上 下
22 / 28

21心臓を差し出す

しおりを挟む
    私は、眼帯の人の胸に手を当てた。
 本来なら、すでに冷え切っているであろう、その亡骸。炎の海の中で、それはまだ暖かく感じた。
 私は目を閉じた。

『お前らの羽も、天使になれば眩い光に包まれる。その羽を広げたなら、こんな狭苦しい戦場せかいなんか抜け出して、大空へ飛んで行けよ?』

 私たち悪天使を助けようとしてくれた、眼帯の人。
 確か、イアンって呼ばれてた気がする。
 一回くらい、名前で呼んでみたかったな。
 今読んでも、返事はしてくれないけど。
 ねえ、イアン。私、あなたに聞きたかったことがあるの。だけどもうあなたは答えてはくれない。だからちょっとだけ……いい?
 私は、彼の右目を隠す眼帯を撫でた。ローシャさんの話を聞いて、真っ先に思い浮かんだのはイアンの眼帯のことだった。イアンは確かに、私に一度殺されてる。そして、さっきまで生きていたということは、一度は天使に心臓を差し出されたことがあるということ。
 なのにどうして、あなたの右目は眼帯に覆われたままなの?
 傷を癒す天使が心臓を差し出したのなら、右目に負ったであろう傷は、生き返った時から治っている筈。現に、プロデスト軍が保護施設に侵入した時に私が刻んだ傷は、跡形もなく治っている。
    それなのにどうして、彼が眼帯を付け続けているのかが気になった。これだけは、心臓を差し出してしまう前にはっきりさせたかった。
 そっと、眼帯を外してみる。その裏に隠されていたのは、まつ毛の長い綺麗な彼の閉じた目だった。やっぱり。左目と比べてみても、違いは分からなかった。
 恐る恐る、瞼を優しくこじ開けてみる。既に死んでいるので、瞳孔が開ききっていた。

『俺を殺してくれ』

 途端に蘇る、命令の記憶。アリス様からでも、クーデ様からでもない、彼からの命令。
 彼が血に染まる。言葉の通りに事を実行する私の身体。腕が、足が、脳が、止まらない。
 目の前の彼が死に近づいていく。血の匂いが充満する。初めての感覚だった。当時の私にとってそれは、恐ろしいほどに自然であり、当然であった。
 言われた通りに、彼を殺すことこそが正しかった。
 彼が、命令とは裏腹に執拗に逃げ回るから、早く殺すべきだと思って眼球を抉った。顔に生ぬるいものがかかった。彼の動きが鈍くなった。血の匂いがより一層強くなった。彼の顔が歪んだ。刹那、彼は俊敏さを取り戻した。彼が私の視界から姿を消した。最後に見た彼の表情は、歪んだままだった。
 
 はっと我に返る。記憶の中の彼とは違い、イアンは静かに横たわっているだけだった。だけど、確かにイアンは、あの時の彼と同一人物だった。
    あの時の彼の顔の歪みの意味が、感情教室のおかげでやっと理解できた気がした。
 後悔。それは、先生が私達を平手打ちした次の日に見せた感情だった。唇を噛んで眉尻を下げたその表情は、どこか苦しそうだった。
 そうだったんだ。この右目は、確かに私が傷つけた。そして、天使に心臓を差し出され、傷が癒えても、彼は眼帯を付け続けた。きっとそれは、後悔を忘れないようにするため。
 あの日、イアンは私の歩みを止めてくれた。一歩足を踏み入れた穢れた世界から、これ以上は進ませまいと、私を引き戻してくれた。
 あれからずっと、イアンは穢れた世界の入り口に、ずっと立っていたんだね。綺麗な方に逃げようとせず、穢れのスレスレで、ずっと耐えていたんだね。イアンの右目はどれだけ癒したって、傷ついたままだった。
 イアンがいるところから離れて私は大分穢れてしまったけど、それでも彼は眼帯を武器に、私のさらなる穢れに進もうとする足を止めてくれた。
    大空へ飛べと、本当に正しいことを教えてくれた。

 だけど、もういいんだよ。

 私は、イアンの眼帯を炎の中に投げ入れた。既に溶けかけたそれは、炎に包まれて見えなくなった。
 私はあなたに、心臓を差し出す。今度はちゃんと、右目の傷を完全に癒す。だからもう、あなたにあれは必要ない。
 もう、普通に生きていいんだよ、イアン。私に大空へ飛んでいいと言ったように、あなただって前に進んでいいんだよ。穢れた世界の淵になんて、立ってなくていい。

 ありがとう、イアン。あなたのおかげで、私は金色の背中の羽を広げて、大空へ飛び立つことができる。
 だけど、付いてこないでね。あなたにはあなたの、正しい道があるのだから。
 私はイアンに微笑みかけた。するとイアンの身体が、私の羽と同じように輝いた。
 同時に、私の意識が朦朧とし始めた。
 息ができない。
 でも、不思議と苦しくは感じなかった。だって、私の痛みが大きくなるにつれて、イアンの顔が安らかになるように見えたから。
    嗚呼、死ぬってこんな感じなんだ。イアンも甲高い声の人も、先生も、この感覚を味わったんだ。
 心臓を差し出します。
 どうか、生き延びて。






しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

【書籍化進行中、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

立派な王太子妃~妃の幸せは誰が考えるのか~

矢野りと
恋愛
ある日王太子妃は夫である王太子の不貞の現場を目撃してしまう。愛している夫の裏切りに傷つきながらも、やり直したいと周りに助言を求めるが‥‥。 隠れて不貞を続ける夫を見続けていくうちに壊れていく妻。 周りが気づいた時は何もかも手遅れだった…。 ※設定はゆるいです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

あなたがそう望んだから

まる
ファンタジー
「ちょっとアンタ!アンタよ!!アデライス・オールテア!」 思わず不快さに顔が歪みそうになり、慌てて扇で顔を隠す。 確か彼女は…最近編入してきたという男爵家の庶子の娘だったかしら。 喚き散らす娘が望んだのでその通りにしてあげましたわ。 ○○○○○○○○○○ 誤字脱字ご容赦下さい。もし電波な転生者に貴族の令嬢が絡まれたら。攻略対象と思われてる男性もガッチリ貴族思考だったらと考えて書いてみました。ゆっくりペースになりそうですがよろしければ是非。 閲覧、しおり、お気に入りの登録ありがとうございました(*´ω`*) 何となくねっとりじわじわな感じになっていたらいいのにと思ったのですがどうなんでしょうね?

処理中です...