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58 新たな出会い
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過去の”学術院卒業生就職業種一覧表”に一通り目を通した私は、綴りの返却を兼ねてもう一度、先ほどの女性司書官へと声を掛けた。
「近隣諸国の情報を簡潔に纏めた指南書と、他国語をアーデルハイド公用語に纏めた書物があればお借りしたいのですが…。日常会話集や、初心者でも学べる語学の手引書も併せてお願いします」
もう一度学生証を提示して頼むと、彼女は目を瞬かせながら「近隣諸国というだけでは、広範囲になり過ぎて書物が絞り切れませんわ。具体的な国名はお判りですか?」と至極当然の事を聞いてきた。
(まあ…普通はそう聞かれるわよねぇ)
「実は、卒業後の進路に悩んでいまして。自分に適性があるのは翻訳士や通訳士なのではないかと、一先ず簡単な語学の手引書から目を通してみたいと思ったのです。お恥ずかしながら、まだ具体的に何処の国が良いのかも判らなくて…」
取り繕っても仕方ないので、はにかみながら答えると、司書官はクスリと笑みを零して「お待ちくださいね」と事務室の奥へと消えていった。
所在投げに受付に眼を向けると、一冊の本が目に留まる。
それは“Lost property~落とし物はなぁに?~”という古びた童話の本だった。
(懐かしいな…私もこの本が大好きで、いつもお母様にせがんでは読んでもらったっけ)
思わず懐かしさに目を細めながら頁をめくると、幼い頃の想い出までもが蘇ってくるようで胸が暖かくなる。
本の世界に引き込まれていた私は、いつの間にか女性司書官がすぐ傍に戻っていた事にも気が付かなかった。
だから、本を閉じてふと目を上げると、目の前で微笑む姿の心臓が文字通り飛び跳ねるほど驚いたのだ。
「ウフフ…すごく優しい顔で読んでいたから、邪魔してはいけないかと思ったのだけれど、却って驚かしてしまったみたいね」
「あっ…その、昔大好きだった童話なので、懐かしくて…。勝手に読んですみませんでした」
「気にしないで?その本は私の私物だし、私の元婚約者が好きだった本なのよ。部屋の掃除をしていたら見つけて、つい懐かしくて、持ってきただけだから」
そう微笑む彼女の薬指には婚姻の証は嵌っていない。
――元、婚約者と言っていたし、彼女にも事情があるのだろう。
「ご要望のアーデルハイド公用語に翻訳されている他国語の手引書は、エビリズ国の物とリバディー王国の物が揃っています。この二か国でしたら翻訳指南書や日常会話集もございますから、直ぐに貸し出しできますよ。エビリズ国は留学生を受け入れている国ですから多国籍文化も混在していますし、学生には手厚い補助もあるので、留学を目的とした移住には最適かと。リバディー王国はアーデルハイドの友好国として条約締結していますから、移住条件も緩和されていますし、公用語もスペルが似通っていますので、入門として語学を学ぶのであれば、比較的覚えやすいかと思いますわ」
…まさか、卒業後の進路の選択肢だと述べただけで、ここまでの懇切丁寧な紹介を受けるとは思わなかった。更に――
「私の母国でもあるリバディー王国の言葉であれば、貴方に語学指導するぐらいは簡単な事ですわ。お一人で、書物で学ぶよりは、会話形式で学んだ方がより理解が深まるとは思いませんこと?」
“図書館での私語は厳禁ですから、利用者のいない時だけですけれど”と微笑む彼女に、私は呆然とその顔を見つめることしか出来なくなる。
――殆ど会話したことさえない利用者に対して、親切すぎる彼女の思惑が読めない。
上手い話には裏があると言うし…そう逡巡する私に「そんなに警戒しないで頂戴」と彼女――オルビナ司書官はクスクスと楽しそうに笑っている。
「先ほど、貴方が目を輝かせて読んでいた童話は、大切な人から贈られた物なの。彼も、いつもキラキラした瞳で頁を捲っていたわ。それを思い出したら、何だか懐かしくて…だから、少しでも力になってあげたいと思っただけの話なの。不審がらせたのなら、ごめんなさいね」
――元婚約者で大切な人…。
そんな風に懐かしむという事は、彼女にとっては未だ過去にはなっていない、今も愛する人なのだろう。
「…詮索する様だけれど、オルビナは、何でそんな風に大切な人と別れてアーデルハイドに移住したの?立ち居振る舞いからも貴女が貴族の令嬢だという事は判るし、元とはいえ婚約者だったのであれば、両親にも認められていた間柄なんだろう?それに今も、貴女の言葉からは彼への愛情が溢れている。――もし良ければ話を聞かせて貰っても…良い?」
瞠目した後、オルビナは「…この童話を昨日見つけたのも、貴方に出会ったのも神の思し召しなのかしらねぇ…」と深いため息を吐いた。
「本当に良くある“初心な貴族令嬢が失恋して婚約破棄された話”なのよ。笑わないで聞いてくれる?」
――彼女の口から語られた過去は、私にとって到底笑えるような話では無かった。
リバディー王国で貴族令嬢として生まれ育ったオルビナには、幼少のみぎりから婚約者の男性がいた。幼馴染のようにいつも傍に居すぎたせいで、淡い恋心を抱くようなことも無いまま、婚姻まで後半年となった頃、婚約者の男性に身分違いの恋人が泣きながら縋っているところを目撃してしまった。
「…幾ら互いに愛し合っていても、身分違いの恋は実らせることが難しい…。駆け落ちなんて簡単に出来る話ではないだろう?…」
彼がそう言いながら、見たことも無い平民と思しき女性を抱きしめているのを目撃した時、オルビナは自分が婚約者の事を愛しているのだと漸く自覚した。
しかし、自分が愛し合う二人の足枷になっていると、それと同時に知ったオルビナは、身を引くことを選んだ。
「…婚約を破棄しましょう。貴方は勝手に誰とでも婚姻すれば良いわ」
婚約者を呼び出して、そう告げた時、彼は戸惑いながらも「だから君と婚姻するんだろう」と怪訝な顔でオルビナを見つめる。
身分違いの恋人との関係がバレていないとでも思っているのかと激高したオルビナは、思わず「私との婚姻に愛なんかない‼お金がそんなに大事なのね⁈」と彼を詰ったのだ。
「…愛は無くても…金と婚姻を結んだと思えば良いだろう⁈…お前とは別れないっ‼」
彼の言葉は、政略結婚の駒として自分を見ていると告げているも同然で、それ故にオルビナは深く傷ついた。愛は無くても、幼馴染として大切に思われていると信じていたからこそ、余計にその傷は深かった。
――自分が此処にいれば、彼は家の為に望まない婚姻を強いられることになる。
彼女はその晩のうちに、アーデルハイド王国に嫁いだ姉に密かに連絡を取り、その伝手で王立学術院への移住と就職を果たしたそうだ。…それ以来、一度も連絡は取っていないそうだ。
「あれからもう、一年近く経つのよねぇ。あの時は勢いだけで逃げ出したけれど、きっと今頃は彼も幸せになってくれていると思うの。私も未練がましく、時々は彼の事を思い出すけれど、彼との想い出を胸に生きていくから良いのよ」
愛おしそうにそっと本を撫でる優しい手つきに、彼女が婚約者の事を未だに深く愛している気持ちが溢れている。
――でも、もうオルビナ自身が過去にすると決めた以上、私に口を挟む権利は無いだろう。
「オルビナの申し出を有難くお受けしても良いだろうか?貴女の仕事の邪魔にならない範囲で、リバディー公用語の指導をお願いできれば助かるのだけれど…」
「ええ、勿論よ。その代わり私のお友達になってもらうわよ?本の感想が言い合えるような趣味の合うお友達が欲しかったの」
「勿論‼これからよろしく。オルビナ」
二人で、図書館内でダラダラと無駄口を叩き続けるのは、場所柄から言っても難しい。
今後、私達は毎日リバディー公用語の翻訳練習を兼ねて、手紙でやり取りをすることを取り決めた。スペルの練習にもなるし、間違えた部分は訂正して、私が朝夕に借り出す本の間に挟んで渡すからと悪戯な微笑みを浮かべている。
「ウフフ…まるで秘密の恋文をやり取りするみたいで、少しだけドキドキするわね」
こうして、私達には誰にも秘密の関係が始まったのだった。
オルビナに提案されて始まった文通は、カールの王立学術院での孤独を埋めて有り余るものになって行った。
最初はリバディー王国の特産品や商品の流通などの紹介文から始まった内容は、今では読んだ書物の感想や、日々の愚痴を吐露する文面へと変わっている。
…その内、隠し立てしていることが心苦しくなった私は、オルビナに男装してはいるが本当は貴族令嬢であることや、望まない婚姻が嫌で将来の道を模索し始めたことも詳細に書き連ねてしまった。
――相手の素性以外を全て…。
“力づくで婚姻を結ばされそうになる事に耐えられない。この理不尽から逃れるための力を付けるために、語学の勉強を始めたんだ”
たどたどしいながらも、リバディー公用語で書いた手紙には『じゃあ、私が貴女を逃がす手助けをしてあげましょうか?』と仰天の返事が来た。
折りしも、オルビナと夕刻の一時、図書館を閉めるまでの一時間はリバディー公用語の会話を勉強会にして貰ったおかげで、一か月が経つ今では簡単な日常の会話ぐらいは出来るようになっていた頃の事である。
「貴女が本気で政略結婚から逃げ出す気持ちがあるのなら、軍資金は必要でしょう?女性が一人で生きてく為にも、今後は仕事として翻訳が出来るようになりなさい。私の伝手を使えば、リバディー公用語の文章翻訳を斡旋してあげられるから」
そう言って手渡された厚い原稿用紙の束は、ビッチリと文字で埋め尽くされている。
「今日から貴女にも仕事の一部を回して働きに見合った給金を手渡すわ。技術を磨いて、いつか来る日に備える様に私も協力するわよ」
――流石、婚約者を捨てて国を出奔してきた女性はいう事もやることも一味違う。
しかもこれなら、翻訳の勉強をしながらお金を稼ぐことが出来るのだから有難い話だ。
「貴女も何れは独り立ちできるようにどんどん仕事を回すから。手早く正確に出来るように頑張ってね。どんな未来が待っているとしても、カールにとっての最善を諦める必要は無いわ。貴女は苦難の道だからって諦めるような柔な令嬢では無いでしょう?」
ニコリと微笑むオルビナに強く頷く。
どんな未来が待っていたとしても、私は最善を尽くすのみなのだから…。
「近隣諸国の情報を簡潔に纏めた指南書と、他国語をアーデルハイド公用語に纏めた書物があればお借りしたいのですが…。日常会話集や、初心者でも学べる語学の手引書も併せてお願いします」
もう一度学生証を提示して頼むと、彼女は目を瞬かせながら「近隣諸国というだけでは、広範囲になり過ぎて書物が絞り切れませんわ。具体的な国名はお判りですか?」と至極当然の事を聞いてきた。
(まあ…普通はそう聞かれるわよねぇ)
「実は、卒業後の進路に悩んでいまして。自分に適性があるのは翻訳士や通訳士なのではないかと、一先ず簡単な語学の手引書から目を通してみたいと思ったのです。お恥ずかしながら、まだ具体的に何処の国が良いのかも判らなくて…」
取り繕っても仕方ないので、はにかみながら答えると、司書官はクスリと笑みを零して「お待ちくださいね」と事務室の奥へと消えていった。
所在投げに受付に眼を向けると、一冊の本が目に留まる。
それは“Lost property~落とし物はなぁに?~”という古びた童話の本だった。
(懐かしいな…私もこの本が大好きで、いつもお母様にせがんでは読んでもらったっけ)
思わず懐かしさに目を細めながら頁をめくると、幼い頃の想い出までもが蘇ってくるようで胸が暖かくなる。
本の世界に引き込まれていた私は、いつの間にか女性司書官がすぐ傍に戻っていた事にも気が付かなかった。
だから、本を閉じてふと目を上げると、目の前で微笑む姿の心臓が文字通り飛び跳ねるほど驚いたのだ。
「ウフフ…すごく優しい顔で読んでいたから、邪魔してはいけないかと思ったのだけれど、却って驚かしてしまったみたいね」
「あっ…その、昔大好きだった童話なので、懐かしくて…。勝手に読んですみませんでした」
「気にしないで?その本は私の私物だし、私の元婚約者が好きだった本なのよ。部屋の掃除をしていたら見つけて、つい懐かしくて、持ってきただけだから」
そう微笑む彼女の薬指には婚姻の証は嵌っていない。
――元、婚約者と言っていたし、彼女にも事情があるのだろう。
「ご要望のアーデルハイド公用語に翻訳されている他国語の手引書は、エビリズ国の物とリバディー王国の物が揃っています。この二か国でしたら翻訳指南書や日常会話集もございますから、直ぐに貸し出しできますよ。エビリズ国は留学生を受け入れている国ですから多国籍文化も混在していますし、学生には手厚い補助もあるので、留学を目的とした移住には最適かと。リバディー王国はアーデルハイドの友好国として条約締結していますから、移住条件も緩和されていますし、公用語もスペルが似通っていますので、入門として語学を学ぶのであれば、比較的覚えやすいかと思いますわ」
…まさか、卒業後の進路の選択肢だと述べただけで、ここまでの懇切丁寧な紹介を受けるとは思わなかった。更に――
「私の母国でもあるリバディー王国の言葉であれば、貴方に語学指導するぐらいは簡単な事ですわ。お一人で、書物で学ぶよりは、会話形式で学んだ方がより理解が深まるとは思いませんこと?」
“図書館での私語は厳禁ですから、利用者のいない時だけですけれど”と微笑む彼女に、私は呆然とその顔を見つめることしか出来なくなる。
――殆ど会話したことさえない利用者に対して、親切すぎる彼女の思惑が読めない。
上手い話には裏があると言うし…そう逡巡する私に「そんなに警戒しないで頂戴」と彼女――オルビナ司書官はクスクスと楽しそうに笑っている。
「先ほど、貴方が目を輝かせて読んでいた童話は、大切な人から贈られた物なの。彼も、いつもキラキラした瞳で頁を捲っていたわ。それを思い出したら、何だか懐かしくて…だから、少しでも力になってあげたいと思っただけの話なの。不審がらせたのなら、ごめんなさいね」
――元婚約者で大切な人…。
そんな風に懐かしむという事は、彼女にとっては未だ過去にはなっていない、今も愛する人なのだろう。
「…詮索する様だけれど、オルビナは、何でそんな風に大切な人と別れてアーデルハイドに移住したの?立ち居振る舞いからも貴女が貴族の令嬢だという事は判るし、元とはいえ婚約者だったのであれば、両親にも認められていた間柄なんだろう?それに今も、貴女の言葉からは彼への愛情が溢れている。――もし良ければ話を聞かせて貰っても…良い?」
瞠目した後、オルビナは「…この童話を昨日見つけたのも、貴方に出会ったのも神の思し召しなのかしらねぇ…」と深いため息を吐いた。
「本当に良くある“初心な貴族令嬢が失恋して婚約破棄された話”なのよ。笑わないで聞いてくれる?」
――彼女の口から語られた過去は、私にとって到底笑えるような話では無かった。
リバディー王国で貴族令嬢として生まれ育ったオルビナには、幼少のみぎりから婚約者の男性がいた。幼馴染のようにいつも傍に居すぎたせいで、淡い恋心を抱くようなことも無いまま、婚姻まで後半年となった頃、婚約者の男性に身分違いの恋人が泣きながら縋っているところを目撃してしまった。
「…幾ら互いに愛し合っていても、身分違いの恋は実らせることが難しい…。駆け落ちなんて簡単に出来る話ではないだろう?…」
彼がそう言いながら、見たことも無い平民と思しき女性を抱きしめているのを目撃した時、オルビナは自分が婚約者の事を愛しているのだと漸く自覚した。
しかし、自分が愛し合う二人の足枷になっていると、それと同時に知ったオルビナは、身を引くことを選んだ。
「…婚約を破棄しましょう。貴方は勝手に誰とでも婚姻すれば良いわ」
婚約者を呼び出して、そう告げた時、彼は戸惑いながらも「だから君と婚姻するんだろう」と怪訝な顔でオルビナを見つめる。
身分違いの恋人との関係がバレていないとでも思っているのかと激高したオルビナは、思わず「私との婚姻に愛なんかない‼お金がそんなに大事なのね⁈」と彼を詰ったのだ。
「…愛は無くても…金と婚姻を結んだと思えば良いだろう⁈…お前とは別れないっ‼」
彼の言葉は、政略結婚の駒として自分を見ていると告げているも同然で、それ故にオルビナは深く傷ついた。愛は無くても、幼馴染として大切に思われていると信じていたからこそ、余計にその傷は深かった。
――自分が此処にいれば、彼は家の為に望まない婚姻を強いられることになる。
彼女はその晩のうちに、アーデルハイド王国に嫁いだ姉に密かに連絡を取り、その伝手で王立学術院への移住と就職を果たしたそうだ。…それ以来、一度も連絡は取っていないそうだ。
「あれからもう、一年近く経つのよねぇ。あの時は勢いだけで逃げ出したけれど、きっと今頃は彼も幸せになってくれていると思うの。私も未練がましく、時々は彼の事を思い出すけれど、彼との想い出を胸に生きていくから良いのよ」
愛おしそうにそっと本を撫でる優しい手つきに、彼女が婚約者の事を未だに深く愛している気持ちが溢れている。
――でも、もうオルビナ自身が過去にすると決めた以上、私に口を挟む権利は無いだろう。
「オルビナの申し出を有難くお受けしても良いだろうか?貴女の仕事の邪魔にならない範囲で、リバディー公用語の指導をお願いできれば助かるのだけれど…」
「ええ、勿論よ。その代わり私のお友達になってもらうわよ?本の感想が言い合えるような趣味の合うお友達が欲しかったの」
「勿論‼これからよろしく。オルビナ」
二人で、図書館内でダラダラと無駄口を叩き続けるのは、場所柄から言っても難しい。
今後、私達は毎日リバディー公用語の翻訳練習を兼ねて、手紙でやり取りをすることを取り決めた。スペルの練習にもなるし、間違えた部分は訂正して、私が朝夕に借り出す本の間に挟んで渡すからと悪戯な微笑みを浮かべている。
「ウフフ…まるで秘密の恋文をやり取りするみたいで、少しだけドキドキするわね」
こうして、私達には誰にも秘密の関係が始まったのだった。
オルビナに提案されて始まった文通は、カールの王立学術院での孤独を埋めて有り余るものになって行った。
最初はリバディー王国の特産品や商品の流通などの紹介文から始まった内容は、今では読んだ書物の感想や、日々の愚痴を吐露する文面へと変わっている。
…その内、隠し立てしていることが心苦しくなった私は、オルビナに男装してはいるが本当は貴族令嬢であることや、望まない婚姻が嫌で将来の道を模索し始めたことも詳細に書き連ねてしまった。
――相手の素性以外を全て…。
“力づくで婚姻を結ばされそうになる事に耐えられない。この理不尽から逃れるための力を付けるために、語学の勉強を始めたんだ”
たどたどしいながらも、リバディー公用語で書いた手紙には『じゃあ、私が貴女を逃がす手助けをしてあげましょうか?』と仰天の返事が来た。
折りしも、オルビナと夕刻の一時、図書館を閉めるまでの一時間はリバディー公用語の会話を勉強会にして貰ったおかげで、一か月が経つ今では簡単な日常の会話ぐらいは出来るようになっていた頃の事である。
「貴女が本気で政略結婚から逃げ出す気持ちがあるのなら、軍資金は必要でしょう?女性が一人で生きてく為にも、今後は仕事として翻訳が出来るようになりなさい。私の伝手を使えば、リバディー公用語の文章翻訳を斡旋してあげられるから」
そう言って手渡された厚い原稿用紙の束は、ビッチリと文字で埋め尽くされている。
「今日から貴女にも仕事の一部を回して働きに見合った給金を手渡すわ。技術を磨いて、いつか来る日に備える様に私も協力するわよ」
――流石、婚約者を捨てて国を出奔してきた女性はいう事もやることも一味違う。
しかもこれなら、翻訳の勉強をしながらお金を稼ぐことが出来るのだから有難い話だ。
「貴女も何れは独り立ちできるようにどんどん仕事を回すから。手早く正確に出来るように頑張ってね。どんな未来が待っているとしても、カールにとっての最善を諦める必要は無いわ。貴女は苦難の道だからって諦めるような柔な令嬢では無いでしょう?」
ニコリと微笑むオルビナに強く頷く。
どんな未来が待っていたとしても、私は最善を尽くすのみなのだから…。
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