就職したらお掃除物件に放り込まれました

白野よつは(白詰よつは)

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■3.三佳とタヌキの神隠し

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『もう! やっと繋がったわ! いい? 三佳。今年のお盆休みは必ず帰ってきなさい。ほっときゃあんた、盆も正月も帰ってこないんだもの。お父さんやお母さんに顔を見せたらどうなの? だいたい、普段もこっちから連絡してもメールで【元気】って済ませるばかりで! お母さんたちがどれだけあんたの心配をしてるか、少しは考えなさい!』
「は、はい……」
 光葉と微妙な御寺巡りをした、週明け月曜日。
 事務所の壁時計が昼十二時の時報をポップな音楽で報せると同時、鞄の中で三佳のスマホがブーブーと震えた。誰よ、せっかちだなぁと思いながらスマホを手に取ると、画面には【母】の文字。そういえば土曜日あたりから何度か電話をもらってたっけ……と、やや気まずい思いで通話ボタンをタップすると、冒頭のやり取りが待っていた。
 つい二日前、もうすぐ盆休みだなと思った手前、タイムリーな話ではある。けれど、昼休みになると同時に電話をかけてきたということは、向こうはかなり怒っているということだ。
 朝は出勤の準備で忙しく、夜は夜で連絡がつくかわからない。向こうも仕事をしている身だ。となれば、必ず捕まえられる時間は、昼休みに入った直後しかない。
『お母さん、そんな冷たい娘に育てた覚えはないわ!』
「……はい」
『じいちゃん、ばあちゃんだって、あんたの顔が見たくて長生きしてるようなもんなんだから! 可愛がってもらった恩を仇で返すとは、このことさね!』
「はいすみません、必ず……」
『決まってるわね!』
 面倒くさがらずに折り返せばよかったよぉ……と遅すぎる後悔に身を縮めながら、三佳は母の止まらぬ小言に相づちを打ち続ける。ちらりと早坂をうかがうと、彼は電話に出るなり平身低頭しだした三佳にどうしたのかと目をパチクリさせたあと、ははあ、と合点がいった様子で自分の腕を抱き、大袈裟にブルリと身震いしている。
 どうやら三佳の様子から、頭の上がらない相手からの電話だと察したようだ。三佳の年齢だと、おそらく家族からのものだろうとも、わかったようである。時期も時期だ。〝お盆休み〟のキーワードこそ出ていないものの、帰省の催促だと早々に気づいたらしい。
「いやはや……これは取り殺されるより恐ろしいかもしれませんね」
 それから数分、母親からたっぷり小言をもらい、げっそりした様子でスマホを耳から離した三佳に、触らぬ神に祟りなしといった様子で笑いながら、早坂が茶化す。
「もう! 笑わないでくださいよ。こっちは寿命が縮まる思いなんですから」
「でも、家族っていいものなんでしょう? さしずめ、お盆休みは帰省しなさいというお話でしょう。こうして小言をもらっているうちに顔を見せに帰ってあげてください。それだけ野々原さんのことを案じているってことなんですから」
「うう……はい……」
 しかし、そうまで言われてしまえば、三佳には返す言葉もなかった。
 取り立てて休みの計画を立てていたわけでもなければ、光葉とどこかへ出かける予定もない。したがって、帰省の荷物さえまとめれば、すぐにでも実家へ帰れる。
 それに、早坂の言うことは至極当然だった。そもそも、忙しさにかまけて親からの連絡をついついないがしろにしてしまっていた三佳が悪いのだ。今までの親への態度を顧みれば、有無を言わさず強制帰省を命ぜられるのも、小言を言われるのも、納得の結果だ。
「でも、所長は? 今年のお盆休みは、なんだかんだで十日もありますよ? 旅行に行くならいいかもしれませんけど、まさか十日間もうたた寝しっぱなしってわけにもいかないでしょう? 何かしら計画を立てないと、ちょっとキツいんじゃないでしょうか」
 家族っていいものなんでしょう? という言葉に少し引っかかりを覚えつつ、三佳は、自分が実家に帰っている間の早坂の生活に一抹の不安を覚えてならなかった。
 今年の盆休みは、カレンダーの並びが素晴らしいことになっており、人によっては二週間の盆休みを取れるようになっている。そして早坂は、隙あらばソファーでべったりとうつ伏せになり、昼寝をする人だ。先ほど指摘したとおり、そんな十日間ではさすがの早坂も暇を持て余してしまうのではないかと思うのだ。たとえ、昼寝が至福の時でも。
「それなら心配ありませんよ」
 すると早坂は、目を細めてにっこり笑った。
「へ? そうなんですか? じゃあ、どこか旅行でも?」
「ええ、そんなところです」
「へぇ。ちなみに、どちらへ?」
「それは秘密です」
「……ケチ。じゃあ、お土産、期待してますね」
「聞こえてますよ。お土産、半分にしようかな」
「わあわあ! すみません今のナシです!」
 話しても別に減るものでもないと思ったが、まあ、どこに行くとか聞いてもしょうがないし、と思い直した三佳は、慌てて「ケチ」と口が滑ったことを撤回すると、早坂のお土産だけ期待して待っておくことにした。ほんの出来心だ。本心ではない。
 となれば、こちらはこちらで十日間の休みを満喫しようと思う。
 早いもので、入社してかれこれ四ヵ月が経った。久しぶりに仕事のことを忘れてのんびりできる時間が目の前に待っているのだ。余計な詮索はせず、実家でゆっくり羽を伸ばしてリフレッシュするのが、有意義な時間の使い方というものだろう。
「ふふふ……」
 ただ、早坂の妙な笑い方が微妙に怖い三佳だった。

 *

 そうして、盆休み初日。
 いつものように、うたた寝をする早坂の傍らで休み前の仕事を片付けた三佳は、その日のうちに夜行バスに乗り、実家のある宮城は仙台せんだいまで帰った。
 仙台は、東北一の大都市だ。戦国武将で知られる伊達政宗だてまさむねに、青葉城址あおばじょうし伊坂幸太郎いさかこうたろう原作の『ゴールデンスランバー』、『重力ピエロ』など、仙台を舞台にした映画も多い。
 東北人なら一度は遊びに行ってみたい都市なのではないだろうか。
 夏の夜空を盛大に彩る仙台花火大会に、七夕まつり。冬は定禅寺じょうぜんじ通りのケヤキ並木を大々的に電飾で飾った、仙台光のページェントというイベントもある。そういえば、定禅寺通りジャズフェスティバル、なんていうものもあった。それに、仙台銘菓で知られる萩の月や白松が最中は、ほっぺたが落ちるくらい美味しい。八木山やぎやま動物園にも、両親にせがんで何度も足を運ばせてもらった思い出がある。サル山のサルたちは元気だろうか。
 そんな仙台は、ほどほどに都会で、でも、ほどほどに田舎でもあって。駅周辺の中心市街地から少し離れただけで、広大な田園風景や畑が見られる。
 三佳の実家は、そんな田園風景が美しい、仙台市郊外にあった。仙台駅からローカル線に乗り換え、三十分。カラコロとキャリーケースを引きながら、のどかな空気がそこかしこから漂う駅舎を出ると、「三佳!」と母親の瑞恵みずえが片手を上げて名を呼んだ。
 もうすぐ五十歳らしくふっくらとしてきた体型は、年相応の健康を象徴している。ほどよく日に焼けた顔は、タレ目気味の丸い目に、ちょっとだけ低い鼻、輪郭はつるりとした卵型と、当たり前だが三佳とよく似ていて、ぶわりと懐かしさが込み上げる。
「歩いて帰れる距離なんだから、迎えとか別によかったのに……」
 とか言いつつ、久しぶりに会った母に、三佳は照れくささを隠せない。
 思えば、直近で帰省したのは大学四年になる際の春休みだったように思う。その年の休みという休みは就職活動にすべて充て、エントリーシートを書いたり逐一変わる就職情報を追ったりしているうちに、いつの間にか終わってしまっていた。
 だが正直、実家に帰っている場合ではなかったのだ。せっかく東京の大学に行かせてもらったのに卒業後はフリーターなんて、絶対になりたくなかった。その甲斐あって無事に就職でき、笑顔で堂々と凱旋帰郷……というわけだけれど、実際は母親にせっつかれて久しぶりに地元の土を踏み、なんとなくこそばゆくて目も合わせられないのが現実だ。
「んまあ、照れちゃって」
 そんな三佳を見て、母は嬉しそうに、はにかむ。なんだかんだ言いつつ、母も母で三佳に会いたくてたまらなかったようだ。真っ赤な軽自動車の後部座席に三佳の荷物をポイポイ放り込むと、運転席に回りドアを開けながら、「早く乗りなさい」と促した。
 そうして車で三分ほどの距離を帰り、久しぶりの実家に到着した。家では父の誠一せいいち、七十代後半の祖父の源治げんじに、ちょっぴり姉さん女房の祖母・ミツという野々原家総出でのお出迎えとなり、三佳は荷ほどきも早々に茶の間でスイカを食べさせられる。
「仕事はどうだ?」
「もう慣れたか?」
「いつも東京の天気ばかり気にしとるよ」
 などと父たちから声が飛ぶ中、三佳は長距離移動や暑さに疲れた体に冷えたスイカを補充しながら「だいひょうふ、楽ひいし、所長もおもひろい人だよ」と答える。
 祖母は東京の天気ばかり気にしていると言ったが、それは三佳だって同じだ。毎日、全国の天気予報を見るたび、宮城の天気を一番に気にしている。大学から東京に出て、ずっとだ。
「おばあちゃん、それ、私も一緒。宮城の天気ばっかり気になっちゃう」
 シャリシャリと歯ざわりのいいスイカを飲み込み、祖母のミツに笑みを向ける。「そうかい」とコロコロした笑みを返す祖母の目は、少し潤んでいるようにも見えた。
 その目に三佳の胸は否応なしにツキンと痛む。これからは、実家からの連絡をマメに取ろう。何もなくても、こちらから元気な声を聞かせてあげよう。
 その日はそれから、久しぶりに見る地元のローカル番組やニュースに、帰ってきたんだなぁ……としみじみ感じ入ったり、慣れ親しんだ家の味に舌鼓を打ちつつ床に就いた。
 実家周辺の気候は、田んぼが広がっていることもあって朝夕は涼しく、薄手のカーテン越しに開け放った窓の網戸から入り込む夜風は、まるで天然のクーラーだった。
「久しぶりに帰ってきたんだから、今夜はとことん飲め、飲め」と父や祖父にひっきりなしにお酌をされ、ふわふわと熱を持った体には、この夜風はとても有難い。
 順調に育った稲が揺れて葉と葉がカサカサと擦れる音、カエルの大合唱に、夏の虫の声、ときおり山のほうで鳴く野鳥の声など、耳に懐かしい音を聞きながら二階ある自室のベッドの上でタオルケットにくるまり十数分もすると、三佳は心地いい酔いと昨夜からの移動の疲れも手伝い、早々に深い眠りの中に落ちていった。

 しかし、数時間もしないうちに、三佳の目はふと覚めてしまった。
『なんだか居心地が悪いなぁ。変にソワソワするよ』
『でも、ずっとここにいるわけじゃないでしょう? 帰省って言ってたし』
『だからって、その間、ぼくらの居心地が悪いのは、やっぱり嫌だよ』
『そうだ、そうだ。ここはぼくらの家だ。なんでぼくらが我慢しなきゃいけないの?』
『そうは言ってもねぇ……』
 夢うつつながら、そんなヒソヒソ声が天井から聞こえてきたような気がしたのだ。
 子どもふたりの不満げな声と、それを困った様子で宥めるお母さん、といったところだろうか。どうやら自分のことを言われているらしいとは思うものの、三佳には彼らに居心地の悪い思いをさせているつもりはないし、そもそもここは私の家だと主張したい。
 第一、野々原家には子どもは三佳しかいない。しかも、成人済みの。母親だって瑞恵ひとり。あとは祖母のミツだけだ。だから、小さい子どもも、その母親も、野々原家にはいるはずがないのだ。そもそも、声が聞こえてくる場所がおかしい。
なんなんだこれはと思いつつ耳をそばだてていると、
『とにかく、しばらく様子を見ましょうよ。あの子が帰るまでの辛抱です。それに、迂闊なことはできないわ。だって、あの子に憑いているもの……』
『……う、うん』
『そうだね、わかったよ、お母ちゃん』
 その声を最後に、天井はびっくりするほど静かになった。
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