1 / 26
人族の少年
しおりを挟む
分厚いゴーグルに裾のすり切れた防塵マントを首から全身に巻き付けた少年がいる。
名をサトル。
足下に広がるは砂塵渦巻く円形の広場。周囲を囲うのは石造りの高い壁と、その向こうにある観客席。
ぎっしりと詰めかけた観客たちの大半は竜族。
まもなく幕が上がる決戦に、興奮を隠しきれず雄叫びをあげる者もちらほら見える。
サトルに相対するは身の丈三メートルはあろうかと言うサヴロス。突き刺すような陽光を背に受け、その陰でサトルをすっぽりと覆っている。
名をロンガレオ。
巨躯ぞろいのサヴロスの中でも群を抜いた彼を前にしても、サトルはまるで怯まない。
今日の試合は特別だから。
サトルは腰の二刀を抜く。
それだけで歓声がとどろく。
対するロンガレオも腰の斧を両手で握り、ずい、と構える。
身長だけならサトルのほぼ倍。横幅に至っては三倍にも五倍にも感じるロンガレオはしかし、サトルを見下すような発言も視線も向けることはない。
むしろ、笑みさえ浮かべている。
互いに名の知れた戦士。サトルも笑みで返す。が、わずかに引きつっている。それが武者震いなのかは本人さえも分からない。
ふたりの間に緊張が高まる。
「両者とも、準備はいいようだな」
闘技場に野太い男声が響く。サトルたちを含めた観客全員がそちらへ向き直る。
視線の先にある、通常の観客席とは一段高い場所に設けられた豪奢なつくりの観覧席。
そこに立つひとりの男。
赤銅色の鱗が覆うのは分厚くしなやかな筋肉。朱と青磁の混じった翼髪はゆったりと腰まで届く。左腰からは幅広の大剣を下げた、サヴロス。
名をサングィス。
サヴロスの王だ。
彼の後方には、サヴロスにしては珍しく衣類を、それも頭からすっぽりとフードをかぶった女性が控えている。サトルのいる場所からは、逆光で顔を判別することができない。
サングィスは眼下のふたりが頷くのを待って右手を挙げる。赤銅色の鱗が陽光を反射して鈍く輝く。
全員の視線が掲げられた右手に集まる。
永遠にも感じる一瞬の後、サングィスは勢いよく振り下ろす。
「はじめ!」
じり、と二刀を下に構えたままサトルは右へ動く。ロンガレオは視線で追うだけ。
そのままゆっくりと、死角へ入ろうとじりじりとサトルは動く。ロンガレオも体をずらし、斧を左に持ち替えて追う。
「おおおっ!」
先に仕掛けたのはロンガレオ。
その巨躯から似つかわしくない速度の振り下ろし。ずずん、と地響きさえ立てながら振り下ろされた斧はサトルの進路を塞ぎ、その反対側から来る巨岩のような拳との挟撃を狙う。
舞い上がる砂埃を破って何かが飛び上がる。問うまでもなくサトルだ。それを狙ってロンガレオが拳を放つ。空中で二刀で一瞬受け、流す。
くるくると独楽のように縦回転しつつサトルは両足の法術ギアを起動。まるで空気を蹴るようにして跳躍。ロンガレオの太い右腕に足をつき、再度跳躍。
「ぬうっ!」
小柄なサトルはちょろちょろと動き回る。これまでの試合などからそれは理解していたつもりだったが、ここまでとは予想していなかった。
まだ幼さも見え隠れするこの人族ユヱネスの闘士が、自分と闘える場にまで来れた理由にロンガレオは得心した。
サトルの姿がかき消える。慌てず騒がず視線を巡らせるロンガレオ。
「せっ!」
ロンガレオの背後。迎撃よりはやく左の肩甲骨あたりに鋭い痛み。斧を右に持ち替え、振り向きざまに一閃。手応えはない。ほんの一瞬、斧に重み。またか、と刃を上に切り替え、振り上げる。視界の左隅を防塵マントの裾がすり抜ける。
「くっ!」
追撃はせずにバックステップで距離を取る。まずは視界に入れないことには防御もままならない。
「がっ!」
左足。かかとの少し上をやられた。ユヱネスたちの言うアキレス腱までは届かなかったが、バックステップの体勢に入った直後の斬撃に体勢は大きく崩れ、
「おしまい」
とん、と胸元に乗ってきたサトルに喉元へ切っ先を突きつけられ、ロンガレオの巨躯は地響きを立てながら地面に倒れた。これは命を賭けた試合ではない。相手の強さを認められるのもまた強さだとロンガレオは自身の師匠の言葉を思い出し、満面の笑みで宣言する。
「参った。お前の勝ちだ」
一瞬の静寂の後、爆発的な歓声が巻き起こる。
思わず身をすくませるサトルの襟首をつまんでそっと地面へ下ろし、一度立ち上がってロンガレオはサングィスの座る方向へ向き直り、どかりと座る。
「ほら坊主、お待ちかねの時だ」
ぐい、とサトルの背中を押し、彼としては軽くたたく。しかし反動で大きくふらついてしまう。しゃんとしろ、と両肩をつまんで背筋を伸ばしてやるとロンガレオは静かに下がった。
それを気配で感じ取りながらサトルは二刀を鞘に、ゴーグルを外して首から下げる。
砂埃にまみれたぼさぼさの黒髪と、予想以上の童顔が一部の女性サヴロスから黄色い歓声を送られる。
またか、と自分の童顔に辟易するもサトルはすぐに気持ちを切り替える。
観客たちも声を息を潜め、サトルの言葉に耳を傾ける。
試合中の大歓声から一転しての静寂に、サトルは緊張の度合いを深めつつ息を吸い込む。
「さ、サングィスさま、お願いがあります」
「ああ。この試合の勝者には褒美として願いを叶える約定がある。なんなりと申せ」
半年に一度開催される闘技大会には必ず、サヴロスの王サングィスが観戦し、その勝者には褒美として願いをひとつ叶えるのが習わしだ。
「母を、ぼくの母親を、あなたたちが五年前に攫っていったナリヤ・フウコを返してください」
サトルの発言に観客席はざわつく。
「……それは、」
一瞬の沈黙の後、重苦しく言いかけたサングィスは叫ぶ。
「後ろだ!」
え、と振り返ったそこに、ティラノサウルス・レックスがいた。
いや、違う。本物のティラノサウルスなら腕はこんなに長くないし、その手に斧を握りしめて振り回したり、口から法術の炎を吐いたりなんかしない。だからこのティラノサウルスはサヴロス。それもおそらく、ロンガレオだ。
「先祖返りだ」
つぶやきつつサトルは二刀を抜く。
「サトルよ。お前の願い、その先祖返りをお前の力のみで沈静化できたのであれば、叶えてみせよう」
試合には勝ったのに、と内心歯噛みしつつサトルはこう返す。
「本当、ですか」
「サングィスの名においての約定だ。信頼に値すると思うが」
「わかりました。なんとかしてみせます」
近年、一部のサヴロスがああいう姿になってしまう現象は、サトルも何度か見聞きしている。
そして、元に戻す方法も。
「いきます!」
両足の法術ギアを起動。試合中よりも遙か遙か高くへサトルは跳び上がる。
あんなに広く感じた試合場が、いまはすっぽり視界に入る。観客たちは悲鳴を上げながら逃げ惑っている。サングィスの隣に立つ女性がフード越しにこちらを見ているが、いまのサトルには些事だ。
「だああっ!」
斧を手に、口元から牙と小さな炎をのぞかせながら暴れるロンガレオのうなじへ、文字通りの峰打ちを打つ。
両腕と胸の法術ギアの出力も借りての一撃は、ロンガレオの巨木のような両足を地面へめり込ませ、鈍いうめき声をあげさせた。
しかし、それまで。
ロンガレオは腰を捻り、上半身だけをぐるりと半回転。その反動だけでサトルのからだは試合場の壁に激突。もう一瞬反応が遅れて法術ギアの出力を上げておかなければどうなっていたか。
「がっ!」
肺から空気が一気に押し出され、意識が一瞬飛ぶ。その一瞬でロンガレオは両足を地面から抜き、ずしんずしんとサトルへ近づいてくる。
壁に深くめり込んでからだの自由がきかないサトルへ、ロンガレオは斧を振りかぶる。
「こっちだ!」
少年の声。
ヒビキが理解できたのはそれだけ。直後、ロンガレオの左太もものあたりで爆発が起きる。今度は咆哮をあげる。
「はやく抜け出せ!」
そんなこと言われても、全身を激痛が駆け巡ってそれどころではない。
「少し荒くするぞ!」
え、と聞き返すよりもはやく、サトルがめり込んでいるすぐ右の壁が爆発する。その影響でサトルがめり込んでいる部分がもろくなり、ぽろりと落下する。受け身を、と思うが激痛でからだが動かない。
このままでは地面に顔から激突してしまう、とせめて覚悟だけは決めた。
「もう、なにやってんだよ」
ふわり、とからだが軽くなる。なにかに支えられている、と視線を巡らせると、左側に淡い蒼の髪の少年がいる。両手で横から抱きかかえられているのだと気付くと、急に恥ずかしくなったが、痛みでもがくこともできかなかった。
見たところ、肌に鱗は見当たらないからユヱネスだろうと思ったが、琥珀色の瞳は縦に虹彩が入っているのを見ると、竜の血も入っているのだと思い直した。
少年は太長いおさげをはためかせながらゆっくりと着地。
「おろすぞ」
そっと仰向けに寝かされ、額と腹にお札のようなものが貼られる。
「しばらくじっとしていろ。その札が傷を癒やす」
「あ、ありがと」
「もうしゃべれるのか、さすがだな」
そう言い残して少年はおさげを翻してロンガレオへ向かう。ここでやっと、少年が自身の身長の倍もあるマスケット銃を担いでいることに気付く。
さっきの爆発はあれで、とストックと銃身に施された法術印を見てサトルは思う。
じゃあ自分と同じユヱネスなのかな、とぼんやり考えつつ少年を視線で追う。
ロンガレオは少年を標的に変え、一見乱雑に、しかし巧みに斧を振り回して壁際へと追い込む。少年は危なげなく斧を回避しつつマスケット銃で牽制。命中はするが威力を抑えているのか、ロンガレオの動きによどみは生まれない。
やがて、少年のかかとが壁に付く。少年はむしろ笑顔さえ浮かべつつマスケット銃に力を込める。ロンガレオが大きく振りかぶった斧を、少年の脳天めがけて振り下ろす。
刃が少年に触れる寸前、その姿はかき消え、斧は砂埃と轟音をまき散らして地面にめり込む。
「食らえ!」
腰撓めに構えたマスケット銃から放たれた巨大な光球は、ロンガレオの顔をかすめ、まっすぐにサングィスへとすさまじい速度で向かう。
え、とサトルが目を丸くする。
サングィスは豪奢な椅子に座ったまま微動だにせず、思わずサトルが立ち上がった刹那、
「無礼者!」
女の声。
ずっとサングィスの脇に控えていた女性が光球との間に割り込み、手をかざして光球を受け止め、まっすぐ少年へ向けてはじき返した。
反動でフードがはだけ、現れた亜麻色の鱗が艶めく顔にサトルは叫んだ。
「母さん?!」
サトルの声に気付いた女性は慌てた様子でフードをかぶり直し、背を向けてしまう。
その仕草だけで十分だ。
あの女性は母だ。
自分はユヱネスで彼女はサヴロス。だが、彼女が母であると直覚する。
よかった。
母は、生きている。
それだけで十分だ。
ロンガレオを先祖返りから元に戻せば母をかえすとサングィスは言った。
サヴロスにとって約定は覆すことのできない絶対なもの。
おでこと腹部のお札を剥がし、ズボンのポケットにしまい、サトルは二刀を抜く。
フードの女がはじき返した光球が少年をかすめ、壁に激突。爆発してその役目を終える。
すうぅ、と大きく息を吸い込み、
「こっちだ!」
名をサトル。
足下に広がるは砂塵渦巻く円形の広場。周囲を囲うのは石造りの高い壁と、その向こうにある観客席。
ぎっしりと詰めかけた観客たちの大半は竜族。
まもなく幕が上がる決戦に、興奮を隠しきれず雄叫びをあげる者もちらほら見える。
サトルに相対するは身の丈三メートルはあろうかと言うサヴロス。突き刺すような陽光を背に受け、その陰でサトルをすっぽりと覆っている。
名をロンガレオ。
巨躯ぞろいのサヴロスの中でも群を抜いた彼を前にしても、サトルはまるで怯まない。
今日の試合は特別だから。
サトルは腰の二刀を抜く。
それだけで歓声がとどろく。
対するロンガレオも腰の斧を両手で握り、ずい、と構える。
身長だけならサトルのほぼ倍。横幅に至っては三倍にも五倍にも感じるロンガレオはしかし、サトルを見下すような発言も視線も向けることはない。
むしろ、笑みさえ浮かべている。
互いに名の知れた戦士。サトルも笑みで返す。が、わずかに引きつっている。それが武者震いなのかは本人さえも分からない。
ふたりの間に緊張が高まる。
「両者とも、準備はいいようだな」
闘技場に野太い男声が響く。サトルたちを含めた観客全員がそちらへ向き直る。
視線の先にある、通常の観客席とは一段高い場所に設けられた豪奢なつくりの観覧席。
そこに立つひとりの男。
赤銅色の鱗が覆うのは分厚くしなやかな筋肉。朱と青磁の混じった翼髪はゆったりと腰まで届く。左腰からは幅広の大剣を下げた、サヴロス。
名をサングィス。
サヴロスの王だ。
彼の後方には、サヴロスにしては珍しく衣類を、それも頭からすっぽりとフードをかぶった女性が控えている。サトルのいる場所からは、逆光で顔を判別することができない。
サングィスは眼下のふたりが頷くのを待って右手を挙げる。赤銅色の鱗が陽光を反射して鈍く輝く。
全員の視線が掲げられた右手に集まる。
永遠にも感じる一瞬の後、サングィスは勢いよく振り下ろす。
「はじめ!」
じり、と二刀を下に構えたままサトルは右へ動く。ロンガレオは視線で追うだけ。
そのままゆっくりと、死角へ入ろうとじりじりとサトルは動く。ロンガレオも体をずらし、斧を左に持ち替えて追う。
「おおおっ!」
先に仕掛けたのはロンガレオ。
その巨躯から似つかわしくない速度の振り下ろし。ずずん、と地響きさえ立てながら振り下ろされた斧はサトルの進路を塞ぎ、その反対側から来る巨岩のような拳との挟撃を狙う。
舞い上がる砂埃を破って何かが飛び上がる。問うまでもなくサトルだ。それを狙ってロンガレオが拳を放つ。空中で二刀で一瞬受け、流す。
くるくると独楽のように縦回転しつつサトルは両足の法術ギアを起動。まるで空気を蹴るようにして跳躍。ロンガレオの太い右腕に足をつき、再度跳躍。
「ぬうっ!」
小柄なサトルはちょろちょろと動き回る。これまでの試合などからそれは理解していたつもりだったが、ここまでとは予想していなかった。
まだ幼さも見え隠れするこの人族ユヱネスの闘士が、自分と闘える場にまで来れた理由にロンガレオは得心した。
サトルの姿がかき消える。慌てず騒がず視線を巡らせるロンガレオ。
「せっ!」
ロンガレオの背後。迎撃よりはやく左の肩甲骨あたりに鋭い痛み。斧を右に持ち替え、振り向きざまに一閃。手応えはない。ほんの一瞬、斧に重み。またか、と刃を上に切り替え、振り上げる。視界の左隅を防塵マントの裾がすり抜ける。
「くっ!」
追撃はせずにバックステップで距離を取る。まずは視界に入れないことには防御もままならない。
「がっ!」
左足。かかとの少し上をやられた。ユヱネスたちの言うアキレス腱までは届かなかったが、バックステップの体勢に入った直後の斬撃に体勢は大きく崩れ、
「おしまい」
とん、と胸元に乗ってきたサトルに喉元へ切っ先を突きつけられ、ロンガレオの巨躯は地響きを立てながら地面に倒れた。これは命を賭けた試合ではない。相手の強さを認められるのもまた強さだとロンガレオは自身の師匠の言葉を思い出し、満面の笑みで宣言する。
「参った。お前の勝ちだ」
一瞬の静寂の後、爆発的な歓声が巻き起こる。
思わず身をすくませるサトルの襟首をつまんでそっと地面へ下ろし、一度立ち上がってロンガレオはサングィスの座る方向へ向き直り、どかりと座る。
「ほら坊主、お待ちかねの時だ」
ぐい、とサトルの背中を押し、彼としては軽くたたく。しかし反動で大きくふらついてしまう。しゃんとしろ、と両肩をつまんで背筋を伸ばしてやるとロンガレオは静かに下がった。
それを気配で感じ取りながらサトルは二刀を鞘に、ゴーグルを外して首から下げる。
砂埃にまみれたぼさぼさの黒髪と、予想以上の童顔が一部の女性サヴロスから黄色い歓声を送られる。
またか、と自分の童顔に辟易するもサトルはすぐに気持ちを切り替える。
観客たちも声を息を潜め、サトルの言葉に耳を傾ける。
試合中の大歓声から一転しての静寂に、サトルは緊張の度合いを深めつつ息を吸い込む。
「さ、サングィスさま、お願いがあります」
「ああ。この試合の勝者には褒美として願いを叶える約定がある。なんなりと申せ」
半年に一度開催される闘技大会には必ず、サヴロスの王サングィスが観戦し、その勝者には褒美として願いをひとつ叶えるのが習わしだ。
「母を、ぼくの母親を、あなたたちが五年前に攫っていったナリヤ・フウコを返してください」
サトルの発言に観客席はざわつく。
「……それは、」
一瞬の沈黙の後、重苦しく言いかけたサングィスは叫ぶ。
「後ろだ!」
え、と振り返ったそこに、ティラノサウルス・レックスがいた。
いや、違う。本物のティラノサウルスなら腕はこんなに長くないし、その手に斧を握りしめて振り回したり、口から法術の炎を吐いたりなんかしない。だからこのティラノサウルスはサヴロス。それもおそらく、ロンガレオだ。
「先祖返りだ」
つぶやきつつサトルは二刀を抜く。
「サトルよ。お前の願い、その先祖返りをお前の力のみで沈静化できたのであれば、叶えてみせよう」
試合には勝ったのに、と内心歯噛みしつつサトルはこう返す。
「本当、ですか」
「サングィスの名においての約定だ。信頼に値すると思うが」
「わかりました。なんとかしてみせます」
近年、一部のサヴロスがああいう姿になってしまう現象は、サトルも何度か見聞きしている。
そして、元に戻す方法も。
「いきます!」
両足の法術ギアを起動。試合中よりも遙か遙か高くへサトルは跳び上がる。
あんなに広く感じた試合場が、いまはすっぽり視界に入る。観客たちは悲鳴を上げながら逃げ惑っている。サングィスの隣に立つ女性がフード越しにこちらを見ているが、いまのサトルには些事だ。
「だああっ!」
斧を手に、口元から牙と小さな炎をのぞかせながら暴れるロンガレオのうなじへ、文字通りの峰打ちを打つ。
両腕と胸の法術ギアの出力も借りての一撃は、ロンガレオの巨木のような両足を地面へめり込ませ、鈍いうめき声をあげさせた。
しかし、それまで。
ロンガレオは腰を捻り、上半身だけをぐるりと半回転。その反動だけでサトルのからだは試合場の壁に激突。もう一瞬反応が遅れて法術ギアの出力を上げておかなければどうなっていたか。
「がっ!」
肺から空気が一気に押し出され、意識が一瞬飛ぶ。その一瞬でロンガレオは両足を地面から抜き、ずしんずしんとサトルへ近づいてくる。
壁に深くめり込んでからだの自由がきかないサトルへ、ロンガレオは斧を振りかぶる。
「こっちだ!」
少年の声。
ヒビキが理解できたのはそれだけ。直後、ロンガレオの左太もものあたりで爆発が起きる。今度は咆哮をあげる。
「はやく抜け出せ!」
そんなこと言われても、全身を激痛が駆け巡ってそれどころではない。
「少し荒くするぞ!」
え、と聞き返すよりもはやく、サトルがめり込んでいるすぐ右の壁が爆発する。その影響でサトルがめり込んでいる部分がもろくなり、ぽろりと落下する。受け身を、と思うが激痛でからだが動かない。
このままでは地面に顔から激突してしまう、とせめて覚悟だけは決めた。
「もう、なにやってんだよ」
ふわり、とからだが軽くなる。なにかに支えられている、と視線を巡らせると、左側に淡い蒼の髪の少年がいる。両手で横から抱きかかえられているのだと気付くと、急に恥ずかしくなったが、痛みでもがくこともできかなかった。
見たところ、肌に鱗は見当たらないからユヱネスだろうと思ったが、琥珀色の瞳は縦に虹彩が入っているのを見ると、竜の血も入っているのだと思い直した。
少年は太長いおさげをはためかせながらゆっくりと着地。
「おろすぞ」
そっと仰向けに寝かされ、額と腹にお札のようなものが貼られる。
「しばらくじっとしていろ。その札が傷を癒やす」
「あ、ありがと」
「もうしゃべれるのか、さすがだな」
そう言い残して少年はおさげを翻してロンガレオへ向かう。ここでやっと、少年が自身の身長の倍もあるマスケット銃を担いでいることに気付く。
さっきの爆発はあれで、とストックと銃身に施された法術印を見てサトルは思う。
じゃあ自分と同じユヱネスなのかな、とぼんやり考えつつ少年を視線で追う。
ロンガレオは少年を標的に変え、一見乱雑に、しかし巧みに斧を振り回して壁際へと追い込む。少年は危なげなく斧を回避しつつマスケット銃で牽制。命中はするが威力を抑えているのか、ロンガレオの動きによどみは生まれない。
やがて、少年のかかとが壁に付く。少年はむしろ笑顔さえ浮かべつつマスケット銃に力を込める。ロンガレオが大きく振りかぶった斧を、少年の脳天めがけて振り下ろす。
刃が少年に触れる寸前、その姿はかき消え、斧は砂埃と轟音をまき散らして地面にめり込む。
「食らえ!」
腰撓めに構えたマスケット銃から放たれた巨大な光球は、ロンガレオの顔をかすめ、まっすぐにサングィスへとすさまじい速度で向かう。
え、とサトルが目を丸くする。
サングィスは豪奢な椅子に座ったまま微動だにせず、思わずサトルが立ち上がった刹那、
「無礼者!」
女の声。
ずっとサングィスの脇に控えていた女性が光球との間に割り込み、手をかざして光球を受け止め、まっすぐ少年へ向けてはじき返した。
反動でフードがはだけ、現れた亜麻色の鱗が艶めく顔にサトルは叫んだ。
「母さん?!」
サトルの声に気付いた女性は慌てた様子でフードをかぶり直し、背を向けてしまう。
その仕草だけで十分だ。
あの女性は母だ。
自分はユヱネスで彼女はサヴロス。だが、彼女が母であると直覚する。
よかった。
母は、生きている。
それだけで十分だ。
ロンガレオを先祖返りから元に戻せば母をかえすとサングィスは言った。
サヴロスにとって約定は覆すことのできない絶対なもの。
おでこと腹部のお札を剥がし、ズボンのポケットにしまい、サトルは二刀を抜く。
フードの女がはじき返した光球が少年をかすめ、壁に激突。爆発してその役目を終える。
すうぅ、と大きく息を吸い込み、
「こっちだ!」
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
先生!放課後の隣の教室から女子の喘ぎ声が聴こえました…
ヘロディア
恋愛
居残りを余儀なくされた高校生の主人公。
しかし、隣の部屋からかすかに女子の喘ぎ声が聴こえてくるのであった。
気になって覗いてみた主人公は、衝撃的な光景を目の当たりにする…
私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】
小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。
他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。
それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。
友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。
レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。
そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。
レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる