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■第三話
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で、現在――。
「いや、親友が世話になってんだ、挨拶くらい、させてくれてもいいべよ」
「いやいや、それだけで済まないから止めてんだって」
「そんなにアレな人なの?」
「そこまでってこともないけど……」
「じゃあ、別にいいべ」
「そういう問題でもないんだよっ」
面白くない顔をする和真を陽史は必死で止める。
あれから何度か、和真からは芳二に会ってみたいと言われていた。言われた通り会わせてやるから、それでいいじゃないか。陽史は、ほとんどやけくそで思う。
「――あ!」
「な、なんだよ」
「喜多さんが気づいたっぽい。こっち来る」
「はあっ!?」
けれど、もう何もかも遅かったようだ。陽史の肩越しにひょいと顔を覗かせる和真の視線を追って振り向けば、辛気臭く貧乏くさいTシャツ、ハーパンが、まるで水を得た魚のように生き生きと目を輝かせ、こちらに向かって走ってくる姿が目に飛び込む。
どうやら二人の騒ぎ声が喜多の耳にも届いてしまったらしい。陽史は、思いがけず大声になっていたことをそこで知る。見つかってしまった以上、後悔しても遅いけれど。
「おー、あれからしばらくだったな、泰野。そっちが噂の友達か?」
「噂の……はい、まあ。じゃあ、とりあえず紹介しま――」
「あ、俺、同じデザイン学科三年の、三浦和真です。東北出身だってこともあって、陽史とは馬が合うんですよ。《派遣メシ友》のことも知ってます。喜多さんにもメシ友さんたちにも、陽史がお世話になっているようで。俺からも、ありがとうございます」
逃げも隠れもできず、和真と同じことを言って尋ねる喜多に仕方なしに本家を紹介しようとすると、待ちきれない様子でその本家が自己紹介する。知っている、と聞いてわずかばかり目を瞠った喜多だったが、和真に丁寧に頭を下げられて満更でもなさそうだ。
「なんだ、話してたのか?」
「はい、彩乃さんとのメシ友が終わってすぐに。心配させられないじゃないですか」
「……まあ、確かにな。早朝五時の牛丼は、泰野にはキツかったかもしれん」
相変わらず無精ひげが生えた顔で苦笑をこぼす喜多に、陽史も同じような顔を返す。
その時間に普通に大盛りを平らげていたという、どうしようもない武勇伝は、そういえば和真には割愛していた。たぶんそこが一番面白いネタなのに。ちょっとうっかりしていたかもしれない。というか、喜多の胃はどうなっているのだろうか。謎である。
「あ、でも珍しいですね。喜多さんが構内をふらついてるなんて」
それはさておき、陽史はとりあえず当たり障りのなさそうな話題を振ってみる。
今年こそ卒業したいとかなんとか言いながら、そういえば喜多を構内で見かけたことはない。会うときはいつも芸術学部棟の裏手にぽつんと建つプレハブ小屋の中で、だから単位を取るためにきちんと講義に出ているのかも、そういえば陽史は知らなかった。
「ん? ああ、就職課にちょっと用事があってな」
「え、就活ですか?」
「何を言う。まともな人間じゃないことは自覚しているが、俺だってまともに働きたいんだぞ。講義にも出てるし、前期テストも受けた。普通に就職課にも行くだろうが」
「そうですよね、なんかすみません」
思わず意外な口ぶりで尋ねてしまったが、いくら破天荒な喜多にだって、将来をきちんと設計しようとするところはあるだろうと陽史はすぐに思い直した。
二浪して入って、今は大学八年生の二十八歳。今までなぜ卒業できなかったのかも、どうしてあのプレハブ小屋に住むような形で生活しているのかもわからないが、三十を目前にしてこのままでいいとは、どうしたって思えない年齢に違いない。
そういえば、この人が一番、謎なんだよなあ……。
若干気を悪くしたようにフンと鼻を鳴らす喜多を見て、陽史は改めて思う。
今まで沽券に関わるだろうと思って聞かなかったし、そのうち陽史自身も忘れかけてしまっていたが、そもそも〝喜多秋成〟という男は一体、何者なんだろうか。一番関りが深いと言っても過言ではないはずの相手なのに、こうして考えると、本当に謎が多い。
「ところで、就活の手応えはどうですか? 俺らも来年は就活ですし、今のうちから会社のリサーチもしとかなきゃないじゃないですか。参考までに聞かせてください」
するとそこに、やり取りを見ていた和真が話に加わった。専攻している学科から、陽史も和真もデザイン系の会社に就活を絞りはじめている。ゆくゆくは地元の秋田に帰って仕事をしたいと思っている和真と、そこまではまだ考えていない陽史と、程度の違いこそあれ、今年の就活がどのようなものか、知っておきたい気持ちは二人とも一緒だ。
「いや、それより泰野。お前にまた行ってもらいたい人がいるんだ」
けれど喜多は、そう言って陽史に意味ありげな視線を向けた。わざと話を逸らしたと言い換えてもいいようなそれに、陽史も和真もすぐに言わんとすることが察せた。
――あ、上手くいってないんだ……。
だって二浪した挙げ句、八年も大学生をやっているような人だ。転職ならまだしも新卒で二十八って、そりゃあ面接官もびっくりするだろうさ。……納得の就活戦績である。
「いや……俺はちょっと……」
しかし陽史は、言葉を濁す。
《派遣メシ友》をしていると打ち明けた際、和真には前向きなことを言われた。軽蔑されるようなこともなかったし、おかげさまであれからも今まで通り仲良くやっている。
けれど、そのとき感じた胸のモヤモヤは、まだ陽史の中で燻ぶり続けていた。違和感の正体がわかっているのに、それを持ったまま、またこのバイトを請け負うことにも。
そんな気持ちでメシ友に会うこと自体、失礼だし間違っていると思う。そして、そのとき食うメシがどんなに美味いメシであったとしても、きっとそれだけだということも陽史にはわかっていた。ただ腹を満たすだけ。栄養を摂るだけ。それはおそらく、一緒にメシを食いたい人がほかにいるはずの相手にも同じことが言えるだろう。
「なんだ? まだ気にしてるのか、彩乃さんのこと」
「別に……そういうわけじゃないですけど」
聞かれて、陽史はふるふると頭を振った。
「だったら――」
「でも」
喜多の声を遮り、陽史は自分の中で出た答えを口にする。
「でも、俺にはどうしても〝誰かと一緒にメシを食うこと〟そのものが目的になってるように思えて仕方がないんです。本当は、初めて《派遣メシ友》のことを聞いたときから、ずっと違和感を持っていました。喜多さんに流されるまま二人のメシ友を経験しましたけど、二人とも、本当に望んでいたのは俺や喜多さんじゃなかったじゃないですか。喜多さんだって、それがわからないはずがないんです。――だから、俺にはこれが〝美味しいバイト〟だなんて思えないんですよ。……最初から。ずっとでした」
ときどき、ふとした瞬間に、どうしてあの貼り紙を見つけてしまったんだろうと思うことがある。俺じゃなく別の人が見つけていたら。そうすれば、喜多はあのまま、自分が派遣メシ友になりながら興味を持った人が現れるのを今でも待っていただろうにと。
でも、見つけたのは陽史だった。【文字通りの〝美味しい〟バイトです】に釣られ、ちょっとした出来心と興味本位で話を聞きに行った。手書きの貼り紙をすぐに捨てるのも忍びなかったし、何よりそのときの陽史は、腹も財布もすっからかんだった。
そこで待っていたのは、ほとんど謎だらけの喜多と、そんな彼と《派遣メシ友》という突飛な関係で繋がった寂しさを抱えた人たちだ。一時の寂しさを埋めようとするその人たちとメシを食いって出たのが、これ以上はもう自分には無理だという結論だったのだ。
もちろん、すっかりただのメシ友になった手前、芳二のところへはこれからもちょくちょく様子見がてら顔を出しに行こうとは思う。和真にも紹介すると言ってしまったし。
でも、それ以外のメシ友とは、胸の燻ぶりやモヤモヤを抱えたままなんて、とてもじゃないが無理だ。性別も年齢もどんな人かも、どういう寂しさを抱えているのかもわからないうちから断るのも、なんだか気が引けてしまうけれど。だとしても、彩乃のときのようにかえって引っ掻き回すようなことだけは、もうしたくないのも本音なのだ。
彩乃のことはもう気にしていないと言ったが、そんなわけがない。
「すみません……」
「いや。泰野がそう思ってるなら、これ以上の無理強いはできない」
ここが構内のど真ん中であることも構わず深々と頭を下げると、頭上から喜多の声が降った。申し訳なかったな、というような声色が、陽史の耳に胸にジンジン痛い。
喜多が話を回してきた今回のメシ友も、きっと寂しさも虚しさも、一人で食うメシの味気なさも感じているはずだ。だからこその《派遣メシ友》であり、今年こそは卒業したい喜多は陽史に自分の代役を頼んだ。でももう、陽史の考えは変わらないのだ。
「今まですまなかったな」
そう言い置いて、喜多は踵を返して去っていった。
「……陽史、もう頭上げなって」
「わかってる」
けれど陽史は、それからも気が済むまで頭を下げ続けたのだった。
「いや、親友が世話になってんだ、挨拶くらい、させてくれてもいいべよ」
「いやいや、それだけで済まないから止めてんだって」
「そんなにアレな人なの?」
「そこまでってこともないけど……」
「じゃあ、別にいいべ」
「そういう問題でもないんだよっ」
面白くない顔をする和真を陽史は必死で止める。
あれから何度か、和真からは芳二に会ってみたいと言われていた。言われた通り会わせてやるから、それでいいじゃないか。陽史は、ほとんどやけくそで思う。
「――あ!」
「な、なんだよ」
「喜多さんが気づいたっぽい。こっち来る」
「はあっ!?」
けれど、もう何もかも遅かったようだ。陽史の肩越しにひょいと顔を覗かせる和真の視線を追って振り向けば、辛気臭く貧乏くさいTシャツ、ハーパンが、まるで水を得た魚のように生き生きと目を輝かせ、こちらに向かって走ってくる姿が目に飛び込む。
どうやら二人の騒ぎ声が喜多の耳にも届いてしまったらしい。陽史は、思いがけず大声になっていたことをそこで知る。見つかってしまった以上、後悔しても遅いけれど。
「おー、あれからしばらくだったな、泰野。そっちが噂の友達か?」
「噂の……はい、まあ。じゃあ、とりあえず紹介しま――」
「あ、俺、同じデザイン学科三年の、三浦和真です。東北出身だってこともあって、陽史とは馬が合うんですよ。《派遣メシ友》のことも知ってます。喜多さんにもメシ友さんたちにも、陽史がお世話になっているようで。俺からも、ありがとうございます」
逃げも隠れもできず、和真と同じことを言って尋ねる喜多に仕方なしに本家を紹介しようとすると、待ちきれない様子でその本家が自己紹介する。知っている、と聞いてわずかばかり目を瞠った喜多だったが、和真に丁寧に頭を下げられて満更でもなさそうだ。
「なんだ、話してたのか?」
「はい、彩乃さんとのメシ友が終わってすぐに。心配させられないじゃないですか」
「……まあ、確かにな。早朝五時の牛丼は、泰野にはキツかったかもしれん」
相変わらず無精ひげが生えた顔で苦笑をこぼす喜多に、陽史も同じような顔を返す。
その時間に普通に大盛りを平らげていたという、どうしようもない武勇伝は、そういえば和真には割愛していた。たぶんそこが一番面白いネタなのに。ちょっとうっかりしていたかもしれない。というか、喜多の胃はどうなっているのだろうか。謎である。
「あ、でも珍しいですね。喜多さんが構内をふらついてるなんて」
それはさておき、陽史はとりあえず当たり障りのなさそうな話題を振ってみる。
今年こそ卒業したいとかなんとか言いながら、そういえば喜多を構内で見かけたことはない。会うときはいつも芸術学部棟の裏手にぽつんと建つプレハブ小屋の中で、だから単位を取るためにきちんと講義に出ているのかも、そういえば陽史は知らなかった。
「ん? ああ、就職課にちょっと用事があってな」
「え、就活ですか?」
「何を言う。まともな人間じゃないことは自覚しているが、俺だってまともに働きたいんだぞ。講義にも出てるし、前期テストも受けた。普通に就職課にも行くだろうが」
「そうですよね、なんかすみません」
思わず意外な口ぶりで尋ねてしまったが、いくら破天荒な喜多にだって、将来をきちんと設計しようとするところはあるだろうと陽史はすぐに思い直した。
二浪して入って、今は大学八年生の二十八歳。今までなぜ卒業できなかったのかも、どうしてあのプレハブ小屋に住むような形で生活しているのかもわからないが、三十を目前にしてこのままでいいとは、どうしたって思えない年齢に違いない。
そういえば、この人が一番、謎なんだよなあ……。
若干気を悪くしたようにフンと鼻を鳴らす喜多を見て、陽史は改めて思う。
今まで沽券に関わるだろうと思って聞かなかったし、そのうち陽史自身も忘れかけてしまっていたが、そもそも〝喜多秋成〟という男は一体、何者なんだろうか。一番関りが深いと言っても過言ではないはずの相手なのに、こうして考えると、本当に謎が多い。
「ところで、就活の手応えはどうですか? 俺らも来年は就活ですし、今のうちから会社のリサーチもしとかなきゃないじゃないですか。参考までに聞かせてください」
するとそこに、やり取りを見ていた和真が話に加わった。専攻している学科から、陽史も和真もデザイン系の会社に就活を絞りはじめている。ゆくゆくは地元の秋田に帰って仕事をしたいと思っている和真と、そこまではまだ考えていない陽史と、程度の違いこそあれ、今年の就活がどのようなものか、知っておきたい気持ちは二人とも一緒だ。
「いや、それより泰野。お前にまた行ってもらいたい人がいるんだ」
けれど喜多は、そう言って陽史に意味ありげな視線を向けた。わざと話を逸らしたと言い換えてもいいようなそれに、陽史も和真もすぐに言わんとすることが察せた。
――あ、上手くいってないんだ……。
だって二浪した挙げ句、八年も大学生をやっているような人だ。転職ならまだしも新卒で二十八って、そりゃあ面接官もびっくりするだろうさ。……納得の就活戦績である。
「いや……俺はちょっと……」
しかし陽史は、言葉を濁す。
《派遣メシ友》をしていると打ち明けた際、和真には前向きなことを言われた。軽蔑されるようなこともなかったし、おかげさまであれからも今まで通り仲良くやっている。
けれど、そのとき感じた胸のモヤモヤは、まだ陽史の中で燻ぶり続けていた。違和感の正体がわかっているのに、それを持ったまま、またこのバイトを請け負うことにも。
そんな気持ちでメシ友に会うこと自体、失礼だし間違っていると思う。そして、そのとき食うメシがどんなに美味いメシであったとしても、きっとそれだけだということも陽史にはわかっていた。ただ腹を満たすだけ。栄養を摂るだけ。それはおそらく、一緒にメシを食いたい人がほかにいるはずの相手にも同じことが言えるだろう。
「なんだ? まだ気にしてるのか、彩乃さんのこと」
「別に……そういうわけじゃないですけど」
聞かれて、陽史はふるふると頭を振った。
「だったら――」
「でも」
喜多の声を遮り、陽史は自分の中で出た答えを口にする。
「でも、俺にはどうしても〝誰かと一緒にメシを食うこと〟そのものが目的になってるように思えて仕方がないんです。本当は、初めて《派遣メシ友》のことを聞いたときから、ずっと違和感を持っていました。喜多さんに流されるまま二人のメシ友を経験しましたけど、二人とも、本当に望んでいたのは俺や喜多さんじゃなかったじゃないですか。喜多さんだって、それがわからないはずがないんです。――だから、俺にはこれが〝美味しいバイト〟だなんて思えないんですよ。……最初から。ずっとでした」
ときどき、ふとした瞬間に、どうしてあの貼り紙を見つけてしまったんだろうと思うことがある。俺じゃなく別の人が見つけていたら。そうすれば、喜多はあのまま、自分が派遣メシ友になりながら興味を持った人が現れるのを今でも待っていただろうにと。
でも、見つけたのは陽史だった。【文字通りの〝美味しい〟バイトです】に釣られ、ちょっとした出来心と興味本位で話を聞きに行った。手書きの貼り紙をすぐに捨てるのも忍びなかったし、何よりそのときの陽史は、腹も財布もすっからかんだった。
そこで待っていたのは、ほとんど謎だらけの喜多と、そんな彼と《派遣メシ友》という突飛な関係で繋がった寂しさを抱えた人たちだ。一時の寂しさを埋めようとするその人たちとメシを食いって出たのが、これ以上はもう自分には無理だという結論だったのだ。
もちろん、すっかりただのメシ友になった手前、芳二のところへはこれからもちょくちょく様子見がてら顔を出しに行こうとは思う。和真にも紹介すると言ってしまったし。
でも、それ以外のメシ友とは、胸の燻ぶりやモヤモヤを抱えたままなんて、とてもじゃないが無理だ。性別も年齢もどんな人かも、どういう寂しさを抱えているのかもわからないうちから断るのも、なんだか気が引けてしまうけれど。だとしても、彩乃のときのようにかえって引っ掻き回すようなことだけは、もうしたくないのも本音なのだ。
彩乃のことはもう気にしていないと言ったが、そんなわけがない。
「すみません……」
「いや。泰野がそう思ってるなら、これ以上の無理強いはできない」
ここが構内のど真ん中であることも構わず深々と頭を下げると、頭上から喜多の声が降った。申し訳なかったな、というような声色が、陽史の耳に胸にジンジン痛い。
喜多が話を回してきた今回のメシ友も、きっと寂しさも虚しさも、一人で食うメシの味気なさも感じているはずだ。だからこその《派遣メシ友》であり、今年こそは卒業したい喜多は陽史に自分の代役を頼んだ。でももう、陽史の考えは変わらないのだ。
「今まですまなかったな」
そう言い置いて、喜多は踵を返して去っていった。
「……陽史、もう頭上げなって」
「わかってる」
けれど陽史は、それからも気が済むまで頭を下げ続けたのだった。
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