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26あれから
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今日の仕事終了。私は、校舎を出た。ただ今の時刻は21:00。もうすっかり夜だ。
あれから私たちは、プロデスト軍再来の危機に備えて、施設を移動した。身を隠すのが得意なローシャが、こうなることを想定して事前に最適な場所を見つけてくれていたので、スムーズに引っ越しをすることができた。しかし、その後すぐに戦争は終わった。そのきっかけは群を抜いて強かったプロデスト軍が降伏したことだと、風の噂で聞いた。あれだけ犠牲を伴った戦争も、終わる頃には目的を忘れているようで、決着なんか着かなくても何の支障もなく世界は動いていた。
あれから五年の月日がたった。
イアンは、保護団を一時脱退して、故郷に帰っている。長く続いた戦争の被害が、工場が沢山あるイアンの故郷は特に酷く、彼は復興活動に参加している。人殺しだった少年が、随分改心したものだ。
ローシャは、保護している天使に護身術を教えている。戦争は終わったが、そんな平和な世の中だからこそ、特殊で便利な能力を持つ天使を人身売買する輩も現れるだろうと、彼は天使に生き伸びる方法を教えているのだ。自称夜の伝書鳩だった彼も、今では立派な先生だ。
ルナは今でも、例の薬を研究している。彼女は団長の業務の合間を縫って五年間薬の研究を続けているが、未だに薬は完成する見込みがない。ただ、忙しい彼女を手伝いに私も研究室に足を運ぶのだが、その度に彼女の楽しそうな表情を伺うことができる。五年も彼女の助手をしているだけあって、私達はもうお互いの顔を見るだけで、何を考えているのか分かるような仲になっていた。
私はというと、悪天使保護施設の中にある、悪天使保護団が運営している感情学校の教諭を務めている。三年前にいきなり登場したこの学校、実は私が創設したのだ。つまり私は、創業者ということになる。生徒たちを見ていると昔の自分を思い出す。やりがいのある、とてもいい仕事だ。
保護団幹部に共通して言えることは、初代団長の帰りを待っているということ。戦争が終わって五年もたつというのに訃報が届かないということは、彼はどこかで生きているんじゃないか。そんな希望があった。だけど私は、あまり期待はしていない。何故なら、この話をするとき、決まって逃げるように目を逸らす人物がいるから。そして、リュア先生の日記に登場した「彼」。それから、噎せ返るような血の匂いの向こうに見た、悲しそうな笑顔。その三つがぼんやりと溶け込むようにハマる。私の中で、ある疑惑は確信に変わりつつあった。
空を仰ぐと、真っ暗な夜空のアクセントとして、明るい月が出ていた。今夜は十六夜だ。
私は今でも、こうして一人になると感情教室のことを思い出して寂しくなる。
マリア、ユノン、そして先生。会いたいよ。また夜にコソコソと集まって、感情の話をしようよ。何度も願ったが、それでも望みは叶わないわけで。
私は、礼拝堂へと足を運んだ。一番奥のステンドガラスには、漆黒の羽を広げ、紅の血を浴びた悪天使と、光り輝く金色の羽を広げた可憐なる天使が、背中合わせに描かれている。この二体が同一人物だと気づく生徒は、希少らしい。それほどまでに、悪天使と天使は違うのだ。虚無の心に感情が宿るだけで、私たちは変われるのだ。
私は、そっとステンドガラスに触れた。
先生。私は、先生みたいになれたかな。先生の時よりもずっと安全な環境だけど、私は一応先生と同じように感情を教えているつもりなんだけど。私、こう見えて結構ストイックなんだよ?まあ、空虚の部屋に毎晩足を運んだ先生には負けるかもしれないけど……。
「先生!」
夜の静寂を壊すドタバタという足音が聞こえて後ろを振り向くと、そこには顔面蒼白の天使が震えて立っていた。昼間、天使の仕事を質問してきた生徒だ。
「どうしたの?ここは礼拝堂よ」
私がなるべく冷静に応対すると、生徒は半泣きの表情で言った。
「ひ、人が!人が、死んでるんです!」
え?
私は頭の中が真っ白になった。深呼吸をして、事実を咀嚼した。
「ねえ、リン。私をその人の所へ連れて行って」
「分かりました、先生!」
私は、覚悟を決めて天使に付いて行った。
その人は、雪の中に眠っていた。夜の土の上に倒れているその人に触れると、既に冷め切っていることが分かった。持ってきたランプで、遺体を照らす。
まさか、と思った。
ねえ、先生。こんなこと、考えてもいなかったよ。
戦争が終わったら、大切な人を失うことなんてないと思っていたよ。ずっとずっと信じていたのに。
私は、その人の髪に触れた。紫の、ストレートの髪。あなたのニカっと笑う顔が、浮かんでは消えていく。
彼の爪の中は土で汚れている。きっとここまで、這ってきたのだろう。必死に、保護団に帰ってきてくれようとしたのだろう。
「リン、手を貸して」
私は、リンの手を借りてローシャの遺体を礼拝堂に運び込んだ。うつ伏せだった遺体を仰向けにしたとき、思わず声にならない悲鳴を上げてしまった。リンは口元を手で抑えている。ローシャの胸には、大量の血が流れ出た跡がこびり付いていた。それを見た時、悟った。かつて共に戦ったのだから、よく覚えている。これは、プロデスト兵の殺し方だ。心臓のギリギリの所を何度も刺したような跡が残っていた。
そこから私は、一言も喋らなかった。愛用しているメモ帳を胸ポケットから取り出し、ステンドグラスの方向を向いて保護団への手紙を書き始めた。
一通り書き終えると、メモ帳をリンに渡し、遺体の横に座った。幼き天使は、小刻みに震えている。私はそんな彼女を見て、微笑んだ。決意を固めた時の先生のように。
「よく見ていてね、リン。あなたもいずれ、大切な人に行うかもしれないことだから」
そう言って、私は彼の亡骸に手を当てた。
もうすぐ、あの天使たちが味わった感情が分かるかもしれない。
あれから私たちは、プロデスト軍再来の危機に備えて、施設を移動した。身を隠すのが得意なローシャが、こうなることを想定して事前に最適な場所を見つけてくれていたので、スムーズに引っ越しをすることができた。しかし、その後すぐに戦争は終わった。そのきっかけは群を抜いて強かったプロデスト軍が降伏したことだと、風の噂で聞いた。あれだけ犠牲を伴った戦争も、終わる頃には目的を忘れているようで、決着なんか着かなくても何の支障もなく世界は動いていた。
あれから五年の月日がたった。
イアンは、保護団を一時脱退して、故郷に帰っている。長く続いた戦争の被害が、工場が沢山あるイアンの故郷は特に酷く、彼は復興活動に参加している。人殺しだった少年が、随分改心したものだ。
ローシャは、保護している天使に護身術を教えている。戦争は終わったが、そんな平和な世の中だからこそ、特殊で便利な能力を持つ天使を人身売買する輩も現れるだろうと、彼は天使に生き伸びる方法を教えているのだ。自称夜の伝書鳩だった彼も、今では立派な先生だ。
ルナは今でも、例の薬を研究している。彼女は団長の業務の合間を縫って五年間薬の研究を続けているが、未だに薬は完成する見込みがない。ただ、忙しい彼女を手伝いに私も研究室に足を運ぶのだが、その度に彼女の楽しそうな表情を伺うことができる。五年も彼女の助手をしているだけあって、私達はもうお互いの顔を見るだけで、何を考えているのか分かるような仲になっていた。
私はというと、悪天使保護施設の中にある、悪天使保護団が運営している感情学校の教諭を務めている。三年前にいきなり登場したこの学校、実は私が創設したのだ。つまり私は、創業者ということになる。生徒たちを見ていると昔の自分を思い出す。やりがいのある、とてもいい仕事だ。
保護団幹部に共通して言えることは、初代団長の帰りを待っているということ。戦争が終わって五年もたつというのに訃報が届かないということは、彼はどこかで生きているんじゃないか。そんな希望があった。だけど私は、あまり期待はしていない。何故なら、この話をするとき、決まって逃げるように目を逸らす人物がいるから。そして、リュア先生の日記に登場した「彼」。それから、噎せ返るような血の匂いの向こうに見た、悲しそうな笑顔。その三つがぼんやりと溶け込むようにハマる。私の中で、ある疑惑は確信に変わりつつあった。
空を仰ぐと、真っ暗な夜空のアクセントとして、明るい月が出ていた。今夜は十六夜だ。
私は今でも、こうして一人になると感情教室のことを思い出して寂しくなる。
マリア、ユノン、そして先生。会いたいよ。また夜にコソコソと集まって、感情の話をしようよ。何度も願ったが、それでも望みは叶わないわけで。
私は、礼拝堂へと足を運んだ。一番奥のステンドガラスには、漆黒の羽を広げ、紅の血を浴びた悪天使と、光り輝く金色の羽を広げた可憐なる天使が、背中合わせに描かれている。この二体が同一人物だと気づく生徒は、希少らしい。それほどまでに、悪天使と天使は違うのだ。虚無の心に感情が宿るだけで、私たちは変われるのだ。
私は、そっとステンドガラスに触れた。
先生。私は、先生みたいになれたかな。先生の時よりもずっと安全な環境だけど、私は一応先生と同じように感情を教えているつもりなんだけど。私、こう見えて結構ストイックなんだよ?まあ、空虚の部屋に毎晩足を運んだ先生には負けるかもしれないけど……。
「先生!」
夜の静寂を壊すドタバタという足音が聞こえて後ろを振り向くと、そこには顔面蒼白の天使が震えて立っていた。昼間、天使の仕事を質問してきた生徒だ。
「どうしたの?ここは礼拝堂よ」
私がなるべく冷静に応対すると、生徒は半泣きの表情で言った。
「ひ、人が!人が、死んでるんです!」
え?
私は頭の中が真っ白になった。深呼吸をして、事実を咀嚼した。
「ねえ、リン。私をその人の所へ連れて行って」
「分かりました、先生!」
私は、覚悟を決めて天使に付いて行った。
その人は、雪の中に眠っていた。夜の土の上に倒れているその人に触れると、既に冷め切っていることが分かった。持ってきたランプで、遺体を照らす。
まさか、と思った。
ねえ、先生。こんなこと、考えてもいなかったよ。
戦争が終わったら、大切な人を失うことなんてないと思っていたよ。ずっとずっと信じていたのに。
私は、その人の髪に触れた。紫の、ストレートの髪。あなたのニカっと笑う顔が、浮かんでは消えていく。
彼の爪の中は土で汚れている。きっとここまで、這ってきたのだろう。必死に、保護団に帰ってきてくれようとしたのだろう。
「リン、手を貸して」
私は、リンの手を借りてローシャの遺体を礼拝堂に運び込んだ。うつ伏せだった遺体を仰向けにしたとき、思わず声にならない悲鳴を上げてしまった。リンは口元を手で抑えている。ローシャの胸には、大量の血が流れ出た跡がこびり付いていた。それを見た時、悟った。かつて共に戦ったのだから、よく覚えている。これは、プロデスト兵の殺し方だ。心臓のギリギリの所を何度も刺したような跡が残っていた。
そこから私は、一言も喋らなかった。愛用しているメモ帳を胸ポケットから取り出し、ステンドグラスの方向を向いて保護団への手紙を書き始めた。
一通り書き終えると、メモ帳をリンに渡し、遺体の横に座った。幼き天使は、小刻みに震えている。私はそんな彼女を見て、微笑んだ。決意を固めた時の先生のように。
「よく見ていてね、リン。あなたもいずれ、大切な人に行うかもしれないことだから」
そう言って、私は彼の亡骸に手を当てた。
もうすぐ、あの天使たちが味わった感情が分かるかもしれない。
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