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24生き残った者として
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天使は消えた。眩い光を放ちながら、炎の海に消えた。
残酷だった。
たった数分前に感情を宿したばかりだったのに。まだ知らない感情なんて、山ほどあったのに。
変化したての天使は、微笑みながら、心臓となった。自分たちが殺した、否、殺させられた救世主の心臓となった。
命は犠牲となった。天使は何の抵抗も見せなかった。寧ろ、命を差し出すことに喜びを感じているように見えた。先生の面影があった。
天使は私を生かした。何故私?分からない。
「私を置いて逝かないで!一人にしないで!」
勢いよく身体を起こす。どうやら悪い夢を見ていたようだ。
そこは、病室のような部屋のベッドの上だった。そこには炎の海の意識が朦朧とするような暑さはなく、静けさだけが存在していた。
身体中に包帯が巻かれていた。誰かが看病してくれたのだろうか。
「よお、ミリア。お目覚めか?」
声の方に目をやると、ローシャがドアにもたれかかっていた。相変わらずの憎たらしい笑みを浮かべているが、前に見たそれとは大きく印象が変わっていた。目の下の濃い隈は暫く眠っていないことを物語っていたし、下がった眉尻は先程までの出来事が只の悪い夢ではなく残酷な現実だということを私に伝えた。彼は笑顔を器用に使って、悲しみを表現していた。私には、まだできそうになかった。
「お前、三日も眠り続けてたんだぜ?俺は基地の外で倒れているお前を抱えて、この保護施設まで一っ飛b」
「甲高い声の人と眼帯の人は?マリアとユノンが生き返らせたんでしょ?」
得意げに語るローシャを無視して、私は尋ねる。
ローシャは一瞬だけ不満そうな顔を見せたが、すぐに考えるような仕草をした。
「あー……。一応生き返ったが、イアンはともかくルナはまだ合わせられる状況じゃねぇな。どうやら、リュアが死んだことをまだ受け入れられていないらしい」
そう言って彼は、自分の背後、つまり廊下の方へ視線を送り、ジョークを言うコメディアンのように肩をすくめた。
「リュアも帰ってきてるんでしょ?早く会わせてよ!」
「ルナ、いい加減夢から覚めろ!リュアは俺たちが気絶している間に死んだんだよ!」
「違うの!私は確かにリュアと一緒にここに帰ってきたの!」
「だからそれは夢だって言ってるだろ!」
廊下から、二人の男女の声が聞こえる。甲高い声の人と、眼帯の人の声だ。いや、保護団に暫くの間世話になったのだから、そろそろ名前で呼んだ方がいいのか。
声はだんだんと近づいてくる。やがて私とローシャのいる部屋の前で声の動きは止まり、勢いよく二人は入ってきた。
「おわっ!?」
勢いのあまり、ローシャが思い切り壁に打ち付けられる。一瞬見せた間抜けな表情に、少し笑いそうになった。
入ってきたのは、ルナだった。イアンも、ルナの後ろから部屋を覗いている。彼の右目には眼帯が付いていなかった。傷一つ無い、綺麗な瞳だった。
ルナの変わり果てた容貌に、私はぎょっとした。私たちを助けようとしていた希望に満ち溢れた表情とは打って変わって、焦点の合わない目をしていた。それは、私がまだ悪天使で戦争に駆り出されていた時に幾度となく見た、殺した兵士の剣に映る自分の瞳によく似ていた。それ以外にも、不自然に吊り上がった口角やボサボサな青髪が、絶望的な彼女の現状を表していた。彼女はまだ夢の中にいた。
彼女の瞳が私の姿を捉えるまで、そう長くはかからなかった。
漸く焦点が合う目。私を瞳の中に吸収するが如く、虚ろな目を見開く彼女。下瞼には、涙が溜まっていく。
彼女が私の方へ駆け出す。縋るように、悪夢から逃げるように、病み上がりでふらつく身体を前へ進める。私の背中に手をまわし、力強く私を抱き締める。痛い。苦しい。
「おかえり、おかえり!」
表情は伺えないが、彼女も苦しんでいることだけが生々しく伝わってくる。
彼女は私の手に何かを握らせる。凹凸があって硬いそれを、彼女は何か大きなものから逃れるように私に押し付ける。まるで時限爆弾のようだと思った。
これは私が受け取るものではないと、直感的に思う。私は彼女の手にそれを押し戻す。再び押し付けられる前に、倒れない程度にルナの身体を押しのける。
そして、自然と言葉が紡がれる。
「私の名前はミリアです。ルナ団長、これからよろしくお願いします」
先生の真似をして、彼女に微笑みかける。マリアは上手だったけど、私は果たして上手くできているだろうか。
ルナは俯いたままだった。身体中が震えている。
先程は急だったのとやつれ具合が目立っていたのでで気づかなかったが、ルナは私と対照的に綺麗だった。ここでいう「綺麗」とは清潔感のことではなく、外傷のことだ。私の身体は包帯だらけなのに対して、ルナには目立った救急措置が施されていなかった。強いて言えば、手を軽く火傷しているくらいだ。それはイアンも同じだった。
やっぱり、現実なんだ。ルナのことを言えないくらい、私も夢の中にいたみたいだ。マリアとユノンが実は生きていることを、心のどこかで期待してしまったのかもしれない。だけど今、ルナとイアンの五体満足の様子を見て、その期待は不毛なものだということが分かってしまった。分かってしまった以上、もう夢の中にはいられない。辛い現実から目を反らせば、どこまでも夢の中に沈んで行ってしまう気がした。
まるで、そんな私の思いを汲み取ったかのように、ルナは顔を上げて私の顔をじっと見つめた。ルナの方が私よりも小柄なので、私を見上げる形になる。その瞳は、既にかつての私のそれとはかけ離れたものに変わっていた。やっと、ルナが私を瞳に映してくれた気がした。
暫くして、ルナは私に微笑みかけた。
「こちらこそよろしくね、ミリア」
やつれが気にならなくなるくらい、明るい、いつもの甲高い声だった。
それでいて、団長らしい堂々とした佇まいだった。
「ミリア」
黙って私たちのやり取りを見ていたイアンが、いきなり口を開く。ルナとは対照的な、重苦しい低い声だ。
「な、何?」
名前を呼ばれたので彼の方を向くと、彼は真剣な表情を浮かべて私の方へ歩み寄ってきた。近づいてみると、彼もルナに負けないくらいやつれていることが分かった。彼の只ならない様子に、思わず後ずさってしまう。彼は二つの双眸で私を見つめる。否、睨んでいるといった方が正しいのだろうか。
もしかしたら、リュアを助けずに私だけ生き残ってしまったことを怒っているのかもしれない。だとしたら、ここで殴られても蹴られても仕方のないことだと思った。
ローシャとルナも、息を呑んで私達を見つめている。
ここは、言われるより先に謝った方がいいだろう。
私は暴力を振るわれる覚悟で、イアンに一歩近づいた。そして、頭を下げる。
「ごめんなさい!」
「すまなかった」
え?
私は耳を疑った。ほとんど同時の発言だった。恐る恐る顔を上げると、イアンも私と同じように戸惑っていた。恐らく今の二人は、同じような表情をしているのだろう。
「ど、どうしてイアンが謝るの……?私が先生を助けずに生き残ったこと、怒っているんじゃないの?」
私が震える声で言うと、イアンは一瞬の沈黙の後、静かに首を振った。
「いや、謝らなければいけないのは、俺たちの方だ。お前の仲間の天使の命を当然のように奪って、生き残ってしまった」
「え……そうだったの?」
震える口と見開かれた目。ルナも私と同じように驚いていた。
ローシャだけが全てを知っているようで、ため息をつきながら私達の様子を遠くから見守っている。
イアンはルナの様子を無視して、懺悔をするように続ける。
「俺たちは、お前ら悪天使を救出するために基地へ行った。本来なら俺たちがあいつらを助けるはずだったのに、あいつらの命を吸い取って、俺たちはこうして生きて帰ってきてしまった。本当にすまない」
「ごめんなさい」
ルナもイアンの側に立って、私に謝罪する。目を合わせてはくれなかった。
「ミリア。俺たちにはお前の願いを聞く義務がある。俺は物心ついた時から人を殺し続けてきた。この団に入ったのも、初代団長に戦う要員として勧誘されたからだ。お前が望むのなら、お前らに酷いことをしてきたプロデスト軍の兵士を全滅させたっていい。勿論、その戦いで俺が死んでも、心臓を差し出す必要はない」
イアンは本気だった。そういえば、プロデスト軍の捕虜として保護団に来た時も、イアンは囮として私達と戦った。普通の状態なら、私達が三人で彼に襲い掛かっても互角だった。その瞬発力や余裕な表情、私達を小馬鹿にする態度を思い出して、彼の言葉の信憑性が増す。きっと彼は私たちと同じことをしてきたのだろう。
それを知って、私は何を望むのか。基地があの様子では、今のプロデスト軍を全滅させることなど容易いだろう。しかし、彼らが全滅したとして、私には何が残る?
それに、きっと先生には怒られてしまう。天使になった私たちが手を汚すのを、自分の命を犠牲にしてまで止めてくれた先生に。
私は首を横に振った。そして、ルナの方を向く。彼女はまだ目を合わせてくれないので、私は彼女の前にしゃがみ、俯いている彼女の視界に入る位置にしゃがんだ。
「基地に潜入してきてくれた時に言ってくれたこと、覚えてる?」
ルナは少し考えて首を傾げる。やっぱりあれは、勢いに任せて言ったことなのだろう。私は苦笑した。
「『私が連れて行ってあげる!』そう、あなたは言ってくれたの。此処とは違う、幸せな世界線に。だから、連れて行ってよ。それが私の、死んでいった天使たちの、願い」
私がお願いすると、ルナは子供のように表情が明るくなった。感情のグラデーションが見えた気がした。後ろめたさから希望へ、その色合いは鮮やかだった。
イアンとローシャはあっけにとられたような間抜けな表情をしているが、ルナはそんな二人を気にも留めずに張り切り始めた。
「よし!じゃあ、他の世界線に行けるような薬を発明しなくちゃね!名前は……『ゴーゴーアザーワールド』ってとこかな!」
「相変わらずネーミングセンスねーな……」
イアンは呆れた顔でかぶりを振った。
「えぇー。いいじゃん、私が作るんだから!」
ルナは頬を膨らませて怒っている。こんなに楽しそうな怒りもあるんだと、思わず感心してしまう。
「俺はいいと思うぜ?ルナらしくて」
ローシャは乗り気みたいだ。
「そうだよね、ローシャ!」
「それは俺も思う。ルナらしくていいな?」
「あ、それ悪い意味ででしょ!」
これ以上怒るとさらに馬鹿にされると気づいたのか、ルナは仕切り直すように咳ばらいをした。
「えー、ゴホン。これより、第45回、悪天使保護団恒例の円陣を行います」
「何だそれ。てか、そんなバカっぽいこと44回もやってねーし」
すかさずイアンが突っ込む。
「いや、知らないなら馬鹿にしないでよ!!いいじゃん別にちょっとくらい盛ったって!それに、ミリアもやってみたいでしょ?」
全然仕切り直せていないルナに苦笑いで頷きながらも、私は疑問に思った。エンジンって何だろう?
「あの……エンジンって何?」
私はルナに聞いてみた。当然の疑問だった。だって私は、ほとんど命令に従ったことしかない。そんな楽しそうなことのやり方なんて、検討すらつかないのだ。
「んーとね、聞いた話によると、誰かが掛け声を言
って、それに続いて皆で叫んで片足を中心に出すことを円陣って呼ぶみたい!」
ルナのざっくりとした説明に、私は感染したかのように心が高揚した。なんかよく分からないけど、取り敢えず楽しそうだ!
そして、それとなく気づく。いつの間にか私は、「楽しい」という感情を宿していたことに。
「ルナ!それだけじゃ分かんねーだろ?円陣ってのはなぁ、こーやるんだ!」
そう言ってローシャは、自分の腕を私の方に回した。痩せているように見えていたローシャだが、腕が密着して思っているより身体が鍛えられていることに気づいた。その途端に、何とも言えない感情が溢れ出す。顔に出ていないか不安になったので、咄嗟に俯き気味になった。
イアンも渋々ルナの肩に腕を回し、ルナと私、それからイアンとローシャも肩を組んで連結する。
「ところで、なんて叫ぶの?」
私が肝心なことを尋ねる。
「ふっふっ……それはね……」
ルナは私たちに小声で囁いた。
そして、一瞬の間を空けて、ルナが叫ぶ。
「悪天使保護団はー?」
「へ、変人の集まり!」
そして、四人で一緒に片足を中心に出した。
あれ、ちょっと待って?私しか言ってなくない?声を出さなかったと思われる男子二人を見ると、イアンはため息をついていて、ローシャはニヤニヤしていた。
こいつら……!
残酷だった。
たった数分前に感情を宿したばかりだったのに。まだ知らない感情なんて、山ほどあったのに。
変化したての天使は、微笑みながら、心臓となった。自分たちが殺した、否、殺させられた救世主の心臓となった。
命は犠牲となった。天使は何の抵抗も見せなかった。寧ろ、命を差し出すことに喜びを感じているように見えた。先生の面影があった。
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勢いよく身体を起こす。どうやら悪い夢を見ていたようだ。
そこは、病室のような部屋のベッドの上だった。そこには炎の海の意識が朦朧とするような暑さはなく、静けさだけが存在していた。
身体中に包帯が巻かれていた。誰かが看病してくれたのだろうか。
「よお、ミリア。お目覚めか?」
声の方に目をやると、ローシャがドアにもたれかかっていた。相変わらずの憎たらしい笑みを浮かべているが、前に見たそれとは大きく印象が変わっていた。目の下の濃い隈は暫く眠っていないことを物語っていたし、下がった眉尻は先程までの出来事が只の悪い夢ではなく残酷な現実だということを私に伝えた。彼は笑顔を器用に使って、悲しみを表現していた。私には、まだできそうになかった。
「お前、三日も眠り続けてたんだぜ?俺は基地の外で倒れているお前を抱えて、この保護施設まで一っ飛b」
「甲高い声の人と眼帯の人は?マリアとユノンが生き返らせたんでしょ?」
得意げに語るローシャを無視して、私は尋ねる。
ローシャは一瞬だけ不満そうな顔を見せたが、すぐに考えるような仕草をした。
「あー……。一応生き返ったが、イアンはともかくルナはまだ合わせられる状況じゃねぇな。どうやら、リュアが死んだことをまだ受け入れられていないらしい」
そう言って彼は、自分の背後、つまり廊下の方へ視線を送り、ジョークを言うコメディアンのように肩をすくめた。
「リュアも帰ってきてるんでしょ?早く会わせてよ!」
「ルナ、いい加減夢から覚めろ!リュアは俺たちが気絶している間に死んだんだよ!」
「違うの!私は確かにリュアと一緒にここに帰ってきたの!」
「だからそれは夢だって言ってるだろ!」
廊下から、二人の男女の声が聞こえる。甲高い声の人と、眼帯の人の声だ。いや、保護団に暫くの間世話になったのだから、そろそろ名前で呼んだ方がいいのか。
声はだんだんと近づいてくる。やがて私とローシャのいる部屋の前で声の動きは止まり、勢いよく二人は入ってきた。
「おわっ!?」
勢いのあまり、ローシャが思い切り壁に打ち付けられる。一瞬見せた間抜けな表情に、少し笑いそうになった。
入ってきたのは、ルナだった。イアンも、ルナの後ろから部屋を覗いている。彼の右目には眼帯が付いていなかった。傷一つ無い、綺麗な瞳だった。
ルナの変わり果てた容貌に、私はぎょっとした。私たちを助けようとしていた希望に満ち溢れた表情とは打って変わって、焦点の合わない目をしていた。それは、私がまだ悪天使で戦争に駆り出されていた時に幾度となく見た、殺した兵士の剣に映る自分の瞳によく似ていた。それ以外にも、不自然に吊り上がった口角やボサボサな青髪が、絶望的な彼女の現状を表していた。彼女はまだ夢の中にいた。
彼女の瞳が私の姿を捉えるまで、そう長くはかからなかった。
漸く焦点が合う目。私を瞳の中に吸収するが如く、虚ろな目を見開く彼女。下瞼には、涙が溜まっていく。
彼女が私の方へ駆け出す。縋るように、悪夢から逃げるように、病み上がりでふらつく身体を前へ進める。私の背中に手をまわし、力強く私を抱き締める。痛い。苦しい。
「おかえり、おかえり!」
表情は伺えないが、彼女も苦しんでいることだけが生々しく伝わってくる。
彼女は私の手に何かを握らせる。凹凸があって硬いそれを、彼女は何か大きなものから逃れるように私に押し付ける。まるで時限爆弾のようだと思った。
これは私が受け取るものではないと、直感的に思う。私は彼女の手にそれを押し戻す。再び押し付けられる前に、倒れない程度にルナの身体を押しのける。
そして、自然と言葉が紡がれる。
「私の名前はミリアです。ルナ団長、これからよろしくお願いします」
先生の真似をして、彼女に微笑みかける。マリアは上手だったけど、私は果たして上手くできているだろうか。
ルナは俯いたままだった。身体中が震えている。
先程は急だったのとやつれ具合が目立っていたのでで気づかなかったが、ルナは私と対照的に綺麗だった。ここでいう「綺麗」とは清潔感のことではなく、外傷のことだ。私の身体は包帯だらけなのに対して、ルナには目立った救急措置が施されていなかった。強いて言えば、手を軽く火傷しているくらいだ。それはイアンも同じだった。
やっぱり、現実なんだ。ルナのことを言えないくらい、私も夢の中にいたみたいだ。マリアとユノンが実は生きていることを、心のどこかで期待してしまったのかもしれない。だけど今、ルナとイアンの五体満足の様子を見て、その期待は不毛なものだということが分かってしまった。分かってしまった以上、もう夢の中にはいられない。辛い現実から目を反らせば、どこまでも夢の中に沈んで行ってしまう気がした。
まるで、そんな私の思いを汲み取ったかのように、ルナは顔を上げて私の顔をじっと見つめた。ルナの方が私よりも小柄なので、私を見上げる形になる。その瞳は、既にかつての私のそれとはかけ離れたものに変わっていた。やっと、ルナが私を瞳に映してくれた気がした。
暫くして、ルナは私に微笑みかけた。
「こちらこそよろしくね、ミリア」
やつれが気にならなくなるくらい、明るい、いつもの甲高い声だった。
それでいて、団長らしい堂々とした佇まいだった。
「ミリア」
黙って私たちのやり取りを見ていたイアンが、いきなり口を開く。ルナとは対照的な、重苦しい低い声だ。
「な、何?」
名前を呼ばれたので彼の方を向くと、彼は真剣な表情を浮かべて私の方へ歩み寄ってきた。近づいてみると、彼もルナに負けないくらいやつれていることが分かった。彼の只ならない様子に、思わず後ずさってしまう。彼は二つの双眸で私を見つめる。否、睨んでいるといった方が正しいのだろうか。
もしかしたら、リュアを助けずに私だけ生き残ってしまったことを怒っているのかもしれない。だとしたら、ここで殴られても蹴られても仕方のないことだと思った。
ローシャとルナも、息を呑んで私達を見つめている。
ここは、言われるより先に謝った方がいいだろう。
私は暴力を振るわれる覚悟で、イアンに一歩近づいた。そして、頭を下げる。
「ごめんなさい!」
「すまなかった」
え?
私は耳を疑った。ほとんど同時の発言だった。恐る恐る顔を上げると、イアンも私と同じように戸惑っていた。恐らく今の二人は、同じような表情をしているのだろう。
「ど、どうしてイアンが謝るの……?私が先生を助けずに生き残ったこと、怒っているんじゃないの?」
私が震える声で言うと、イアンは一瞬の沈黙の後、静かに首を振った。
「いや、謝らなければいけないのは、俺たちの方だ。お前の仲間の天使の命を当然のように奪って、生き残ってしまった」
「え……そうだったの?」
震える口と見開かれた目。ルナも私と同じように驚いていた。
ローシャだけが全てを知っているようで、ため息をつきながら私達の様子を遠くから見守っている。
イアンはルナの様子を無視して、懺悔をするように続ける。
「俺たちは、お前ら悪天使を救出するために基地へ行った。本来なら俺たちがあいつらを助けるはずだったのに、あいつらの命を吸い取って、俺たちはこうして生きて帰ってきてしまった。本当にすまない」
「ごめんなさい」
ルナもイアンの側に立って、私に謝罪する。目を合わせてはくれなかった。
「ミリア。俺たちにはお前の願いを聞く義務がある。俺は物心ついた時から人を殺し続けてきた。この団に入ったのも、初代団長に戦う要員として勧誘されたからだ。お前が望むのなら、お前らに酷いことをしてきたプロデスト軍の兵士を全滅させたっていい。勿論、その戦いで俺が死んでも、心臓を差し出す必要はない」
イアンは本気だった。そういえば、プロデスト軍の捕虜として保護団に来た時も、イアンは囮として私達と戦った。普通の状態なら、私達が三人で彼に襲い掛かっても互角だった。その瞬発力や余裕な表情、私達を小馬鹿にする態度を思い出して、彼の言葉の信憑性が増す。きっと彼は私たちと同じことをしてきたのだろう。
それを知って、私は何を望むのか。基地があの様子では、今のプロデスト軍を全滅させることなど容易いだろう。しかし、彼らが全滅したとして、私には何が残る?
それに、きっと先生には怒られてしまう。天使になった私たちが手を汚すのを、自分の命を犠牲にしてまで止めてくれた先生に。
私は首を横に振った。そして、ルナの方を向く。彼女はまだ目を合わせてくれないので、私は彼女の前にしゃがみ、俯いている彼女の視界に入る位置にしゃがんだ。
「基地に潜入してきてくれた時に言ってくれたこと、覚えてる?」
ルナは少し考えて首を傾げる。やっぱりあれは、勢いに任せて言ったことなのだろう。私は苦笑した。
「『私が連れて行ってあげる!』そう、あなたは言ってくれたの。此処とは違う、幸せな世界線に。だから、連れて行ってよ。それが私の、死んでいった天使たちの、願い」
私がお願いすると、ルナは子供のように表情が明るくなった。感情のグラデーションが見えた気がした。後ろめたさから希望へ、その色合いは鮮やかだった。
イアンとローシャはあっけにとられたような間抜けな表情をしているが、ルナはそんな二人を気にも留めずに張り切り始めた。
「よし!じゃあ、他の世界線に行けるような薬を発明しなくちゃね!名前は……『ゴーゴーアザーワールド』ってとこかな!」
「相変わらずネーミングセンスねーな……」
イアンは呆れた顔でかぶりを振った。
「えぇー。いいじゃん、私が作るんだから!」
ルナは頬を膨らませて怒っている。こんなに楽しそうな怒りもあるんだと、思わず感心してしまう。
「俺はいいと思うぜ?ルナらしくて」
ローシャは乗り気みたいだ。
「そうだよね、ローシャ!」
「それは俺も思う。ルナらしくていいな?」
「あ、それ悪い意味ででしょ!」
これ以上怒るとさらに馬鹿にされると気づいたのか、ルナは仕切り直すように咳ばらいをした。
「えー、ゴホン。これより、第45回、悪天使保護団恒例の円陣を行います」
「何だそれ。てか、そんなバカっぽいこと44回もやってねーし」
すかさずイアンが突っ込む。
「いや、知らないなら馬鹿にしないでよ!!いいじゃん別にちょっとくらい盛ったって!それに、ミリアもやってみたいでしょ?」
全然仕切り直せていないルナに苦笑いで頷きながらも、私は疑問に思った。エンジンって何だろう?
「あの……エンジンって何?」
私はルナに聞いてみた。当然の疑問だった。だって私は、ほとんど命令に従ったことしかない。そんな楽しそうなことのやり方なんて、検討すらつかないのだ。
「んーとね、聞いた話によると、誰かが掛け声を言
って、それに続いて皆で叫んで片足を中心に出すことを円陣って呼ぶみたい!」
ルナのざっくりとした説明に、私は感染したかのように心が高揚した。なんかよく分からないけど、取り敢えず楽しそうだ!
そして、それとなく気づく。いつの間にか私は、「楽しい」という感情を宿していたことに。
「ルナ!それだけじゃ分かんねーだろ?円陣ってのはなぁ、こーやるんだ!」
そう言ってローシャは、自分の腕を私の方に回した。痩せているように見えていたローシャだが、腕が密着して思っているより身体が鍛えられていることに気づいた。その途端に、何とも言えない感情が溢れ出す。顔に出ていないか不安になったので、咄嗟に俯き気味になった。
イアンも渋々ルナの肩に腕を回し、ルナと私、それからイアンとローシャも肩を組んで連結する。
「ところで、なんて叫ぶの?」
私が肝心なことを尋ねる。
「ふっふっ……それはね……」
ルナは私たちに小声で囁いた。
そして、一瞬の間を空けて、ルナが叫ぶ。
「悪天使保護団はー?」
「へ、変人の集まり!」
そして、四人で一緒に片足を中心に出した。
あれ、ちょっと待って?私しか言ってなくない?声を出さなかったと思われる男子二人を見ると、イアンはため息をついていて、ローシャはニヤニヤしていた。
こいつら……!
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