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ふたりの旅立ち
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「ここ……、は……」
見えるのは、鮮やかなまでの青空。肉眼で空を見上げるなんて何百年ぶりだろう。
でも外に出た覚えなんて、
思い出した。
亜種の遺伝子を入れて、それにからだを馴染ませるために制御用のナノマシンの活動を一瞬切り替えた。たったそれだけであそこまで暴走するなんて。
本当は限界だったのかもしれない。
それを精査することは出来ないけれど。
「まだ、生きてますか」
足下からの声に、聞き覚えがある。
そうだ、あのショタっ子だ。
「自分でひとをダルマにしといて、生きてますかはないわね」
もぞ、と顔だけを起こしてサトルを見る。
女連れだ。
それはいい。あの二体は元々つがいにするつもりだったから。
せいぜい盛って繁殖すればいい。
せっかく採取したあいつの精子が無駄になるのは、ほんの少しだけ残念だけれど。
「……で、なによ。哀れな肉ダルマを、正義のショタっ子が断罪しにきたの? 偉そうにさ」
いいえ、と首を振る。
「あなたには、やるべきことがあるはずです」
「そうね。でももうあたしは死ぬ。せっかくあんたに精子いっぱい出してもらって悪いけど、無駄に、なっちゃったわね」
「いいや、きみは死ねないよ」
ばさぁっ、と強い羽ばたき音と共にリカルドが降り立つ。
「リカルドさん、と……アウィスの女王さま?」
両手は翼、両足は猛禽類のそれに似たままの姿だったが、表情は比較的穏やかな、ユヱネスで言えば五十代半ばほどのものだった。
「もう自我を取り戻したのか。さすがだな」
肉塊へと走り出す前に受けた説明によれば、ディナミスの肉体は元に戻せても自我の回復には相当な時間がかかると聞いていたタリアの言葉尻には、若干の驚きも交っていた。
「うむ。支配を抗って自我を壊されるよりも、法術で奥底に封じ込め、徐々に肉体の支配を取り戻したほうが負担は少ないと判断してな」
「そうか。腐っても鳥族《アウィス》の女王だな」
「褒め言葉と受け取っておく。幼き獣族《シルウェス》の姫よ」
ふふ、と微笑みかけ、サトルに視線をやり、ぎこちなく頭を下げる。彼女たちアウィスには礼節の一環として頭を下げる風習がないのだ。
「世話になったなユヱネスの少年」
いえぼくはなにも、と返すサトルに微笑みかけながら、ディナミスはメルティに歩み寄る。
「そちに施されたあらゆる所業。到底許すことは出来ぬが、そうさせたわらわにも不備はある。……それにこのからだ、我らからは生ぜぬ、ユヱネス独特の美も感じる。気に入った。それに免じ、わらわからは何の罰を与えることもせぬ」
苦しそうに顔を上げ、不遜に睨み付けるメルティ。
「あっそ。亜種と一緒にしていただいて恐悦至極に存じますわ」
唾でも吐きかけるかと思ったが、やらなかった。かわりに吐いたのは、毒だった。
「さて。ディナミスさまのお言葉も賜ったことだし、さっさと殺してちょうだい。それともこのまま野垂れ死ぬの眺めてたいなら、好きにすればいいけど」
「だからだめだってば」
下がったディナミスのかわりにリカルドが前に出る。
「きみがからだを張って作り上げたいくつもの受精卵があるだろ。きみにはそれを育てる義務と、予定数に達するまでの生産を行う責務がある。大丈夫。延命ならぼくが使っている方法がある。少なくてもあと百年は生きてもらうよ」
は、と笑い飛ばすメルティ。
リカルドは涼しい顔だ。
「あんた、あたしも実験素材にするつもりなの」
「そりゃあね。きみはもうユヱネス。同胞でないのなら、躊躇しないさ」
「この、研究莫迦」
「ありがとう。これ以上無い褒め言葉だよ」
* * *
五年が過ぎた。
「よし、できた」
機械油が染み込んだ袖口で額の汗をぐい、と拭う。
ナリヤ・サトル十八歳。
ベスの診断により、ユヱネスの遺伝子を持ったサヴロスであり、サヴロスの肉体を持ったユヱネスだと断定されたサトルは、やはり船に戻ってタリアとの約束を果たすための毎日を過ごしていた。
法術でいつでもユヱネスの姿になれるため、最初は慣れ親しんだユヱネスの姿で過ごしていたが、サヴロスの姿でも問題なく細かい作業ができると判明してからはずっと法術は使っていない。
ベスはそんなサトルにあまりいい顔はしなかったが。
「よし、祝言をあげるぞ。五年もこんないい女を放っておくなんて、サトルは罪な男だな」
ウィスタリア・マイウス・ソロル・セーリア獣族元王女。いまの名をタリア。十九歳。
そう、元王女だ。
あの一件のあと、彼女は王家から正式に除籍し、ただの獣族(シルウェス)の女性としてサトルと共に船で暮らしている。
父母や一族への説得は苦労したが、サングィスの後押しやサトルがサヴロス王の縁者であることを材料にしてどうにか平和的に解決した。
「ああ、やっとですか。では両家にそのお知らせをしますね。お嬢はご実家でよいとしてサトルさんはサングィス宛てでいいですか?」
タリアがいるということはスズカもいる。
当初はベスとどこまでの世話を担当するかでひと悶着あったが、いまはタリアの世話は全てスズカが行うということで落ち着いている。
『はー、やっと肩の荷が下りました。おめでとう、サトル』
ベスはベスで義体の肩をとんとんと叩きながら、簡素に祝福する。
集まってきた三人に、サトルはひどい渋面を作って愚痴る。
「だから、なんでそんなに結婚させたがるのさ」
タリアのことは嫌いではない。
この五年、タリアは彼女なりに勉強し、サトルと宇宙船を共に造ってきた。
彼女のアシストは有り難く、何気ない言動をヒントにしたことも多々ある。
でも、だからこそ彼女への思いが恋心へと発展しないのだ。
「オスとメスがいれば契を交わすのは当然だろ。サヴロスとなって五年も経つのに、手すらまともに握ろうとしないなんて、お前のほうがおかしいんだ」
おかしいって言われてもさ、と口をとがらせつつ、
「これから試験飛行とかいろいろテストやらないといけないんだから」
「なんだそうか、では試験飛行には私も付き添う。いいな?」
淡々と。出会った頃から背も伸びて女性らしい体つきになったタリアだが、少年のような態度はまるで変わっていない。
「い、いいけど。事故る可能性だってあるんだから、それだけは覚悟しておいてよ」
ふふ、と笑うタリア。
「大丈夫だ。サトルが大事なところで失敗しないオスだというのは、この五年でよく知っている。それに私が一緒なんだ。失敗するはずがないだろ」
ありがと、と返すサトルだが、表情にわずかな翳りが見える。
「どうしたサトル。やっと慣熟飛行だろう」
「ん、なんていうかさ、ぼく、これが完成したら、ほんとうにやることが無くなるなって思って」
母を奪われてからのサトルはただひたすらに剣の道を歩くだけだった。
その母も幸せに暮らし、その過程で知り合ったタリアからの依頼も大半が完了した。
「なんだ。そんなことか」
そんなこと、と言われ、むっと睨むサトル。
「ああすまない。お前には大事な悩みだもんな」
「べつに大事にはしてないけどさ」
「どっちにしても簡単なことだろ」
「だからなにが」
「お前は強い。だからもっと強くなればいい」
う、うん。と頷くがまだ釈然としていない。
「サングィスたちがかつて潰そうとした組織があるだろ?」
この五年、タリアは宇宙船の作成技術だけではなく、サヴロスやリカルドたちの組織が行ってきたことも学んでいる。
「えっと、銀河系に広がってる闘技試合を開催する組織?」
ああ、と頷く。
まさか、と思ったサトルを、自信たっぷりの笑顔が待っていた。
なんでそういうこと思いつくの、と言いたかったが止めた。
いまは、試験飛行が先だ。
* * *
その頃、ようやく再建の終わったサヴロス城の執務室では、事務仕事を終えたサングィスに、休憩のお茶を淹れたサョリが訪ねていた。
「あまり、根を詰めないでください」
「うむ。だが今日で復興に関する事務作業はほぼ終わる。あとは実行するだけだ」
「それは、なによりです」
言って執務机の正面のソファに座り、自分も茶をひと口。
「なら、サトルのこと、少し考えてはいただけませんか?」
ごふっ、と盛大にむせた。
「ああ、ごめんなさい。そんなに驚かれるとは思わなかったので」
慌てて立ち上がって、布巾で濡れた執務机を拭くサョリ。ごほごほと咳き込みながら、すまない、と謝りつつ、濡れた書類に眉をしかめ、秘書を呼んで新しい書類を用意させる。
「サトルを正式に我が子として王家に迎えろ、とでも申すのか? それとも、そなたがサトルに嫁ぐというのも、報いる形にはなるのだろう」
今度はサョリが咳き込む番だった。
「な、な、なにをおっしゃるのですか! サトルは、わたくしの実の子です!」
真っ赤にして叫ぶサョリに、優しく微笑みかけてサングィスは続ける。
「サヴロスにとって近親婚は不自然なことではない。我の父上は母上の実子だ。配下にも臣民にもそのような者は多い。……だからこそ、この病があるのだがな」
ですが、とサョリは反論する。
「わたくしは、あの子とロンガレオ殿との試合、いえ、それよりもずっと前から、サトルを抱きしめたいと思っていました。
けれどそれをやればわたくしはナリヤ・フウコに戻ってしまう。
一度捨てた子と思いをもう一度手にすることなんて、許されるはずがないのです」
そっと伏せた顔を、サングィスは優しく撫でる。
「我は構わぬ。
サトルを産み、育んだそなただからこそ、我は求婚したのだ。
あのような約定を持ち出さなければ、そなたはいまでもユヱネスであれただろうし、サトルも剣士にならなかったやもしれぬ。
むしろサトルがサヴロスになりたいと申したかも知れぬがな。
ともあれ、我はそなたが復縁することになんの意義も不満もない。率先してやるがよい。
結果としてサトルがそなたに求婚したならば、それはなくとも母子ふたりで暮らしたいと申さば我は潔く身を引こう。
そなたたち母子を引き裂いたのは我。その罰は受けねばならぬ」
ばっ、とサングィスから離れ、眉を唇を震わせながら言う。
「わたくしの輿入れに関して、旦那様が受けるべき罰などありません」
「しかし、だな」
いいえ、と強く首を振る。
「サヴロスの宿痾を断つために旦那様はわたくしを娶りました。その気高い思いを踏みにじったのはわたくしです。
挙げ句にサトルに苦労を強いているのに、またその因果を押しつけるようなことは、したくありません。罰を受けるべきは、わたくしの方です。
それに、あの子にはウィスタリア姫……、いまはただのタリアさんですが、彼女がいるではないですか」
さみしそうに微笑むサョリを見て、サングィスは矛先を少し変えた。
「うむ。先日サトルに会った時、『もうすぐ宇宙船が完成するんです』と申しておった。ならば近いのだろうな」
ええ、と頷くサョリ。
「船を作るだけなのに五年もかかるなんて、ベスにも苦労をかけて、ほんとに……」
『あなた方が週に一度サトルから何からナニまで全部搾り取ってるからじゃないですか!』
聞こえたのは間違いなくベスの声。
なにかあった時のために、とサョリが持たされていたデバイスは執務室に常設され、サングィスのよき相談相手となった。たまにこうして時折サョリに対してのみ雷が落ちるが、それも微笑ましく見守っている。
「だ、だってベスの提案じゃない! いまのサトルならサヴロスの救世主になれるって!」
『だれがあそこまでやりなさいと言いましたか!』
「あ、あの子がそうしてくれって言うから」
『だまらっしゃい! いろんな意味で育ち盛りのサトルにあれやこれやと教え込んで、タリアとの新婚生活になにかあったらどうするつもりですか!』
「そんなの、若いんだから大丈夫よ。きっと」
『あなたのそういうところが!』
お説教に入りかけたベスを、サングィスが中断させる。
「だがサトルの献身のおかげで我がサヴロスの延命に目処が立った。感謝する。サトルが落ち着いたら披露宴も含めて盛大な催しを開きたいが、いいか?」
『え、あ、はい。サトルに伝えますけど、あの子そういうの好きじゃないですから、おふたりがこちらに来てお食事会とかの方が喜ぶかと思いますよ』
む、と唸るサングィス。
お説教を逃れてほっとしたサョリ。
まだですよ、と釘を刺すベス。
「ともあれ、サトルと我の関係は公表しておらぬ。サトルの平穏も壊したくはない。ベス殿の言うとおり我らがそちらへ赴いたほうがよいであろ」
『はい、お待ちしております』
いつの間にか正座させられているサョリを眺めながら、サングィスは五年前のあの日を思い返していた。
見えるのは、鮮やかなまでの青空。肉眼で空を見上げるなんて何百年ぶりだろう。
でも外に出た覚えなんて、
思い出した。
亜種の遺伝子を入れて、それにからだを馴染ませるために制御用のナノマシンの活動を一瞬切り替えた。たったそれだけであそこまで暴走するなんて。
本当は限界だったのかもしれない。
それを精査することは出来ないけれど。
「まだ、生きてますか」
足下からの声に、聞き覚えがある。
そうだ、あのショタっ子だ。
「自分でひとをダルマにしといて、生きてますかはないわね」
もぞ、と顔だけを起こしてサトルを見る。
女連れだ。
それはいい。あの二体は元々つがいにするつもりだったから。
せいぜい盛って繁殖すればいい。
せっかく採取したあいつの精子が無駄になるのは、ほんの少しだけ残念だけれど。
「……で、なによ。哀れな肉ダルマを、正義のショタっ子が断罪しにきたの? 偉そうにさ」
いいえ、と首を振る。
「あなたには、やるべきことがあるはずです」
「そうね。でももうあたしは死ぬ。せっかくあんたに精子いっぱい出してもらって悪いけど、無駄に、なっちゃったわね」
「いいや、きみは死ねないよ」
ばさぁっ、と強い羽ばたき音と共にリカルドが降り立つ。
「リカルドさん、と……アウィスの女王さま?」
両手は翼、両足は猛禽類のそれに似たままの姿だったが、表情は比較的穏やかな、ユヱネスで言えば五十代半ばほどのものだった。
「もう自我を取り戻したのか。さすがだな」
肉塊へと走り出す前に受けた説明によれば、ディナミスの肉体は元に戻せても自我の回復には相当な時間がかかると聞いていたタリアの言葉尻には、若干の驚きも交っていた。
「うむ。支配を抗って自我を壊されるよりも、法術で奥底に封じ込め、徐々に肉体の支配を取り戻したほうが負担は少ないと判断してな」
「そうか。腐っても鳥族《アウィス》の女王だな」
「褒め言葉と受け取っておく。幼き獣族《シルウェス》の姫よ」
ふふ、と微笑みかけ、サトルに視線をやり、ぎこちなく頭を下げる。彼女たちアウィスには礼節の一環として頭を下げる風習がないのだ。
「世話になったなユヱネスの少年」
いえぼくはなにも、と返すサトルに微笑みかけながら、ディナミスはメルティに歩み寄る。
「そちに施されたあらゆる所業。到底許すことは出来ぬが、そうさせたわらわにも不備はある。……それにこのからだ、我らからは生ぜぬ、ユヱネス独特の美も感じる。気に入った。それに免じ、わらわからは何の罰を与えることもせぬ」
苦しそうに顔を上げ、不遜に睨み付けるメルティ。
「あっそ。亜種と一緒にしていただいて恐悦至極に存じますわ」
唾でも吐きかけるかと思ったが、やらなかった。かわりに吐いたのは、毒だった。
「さて。ディナミスさまのお言葉も賜ったことだし、さっさと殺してちょうだい。それともこのまま野垂れ死ぬの眺めてたいなら、好きにすればいいけど」
「だからだめだってば」
下がったディナミスのかわりにリカルドが前に出る。
「きみがからだを張って作り上げたいくつもの受精卵があるだろ。きみにはそれを育てる義務と、予定数に達するまでの生産を行う責務がある。大丈夫。延命ならぼくが使っている方法がある。少なくてもあと百年は生きてもらうよ」
は、と笑い飛ばすメルティ。
リカルドは涼しい顔だ。
「あんた、あたしも実験素材にするつもりなの」
「そりゃあね。きみはもうユヱネス。同胞でないのなら、躊躇しないさ」
「この、研究莫迦」
「ありがとう。これ以上無い褒め言葉だよ」
* * *
五年が過ぎた。
「よし、できた」
機械油が染み込んだ袖口で額の汗をぐい、と拭う。
ナリヤ・サトル十八歳。
ベスの診断により、ユヱネスの遺伝子を持ったサヴロスであり、サヴロスの肉体を持ったユヱネスだと断定されたサトルは、やはり船に戻ってタリアとの約束を果たすための毎日を過ごしていた。
法術でいつでもユヱネスの姿になれるため、最初は慣れ親しんだユヱネスの姿で過ごしていたが、サヴロスの姿でも問題なく細かい作業ができると判明してからはずっと法術は使っていない。
ベスはそんなサトルにあまりいい顔はしなかったが。
「よし、祝言をあげるぞ。五年もこんないい女を放っておくなんて、サトルは罪な男だな」
ウィスタリア・マイウス・ソロル・セーリア獣族元王女。いまの名をタリア。十九歳。
そう、元王女だ。
あの一件のあと、彼女は王家から正式に除籍し、ただの獣族(シルウェス)の女性としてサトルと共に船で暮らしている。
父母や一族への説得は苦労したが、サングィスの後押しやサトルがサヴロス王の縁者であることを材料にしてどうにか平和的に解決した。
「ああ、やっとですか。では両家にそのお知らせをしますね。お嬢はご実家でよいとしてサトルさんはサングィス宛てでいいですか?」
タリアがいるということはスズカもいる。
当初はベスとどこまでの世話を担当するかでひと悶着あったが、いまはタリアの世話は全てスズカが行うということで落ち着いている。
『はー、やっと肩の荷が下りました。おめでとう、サトル』
ベスはベスで義体の肩をとんとんと叩きながら、簡素に祝福する。
集まってきた三人に、サトルはひどい渋面を作って愚痴る。
「だから、なんでそんなに結婚させたがるのさ」
タリアのことは嫌いではない。
この五年、タリアは彼女なりに勉強し、サトルと宇宙船を共に造ってきた。
彼女のアシストは有り難く、何気ない言動をヒントにしたことも多々ある。
でも、だからこそ彼女への思いが恋心へと発展しないのだ。
「オスとメスがいれば契を交わすのは当然だろ。サヴロスとなって五年も経つのに、手すらまともに握ろうとしないなんて、お前のほうがおかしいんだ」
おかしいって言われてもさ、と口をとがらせつつ、
「これから試験飛行とかいろいろテストやらないといけないんだから」
「なんだそうか、では試験飛行には私も付き添う。いいな?」
淡々と。出会った頃から背も伸びて女性らしい体つきになったタリアだが、少年のような態度はまるで変わっていない。
「い、いいけど。事故る可能性だってあるんだから、それだけは覚悟しておいてよ」
ふふ、と笑うタリア。
「大丈夫だ。サトルが大事なところで失敗しないオスだというのは、この五年でよく知っている。それに私が一緒なんだ。失敗するはずがないだろ」
ありがと、と返すサトルだが、表情にわずかな翳りが見える。
「どうしたサトル。やっと慣熟飛行だろう」
「ん、なんていうかさ、ぼく、これが完成したら、ほんとうにやることが無くなるなって思って」
母を奪われてからのサトルはただひたすらに剣の道を歩くだけだった。
その母も幸せに暮らし、その過程で知り合ったタリアからの依頼も大半が完了した。
「なんだ。そんなことか」
そんなこと、と言われ、むっと睨むサトル。
「ああすまない。お前には大事な悩みだもんな」
「べつに大事にはしてないけどさ」
「どっちにしても簡単なことだろ」
「だからなにが」
「お前は強い。だからもっと強くなればいい」
う、うん。と頷くがまだ釈然としていない。
「サングィスたちがかつて潰そうとした組織があるだろ?」
この五年、タリアは宇宙船の作成技術だけではなく、サヴロスやリカルドたちの組織が行ってきたことも学んでいる。
「えっと、銀河系に広がってる闘技試合を開催する組織?」
ああ、と頷く。
まさか、と思ったサトルを、自信たっぷりの笑顔が待っていた。
なんでそういうこと思いつくの、と言いたかったが止めた。
いまは、試験飛行が先だ。
* * *
その頃、ようやく再建の終わったサヴロス城の執務室では、事務仕事を終えたサングィスに、休憩のお茶を淹れたサョリが訪ねていた。
「あまり、根を詰めないでください」
「うむ。だが今日で復興に関する事務作業はほぼ終わる。あとは実行するだけだ」
「それは、なによりです」
言って執務机の正面のソファに座り、自分も茶をひと口。
「なら、サトルのこと、少し考えてはいただけませんか?」
ごふっ、と盛大にむせた。
「ああ、ごめんなさい。そんなに驚かれるとは思わなかったので」
慌てて立ち上がって、布巾で濡れた執務机を拭くサョリ。ごほごほと咳き込みながら、すまない、と謝りつつ、濡れた書類に眉をしかめ、秘書を呼んで新しい書類を用意させる。
「サトルを正式に我が子として王家に迎えろ、とでも申すのか? それとも、そなたがサトルに嫁ぐというのも、報いる形にはなるのだろう」
今度はサョリが咳き込む番だった。
「な、な、なにをおっしゃるのですか! サトルは、わたくしの実の子です!」
真っ赤にして叫ぶサョリに、優しく微笑みかけてサングィスは続ける。
「サヴロスにとって近親婚は不自然なことではない。我の父上は母上の実子だ。配下にも臣民にもそのような者は多い。……だからこそ、この病があるのだがな」
ですが、とサョリは反論する。
「わたくしは、あの子とロンガレオ殿との試合、いえ、それよりもずっと前から、サトルを抱きしめたいと思っていました。
けれどそれをやればわたくしはナリヤ・フウコに戻ってしまう。
一度捨てた子と思いをもう一度手にすることなんて、許されるはずがないのです」
そっと伏せた顔を、サングィスは優しく撫でる。
「我は構わぬ。
サトルを産み、育んだそなただからこそ、我は求婚したのだ。
あのような約定を持ち出さなければ、そなたはいまでもユヱネスであれただろうし、サトルも剣士にならなかったやもしれぬ。
むしろサトルがサヴロスになりたいと申したかも知れぬがな。
ともあれ、我はそなたが復縁することになんの意義も不満もない。率先してやるがよい。
結果としてサトルがそなたに求婚したならば、それはなくとも母子ふたりで暮らしたいと申さば我は潔く身を引こう。
そなたたち母子を引き裂いたのは我。その罰は受けねばならぬ」
ばっ、とサングィスから離れ、眉を唇を震わせながら言う。
「わたくしの輿入れに関して、旦那様が受けるべき罰などありません」
「しかし、だな」
いいえ、と強く首を振る。
「サヴロスの宿痾を断つために旦那様はわたくしを娶りました。その気高い思いを踏みにじったのはわたくしです。
挙げ句にサトルに苦労を強いているのに、またその因果を押しつけるようなことは、したくありません。罰を受けるべきは、わたくしの方です。
それに、あの子にはウィスタリア姫……、いまはただのタリアさんですが、彼女がいるではないですか」
さみしそうに微笑むサョリを見て、サングィスは矛先を少し変えた。
「うむ。先日サトルに会った時、『もうすぐ宇宙船が完成するんです』と申しておった。ならば近いのだろうな」
ええ、と頷くサョリ。
「船を作るだけなのに五年もかかるなんて、ベスにも苦労をかけて、ほんとに……」
『あなた方が週に一度サトルから何からナニまで全部搾り取ってるからじゃないですか!』
聞こえたのは間違いなくベスの声。
なにかあった時のために、とサョリが持たされていたデバイスは執務室に常設され、サングィスのよき相談相手となった。たまにこうして時折サョリに対してのみ雷が落ちるが、それも微笑ましく見守っている。
「だ、だってベスの提案じゃない! いまのサトルならサヴロスの救世主になれるって!」
『だれがあそこまでやりなさいと言いましたか!』
「あ、あの子がそうしてくれって言うから」
『だまらっしゃい! いろんな意味で育ち盛りのサトルにあれやこれやと教え込んで、タリアとの新婚生活になにかあったらどうするつもりですか!』
「そんなの、若いんだから大丈夫よ。きっと」
『あなたのそういうところが!』
お説教に入りかけたベスを、サングィスが中断させる。
「だがサトルの献身のおかげで我がサヴロスの延命に目処が立った。感謝する。サトルが落ち着いたら披露宴も含めて盛大な催しを開きたいが、いいか?」
『え、あ、はい。サトルに伝えますけど、あの子そういうの好きじゃないですから、おふたりがこちらに来てお食事会とかの方が喜ぶかと思いますよ』
む、と唸るサングィス。
お説教を逃れてほっとしたサョリ。
まだですよ、と釘を刺すベス。
「ともあれ、サトルと我の関係は公表しておらぬ。サトルの平穏も壊したくはない。ベス殿の言うとおり我らがそちらへ赴いたほうがよいであろ」
『はい、お待ちしております』
いつの間にか正座させられているサョリを眺めながら、サングィスは五年前のあの日を思い返していた。
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