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大人の隠し事

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「なんの御用でしょう」

 どれだけ嫌いな、どれだけ無礼な相手でもこちらの態度は横柄にしない。
 オリヴィアの信条のひとつだ。
 だから急な呼び出しであっても、ノックは丁寧にするし、促されて開けるドアもできるだけ上品に開ける。

「ごめんなさいね、急に呼び出して」

 がっしりとした、精緻な装飾が施された木製のテーブルには、書類が山積みにされていて、返事はその向こうから聞こえてきた。

「……秘書とか書類整理のひと、雇ったほうがいいですよ」
「一昨年までライカがやってくれてたから、なんとなく、そのままにしています」

 ずず、と書類の山をずらして顔を見せ、さみしそうに微笑む。

「大体、事務処理なら電子データで十分だと思いますけど」
「もちろん電子データもあります。でも大事なものにはバックアップは必要でしょう?」

 やはり、このひとは苦手だ。

「で、今日のご用事はなんです? どうせ面倒事なんでしょうけど」
「あなたが思っているよりは、面倒では無いと思います」

 そういう言い方は絶対面倒なヤツじゃない、とあからさまに嘆息して促す。
 ごくりと息をのんだのはどちらだったか。

「ら、ライカがミューナとお付き合いを始めたっていうのは本当ですか?」
 
 ずっこけるかと思った。

「わざわざ呼びつけておいて、訊きたいことはそれですか」

 眉根が小刻みに震えているのは自覚している。

「だ、だって、自分が、育てた子がそういうことをしていると聞けば気になるじゃないですか!」

 知るかそんなこと。

「あ、ばかにしましたね! でも気になるんです! 教えてください!」

 こういうところだけはストレートに似なくてほんとうに助かっている。
 あいつがこんな、まんがの女の子みたいな挙動をしたら秒と経たずに殴りつけていただろうから。 

 でも、とは思う。
 いくら親莫迦であろうと、娘の恋の進捗状況を訊くためだけに館内放送まで使うだろうか、と。
 このひとは、仮にも神殿長だ。

「……なにか、隠していませんか?」
「……ありませんよ。公に出来ないこととか、まだ伏せておかなければいけない各国の内情とかはありますけど」
「戦争が近いことぐらいは、あたしでも知ってます。ですけど、神殿の打つ初手が学徒動員だと言うなら、あたしはエウェーレル枝部《しぶ》へ転属願いを出しますから」

 目を丸くされたのは意外だったし、自分でもなんでエウェーレル枝部に、なんて言ったのかは本当に不思議だった。

「え、エウェーレルですか? 水の神殿じゃなくて」
 
 挑発されたように感じたので乗ってやることにした。

「はい。あたし、あそこのお姫様らしいですから。向こうでも気に入らないことがあったらかごの鳥にでもなってやろうかなって思って」

 驚くかと思ったが、イルミナは微笑んで返す。

「いまあの国は大変な時期です。忙しさで言えばここの比ではないでしょうし、国民の方々からの不満も浴びることになりますよ?」
「……知ってるんですか。あたしの素性を、最初から」

 責める口調になっている自覚はある。

「私は、神殿に在籍する全ての方々のことを記憶していますがオリヴィア、あなたの素性までは知りませんでした」
「じゃあなんでさっきは」
「去年のお祭りの時期に、街で騒ぎがあったでしょう?」

 あの騒動の顛末はきちんと報告している。報告したのは街での騒動だけで、マイラスや自分の素性は隠して。
 あのときの行為は自分の信念に従ったこと。
 イルミナの視線にあるのは、少なくとも叱責ではない。
 けれど緊張はする。

「あ、は、はい」
「あの日の夜に国王陛下から直接お伺いしました。娘をよろしく頼む、と添えられて」

 じゃあやっぱり、と口の中でつぶやいて、

「止めないんですか?」
「個人的な理由で辞める方はいくらでもいます。ましてあなた以外に跡取りがいないエウェーレルの王女様なら、止める権利はありません」

 断言されて、オリヴィアは黙ってしまう。

「いくら神殿が人の世の理と無関係、と言ってもそれは建前なんです。ひとは神殿のみに生きるに非ず、と先代もよくおっしゃっていました」
「……なんでそんな話をあたしにするんです」
「今期の修練生はみな優秀です。誰が神殿長になってもおかしくないぐらいに。あなたは神楽宮長でしょうけれど」

 ふふ、と笑うイルミナだが、嘲笑されているようには思えない。
 自分でさえ半信半疑なのに、このひとは。
 そういうキラキラした物言いが大嫌いなので、性格が悪いと思いつつかまをかけてみることにした。

「……ひょっとして、『あなたたちはまだ修練生なんだからいくらでも可能性があります』とか言って誤魔化すつもりじゃないですよね」
「そんなことないですよ。だってほら、……三、二、一」

 唐突なカウントダウンのあと、神殿全体が揺れる。

「いまの揺れはライカたちが合唱交響曲《コルス・シンフォニア》でクレアに一撃与えた音です。ええと、四、いえ、五人がかりですけど、いまのあの子たちなら出来て当たり前。私はそう判断しますし、もしあの場にオリヴィア、あなたがいたら追撃もできたはずです」

 言い終えると同時に、机に備え付けの電話が鳴る。失礼します、とひと言置いて静やかに受話器を取る。

「はい。……ええ、はい。クレアが挑発した結果でしょう。お説教するからあとで来るようにそちらからも伝えておいてください。はい。失礼します」

 そっと受話器を置いて、ね、と微笑む。

「ずっと、修練場の様子を視ていたんですか?」
「修練が終わる時間になっても精霊たちが慌ただしく動き回っていましたから、頼んで状況を報告してもらっていたんです。……あ、もちろんプライベートに使うことはしませんよ」

 今度は意地悪く笑う。
 こういう屈託の無い笑い方はライカに似てるな、とぼんやり思う。

「どっちにしても、あたしは兵士になるつもりはありませんから」
「もちろんです。大人だってがんばっているんです。少しは信用してください」

 とん、と胸を叩いてゆっくりと微笑む。

「あたしは、ライカみたいに笑顔で他人殴れないです。それだけは覚えておいてください」

 神妙に、イルミナは頷いて。

「はい。……変なことを言いましたね。気にしないでください」

 いえ、とだけ返してオリヴィアは、低く言う。

「ご用件は他に無いなら、もう戻ります」
「ま、まだライカのことを確認してません。答えてください」

 ほんとうにそれだけが目的だったんかい。
 
 呆れつつくるりと振り返って。

「知りません。実習で遭難して帰ってきた日になにかあったみたいですけど、あたしは見てないですし聞いてません。ご自身で確認してください」

 するりとドアをくぐり、ばたんと閉じた。

「まったくあの母娘は!」

 ドア越しの怒声に、なぜかイルミナは頬を緩めていた。
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