ネカマ姫のチート転生譚

偶像の叫び声５

　陽子の怨嗟の叫びは日本全国に響き渡ったが、正確に聞き取れた者は霊感の強い一部の人間だけである。
　一般人にとっては耳元でスピーカーのキィーンと響くハウリング音を鳴らされたようなものであり、不快感を覚えはするが大した影響はなかった。常識という異能否定の信仰が揺らぐ事態には発展していない。何らかの科学的根拠が放っておいても提唱されるだろう。

　そう、叫び声だけならば問題ではなかったのだ。
　陽子がアイドルマインドのチートを所持していなければこうはならなかった。



「何で……何でだ。何で俺は帰れないんだ？」
「おい、ブツクサ言ってないで話を聞け。お前のせいで俺が上に頭を下げる羽目になっただろうが。俺は言ったよな？　今日までが納期だって。何時までチンタラやってんだクソが」

　耳鳴りに苛立つ上司から叱責に、ブラック企業で働く社畜は囁き声を聞いた。何故と繰り返し。
　それは男の中で終わらない仕事への苛立ちと結び付き、最初から不可能な納期を強要する上司への不快感と結び付き、囁き声の理不尽への嘆きと結び付き。
　姿の見えない弾圧される民衆との同調へと至った。男には理不尽に苦しむ人間が自分だけではないと何故か理解できた。
　目の前の上司が大衆を虐げる巨悪のように錯覚した男は、自分が動かなければ大勢の人間が苦しむと大義名分を手に入れ、笑顔で椅子を上司の頭へと叩き付けた。

「ギィヤッ。な、何をするんだっ。やめ、やめろ！」
「やんなきゃ。俺が、俺がやんなきゃ行けないんだ」

　頭から血を流す上司に何度も何度も男は椅子を振りかぶって叩き付け、我に返ったのは完全に上司の頭を砕いた後だった。



「だからさ、金が要るんだよ。友達がやーさんとトラブったらしくてさ」
「この前は親戚が揉めてたよね。そんなにヤクザと縁があるの？」
「いやいや、俺は単に助けを求められただけで」

　もう数百万は貢いだ女は付き合っている男にまた金を無心されていた。
　最初は借金で、次は仕事に必要だと車の購入資金で、女が渋るようになるとヤクザとトラブルになったと泣きつくようになって延々と金を要求されている。
　真っ赤な嘘だと気付きながらも最後には言われるがままに女は金を出した。捨てられるのが怖かったからだ。
　だが。

「ねえ、婚姻届にサインを書こうとしないのは何で？　結婚式も挙げなくて良いって言ったのに何で渋るの？」
「結婚するつもりはあるよ？　あるけどさ、まだ経済的に余裕がないっていうか」
「その余裕はいつ出来るの。そもそも私はお金を問題にしてないよね？　サインするだけなのに何が嫌なの？」

　何で？　女の脳内で疑問が膨れ上がっていく。ずっと抱いていた不安が何処からか聞こえてくる囁き声で急速に膨れ上がっていく。
　見ない振りをしていた。追求すると関係が壊れてしまう気がして聞けなかった。だけど、何故か今なら躊躇せずに聞くことが出来る。何故か大勢の人間の後押しを受けているような気がしたからだ。
　ここで男が口約束でもOKしてくれるなら女は耐えられた。笑顔でこれでいいのだと民衆に宣言できた。
　だが。

「ちょ、ちょっと熱くなりすぎてるって。一旦冷静になろ。俺は外で一服してくるから」
「何で？」

　逃げるように男は外へ出て行こうとして、逃亡して姿を消すつもりなのだと女は理解した。
　何で我慢する必要があるの？　そう姿の見えない民衆から言われた気がして、女は。

「アガっ？」

　男の背中に包丁を突き刺していた。

「何で？　何で逃げるの？　何で何で何で？」

　何度も何度も男に包丁を突き刺して女は身体が血塗れになった。
　そうして完全に男が動かなくなってから、女は男と会う時は何時も御守りとして忍ばせていた小さい包丁を手放した。

　やっと私のものになった。そう女はホッとして男の頭を撫でた。