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■9月20日(水)

大垣朱夏 1

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朱夏しゅか!」
 セッターの朱里あかりからの苦しいトスに応えるように、大垣おおがき朱夏も苦しい体勢からのアタックを渾身の力で打ち込んだ。ネットに大きく当たってバウンドしたバレーボールは、幸運なことに向こうコートへと落下をはじめ、両足で続けざまに着地をしたときには、とん、と軽い音を立てて体育館の床を跳ねた。
「ごめん、朱夏、ありがと」
「いいよいいよ」
 顔の前でごめんとジェスチャーしながら申し訳なさそうに謝る朱里に、朱夏はにっかり笑って彼女の背中にぽんと手を当てる。華奢で小さい背中を自分の腕力で痛めつけてしまわないように、その力加減も忘れずに。
「もう一本!」
 中腰姿勢を保ちながらお腹から声を出し、士気を高めるためにパンパンと手を叩く。なんとか得点が決まってほっとした様子だった朱里も、すぐに気を引き締めた顔で小さな背中の裏で攻撃のサインを出しはじめた。
 今は紅白戦の真っ最中だ。
 一年二年の部員が入り乱れて組まれたチームは、インハイ予選で敗れた三年生が引退してからまだ三ヵ月弱では、どちらもバタバタする感がある。夏休みの合宿を経てだいぶまとまりが出てきたように感じていたけれど、ラリーが続いたり相手チームが波に乗って防戦一方の展開になったりすると、とたんに浮き足立ってしまうのが、新体制となって日が浅い蓮高女子バレー部の大きな課題だ。
 ぽーんと打たれたサーブが背後から真っすぐに向こうコートへ伸びていく。サーブでなんとか崩して単調な攻撃にさせたいところだけれど、一年のリベロに綺麗にレシーブを上げられてしまい、朱夏たちのいるコート内には、にわかに緊張が走る。
 また朱里の上から打たれたら、拾うのに苦労する。頭ではそうはわかっていても、朱里はまだ前衛にいるからどうにもならない。
 案の定、ブロックの位置が低い朱里の上を狙って打たれたスパイクは、後衛が拾いきれずに太く硬い音を立てて床に突き刺さる。向こうコートではわっと笑顔が弾け、こちらコートでは、もう何度言ったかわからない「ドンマイ!」が、カラカラと空回りする。
 全国大会出場が当然、というような強豪校ではないけれど、蓮高女バレ部にだって目標はある。――せめて一勝。一勝が欲しい。
 公立校では選手が揃わないことも、口には出さないけれど、みんなわかっている。それでも今年は、百七十二センチというチーム最高身長の朱夏をはじめ、そこそこ高身長の選手が揃った。公式戦での一勝を実現するなら今の代が一番、その目標に近いだろう。
「ドンマイ、ドンマイ、一本で切ろう!」
 再びお腹から声を出し、滴る汗をTシャツの肩口で拭う。隣では朱里がすっかり委縮しきった様子で攻撃に転じた場合の攻撃パターンを必死に組み立て、サインを出している。
 さっきからこんな展開が続いていた。
 朱里の上からスパイクを狙われるのはわかりきっているのに、それに対応できない自分が、ひどくもどかしくて仕方がない。
 チーム最高身長なのに。名前に同じ〝朱〟が入っているのに。小さくて可愛い朱里を騎士ナイトのように守るのが私の役目なのに。
 ……全然なにもできない。
「朱里、あと一回サーブ権がくればローテが回るから。次は朱里のサーブでしょ。さっきから声出てないよ! 元気出していこう!」
 せいぜい、そう声をかけるのがやっとだ。そんな自分に朱夏はまた、胸の奥に焦燥感とも焦りとも似た感情をそっと溜め込む。
 それでも朱夏のその声ではっとしたように朱里が頷いてくれる。それと同時に短く笛が吹かれ、サーブが打ち込まれる。
「朱夏!」
「任せて、朱里!」
 しっかり朱里に返ったレシーブからのトスを受けた朱夏は、気持ちいいスパイクがなかなか打てていないフラストレーションや、狙われ続ける朱里の逃げ出したくなるような気持ちを振り払うように、ネットの上から思いっきり腕を振り下ろした。

「今日は……ていうか、いつもだけど、ごめんね。全然気持ちよく打てなかったよね」
 練習後、とっぷりと日が暮れ落ち、街灯がまばらに灯る校門前の坂道をゆっくりと下っていると、ともに自転車を押して歩いていた朱里がしゅんと俯き、ぽつりとこぼした。稲刈りを待つばかりとなった、今年もたわわに実った稲が、すっかり暗くなった中でカサカサと優しげな音を立てて風に吹かれる。
「なに言ってるの。朱里はそのままでいいんだよ、飛べてないわけじゃないもん。正セッターなんだから、もっと胸を張る、張る!」
「でも……」
「ほら、元日本代表の竹下たけしたさんだって、朱里と同じくらいの身長じゃん。ほかのチームにだって朱里と同じくらいのセッターもいるんだし、全然気にすることないよ」
 ぐっと握り拳を作って笑いかけながら、自分との身長差が浮き彫りになるような励ましを口にする。本当はダメージが半端ないけれど、朱里と一緒になって落ち込むなんてキャラじゃないし、なにより新チームになってから正セッターを任されるようになって、ますます自分の身長を気にしだしてしまった朱里をなんとかして元気づけてあげたい。
「大丈夫、大丈夫! 問題ないって!」
 朱夏は自転車のハンドルを握る手に力を込め、ここのところ、ずっと落ち込んでばかりの朱里を励ますことに徹することにする。チクチクと痛む胸なんて気のせいだ。
 朱里――橋本はしもと朱里は、かつて天才セッターと称された、バレーボール元日本代表選手・竹下佳江よしえより三センチ低い百五十六センチだ。朱夏との身長差は十六センチ。カップルなら彼女がヒールを履いても見栄えのする身長差だが、あいにく朱夏は百合ではないし、なにより自分より小さい男子に恋をしている。
「そう……かな」
「そうだよ。開き直るくらいが、相手を油断させられるから、ちょうどいいんだって。朱里のトス、本当に打ちやすいし。そこをガンガン伸ばしていったら、大丈夫だから」
「……うん。朱夏がそう言ってくれると、ちょっと元気出るね。ありがと、頑張る」
「うん」
 正反対ではあるものの、朱夏も朱里も、身長コンプレックスを抱えている。
 バレーボール選手としてはそこそこ及第点の身長と、競技を続けるならリベロ向きと言わざるを得ないような、小さな身長。女子としてはデカい女と、小さくて可愛い女の子。どちらがどうとは言えないけれど、それぞれに悩みの種であることは確かである。
「あ、ねえ、そういえば、あと十日で夜行遠足だね。朱里は誰かにお守り渡す?」
 カラカラとペダルの音を響かせながら、話題を変えてみる。わざとらしいかなとは思ったけれど、それ以外に思いつかなかった。それに夜行遠足は、蓮高生にとって体育祭や文化祭、その他学校行事の中で一番テンションが上がる行事だ。カップル成立率はどの行事よりも高く、こんなにデカい女ではあるけれど、どうにも胸がキュンと疼く。この時期になると避けては通れない話題のひとつだ。
「そういう朱夏は? 同クラでバド部のみなとと仲いいじゃん。朱夏こそ、どうなの?」
 最近は落ち込んでばかりいる朱里も、夜行遠足と聞いてテンションが上がったらしい。さっきまでは自信なさげだった顔が急に華やぎ、鋭いのか、ただ感じたままを言っているのか、朱夏の想い人の名前を口にした。
「ええー、湊ぉ?」
「うん。ぴったりだと思うんだけど」
「ないない。だって私よりチビだもん。それにヒョロいし。もっと背が高くて、がっしりした人がいいよ。筋肉欲しいな、そこは」
 心の中とは裏腹に、眉間に思いっきりしわを寄せて顔の前でぶんぶん手を振る。片手ハンドルになり、前カゴに入れているエナメル素材のスポーツバッグの重みで、自転車がぐらりと蛇行気味になった。慌ててハンドルを握り直し、不思議そうな顔で「……え、そうなの?」と尋ねる朱里に「そうでしょ」ときっぱり、はっきり肯定する。
 自分より小さい男子に恋をしてしまったなんて、いくら相手が朱里でも、そう簡単に打ち明けられることじゃない。
 第一、デカい女の恋バナなんて、ちっとも可愛げがないじゃないか。可愛らしいサイズの朱里ならともかく、誰が私の恋バナなんて聞きたいんだ? 朱夏は、ふっと鼻から自嘲気味な息が漏れそうになるのをこらえ、いまだ不思議そうな顔の朱里に笑う。
 バレーをやっているときは、もう少し身長が欲しいといつも思う。大会には朱夏より大きい選手なんてゴロゴロいる。でも、女子高生としては、やっぱり普通にデカすぎる。自分でも制服のスカートのあまりの似合わなさ加減に毎朝げんなりするくらいだ。
 普通に恋をするには、やっぱり朱里くらいの身長がちょうどいいんだよなあ……。
 隣の朱里をちらりと見て、朱里の目線から見える世界を想像する。きっとちょっと地面が近いだろう。ちょっと空が高いだろう。湊のことも、ちゃんと見上げるだろう。
「ちょ、朱夏、言いすぎだって。でも、お互いに室内競技だから、年中、白いんだけど」
 そう言ってクスクス笑う朱里の頭頂部を背伸び知らずで悠々と見下ろしながら、どうにもしようがない自分のデカさと朱里の可愛らしさに、同時にまたチクリと胸を痛める。
 朱里は手芸も似合うだろうし、男子はみんな自分より大きい。ショートカットしか似合わない朱夏とは違い、普段は下ろしている長めの髪も、柔らかそうで、サラサラで、いい香りまでして、とぅるんとぅるんだ。
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