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第二章 塔
20.竜のダールと魔術士の塔
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再び部屋を出たダールは、眼前に広がる光景を前に腕組みをする。
縦に細長い、箱型の空洞の只中に、現在の彼女は立っていた。
石造りの壁からは一定間隔で石材が突き出て、緩やかな左回りの螺旋を描いている。
壁をくり抜いて設けた窓からは後夜の名残の月明りが差し込んで、奇妙な吹き抜けの螺旋階段に複雑な陰影を添えていた。
くり抜き窓は壁の四面のうち、彼女の真向かいとその右手隣りの二面だけ。残りの二面には彼女の知らない様式の簡素な文様やレリーフが刻まれていて、それらが薄青い光を受けてぼんやりと浮かび上がっている。
見上げた先は闇に溶け込んで定かではなく、見下ろせば階段と窓明かりによって描かれる角ばった渦巻きが小さな点と化すまで延々と連なっている。
階段は長く、果てしなく、終わりが無い。少なくとも、彼女の視界にはそのように映っている。
「……なんだここは」
ぽつりと呟いた言葉は虚しく反響した。
ここには彼女の他に誰も居ないし、家主であるクェントが出て来て親切に説明をしてくれることもなかった。
ダールは腕組みをしたまま、ぐるりと塔の中を見回してみた。
壁も、踊り場も、階段も、全てが同じ白い石材を積み上げて造られているように見える。僅かに灰色がかった石の色合いは、月光に照らされて淡い白銀に染まっていた。
ふと思い立った彼女は手近な壁に触れてみる。砂岩に似た、ぼそぼそとした感触。それなりの年月を経たのであろう、角の取れた大小の傷跡が刻まれている。
壁に刻まれている簡素な幾何学模様はダールにとって馴染みの無い様式だ。古代文字に属する所までは察せられるものの、意味する所は読み取れない。
なんにせよ構造体としての巨大さに比して、全体的にどこか素朴な造りの場所であった。
――まともに考えれば石積みでこのような巨大な建造物を築ける筈がない。
それに、見かけ上の高度の割に窓の外の風景はさほどの高さからのものでない。
せいぜいが、平野に築造した物見の塔として妥当な――飛竜や、妖鳥族は猛禽の血筋に属する者であれば悠々と飛び越せても、地面から矢を届かせるのは一苦労する――程度のものに見える。
恐らくはどこぞの小さな遺跡を流用して、魔術によって内部の空間を拡張しているのだろう。
この手の様式は魔術師が己が根城に好んで施す増築術である。クェントもその例に漏れなかったようだ。
魔術士の塔とは往々にして侵入者対策の目くらましの幻術や罠が付き物だ。そして、トラップの数々はやたらと殺意と創意工夫に溢れたものになりがちである。
彼らには友を招いての宴席を開く習慣がないか、あるいははなからそのような友人を持たないものらしい。
ともあれ、術を編んだのがクェントにせよ、別の誰かの手によるものを流用したにせよ、余計な行動はしないに越したことはないだろう。
ダールは右手に握りしめていた銀の鍵をじっと見つめながら考える。クェントは最上階の部屋を使えと言ってこの鍵を渡して来た。
と、いうことは少なくとも上へ上へ登って行く分には問題ないのだろう。ひとまずそう解釈する。
「あの様子じゃ企てに二重底三重底の備えがあった様にも思えないしな」
彼女は肩をすくめると、石造りの階段に足をかけた。
螺旋階段をしばらく行くと、石段が不意に途切れて壁面を掘りぬいたアーチ型の通路に繋がることがあった。
通路の先は踊り場のような小空間となっていて、けれども必ずいずれかの壁から再び石段が螺旋を描いて伸びている。
やはり、この塔はまじないの産物であるらしい。ダールは歩を進めながら思う。
脳裡で描いていた塔の構造図が得体のしれない曲がりくねり方をした辺りで道順を覚えることは放棄した。
来た道を戻ったところで同じだけの距離を歩くだけで元居た場所に着くかどうかもはなはだ怪しい。
それでも彼女の健脚にとってはさほど苦になる道行きでもない。息を切らすことなく、上へ上へと登っていく。
変りばえのしない情景を巡りながらダールは考える。クェントの愛に応える方法について。
彼は強い。けれども同時に難しい男でもある。
ダールは自分自身が強者であることを疑わない。
生来より世界から多くを分け与えられ、それを当然の事として受け止めて来た。そして己の才覚をもって恵みに報いて来たと自負している。
竜の氏族の本懐とは、ただただ一個の生物として強くあることだ。個の能力に関してならば居並ぶ魔族の頂点に近い。
彼女は族長の後継でこそ無かったが、強靭な生命力と生来の能力を持ち合わせた天性の戦士だったのは確かだ。
そうした存在は、頭を垂れることにも責任が伴う。
けれども一方で、彼女はクェントに自身のそれとは質の異なる強さを認めている。
彼の狡猾さ、冷徹さ、容赦のなさを、彼女は好ましく思っている。その高い能力の本質が恐怖と不信に由来するものであることも知っている。
彼女自身が本質を見抜いたというよりも、仲間として共に戦い、行動を共にする中で時間をかけて理解したと言ったほうが適切であろう。
雪が溶けて山に染み入り、やがて緑が芽吹くように、ダールの中にクェントという存在はゆっくりと根を張っていった。
気が付けば自分の中に見上げるほどの大樹が育っていて、そいつの名が『クェントが欲しい』だった。
そう気が付いたのはわりあい最近のことだ。
――思索がそこまで及んだあたりで、周囲の景色に変化が見えた。
石段が壁の中頃で不意に途切れて青銅の梯子が虚空に向かって伸びていた。
劣化の兆候は見られない。表面に緑青を吹くこともなく、月光の中であかがね色の輝きを湛えている。
梯子は上へ上へと伸びているが、いくらもしないうちに闇の中へかき消えていた。
ダールは思う。クェントから『最上階の寝台を使え』と促されていなければ、この先に進む気は起こらなかったことだろうと。
彼の言葉ひとつを頼りにして奇妙な塔を延々と昇って来たのだと思うと可笑しかった。
しかしそれも詮無きことだ。彼のそうした得体のしれない部分にもまた、己は惹かれているのだから。
そのように結論付けた彼女は、青銅の梯子を二段飛ばしでよじ登って行った。
縦に細長い、箱型の空洞の只中に、現在の彼女は立っていた。
石造りの壁からは一定間隔で石材が突き出て、緩やかな左回りの螺旋を描いている。
壁をくり抜いて設けた窓からは後夜の名残の月明りが差し込んで、奇妙な吹き抜けの螺旋階段に複雑な陰影を添えていた。
くり抜き窓は壁の四面のうち、彼女の真向かいとその右手隣りの二面だけ。残りの二面には彼女の知らない様式の簡素な文様やレリーフが刻まれていて、それらが薄青い光を受けてぼんやりと浮かび上がっている。
見上げた先は闇に溶け込んで定かではなく、見下ろせば階段と窓明かりによって描かれる角ばった渦巻きが小さな点と化すまで延々と連なっている。
階段は長く、果てしなく、終わりが無い。少なくとも、彼女の視界にはそのように映っている。
「……なんだここは」
ぽつりと呟いた言葉は虚しく反響した。
ここには彼女の他に誰も居ないし、家主であるクェントが出て来て親切に説明をしてくれることもなかった。
ダールは腕組みをしたまま、ぐるりと塔の中を見回してみた。
壁も、踊り場も、階段も、全てが同じ白い石材を積み上げて造られているように見える。僅かに灰色がかった石の色合いは、月光に照らされて淡い白銀に染まっていた。
ふと思い立った彼女は手近な壁に触れてみる。砂岩に似た、ぼそぼそとした感触。それなりの年月を経たのであろう、角の取れた大小の傷跡が刻まれている。
壁に刻まれている簡素な幾何学模様はダールにとって馴染みの無い様式だ。古代文字に属する所までは察せられるものの、意味する所は読み取れない。
なんにせよ構造体としての巨大さに比して、全体的にどこか素朴な造りの場所であった。
――まともに考えれば石積みでこのような巨大な建造物を築ける筈がない。
それに、見かけ上の高度の割に窓の外の風景はさほどの高さからのものでない。
せいぜいが、平野に築造した物見の塔として妥当な――飛竜や、妖鳥族は猛禽の血筋に属する者であれば悠々と飛び越せても、地面から矢を届かせるのは一苦労する――程度のものに見える。
恐らくはどこぞの小さな遺跡を流用して、魔術によって内部の空間を拡張しているのだろう。
この手の様式は魔術師が己が根城に好んで施す増築術である。クェントもその例に漏れなかったようだ。
魔術士の塔とは往々にして侵入者対策の目くらましの幻術や罠が付き物だ。そして、トラップの数々はやたらと殺意と創意工夫に溢れたものになりがちである。
彼らには友を招いての宴席を開く習慣がないか、あるいははなからそのような友人を持たないものらしい。
ともあれ、術を編んだのがクェントにせよ、別の誰かの手によるものを流用したにせよ、余計な行動はしないに越したことはないだろう。
ダールは右手に握りしめていた銀の鍵をじっと見つめながら考える。クェントは最上階の部屋を使えと言ってこの鍵を渡して来た。
と、いうことは少なくとも上へ上へ登って行く分には問題ないのだろう。ひとまずそう解釈する。
「あの様子じゃ企てに二重底三重底の備えがあった様にも思えないしな」
彼女は肩をすくめると、石造りの階段に足をかけた。
螺旋階段をしばらく行くと、石段が不意に途切れて壁面を掘りぬいたアーチ型の通路に繋がることがあった。
通路の先は踊り場のような小空間となっていて、けれども必ずいずれかの壁から再び石段が螺旋を描いて伸びている。
やはり、この塔はまじないの産物であるらしい。ダールは歩を進めながら思う。
脳裡で描いていた塔の構造図が得体のしれない曲がりくねり方をした辺りで道順を覚えることは放棄した。
来た道を戻ったところで同じだけの距離を歩くだけで元居た場所に着くかどうかもはなはだ怪しい。
それでも彼女の健脚にとってはさほど苦になる道行きでもない。息を切らすことなく、上へ上へと登っていく。
変りばえのしない情景を巡りながらダールは考える。クェントの愛に応える方法について。
彼は強い。けれども同時に難しい男でもある。
ダールは自分自身が強者であることを疑わない。
生来より世界から多くを分け与えられ、それを当然の事として受け止めて来た。そして己の才覚をもって恵みに報いて来たと自負している。
竜の氏族の本懐とは、ただただ一個の生物として強くあることだ。個の能力に関してならば居並ぶ魔族の頂点に近い。
彼女は族長の後継でこそ無かったが、強靭な生命力と生来の能力を持ち合わせた天性の戦士だったのは確かだ。
そうした存在は、頭を垂れることにも責任が伴う。
けれども一方で、彼女はクェントに自身のそれとは質の異なる強さを認めている。
彼の狡猾さ、冷徹さ、容赦のなさを、彼女は好ましく思っている。その高い能力の本質が恐怖と不信に由来するものであることも知っている。
彼女自身が本質を見抜いたというよりも、仲間として共に戦い、行動を共にする中で時間をかけて理解したと言ったほうが適切であろう。
雪が溶けて山に染み入り、やがて緑が芽吹くように、ダールの中にクェントという存在はゆっくりと根を張っていった。
気が付けば自分の中に見上げるほどの大樹が育っていて、そいつの名が『クェントが欲しい』だった。
そう気が付いたのはわりあい最近のことだ。
――思索がそこまで及んだあたりで、周囲の景色に変化が見えた。
石段が壁の中頃で不意に途切れて青銅の梯子が虚空に向かって伸びていた。
劣化の兆候は見られない。表面に緑青を吹くこともなく、月光の中であかがね色の輝きを湛えている。
梯子は上へ上へと伸びているが、いくらもしないうちに闇の中へかき消えていた。
ダールは思う。クェントから『最上階の寝台を使え』と促されていなければ、この先に進む気は起こらなかったことだろうと。
彼の言葉ひとつを頼りにして奇妙な塔を延々と昇って来たのだと思うと可笑しかった。
しかしそれも詮無きことだ。彼のそうした得体のしれない部分にもまた、己は惹かれているのだから。
そのように結論付けた彼女は、青銅の梯子を二段飛ばしでよじ登って行った。
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