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片思い(前編)
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七星明香梨は現在、御堂すずめの家に剣客として居候している。
七星の家に生まれた者は代々、人界を荒らす妖魔を退治するために各地を旅して回っているため、各地に分家のある御堂の家に世話になることが多い。
明香梨も十歳の誕生日に御堂の家にあずけられ、ここを拠点として日本各地へ妖魔の討伐を行っている。
それでも、学生である明香梨への依頼は試験期間などの時期は極力避けられ、その本分が全うできるよう配慮されている。
「明香梨さんただいまー」
「うん。おかえり」
「つーかーれーたー。明香梨さーん、よしよししてー」
「はいはい。よしよし。いい子いい子」
倒れ込むように明香梨に抱きついたのはすずめ。ここはすずめの私室だ。
小学生の頃から使っている勉強机に、まんが本と学業に関する本が半分ずつ詰められた本棚。家政婦さんがきれいにシーツを変えてくれたベッド。あとはぬいぐるみがいくつかとクッション。制服と私服が入ったクローゼット。
ひとりでは広く感じるが、ふたりでは少々手狭に感じる部屋の真ん中で明香梨はベッドにもたれながら本を読んでいた。
そこへ疲れ切ったすずめが帰ってきて今に至る。
ひとしきり頭を撫でてもらってようやくすずめは体を離し、ゆるゆるとクローゼットを開け、のそのそと着替え始める。
「ひばりさま、なにかおっしゃってた?」
いつも跳ね回っているすずめがここまで疲労しているのは、祖母ひばりへ定期報告を行っていたから。
「ううん。おつとめご苦労様、ってぐらい。いちおう訊いてみたけど、鋏臈さんのことも知らないって」
「……そう」
「んんん? なぁんで明香梨さんがしおれるのよ?」
ずぼっ、と桃色のトレーナーから頭を出して、にひひ、と意地悪く口角をあげる。
「だ、だって意味分からないじゃない。あんなの。ちょっとでも知ってるひとがいるなら、って思ったから」
「まあね。文献とか調べてもらってるけど、そういうのにもほとんど書いてないって報告もさっきもらったからさ」
「ほとんど?」
「うん。鬼のひとたちと和解した頃に名前がちょっと載ってたんだって」
それって、と明香梨が眉根を寄せる。
「うん。本人は千年生きてるって言ってたけど、単純に同じ名前か、代々同じ名前受け継いでるとかじゃないかなって」
「だよね……」
妖は人より長命ではあるが、記録に残っている限りでは最長は三百年程度。平均しても二百年前後だ。千年も生きた妖なんてそもそも眉唾ものだ。
いっそうしおれる明香梨を元気づけようと、すずめは話題を変えた。
「あのトワ子って子、やたらと噛みついてきたけど、知り合い?」
「まさか。初対面よ」
「んー、明香梨さんが遠征先でなにかやらかした、ってわけじゃないのね」
「なにそれ。わたしそこまで雑じゃないわよ」
むくれる明香梨に、ごめんごめん、と謝って、
「明香梨さんは、だいじょうぶだったの? 鋏臈さんを見てるときって」
鋏臈をひと目見たとき、すずめの心には圧倒的なまでの服従の感情がなだれ込んできた。
すずめたち陰陽師が顔を隠している半紙。そこに描かれている紋様は、妖魔からの精神攻撃を防ぐ効果を持たせてある。それを容易く破られた。きょうの報告会にはそのことも伝えたが、ひばりは「精進なさい」としか返さなかった。
「うん。きれいで強そうな妖だなってぐらい」
「じゃああたしだけにやってきたってことかぁ。お札使うかもって警戒したのかな。それにしても千彰くん、すごいのに目付けられたなぁ」
「なんで、あいつばっかり」
「妖に好かれるひとっているよ。明香梨さんだってそうじゃん」
千彰と明香梨の関係は、実は曖昧だ。
御堂の家に居候するようになった時にすずめから紹介され、その日のうちに剣術の試合をやった。初戦だけは千彰が勝ったが、逆に明香梨の闘争心に火を付け、いまでも週に一度は試合をやっている。
言ってしまえばそれだけの関係だ。
「……好きなのかな、あいつのこと」
「あたしに訊かれても困るけど、端から見てるぶんにはお似合いだと思うよ、千彰くんと明香梨さんは」
「でもあいつ、わたしがなにやっても喜ばないし、わたしに負けても悔しそうにしないしさ」
明香梨が千彰への想いに気付いたのはいつだったか。
それももう覚えていないが、中学生の時に弁当を作って渡したときのことは覚えている。
こちらが決死の覚悟で渡した弁当箱を、あいつは「ん」とだけ言って受け取り、かき込むようにして空にすると、すぐさま持参していた弁当箱の蓋を開けてそちらもかき込んでいた。
それにもめげずに手を変え品を変え、主に胃袋を掴もうと奮闘してきたが、反応は変わらなかった。
「あー、男の人にそういうリアクション求めちゃだめだよ。育ち盛りなんだからお弁当なんていくつあっても秒で空にするだろうし、剣術のことは分からないけど、たぶん千彰くんは妖魔に勝てればいいから、明香梨さんに負けても悔しくないんだと思うよ」
どれだけ考えても分からなかった、千彰の行動の意味をあっさりと解説され、明香梨は困惑する。
「なんで、わかるの」
「そりゃ付き合い長いし。むしろ明香梨さんが難しく考えすぎなの」
「……そうかな」
「そうそう。人間の男の子って基本的に単純だから。あんまり考えずにぐいぐいいったほうがいいんじゃないかな」
あっけらかんと言うすずめに、しかし明香梨は釈然としない様子で返す。
「でもあいつ、ほんとにニブいからさ」
「あーなんか前に頭ぽんぽんしたんだっけ?」
「う、うん。急にやるからびっくりしたけど」
「千彰くんショック受けてたよ。頭撫でたら怒られたって」
もう、と鼻息を荒くした、と思った次の瞬間には頬を真っ赤に染めていく。
「あいつ、あのこと言ったの?」
「うん。あたしにもやったから、その時に」
「なによそれ。すずめにもやるなんてなに考えてるのよ」
むうぅ、とむくれる明香梨をにんまり眺めながらすずめはもう一度にひひ、と笑って話題を打ち切り、
「じゃ、明日から動くよ! お風呂入ってくる!」
言って立ち上がって瞬く間に部屋を飛び出していった。
「少しは、見習わなきゃな……」
勢いよく閉められたドアを見つめながら、明香梨はぽつりと零した。
七星の家に生まれた者は代々、人界を荒らす妖魔を退治するために各地を旅して回っているため、各地に分家のある御堂の家に世話になることが多い。
明香梨も十歳の誕生日に御堂の家にあずけられ、ここを拠点として日本各地へ妖魔の討伐を行っている。
それでも、学生である明香梨への依頼は試験期間などの時期は極力避けられ、その本分が全うできるよう配慮されている。
「明香梨さんただいまー」
「うん。おかえり」
「つーかーれーたー。明香梨さーん、よしよししてー」
「はいはい。よしよし。いい子いい子」
倒れ込むように明香梨に抱きついたのはすずめ。ここはすずめの私室だ。
小学生の頃から使っている勉強机に、まんが本と学業に関する本が半分ずつ詰められた本棚。家政婦さんがきれいにシーツを変えてくれたベッド。あとはぬいぐるみがいくつかとクッション。制服と私服が入ったクローゼット。
ひとりでは広く感じるが、ふたりでは少々手狭に感じる部屋の真ん中で明香梨はベッドにもたれながら本を読んでいた。
そこへ疲れ切ったすずめが帰ってきて今に至る。
ひとしきり頭を撫でてもらってようやくすずめは体を離し、ゆるゆるとクローゼットを開け、のそのそと着替え始める。
「ひばりさま、なにかおっしゃってた?」
いつも跳ね回っているすずめがここまで疲労しているのは、祖母ひばりへ定期報告を行っていたから。
「ううん。おつとめご苦労様、ってぐらい。いちおう訊いてみたけど、鋏臈さんのことも知らないって」
「……そう」
「んんん? なぁんで明香梨さんがしおれるのよ?」
ずぼっ、と桃色のトレーナーから頭を出して、にひひ、と意地悪く口角をあげる。
「だ、だって意味分からないじゃない。あんなの。ちょっとでも知ってるひとがいるなら、って思ったから」
「まあね。文献とか調べてもらってるけど、そういうのにもほとんど書いてないって報告もさっきもらったからさ」
「ほとんど?」
「うん。鬼のひとたちと和解した頃に名前がちょっと載ってたんだって」
それって、と明香梨が眉根を寄せる。
「うん。本人は千年生きてるって言ってたけど、単純に同じ名前か、代々同じ名前受け継いでるとかじゃないかなって」
「だよね……」
妖は人より長命ではあるが、記録に残っている限りでは最長は三百年程度。平均しても二百年前後だ。千年も生きた妖なんてそもそも眉唾ものだ。
いっそうしおれる明香梨を元気づけようと、すずめは話題を変えた。
「あのトワ子って子、やたらと噛みついてきたけど、知り合い?」
「まさか。初対面よ」
「んー、明香梨さんが遠征先でなにかやらかした、ってわけじゃないのね」
「なにそれ。わたしそこまで雑じゃないわよ」
むくれる明香梨に、ごめんごめん、と謝って、
「明香梨さんは、だいじょうぶだったの? 鋏臈さんを見てるときって」
鋏臈をひと目見たとき、すずめの心には圧倒的なまでの服従の感情がなだれ込んできた。
すずめたち陰陽師が顔を隠している半紙。そこに描かれている紋様は、妖魔からの精神攻撃を防ぐ効果を持たせてある。それを容易く破られた。きょうの報告会にはそのことも伝えたが、ひばりは「精進なさい」としか返さなかった。
「うん。きれいで強そうな妖だなってぐらい」
「じゃああたしだけにやってきたってことかぁ。お札使うかもって警戒したのかな。それにしても千彰くん、すごいのに目付けられたなぁ」
「なんで、あいつばっかり」
「妖に好かれるひとっているよ。明香梨さんだってそうじゃん」
千彰と明香梨の関係は、実は曖昧だ。
御堂の家に居候するようになった時にすずめから紹介され、その日のうちに剣術の試合をやった。初戦だけは千彰が勝ったが、逆に明香梨の闘争心に火を付け、いまでも週に一度は試合をやっている。
言ってしまえばそれだけの関係だ。
「……好きなのかな、あいつのこと」
「あたしに訊かれても困るけど、端から見てるぶんにはお似合いだと思うよ、千彰くんと明香梨さんは」
「でもあいつ、わたしがなにやっても喜ばないし、わたしに負けても悔しそうにしないしさ」
明香梨が千彰への想いに気付いたのはいつだったか。
それももう覚えていないが、中学生の時に弁当を作って渡したときのことは覚えている。
こちらが決死の覚悟で渡した弁当箱を、あいつは「ん」とだけ言って受け取り、かき込むようにして空にすると、すぐさま持参していた弁当箱の蓋を開けてそちらもかき込んでいた。
それにもめげずに手を変え品を変え、主に胃袋を掴もうと奮闘してきたが、反応は変わらなかった。
「あー、男の人にそういうリアクション求めちゃだめだよ。育ち盛りなんだからお弁当なんていくつあっても秒で空にするだろうし、剣術のことは分からないけど、たぶん千彰くんは妖魔に勝てればいいから、明香梨さんに負けても悔しくないんだと思うよ」
どれだけ考えても分からなかった、千彰の行動の意味をあっさりと解説され、明香梨は困惑する。
「なんで、わかるの」
「そりゃ付き合い長いし。むしろ明香梨さんが難しく考えすぎなの」
「……そうかな」
「そうそう。人間の男の子って基本的に単純だから。あんまり考えずにぐいぐいいったほうがいいんじゃないかな」
あっけらかんと言うすずめに、しかし明香梨は釈然としない様子で返す。
「でもあいつ、ほんとにニブいからさ」
「あーなんか前に頭ぽんぽんしたんだっけ?」
「う、うん。急にやるからびっくりしたけど」
「千彰くんショック受けてたよ。頭撫でたら怒られたって」
もう、と鼻息を荒くした、と思った次の瞬間には頬を真っ赤に染めていく。
「あいつ、あのこと言ったの?」
「うん。あたしにもやったから、その時に」
「なによそれ。すずめにもやるなんてなに考えてるのよ」
むうぅ、とむくれる明香梨をにんまり眺めながらすずめはもう一度にひひ、と笑って話題を打ち切り、
「じゃ、明日から動くよ! お風呂入ってくる!」
言って立ち上がって瞬く間に部屋を飛び出していった。
「少しは、見習わなきゃな……」
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