを取り出した。細長い楽器なのでケースもそうなんだろうと、ひらりは当然のように思っていたのだが、どうやらクラリネットは組み立て式の楽器らしい。小さなケースにちんまりと収まっている各パーツが、なんだかとても可愛らしかった。
「うちの部に今あるクラはこの三本なんだけど、どれも木製で、もうずいぶん前のものだから、けっこうガタがきちゃっててさ。今使ってるクラも部員のマイクラで木製なの。これも使えるっちゃ使えるんだけど、できればプラスチックや樹脂製のものが正直好ましいんだよね。もしこれから毎年野球応援には吹奏楽も入ることになるんだとしたら、早い段階から揃えておきたい楽器になるかな。ほら、うち、強いっていっても二十五人以下のC部門での話だし。吹ける楽器が多くないと、球場で迫力も出ないでしょ」
「なるほど、確かにそうかも」
「木管パートがみんなパーカスに移ったら、金管だけだと音が弱くなる、ってことか?」
「そうだね。金管も音は大きいんだけど、野球応援のときに打楽器だらけっていうのも、吹部としては本領の発揮どころがないっていうか、見せ場がないっていうか」
「へぇ~。でも、言われてみれば」
「うん。確かにそうだな」
 景吾がリストに直接メモを書き込みながら相づちを打つ。ひらりはその横で、ケースの中に恭しくしまわれているサックスに目を移した。
 鈍い金色を放つそれは、音楽室に入ったときにちらりと見たサックスより色がくすんで見える。日常的に使われ、手入れもされているものと、そうではないものとではこんなにも違いが出るものなのか。メジャーなところでソプラノ、アルト、テナー、バリトンと種類があることくらいは、ひらりも知識として知ってはいたが、このテナーサックスは金メッキもところどころ剥げていて、素人目にもあまりいい状態ではないだろうことがうかがえた。
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