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母の遺言
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「わたし、子どもになってる……? これは、死に戻り……?」
窓に映る自分の姿に釘付けになり、どこかの文献で読んだ失われた魔法のことを思い出していた。それは禁忌とされる魔法で、危険すぎると既に封印されたものだった。どうして自分がその魔法を使えたのかは分からないが、先程見たあの忌まわしい血にまみれた“聖なる乙女”の儀式のことは、まだ生々しく身体に刻まれている。
思い出すと身がすくみ、身体が小刻みに震える。
ドンドン! ドンドン!
静寂を破るように大きな音が響き渡る。ノックとは思えないほど強く叩かれたドアは音がするたびに弾け、今にも蝶番が外れてしまいそうだ。
「起きろ、アリーシャ! エレンが……エレンが……」
急いで扉を開けると、扉の外には最期の記憶よりも随分と若い父、アルベルトの姿があった。アルベルトは困惑するアレクサンドラを抱き上げ、母の部屋に向かって走り出す。
何が起きたかと戸惑ったのはほんのひとときで、アレクサンドラはかすかな記憶を辿り、母のエレオノーラが亡くなる前日の夜の出来事だと思い出した。
自らの記憶では、このまま朝日を見ることなく母はこの世を去ることになる。
父の服をギュッと掴みながらアレクサンドラは思う。もう二度と見たくないと思ったこの日を、また見ることになるのかと。どうせなら母が苦しむよりも前に死に戻りたかった。もしかしたら、自分が母がこんな病で死ぬのを止められたかもしれない。
分不相応とアレクサンドラは思っていたが、しかし“聖なる乙女”として多少なりとも神聖魔法を発現していたため、その力をもってすれば母を助けられたかもしれなかった。勿論、今の幼い身体は訓練をしておらず、魔力は一切感じられない。しかし、死に戻る前の記憶がある身体なら、努力さえすれば数年で神聖魔法が発動していたかもしれないと考えたのだが、同時に今の段階で既にどうすることも出来ないことも理解していた。
アレクサンドラは「せめて今度こそお母様の遺言を聞き逃さないようにしよう」と、深呼吸を何度か繰り返して騒ぐ心臓を落ち着ける。
母の部屋に入ると、既に息は絶え絶えで苦しさからシーツをギュッと握りしめた姿のエレオノーラがベッドに横たわっていた。ベッド脇に置かれた小さなスツールに、アルベルトは我が子を抱いたまま腰掛ける。自身が抱かれた腕に込められた力の強さから、父が緊張していることが伝わってきた。
アレクサンドラが浅い息を続ける母の手を取ると、エレオノーラは愛しい娘に苦しむ姿を見せまいと笑顔を作ると、何かを告げようとぱくぱくと口を動かした。記憶にある母の最期の言葉だと覚悟を決め、目を見開き耳をそばだて、その姿をその声をひとつとして洩らさず自身に刻み込もうと、アレクサンドラは集中した。
「アリーシャ……お父様とアリアを……支えてあげて。そのために、誰よりも強く……なりなさい。そして……その強さを…………方と結ばれ……のよ。わたくし……の、愛しい……アリ……シャ…………」
絞り出した小さな声は息が続かずほとんど聞こえなかったが、死に戻る前の記憶より鮮明に声を聞き取ることができた。
昔の記憶では「強くなりなさい」しか記憶になかったが、十九年の人生を体験したアレクサンドラの脳裏には、母の遺言は一言一句しっかりと焼き付いた。
遺言を言い残した直後、エレオノーラはアレクサンドラの記憶の通り息を引き取り、帰らぬ人となった。
またたく間に二日が過ぎ、葬儀が終わると墓地へ移動する。もうすぐ三歳になるアリアの手を引いて墓場へ行くと、厳格な父が埋められたばかりの真新しい母の墓の前で泣き崩れている姿が飛び込んで来た。いつも大きな父の背中がとても小さく見えた。
お父様は、こんなにもお母様を愛していたのね。
既に一度目の生を終え、精神だけは大人のアレクサンドラは不思議と冷静で、その場を客観的に観察することができた。
父を見て泣く者、寄り合ってこそこそと何かを話す者、そして厳粛な場であるはずなのに笑顔を浮かべる者。後に家門の債務を任されることになるアレクサンドラは、場の様子を記憶することで今後付き合う家門を見定めようとしていた。
ただ、悲しみはただの子どもだったあの頃よりも深く、父の震える背中を見つめるだけで勝手に湧き出た大粒の涙が、はらはらと静かに頬を伝っては何度も地に落ちていた。
埋葬が終わると、アレクサンドラは侍女に連れられ戻った自室のベッドに横になり、捲き戻ってしまった自分の人生について考えた。
もしかすると自分の人生をやり直しすることが、あの時のおぞましい事件を突破できる糸口になるのだろうか、と。
今はまだ何も分からない妹のアリアを、母親が居ないことで不憫でないようにと父と二人で甘やかし続けたことで、周囲が手を焼くほど我儘に育ててしまった。姉である自分を見下し虐げ、憎いはずなのに可愛くてたまらないアリアを、二度とあんな形で失いたくないと手を強く握りしめながら思う。
「お母様、わたし強くなります。騎士になってこの国にわたし以上に強い人などいないくらいに。お母様の遺言通りに……」
精神的な強さだけでは妹を守ることができなかった。死に戻れたのは、あの時の凄惨な状況を変えろということに違いない。今度の人生は、魔物と対峙できるくらいに強い自分になりたい。
そして強くなった自分を凌駕する相手と結婚する。騎士団であればそういった相手を見つけるのも容易いと考えたのだ。
誰も思いつかないような方法だったが、アレクサンドラなりに「強くなれ」「自分より強い人と結ばれて欲しい」という母の遺言から必死で考え、出した答えだった。
妹を“聖なる乙女”にふさわしい精錬な女性に成長できるよう導き、自らは誰よりも強い騎士になることを目標に人生のやり直しを母に誓うと、そのまま眠りについた。
窓に映る自分の姿に釘付けになり、どこかの文献で読んだ失われた魔法のことを思い出していた。それは禁忌とされる魔法で、危険すぎると既に封印されたものだった。どうして自分がその魔法を使えたのかは分からないが、先程見たあの忌まわしい血にまみれた“聖なる乙女”の儀式のことは、まだ生々しく身体に刻まれている。
思い出すと身がすくみ、身体が小刻みに震える。
ドンドン! ドンドン!
静寂を破るように大きな音が響き渡る。ノックとは思えないほど強く叩かれたドアは音がするたびに弾け、今にも蝶番が外れてしまいそうだ。
「起きろ、アリーシャ! エレンが……エレンが……」
急いで扉を開けると、扉の外には最期の記憶よりも随分と若い父、アルベルトの姿があった。アルベルトは困惑するアレクサンドラを抱き上げ、母の部屋に向かって走り出す。
何が起きたかと戸惑ったのはほんのひとときで、アレクサンドラはかすかな記憶を辿り、母のエレオノーラが亡くなる前日の夜の出来事だと思い出した。
自らの記憶では、このまま朝日を見ることなく母はこの世を去ることになる。
父の服をギュッと掴みながらアレクサンドラは思う。もう二度と見たくないと思ったこの日を、また見ることになるのかと。どうせなら母が苦しむよりも前に死に戻りたかった。もしかしたら、自分が母がこんな病で死ぬのを止められたかもしれない。
分不相応とアレクサンドラは思っていたが、しかし“聖なる乙女”として多少なりとも神聖魔法を発現していたため、その力をもってすれば母を助けられたかもしれなかった。勿論、今の幼い身体は訓練をしておらず、魔力は一切感じられない。しかし、死に戻る前の記憶がある身体なら、努力さえすれば数年で神聖魔法が発動していたかもしれないと考えたのだが、同時に今の段階で既にどうすることも出来ないことも理解していた。
アレクサンドラは「せめて今度こそお母様の遺言を聞き逃さないようにしよう」と、深呼吸を何度か繰り返して騒ぐ心臓を落ち着ける。
母の部屋に入ると、既に息は絶え絶えで苦しさからシーツをギュッと握りしめた姿のエレオノーラがベッドに横たわっていた。ベッド脇に置かれた小さなスツールに、アルベルトは我が子を抱いたまま腰掛ける。自身が抱かれた腕に込められた力の強さから、父が緊張していることが伝わってきた。
アレクサンドラが浅い息を続ける母の手を取ると、エレオノーラは愛しい娘に苦しむ姿を見せまいと笑顔を作ると、何かを告げようとぱくぱくと口を動かした。記憶にある母の最期の言葉だと覚悟を決め、目を見開き耳をそばだて、その姿をその声をひとつとして洩らさず自身に刻み込もうと、アレクサンドラは集中した。
「アリーシャ……お父様とアリアを……支えてあげて。そのために、誰よりも強く……なりなさい。そして……その強さを…………方と結ばれ……のよ。わたくし……の、愛しい……アリ……シャ…………」
絞り出した小さな声は息が続かずほとんど聞こえなかったが、死に戻る前の記憶より鮮明に声を聞き取ることができた。
昔の記憶では「強くなりなさい」しか記憶になかったが、十九年の人生を体験したアレクサンドラの脳裏には、母の遺言は一言一句しっかりと焼き付いた。
遺言を言い残した直後、エレオノーラはアレクサンドラの記憶の通り息を引き取り、帰らぬ人となった。
またたく間に二日が過ぎ、葬儀が終わると墓地へ移動する。もうすぐ三歳になるアリアの手を引いて墓場へ行くと、厳格な父が埋められたばかりの真新しい母の墓の前で泣き崩れている姿が飛び込んで来た。いつも大きな父の背中がとても小さく見えた。
お父様は、こんなにもお母様を愛していたのね。
既に一度目の生を終え、精神だけは大人のアレクサンドラは不思議と冷静で、その場を客観的に観察することができた。
父を見て泣く者、寄り合ってこそこそと何かを話す者、そして厳粛な場であるはずなのに笑顔を浮かべる者。後に家門の債務を任されることになるアレクサンドラは、場の様子を記憶することで今後付き合う家門を見定めようとしていた。
ただ、悲しみはただの子どもだったあの頃よりも深く、父の震える背中を見つめるだけで勝手に湧き出た大粒の涙が、はらはらと静かに頬を伝っては何度も地に落ちていた。
埋葬が終わると、アレクサンドラは侍女に連れられ戻った自室のベッドに横になり、捲き戻ってしまった自分の人生について考えた。
もしかすると自分の人生をやり直しすることが、あの時のおぞましい事件を突破できる糸口になるのだろうか、と。
今はまだ何も分からない妹のアリアを、母親が居ないことで不憫でないようにと父と二人で甘やかし続けたことで、周囲が手を焼くほど我儘に育ててしまった。姉である自分を見下し虐げ、憎いはずなのに可愛くてたまらないアリアを、二度とあんな形で失いたくないと手を強く握りしめながら思う。
「お母様、わたし強くなります。騎士になってこの国にわたし以上に強い人などいないくらいに。お母様の遺言通りに……」
精神的な強さだけでは妹を守ることができなかった。死に戻れたのは、あの時の凄惨な状況を変えろということに違いない。今度の人生は、魔物と対峙できるくらいに強い自分になりたい。
そして強くなった自分を凌駕する相手と結婚する。騎士団であればそういった相手を見つけるのも容易いと考えたのだ。
誰も思いつかないような方法だったが、アレクサンドラなりに「強くなれ」「自分より強い人と結ばれて欲しい」という母の遺言から必死で考え、出した答えだった。
妹を“聖なる乙女”にふさわしい精錬な女性に成長できるよう導き、自らは誰よりも強い騎士になることを目標に人生のやり直しを母に誓うと、そのまま眠りについた。
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