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もうひとりの地球人
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「えっと、ここが入ってきたところで、あっちがぼくが着替えた部屋……」
食事を終えてサトルは部屋をひと通り見てまわった。
部屋には風呂とトイレとキッチンがひとつずつと寝室はふたつ。あとはリビングがひとつと、二人で生活するには十分な設備がそろっていた。
あんなペーストの食事を配給してくるのになんでキッチンがあるのか不思議だったが、おそらくこの施設の食糧事情がこうなる以前からあった部屋なのだと思い至る。
空調も完備されていて、あとは適度な娯楽でもあればここから出ようとする意思がどれだけ持続するかサトルには自信が無かった。
問題は、出口がないこと。
いや、実際にはドアにあたる部分はあるのだが、電子ロックがかかっていて開くことができない。
さきほど採っていた食事、のようなものはそのドアの腰当たりの高さにあるスリットから投入された。そこだけが外界に触れられるが、指先ぐらいしか出せなかったので諦めた。
「えっと、どうしよう」
困り果てたように苦笑し、タリアは叱責する。
「もう降参か。さきほどあれだけ息巻いていたのに、諦めがはやいぞ」
「そんなこと言われてもさ、入力デバイスがなにも無いんだもん。イスとかぶつけて壊せるならいいけど、たぶん無理だろうし」
むぅと唸り、タリアは立ち上がる。
「なら、私が殴ってみようか?」
「え、だってタリアはいま法術を使えないんでしょ? それなのに殴ったら」
「私だってシルウェスだ。ユヱネスよりは筋力はあるぞ」
ぐっと力こぶを作ってみせる。
「だったらなんでぼくが来る前にやらなかったのさ」
「あいつらが、サトルと番になってもらうと言っていたからな。だったらお前と一緒の方がいろいろ便利だと思ったからな」
つがい、と言われて、ここに放り込まれる前にあの女が口にした言葉と、タリアが女性であることが改めて自覚される。
「ど、どうした急に赤くなって! なにかの病気か?!」
「ち、ちがうよ。そういうんじゃない、から」
確かにあのとき、タリアが女の子で良かったと言った。あのときは深く考えずに口にしたけれど、こうしてまじまじと見ると、やっぱり女の子で、きれいで、このまま逃げずにいたら自分はこの子と、つがいに。
ノックが鳴り響いた。
どきん、と鼓動が速まる。
『少し、いいかな』
男の声だった。
* * *
「では、行ってくる。ベス殿、後詰めを頼む」
『はい。念のためもう一度説明しますが、皆様にお渡ししたデバイスは、私やこの船とはリンクしていないスタンドアローンです。
向こうの制御システムが私の分身《わけみ》であり、あちらの攻勢プログラムがどんなものであるか不明瞭である現状では、仕方ないことと割り切ってください。私があの方々に乗っ取られることだけは避けたいのです。
デバイスには、容量の関係で多少能力は落ちていますが、私の分身(わけみ)を入れてあります。施設のどこにでもいいので固定してもらえればそこから施設に割り込んで施設の把握や能力の増強、時間があれば掌握も行います。
なので以降は彼女の指示に従ってください』
四人が頷くのを待ってベスは深くお辞儀をする。
『皆様も、どうかお気を付けて』
挨拶を交わし、サョリはアクセルを踏み込む。
四人が乗るのは現地調査用のバギー。助手席にサングィス、後部座席にトルアとスズカが座っている。
当初はデバイスと同じくベスの分身を移植しての自動運転で、と提案されていたが、突如サョリが自分が運転したい、と申し出たため、ハンドルを握ることになった。
開け放たれたハッチからバギーは勢いよく走り出し、ベスは静かに見送った。
『さて。こちらもがんばらなくては』
まだ、やるべきことが残っているのだから。
* * *
「どちらさま、ですか」
「ああこれはすまない。僕はリカルド。リカルド・ダンニガン。この施設の責任者だよ」
突然の訪問者にサトルとタリアは顔を見合わせる。
「ええと、すいません。ぼくたちは捕虜みたいなものです。ぼくをここへ連れてきた女の人は家畜にするとまで言っていました。そういう組織の責任者のひとと、悠長に話をしたいとは、思えません」
だろうね、と嘆息する。
「でも、どういう要件で来たのかを言ってくれるのなら、ここから出してくれるというのなら、話しをしてもいいです」
はは、と笑った。
嘲りの色は感じなかった。
「思ったより胆力があるんだね。その年齢ですごいよ」
「強いひとが、周りにたくさんいましたから」
そうか、と頷いて。
「でもきみたちに僕が入ることを止める手段はない。だから失礼させてもらうよ」
あ、と止める間もなくドアは開く。
三十代半ば、とおぼしき、白衣姿の男性だった。アッシュグレイの髪はぼさぼさ。白衣の下はよれよれの赤いシャツとくたびれたジーンズ。歩くたびに木製のサンダルがカラコロと乾いた音をたてる。
異種族だから、なのだろうか、タリアの目にはサトルとあの男はよく似ているように見えた。サトル本人はあまり気にしていないようだったが。
反射的にサトルはタリアの前に出て彼女をかばう。
「警戒しなくてもいい。見ての通りの学者だ。きみたちをどうこうしようとするなら、まずガスでも流して眠らせているよ」
冗談めかして言われ、タリアは楽しそうに笑う。
「サトルと違って面白いな、お前」
「なんだよそれ」
「サトルは堅物だからな。そのぶん長く楽しめるとは思うけどな」
言ってまた大きく笑う。サトルは、もう、と唇をとがらせて抗議する。
そんなふたりをを横目で見ながらリカルドは施設のAIにコーヒーを用意させ、サトルたちに振る舞った。苦さにタリアは眉をしかめ、サトルからミルクと砂糖を入れてもらってようやく美味しそうに飲んでいた。
サトルは仕草でリカルドを座らせる。
殺意や敵意に類するものは感じない。あの白衣に武器を隠し持っているような膨らみも見当たらない。先ほどリカルド本人も言ったように、自分たちになにかするつもりならもうとっくにやっているだろうと判断してのことだ。
まだ警戒されていることに肩をすくめつつもリカルドは適当な椅子に座り、ふたりもゆっくりと座る。
切り出したのはサトル。
「で、用件はなんですか? ただコーヒーを飲みに来ただけ、なんて言わないですよね」
まさか、と肩をすくめ、
「きみたちを家に帰そうと思ってね」
何を言われたのか分からなかった。
何を言っているのか分からなかった。
リカルドが部屋を開ける前にやった問答は、自分でも軽口以上の意味は無かったし、彼もそう受け取ったと思っていたのに。
「それが本当なら有り難いですが、先に理由を教えてください」
理由? とわざとらしく首をかしげるリカルド。
「あなたはあの女の人の同僚なんでしょう? ぼくたちが必要だからこんなところに閉じ込めてるのに、逃がそうとする理由が分かりません。
そもそも、あなたたちはなにが目的でこんなことをしているんですか?」
言われてリカルドは目を丸くする。後ろでタリアが眉をしかめてリカルドを睨み付ける。
「ああ、そうか、メルティはなにも言わなかったのか」
その名がガスマスクの女のものだろうと推察し、サトルは促す。
「その前に確認だが、サヴロスが滅亡の危機に瀕していることは知っているかい?」
いえ、とサトル。タリアも初耳だったようだ。
分かった、とリカルドは頷く。
「彼らには遺伝子的欠損があって、それは世代を重ねても、どんな治療を施しても取り除くことができない。僕たち地球人の技術で僅かばかり延命できたけど、それもあと数世代で枯れ果ててしまうんだ」
「そんなこと、サングィスさまはひと言も」
慌てるサトルを無視するようにリカルドは続ける。
「でも、それを解決する手段がひとつ見つかった。きみの、ユヱネスの血を採り入れること。でもそれを発見したときにユヱネスはもうきみたち母子だけだったし、本来必要だったのはメスの、母親の染色体」
「でも母はサヴロスに成ったから、ぼくが必要になった、っていうことですね」
そのとおり、とリカルドは満足そうに頷く。
「ぼくが連れてこられた理由は分かりました。だったらなぜタリアまで攫ったんです?」
今度の質問には笑い声がかえってきた。
「ああすまない。きみはユヱネスさいごのひとり。そのことに恐怖は感じないのかい?」
「そんなこと言われても困ります。母も、育ての母もそんなことは一度も言わなかったですから」
「そうなのか。笑ってすまない」
「いえ、いいです。それよりもタリアを連れてきた理由を、」
「僕たちの本来の目的は、種の、この星の知性体の保存と繁栄。ユヱネスだって例外じゃない」
遮られ、はあ、と力なく頷くサトル。
「タリア嬢の属するシルウェスは龍種の中で最もユヱネスの血を濃く受け継いでいる。法術が使えなくなっていることが照査。あとは交配を繰り返してユヱネスの血を濃度を上げていけば、血統としての種族は保持される」
「なんだそれは! まるっきり家畜と同じ扱いではないか!」
激昂するタリア同様、サトルも憤りを隠さない。ここに二刀があれば斬りかかっていたかもしれない。
「やっとあのひとが言っていた意味が分かりました。でも、だったらなんでぼくたちを逃がすんですか? ぼくたちは研究対象じゃないんですか?」
そうさ、とリカルドは微笑む。
「どちらもきみひとりでどうにかなる問題じゃないからね」
それはそうだとサトルも思う。
「いまさら、きみひとりの血を入れた程度で、どうにかなる問題じゃないんだ。普通の家畜なら、結果が出るまで長くても三十年、数世代待てば分かる。
でも、サヴロスは長命。二百年はざらに生きる彼らの遺伝子欠損を解消するために必要な時間がどれだけかかるかぐらい、きみにも分かるだろ?」
それに、と付け加える。
「一千万人いたユヱネスは千年できみひとりになった。
サヴロスはあと千年ほどで絶える。
龍種の派生元である恐竜たちの多くは、僕たちの時間で六五〇〇万年前に滅びている。
やはり過多なんだ。ひとつの星に暮らせるヒト型生物は一種類。僕の見立てではシルウェスだと思うけど、僕の見立てはよく外れるからアテにはしないでくれ」
何を言っているのか解らない。
何を言われたのかも解らない。
混乱するサトル。タリアは鋭く睨み付けているが、リカルドは熱を帯びたように語り続ける。
「古い種族は新しい種族によって駆逐、あるいは統合されていく。古い種族は新しい種族の一部となって生き続ける。僕たちホモ・サピエンスの遺伝子に猿人たちの遺伝子が数パーセント含まれているようにね。
だから楽しみなんだ。シルウェスとアウィスのどちらが残るのか、残った種族がどんな風に進化していくのかが」
リカルドの口調に悪意の一切を感じない。狂気もだ。
ただひたすらに研究者としての興味だけを語っているのだと、サトルもタリアも感じた。
「すまない。つい持論を口にしてしまった」
照れたように鼻をかくリカルドを、タリアは叱責する。
「お前はユヱネスじゃないのか。百歩譲って龍種のわたしたちをそう扱うならともかく、なんでそんな風に同胞《はらから》を扱えるんだ」
意外そうに目を見開き、ああそうか、とリカルドは返す。
「僕は地球人だよ。百年周期でコールドスリープを繰り返して、肉体年齢は四十代。メルティは違う方法を採っているけど、僕も彼女もこの千年間一度も死んでいない、オリジナルの地球人なんだよ」
メルティがそうであるように、この男も地球人。
そんな予想はついていたサトルだったが、タリアは不老長寿を体現するリカルドに興味が湧いたのか、興味深そうに眺めている。
話が脱線する前に、とサトルは話題を戻す。
「あなたたちのことは少し気になりますけど、いまはここから出ることが先です。……ここまで話をしておいて、やっぱり出さないとか言わないですよね」
「ああすまない。長話が過ぎたね」
言ってすっかり温《ぬる》くなったコーヒーを一気に飲み干し、ゆっくりと立ち上がる。
「急ごう。監視システムは誤魔化しているが、いつ追っ手が来ないとも限らない」
言われて立ち上がり、どこかこそこそと出口へ。まずリカルドがドアを開けて周囲を確認しつつ外へ。
ぼくが先に行くよ、とサトルがドアから顔だけを覗かせる。薄暗い。正面は通路を挟んですぐに壁。壁は左右にまっすぐ伸びている。光源は足下に点在する非常灯だけしかなく、右側で待つリカルドの顔もよく見えない。左側も薄暗いが、誰か来ても足音や気配で分かるから、と割り切る。
「少し暗いけど、誰もいないよ。大丈夫みたい」
顔を戻してタリアに言い、敷居をまたぐ。
気配も、足音も感じなかった。
ぐい、と腕を引っ張られ、左側頭部を押さえつけられ、うなじが無防備になる。
「どこへ行くつもり?」
食事を終えてサトルは部屋をひと通り見てまわった。
部屋には風呂とトイレとキッチンがひとつずつと寝室はふたつ。あとはリビングがひとつと、二人で生活するには十分な設備がそろっていた。
あんなペーストの食事を配給してくるのになんでキッチンがあるのか不思議だったが、おそらくこの施設の食糧事情がこうなる以前からあった部屋なのだと思い至る。
空調も完備されていて、あとは適度な娯楽でもあればここから出ようとする意思がどれだけ持続するかサトルには自信が無かった。
問題は、出口がないこと。
いや、実際にはドアにあたる部分はあるのだが、電子ロックがかかっていて開くことができない。
さきほど採っていた食事、のようなものはそのドアの腰当たりの高さにあるスリットから投入された。そこだけが外界に触れられるが、指先ぐらいしか出せなかったので諦めた。
「えっと、どうしよう」
困り果てたように苦笑し、タリアは叱責する。
「もう降参か。さきほどあれだけ息巻いていたのに、諦めがはやいぞ」
「そんなこと言われてもさ、入力デバイスがなにも無いんだもん。イスとかぶつけて壊せるならいいけど、たぶん無理だろうし」
むぅと唸り、タリアは立ち上がる。
「なら、私が殴ってみようか?」
「え、だってタリアはいま法術を使えないんでしょ? それなのに殴ったら」
「私だってシルウェスだ。ユヱネスよりは筋力はあるぞ」
ぐっと力こぶを作ってみせる。
「だったらなんでぼくが来る前にやらなかったのさ」
「あいつらが、サトルと番になってもらうと言っていたからな。だったらお前と一緒の方がいろいろ便利だと思ったからな」
つがい、と言われて、ここに放り込まれる前にあの女が口にした言葉と、タリアが女性であることが改めて自覚される。
「ど、どうした急に赤くなって! なにかの病気か?!」
「ち、ちがうよ。そういうんじゃない、から」
確かにあのとき、タリアが女の子で良かったと言った。あのときは深く考えずに口にしたけれど、こうしてまじまじと見ると、やっぱり女の子で、きれいで、このまま逃げずにいたら自分はこの子と、つがいに。
ノックが鳴り響いた。
どきん、と鼓動が速まる。
『少し、いいかな』
男の声だった。
* * *
「では、行ってくる。ベス殿、後詰めを頼む」
『はい。念のためもう一度説明しますが、皆様にお渡ししたデバイスは、私やこの船とはリンクしていないスタンドアローンです。
向こうの制御システムが私の分身《わけみ》であり、あちらの攻勢プログラムがどんなものであるか不明瞭である現状では、仕方ないことと割り切ってください。私があの方々に乗っ取られることだけは避けたいのです。
デバイスには、容量の関係で多少能力は落ちていますが、私の分身(わけみ)を入れてあります。施設のどこにでもいいので固定してもらえればそこから施設に割り込んで施設の把握や能力の増強、時間があれば掌握も行います。
なので以降は彼女の指示に従ってください』
四人が頷くのを待ってベスは深くお辞儀をする。
『皆様も、どうかお気を付けて』
挨拶を交わし、サョリはアクセルを踏み込む。
四人が乗るのは現地調査用のバギー。助手席にサングィス、後部座席にトルアとスズカが座っている。
当初はデバイスと同じくベスの分身を移植しての自動運転で、と提案されていたが、突如サョリが自分が運転したい、と申し出たため、ハンドルを握ることになった。
開け放たれたハッチからバギーは勢いよく走り出し、ベスは静かに見送った。
『さて。こちらもがんばらなくては』
まだ、やるべきことが残っているのだから。
* * *
「どちらさま、ですか」
「ああこれはすまない。僕はリカルド。リカルド・ダンニガン。この施設の責任者だよ」
突然の訪問者にサトルとタリアは顔を見合わせる。
「ええと、すいません。ぼくたちは捕虜みたいなものです。ぼくをここへ連れてきた女の人は家畜にするとまで言っていました。そういう組織の責任者のひとと、悠長に話をしたいとは、思えません」
だろうね、と嘆息する。
「でも、どういう要件で来たのかを言ってくれるのなら、ここから出してくれるというのなら、話しをしてもいいです」
はは、と笑った。
嘲りの色は感じなかった。
「思ったより胆力があるんだね。その年齢ですごいよ」
「強いひとが、周りにたくさんいましたから」
そうか、と頷いて。
「でもきみたちに僕が入ることを止める手段はない。だから失礼させてもらうよ」
あ、と止める間もなくドアは開く。
三十代半ば、とおぼしき、白衣姿の男性だった。アッシュグレイの髪はぼさぼさ。白衣の下はよれよれの赤いシャツとくたびれたジーンズ。歩くたびに木製のサンダルがカラコロと乾いた音をたてる。
異種族だから、なのだろうか、タリアの目にはサトルとあの男はよく似ているように見えた。サトル本人はあまり気にしていないようだったが。
反射的にサトルはタリアの前に出て彼女をかばう。
「警戒しなくてもいい。見ての通りの学者だ。きみたちをどうこうしようとするなら、まずガスでも流して眠らせているよ」
冗談めかして言われ、タリアは楽しそうに笑う。
「サトルと違って面白いな、お前」
「なんだよそれ」
「サトルは堅物だからな。そのぶん長く楽しめるとは思うけどな」
言ってまた大きく笑う。サトルは、もう、と唇をとがらせて抗議する。
そんなふたりをを横目で見ながらリカルドは施設のAIにコーヒーを用意させ、サトルたちに振る舞った。苦さにタリアは眉をしかめ、サトルからミルクと砂糖を入れてもらってようやく美味しそうに飲んでいた。
サトルは仕草でリカルドを座らせる。
殺意や敵意に類するものは感じない。あの白衣に武器を隠し持っているような膨らみも見当たらない。先ほどリカルド本人も言ったように、自分たちになにかするつもりならもうとっくにやっているだろうと判断してのことだ。
まだ警戒されていることに肩をすくめつつもリカルドは適当な椅子に座り、ふたりもゆっくりと座る。
切り出したのはサトル。
「で、用件はなんですか? ただコーヒーを飲みに来ただけ、なんて言わないですよね」
まさか、と肩をすくめ、
「きみたちを家に帰そうと思ってね」
何を言われたのか分からなかった。
何を言っているのか分からなかった。
リカルドが部屋を開ける前にやった問答は、自分でも軽口以上の意味は無かったし、彼もそう受け取ったと思っていたのに。
「それが本当なら有り難いですが、先に理由を教えてください」
理由? とわざとらしく首をかしげるリカルド。
「あなたはあの女の人の同僚なんでしょう? ぼくたちが必要だからこんなところに閉じ込めてるのに、逃がそうとする理由が分かりません。
そもそも、あなたたちはなにが目的でこんなことをしているんですか?」
言われてリカルドは目を丸くする。後ろでタリアが眉をしかめてリカルドを睨み付ける。
「ああ、そうか、メルティはなにも言わなかったのか」
その名がガスマスクの女のものだろうと推察し、サトルは促す。
「その前に確認だが、サヴロスが滅亡の危機に瀕していることは知っているかい?」
いえ、とサトル。タリアも初耳だったようだ。
分かった、とリカルドは頷く。
「彼らには遺伝子的欠損があって、それは世代を重ねても、どんな治療を施しても取り除くことができない。僕たち地球人の技術で僅かばかり延命できたけど、それもあと数世代で枯れ果ててしまうんだ」
「そんなこと、サングィスさまはひと言も」
慌てるサトルを無視するようにリカルドは続ける。
「でも、それを解決する手段がひとつ見つかった。きみの、ユヱネスの血を採り入れること。でもそれを発見したときにユヱネスはもうきみたち母子だけだったし、本来必要だったのはメスの、母親の染色体」
「でも母はサヴロスに成ったから、ぼくが必要になった、っていうことですね」
そのとおり、とリカルドは満足そうに頷く。
「ぼくが連れてこられた理由は分かりました。だったらなぜタリアまで攫ったんです?」
今度の質問には笑い声がかえってきた。
「ああすまない。きみはユヱネスさいごのひとり。そのことに恐怖は感じないのかい?」
「そんなこと言われても困ります。母も、育ての母もそんなことは一度も言わなかったですから」
「そうなのか。笑ってすまない」
「いえ、いいです。それよりもタリアを連れてきた理由を、」
「僕たちの本来の目的は、種の、この星の知性体の保存と繁栄。ユヱネスだって例外じゃない」
遮られ、はあ、と力なく頷くサトル。
「タリア嬢の属するシルウェスは龍種の中で最もユヱネスの血を濃く受け継いでいる。法術が使えなくなっていることが照査。あとは交配を繰り返してユヱネスの血を濃度を上げていけば、血統としての種族は保持される」
「なんだそれは! まるっきり家畜と同じ扱いではないか!」
激昂するタリア同様、サトルも憤りを隠さない。ここに二刀があれば斬りかかっていたかもしれない。
「やっとあのひとが言っていた意味が分かりました。でも、だったらなんでぼくたちを逃がすんですか? ぼくたちは研究対象じゃないんですか?」
そうさ、とリカルドは微笑む。
「どちらもきみひとりでどうにかなる問題じゃないからね」
それはそうだとサトルも思う。
「いまさら、きみひとりの血を入れた程度で、どうにかなる問題じゃないんだ。普通の家畜なら、結果が出るまで長くても三十年、数世代待てば分かる。
でも、サヴロスは長命。二百年はざらに生きる彼らの遺伝子欠損を解消するために必要な時間がどれだけかかるかぐらい、きみにも分かるだろ?」
それに、と付け加える。
「一千万人いたユヱネスは千年できみひとりになった。
サヴロスはあと千年ほどで絶える。
龍種の派生元である恐竜たちの多くは、僕たちの時間で六五〇〇万年前に滅びている。
やはり過多なんだ。ひとつの星に暮らせるヒト型生物は一種類。僕の見立てではシルウェスだと思うけど、僕の見立てはよく外れるからアテにはしないでくれ」
何を言っているのか解らない。
何を言われたのかも解らない。
混乱するサトル。タリアは鋭く睨み付けているが、リカルドは熱を帯びたように語り続ける。
「古い種族は新しい種族によって駆逐、あるいは統合されていく。古い種族は新しい種族の一部となって生き続ける。僕たちホモ・サピエンスの遺伝子に猿人たちの遺伝子が数パーセント含まれているようにね。
だから楽しみなんだ。シルウェスとアウィスのどちらが残るのか、残った種族がどんな風に進化していくのかが」
リカルドの口調に悪意の一切を感じない。狂気もだ。
ただひたすらに研究者としての興味だけを語っているのだと、サトルもタリアも感じた。
「すまない。つい持論を口にしてしまった」
照れたように鼻をかくリカルドを、タリアは叱責する。
「お前はユヱネスじゃないのか。百歩譲って龍種のわたしたちをそう扱うならともかく、なんでそんな風に同胞《はらから》を扱えるんだ」
意外そうに目を見開き、ああそうか、とリカルドは返す。
「僕は地球人だよ。百年周期でコールドスリープを繰り返して、肉体年齢は四十代。メルティは違う方法を採っているけど、僕も彼女もこの千年間一度も死んでいない、オリジナルの地球人なんだよ」
メルティがそうであるように、この男も地球人。
そんな予想はついていたサトルだったが、タリアは不老長寿を体現するリカルドに興味が湧いたのか、興味深そうに眺めている。
話が脱線する前に、とサトルは話題を戻す。
「あなたたちのことは少し気になりますけど、いまはここから出ることが先です。……ここまで話をしておいて、やっぱり出さないとか言わないですよね」
「ああすまない。長話が過ぎたね」
言ってすっかり温《ぬる》くなったコーヒーを一気に飲み干し、ゆっくりと立ち上がる。
「急ごう。監視システムは誤魔化しているが、いつ追っ手が来ないとも限らない」
言われて立ち上がり、どこかこそこそと出口へ。まずリカルドがドアを開けて周囲を確認しつつ外へ。
ぼくが先に行くよ、とサトルがドアから顔だけを覗かせる。薄暗い。正面は通路を挟んですぐに壁。壁は左右にまっすぐ伸びている。光源は足下に点在する非常灯だけしかなく、右側で待つリカルドの顔もよく見えない。左側も薄暗いが、誰か来ても足音や気配で分かるから、と割り切る。
「少し暗いけど、誰もいないよ。大丈夫みたい」
顔を戻してタリアに言い、敷居をまたぐ。
気配も、足音も感じなかった。
ぐい、と腕を引っ張られ、左側頭部を押さえつけられ、うなじが無防備になる。
「どこへ行くつもり?」
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