就職したらお掃除物件に放り込まれました

白野よつは(白詰よつは)

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■1.空き家の幽霊と切り裂かれたお守り

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 とはいえ、三佳が気に病んでも仕方がない。
「何かものが残っていないか、少し抽斗ひきだしの中を見せてくださいね」
 さて、と軽くももを叩き、仕事に取りかかる。まずは線香台の抽斗からだ。
 しばらく使われていなかったため、やや苦労して抽斗を開けると、やはり中身は空っぽだった。もう一つの抽斗の中を見ても、こちらも同じ。仏壇のほうも念のため確かめてみたが、やはり残っているものはなく、中は空っぽだった。
「じゃあ、次は台所を見せてくださいね」
 所長の早坂がご家族から事前にうかがった話では、台所こそ、ものの整理や掃除をしてほしいとのことだった。タヌキやイタチなどの仕業なのだろう、しばらくぶりに掃除に来るたびに台所の汚れが一番ひどくなっている、というのだ。
 台所をひと通り見回して、なるほど、と三佳も思った。流し台にはところどころ土や砂が溜まっていて、床もジャリジャリしている。食器棚に残ったままの食器の上にも、小動物が侵入した際に舞い上がったのだろう砂粒がそこかしこに見て取れた。
 切ないな……と三佳は思う。使う人がいなくなった〝もの〟たちは、こうも本来の役割を果たせないまま、薄汚れていってしまうものなのだろうか。
 この仕事をはじめて一ヵ月と少し、何度か空き家の掃除に行ったことがあった。キヨさん宅は定期的に掃除に来るご家族がいるおかげで、何年もほったらかしになっている家より断然綺麗だ。でも、どの空家にも共通するのが、空家独特の空気の重みと、持ち主がいなくなった〝もの〟たちから発せられる声なき悲しみのようなものだ。
 それを処分するのは、三佳はいつも気が重くなる。いくら仕事とはいえ、使われていた〝もの〟そのものを手に取ると、かつてそれらを実際に使っていた人のことを、どうしても考えずにはいられなくなってしまうからだ。
 それを早坂は、野々原さんの長所であり短所ですね、と相変わらず見目麗しい顔と泉が湧き出るような澄んだ声で言う。どうやら、何事にも肩入れのしすぎはいけない、ということのようだ。実際、そのせいで三佳は、この短いキャリア(と言うのもおこがましいのだけれど)の中で、何度も危ない目に遭ってきた。けれど。
「まだまだ使えるのに、もったいないよね、やっぱり……」
 食器棚から皿を一枚手に取ると、溜まった砂埃をそっと払いながら、今回もまた性懲りもなくキヨさんの持ち物であったそれらに肩入れしてしまうのだった。
 と。
「ううっ……急に肩が……」
 両肩にズシンとした重みを感じ、三佳は皿を手にしたまま床に膝をついた。上からぎゅうぎゅうと押さえ込んでくるような激しい重みに、砂だらけの床がみるみる迫る。
 さっきの靄から感じた圧力とは明らかに違うものだった。例えるなら、大きな石でも乗せられているような、あるいは仏壇でも覆いかぶさってきたような――。
「って、ウソでしょ!?」
 なんとか振り返るや否や、目前に迫ったものに三佳は目を瞠った。どう見ても仏壇だ。仏壇が、三佳を押し潰さんばかりにぐいぐいとこちらに倒れ込んできている。
 いつの間に移動したのだろう。というか、ほんの数瞬前までは、ただぎゅうぎゅうと押さえ込まれている感覚だけだったのに、三佳が〝まるで石や仏壇〟と具体的に連想してしまったためか、家の中にある仏壇が実際の質量を伴って三佳に襲いかってきたようだ。
 はっと気づいたその後ろ。仏壇の向こうには、さっきの靄の姿も見えた。果たしてこれはどういうことなのだろうか。三佳の希望も多分に含むが、新人の三佳に気を使って姿と気配を消してくれていたとばかり思っていただけに、驚いて目を剥く。
 仏壇の後ろでゆらゆらと揺れている靄は、オロオロしているようにも見えるが、見かたによっては、それいけ! と仏壇をけしかけているようにも見える。仏壇に意思があるのかはわからない。ただわかるのは、靄は意思疎通が可能だということだ。
 もし前者だとするなら、実際にはなんの助けにもならないが、自分で助かろうという気合いは入る。オロオロしているということは、三佳の身を案じてくれている証拠だ。助かったら、まず靄に聞くのだ。なんで仏壇が襲ってくるんですかと。
 もし後者だとするなら……やはり申し訳程度に残った家財道具を総動員して三佳をこの家から追い出すつもりないし、ここで殺してしまおうという魂胆だろうか。
ぜひ前者であってほしい。そう切に願う三佳の頭の中で、早坂の声がこだまする。
 ――ものに肩入れしすぎるのは、野々原さんの長所であり短所ですね。

「でも、そのおかげで、満を持して僕の出番となるわけですが」

 するとふいに、三佳は仏壇の重みから解放された。と同時に、なぜかカメラのシャッター音のようなものも聞こえた。とりあえず後者は聞かなかったことにして、
「早坂所長!」
「ああ、なんて素敵な這いつくばりかたでしょう。野々原さんでなければ、こんなにも見事な姿にはなれませんよ。よく耐えてくださいました、あとは僕に任せてください」
「……、……」
 思わず歓喜に打ち震えた声を上げたものの、三佳は頬を引きつらせて絶句した。
写真を撮る暇があるなら、頼むから助け起こしてほしい。角度を変えながらカシャカシャとスマホに三佳の姿を収める早坂の顔は、見事に恍惚としていた。
 果たしてこれは褒めているんだかけなしているんだか……。いや、一心不乱に写真を撮りながらオッドアイの瞳を輝かせ頬を上気させているところを見ると、褒めているというよりは感動や興奮が勝っているようだけれど。でもまあ、早坂が登場したなら安心だ。
 三佳はこの際、ピースサインでもしてやろうかと思いながら、うつ伏せに伸びたカエルの体勢のまま、なんとか首を持ち上げて早坂を見た。言動や行動はなかなか残念だが、ほぼ真下から見上げる早坂も美しいのだから、ほとほと参る。
 陶器のようにスルリとした白い肌、スッと通った鼻筋。反して髪は緩やかなウェーブがかった漆黒色。その頭に乗るは、同じく漆黒色のシルクハット。の上にちょこんと生えた、銀色のピンと尖った耳。胸元をざっくり開けて着ているのは、これも黒の着流しだ。足元は素足に草履。お尻の部分から覗くのは、ふさふさの銀毛に包まれた長い尻尾。
 オオカミを彷彿とさせるその姿は、何度目にしても見惚れてしまうのだ。
 そう――たとえ早坂の別の姿が〝もののけ〟であったとしても。人間ともののけ、半々になった戦闘モードの早坂もこれはこれで美しいのだから、どうしようもない。
「さて。この二体の霊をどうしましょうかね」
 懐に腕を入れ、もう片方の手を顎に添えた早坂が、スッとオッドアイをすがめた。銀毛の尻尾が左右にゆらゆら揺れている。犬でも猫でも、これは嬉しいときや楽しいときにする仕草だ。早坂はオオカミのもののけなので、犬科だ。実に楽しそうだ。
 見上げるその表情はどこか残酷めいたものを感じないでもないけれど。でも、霊を屈服させるにはそれ以上の強い力が必要だというから、それも仕方がないのかもしれない。
 現に三佳は、一ヵ月と少しのキャリアながらも、危ないところを何度も早坂に助けられている。オオカミの早坂は強い。それは実際に助けられた三佳が一番よく知っている。
「……あの、所長。滅するのだけは、やめてあげてもらえませんか?」
「なぜ?」
 お願いすると、早坂のオッドアイが三佳を捉えた。ゾクリと全身の毛が粟立つほど冷淡なその瞳で見つめられると、何度か目にしてきた三佳でも一瞬、身が竦む。
「だって、この靄さんは、私がぺーぺーの新人だって知って、気を使って姿と気配を消してくれたんです。仏壇だって、キヨさんのご家族が今住んでいる家にはスペース的に置けないから仕方なくここに置いておくしかなくて。それに食器類も、捨ててしまうのは忍びないから、そのままだと思うんです。ちょっと仏壇に押し潰されそうになったくらいで、それに憑いている霊を滅してしまうのは、あんまり可哀そうじゃないですか」
 しかし三佳は、淀みなく言い切った。
 普段は温厚な早坂の唯一の恐ろしいところは、霊という霊をすべて滅してしまうところだ。浄化でも浄霊でもない。跡形もなく消し去ってしまうのだ。
 そりゃ、中には怨念や愛憎にまみれた、俗に言う悪霊や、それらが寄せ集まってさらに強大になったものもあるだろう。憑かれてしまえば、人体や精神に常識では考えられないようなとんでもない悪影響を及ぼしたりもする。それは、わかっている。
 でも、三佳に同情してくれた靄のように、話のできる霊に関しては温情を。どうか成仏の方向で事を運んではもらえないだろうかと、三佳は思うのだ。
 このとおり、霊がいれば、もののけだっている。早坂は、不採用続きの三佳を『早坂ハウスクリーニング』の一員として温かく迎え入れてくれた恩人だ。そんな血も涙もある早坂が、わけも聞かずに霊を滅してしまうなんて、やっぱり受け入れがたい。
 霊がすべて悪いものだとは、言い切れないと思う。――少なくとも、三佳には。
「じゃあ、あのまま仏壇の下敷きになるつもりだったと? いいは撮れましたけど、僕の助けがなかったら、そんな状態でどうするつもりだったんですか」
「も、靄さんは、オロオロしてくれましたもん!」
「オロオロするだけで何もできないのに?」
「そこは、ほら……応援的な? 実態がないぶん、応援の力はすごいんです!」
「でも、全然抜け出せてませんでしたよね?」
「う……。そ、それは……これから本気を出すところだったんですよ。はじめたバイトはことごとくすぐにクビになっちゃうし、就職活動も空振り続きでしたけど、昔からけっこうな不幸体質なだけあって、何度踏まれてもしぶとくへこたれない精神力だけは人並み以上に鍛えられてきましたから。私が本気を出したら、仏壇くらい、えいっ! ですよ」
「話になりませんね」
「そんな……!」
 けれど早坂は、三佳の必死の説得をあっさり一蹴する。
 そりゃ、そうである。後半はなんとも苦しい説得……いや、言い訳だ。三佳自身も正直、オロオロしてくれたと言ったあたりから、こりゃダメだと思っていた。実際にはまだ体が言うことを聞かずに身を起こすことさえ難しいというのに、そんな三佳のどこに仏壇を跳ねのける力が残っているというのか。まるっきりアップアップだったではないか。
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