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■1.箱石が楽しければ、それでいいかな ◆箱石ひらり

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 ということで、職員室を辞したひらりと景吾は、さっそく団長に話を聞いてみることにした。団長の浅石《あさいし》祐次《ゆうじ》は、三―A、確か弓道部所属だったはずだ。弓道部は学校から少し離れた武徳伝《ぶとくでん》という体育館を借りて部活を行っている。弓道をたしなんでいた地元の有志がコーチを引き受けていて、全国大会まで行くほどの実力のある部である。
 ひらり、景吾ともに自転車通学なので、とりあえず生徒会室に鞄を置いて校門を出た。校門前の道を左に折れて、景吾が先頭、ひらりがその後ろを走る形で武徳伝を目指す。
 この地域では、桜といえば四月下旬から徐々に咲きはじめるのが常識だ。天候にも左右されるが、ゴールデンウィークの頃が一番の見頃となる。夕方とあって車通りが激しくなってきた市街地を横目に、街路樹の桜を眺める。ソメイヨシノが多く、三分咲きほどの淡いピンク色が、車のライトや夕日に染まってとても綺麗だった。
 十分ほど自転車を漕ぐと、武徳伝が見えてきた。後輪のタイヤカバーに北高のステッカーを貼った自転車がずらりと並ぶ駐輪場に、同じく自転車を停めて中に入っていく。
「あのー、浅石君、いますか?」
 手近な部員に尋ねると、彼は「おーい、浅石、お客さーん」と通る声で団長を呼んだ。ひらりたちがいるところから見て一番奥で新入部員の指導に当たっていた団長は、「おー」と返事をして、袴の裾を翻しながら小走りで駆け寄ってくる。
 弓道着は格好いいが、いかんせん団長は髪も髭も伸ばすのが伝統なので、近くで見ると、非常にむさい。部活中なので髪は後ろでまとめているが、体毛が薄いタイプなのだろう、ひょろひょろとした髭が自身の巻き起こした風圧でそよぐ様がやたらと目に付き、ひらりは一瞬だけ、そこまでして伸ばさなくてもいいじゃん、と思ってしまった。
「で、俺になにか用?」
「あっ、野球応援のことで聞きたいことがあって」
 尋ねられて、はっと我に返る。高校生男子のそよぐ髭になんとも言えない気分になっている場合ではなかった。景吾から四つ折りにされた例の要望書を開いて見せたひらりは、
「確認なんだけど、これって、今年のモノにするつもりなの?」
 どうか来年度以降に、という願いを込めて尋ねた。だって、正直言って面倒くさい。厄介事には巻き込まれたくない。内申点狙いで生徒会に入った部分もあるひらりだ。自分が会長でいる間は、できるだけ波風を立てず穏便に事を運びたい。
「え、今年のモノじゃなかったら、いつのモノになんの?」
 しかし団長は飄々と答えて首をかしげた。癖なのか、ひょろっと伸びた心許ない髭を摘まんでねじって、ねじねじにしている。ダサいからやめて、お願いだから。
「あのね、これって議題に上げても、すぐにはどうこうなる話じゃないと思うんだよね。伝統の面もあるし、学校の予算の面もある。応援団がやる気だからって、今年のモノにできるかどうかは、怪しいところだと思うんだよ。そこらへんは、ちらっと考えてみた?」
「考えたけど、吹奏楽部が外用の楽器を揃えてくれたらやるって言ってんだから、できんじゃね? バンカラと吹奏楽のコラボ応援なんて、きっと誰も見たことないだろうし」
「うん、だから、そこには伝統と予算が絡んでくるっていうのは、理解してる? 何年かかけて、じっくりやっていくんだったら話はわかるけど、二ヵ月じゃちょっと厳しいんじゃないかなって、私たちはそう思って、真意を聞きたくてここに来たんだよ」
「んー、でも、やってやれないことはないと思うんだよね。予算とか伝統とかは、俺も考えたけど、俺なんかより生徒会がうまく立ち回ってくれたら問題はないわけだし」
「……」
 だめだ、だんだんイライラしてきた。要望だけ出してあとは生徒会に丸投げとか、それだけは絶対にやめてほしい。生徒会は生徒の要望を聞き入れて立ち回る便利屋集団じゃないんだぞ、なんで発案者の代表ともあろう団長が一番のほほんと構えているのよ。タッグを組まなきゃどうにもならないから、吹奏楽部と話をつけたところは、素直に頑張ったなとは思うけど。でも、そのあとが生徒会任せって、団長としてどうなんだろう?
 ねじねじされ続ける髭を半眼で見つめながら、ひらりは内心で盛大なため息を吐き出す。県央地域ではそこそこ名の知れた進学校でもある北高に入れたくらいだから、頭の出来はいいほうなんだろうけれど、ここまで話が通じないと、バカタレと罵りたくなってくる。
「じゃあ、こうしてみるのはどうだろう。生徒総会で正式に議題に取り上げてもいいけど、そこからは浅石が中心になって頑張ってみることにしたら?」
 と、そこで話に入ってきたのは、さっきから黙っていた景吾だった。右手中指の腹で眼鏡を押し上げながら、折衷案を提示してきた。
「生徒会はあくまで中立の姿勢を貫かせてもらう。俺たちは生徒の代表だけど、生徒会なんて二十人そこそこしかいないだろ。生徒会を相手にするより、まずは何百人っている周りの生徒を相手にしないと、動かせるものも動かせないんじゃない? 今年のモノにできるかどうかは、浅石たち応援団の熱意をどれだけ伝えられるかにかかってると俺は思うよ」
 上から目線だったらごめん。そう最後に付け足した景吾は、ちらとひらりを見て、それから団長を見た。景吾には前にちらっと口が滑ってしまったことがある。生徒会は内申点狙いの部分があると。引かれるかと思ったが、景吾は「別にいいんじゃない?」と言っただけで、その後も特に変わりなくひらりと接してくれている。景吾が厄介事を嫌がるひらりの心を読んで、うまく団長を焚きつけようとしてくれているのは明白だった。
 あとは、団長がこの手に乗ってくれる単純な男かどうか、というところだが……。
「あ、そっか。そうだよなー。そういえば、吹奏楽部には話はつけたけど、野球部にはまだなんも話してなかったわ。応援されるのは野球部なんだから、野球部がぜひやってほしいって言ってくれない限りは、俺たちがよくてもだめだもんな!」
 ぽん、と手を打ち、団長が言う。
 そこからかよ! というツッコミを寸でのところでこらえたひらりは、
「じゃあ、野球部とも話し合って、あとで教えてくれる? 私、三―Dだから」
「お、バリバリの進学クラスじゃんか。会長すげー。じゃあ、明日にでも行くわ」
「よろしくね」
 ねじねじしながら頷く団長にクラスを教え、景吾とともに武徳伝を辞することにした。

 *

 また十分の道のりを自転車で引き返す頃には、外はすっかり暗くなっていた。春の日暮れは、まだまだ早い。吹く風も冷たく、制服の首に入ってくる風が薄ら寒かった。
 再び生徒会室に入ると、ひらりはたまらず聞いた。
「どっちに転ぶと思う?」
「団長か?」
「そう。めちゃくちゃ燃えるか、途中で面倒くさくなるか、八重樫はどっちだと思う?」
 通学鞄にしているナイキのリュックを背負いながら、景吾が眼鏡の奥からひらりを見つめた。景吾に見られると、生徒会に入った目的をうっかり話してしまった手前、なにかと探りをかけられているような気がして、なんだか妙に落ち着かない。本人にはまったくそのつもりはないのだろうが、心の奥を覗かれている気分だ。
「俺は……そうだなあ。箱石が楽しければ、どっちでもいいかな」
「え、私? なにそれ」
「応援団に振り回されるも一興、穏便に任期を終えるのも一興、ってところ」
「意味わかんない……」
 しかし景吾は、曖昧なことを言って口の端に微笑をたたえた。曖昧さは日本人の美徳とするところのひとつではあるが、こういうところで美徳を発揮されても困る。はっきりしない男ほど女子の気が冷めるものはないと思う。景吾にはどうも、そういうきらいがある。景吾のこういうところを見るにつけ、ひらりはいつも煮え切らない思いを抱え込まされる。
「別に意味わかんなくていいよ。どうせ俺、E組だし」
「悪かったわね、たかだかD組で」
 ちなみにE組は理系志望のバリバリの進学クラスだ。ひらりはどうも数学や物理、化学が苦手で、いい大学に進学したいが、文系クラスにした。僻みでも妬みでもないが、文系クラスだってめちゃくちゃ楽しい。そりゃ、科学者や医者にはなれないかもしれないけれど、国語学者や小説家や、なんかこう、いろんなものになれる。そういうのを目指して文系クラスをとった子だっているんだから、あんまりバカにしたような言い方はしないでほしい。
 ツンとそっぽを向くと、はははと景吾が笑った。鼻にかけるような笑い方ではなかっただけ、まあよしとするか。理系と文系がソリが合わないのは、今にはじまったことじゃない。
「じゃあ、お先に」
「うん。また明日ね」
 おう、と軽く片手を上げて景吾が先に生徒会室を出ていく。鍵の管理は会長の役目だ。窓の鍵がかかっていることを確認すると、カーテンを引いて部屋の電気を消し、生徒会室の鍵をかける。戸を引いてしっかり鍵がかかったかを確かめるのも、忘れてはならない。生徒会では、文化祭のときなどお金の管理もする。確かめすぎなくらいがちょうどいいのだ。
「さて、どっちに転ぶかなあ……」
 あの様子だと、ほとんど確実に団長はやる気になっただろう。でも、難しいことは生徒会に丸投げしてくるくらいだから、うまくいかなくなってきたら諦めるかもしれない。そうなったら、この議案は後期生徒総会や来年度に持ち越しになる可能性もある。早々に立ち消えになる場合だってあるだろうし、文化祭までが三年生の任期だから、もしかしたら、これからどうしたらいいんだろうと、あんまり難しく考えることもないかもしれない。
 そんなことを考えながら、すっかりひと気が消えてしーんと静まり返った廊下を職員室を目指して歩く。帰る前に鍵を返さなければならない。綿貫先生にも、現段階での様子を報告しなければならないし、内申点狙いだが、会長の仕事もなかなか骨が折れる。
 そうして職員室で鍵を返し、綿貫先生への報告を終えると、ひらりは三度自転車に乗り、その足で塾に向かった。今年はいよいよ高校三年生だ。受験勉強には早くから本腰を入れたほうがいいと思い、両親に頼んで四月から塾に通わせてもらっているのだ。
 しかし塾では、ひらりは思ったように授業が頭に入ってこなかった。ここ数日、頭を悩ませてくれる応援団からの要望と、団長の感触、景吾の曖昧な日本語が頭の片隅にこびりついて、なかなか集中できない。自ら志願したのに、なんということだろうか。
 ふるふると頭を振って応援団絡みのことを頭から追い出そうとする。けれど、どうにも上手くいかなくて、小さなため息ばかりが口からこぼれていった。
 もしかして私、八重樫に試されてる? でも、なにを?
 その疑念は、一向に晴れなかった。
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