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14イアンの決断
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俺ははっとした。十分眩しい光だったが、何とか目をそらさずにルナを見上げる。
俺は戦争孤児だった。親との記憶はほとんど皆無に等しく、稲光と断末魔がだけが俺と親を繋ぐたった一欠けらの断片的な記憶だった。
気づいたら俺は一人で走っていた。走りながら何かを蹴飛ばし、何度も叫び、何人ものニンゲンを殺した。
生きるためには、仕方がなかった。
どれくらいの距離を走っただろう。俺は傷だらけになっていた。何度も転んだせいで、膝が擦り切れていた。誰かと争ったらしく、身体中切り傷や痣だらけだった。手は赤黒く汚れていた。どれだけ地面にこすりつけても、川で濯いでも、赤いシミが落ちても、それは綺麗にならなかった。もう俺は、綺麗になれないのだと知った。元に戻るには、俺は走りすぎた。生きるために、惨めな現実から逃げすぎた。
俺は純白と引き換えに、卑怯な強さを手に入れた。穢れの数だけ純白を失い、傷の数だけ強くなった。
気が付けば俺は、どうして走っていたのか分からなくなった。目的地のないまま走ることしかできない俺は走り続けた。
どれだけ走っただろうか、俺は人も家もないところに辿り着いた。とうとうこの星に居る全員を殺してしまったかとさえ思った。しかし俺は一人ではなかった。
ふらりと現れたのは、漆黒の天使の輪と羽を持つ虚ろな目をした少女。俺は彼女にすっかり目を奪われてしまった。穢れた世界を何も知らない、幼気な少女のようだった。俺は、自分が彼女の前に立つにはあまりに血の味を知りすぎていると思った。
「俺を殺してくれ」
気づいたらそう呟いていた。
バン!
俺の言葉とほぼ同時に、俺に飛び掛かる彼女。俺は彼女の攻撃を咄嗟に交わした。速い。今まで何人もの大人と戦ってきたが、ここまで素早い動きをする者はいなかった。彼女は綺麗だった。鋭い爪と牙で俺の皮膚を削り、噛みちぎる。彼女の手は、とっくに俺と同じ色に染まっていた。綺麗だった彼女が、穢れていく。俺と同じになってしまう。何度も攻撃を交わしているうちに足がもつれて、横に重心がずれる。身体のバランスが取れず、攻撃の方へよろける。彼女の槍のように尖った爪が俺の目に突き刺さる。利き目を破壊された俺は、ぶれた彼女を見た。その時俺は、自分がどれだけ馬鹿なことを頼んだかを思い知った。俺の返り血が彼女の顔にかかる。嗚呼、どうして生き物はこんなにも簡単に穢れてしまうのだろう。俺だって元は純白の心を持つ少年だったというのに。自分が傷つき穢れたことを悔やみながら、どうして彼女すらも穢れた世界に手招きしてしまったのだろう。
彼女に俺を殺させてはいけない。
決意を持った俺は、多少強くなった。彼女からの意識が遠のくような攻撃を恐れずに、彼女の間合いに入る。今まで幾度となく戦ってきた俺にとって、相手の動きを分析するのは容易いこととなっていた。彼女の場合、攻撃は強いがよく観察すれば動きは極めて単調だ。すぐに読めた。俺は彼女の死角を器用に使って彼女に手刀を喰らわせた。
無事、彼女は気絶した。俺はその場にへたり込んだ。戦いがこれ以上長引いていたら、相手が複数いたら、俺は完全に彼女を穢す素となっていただろう。
パチパチパチ
疲労で意識が朦朧とする中、遠くから手を叩く音が聞こえた。やがてその音の発信源は俺の隣に来た。見ると、黒髪で背は低く、優しそうな瞳をした団服姿の男が立っていた。
「いやぁ、君はすごいね。あの悪天使に一撃を喰らわせるなんて。この辺は野生の悪天使が多いからね。助かったよ」
そういって、男--当時の団長は気絶した彼女を担ぎ上げた。
「そいつ、悪天使っていうのか?」
そして、俺にハンカチを差し出し、指で自分の目を指した。
「そうだよ。っていっても、悪天使はみんな、悪天使保護団で感情を与えて天使にしてあげるんだけどね」
そこで俺は、悪天使の特性、残酷な運命をすべて聞かされた。そして勧誘された。「悪天使とまともに戦えるのは君くらいだ」と。
俺はハンカチを受け取り、目を抑えた。しっかり洗濯されたそれに、俺の血液で赤黒いシミを作ってしまった。
気絶して担がれている、ハンカチと同じ色をした少女。彼女がこれ以上穢れたら、俺は悲しい。彼女が金色の羽を広げて大空を飛ぶことができたなら、俺は嬉しい。この俺の穢れた手で、悪天使が穢れた世界に踏み込まないようせき止めることができるのなら、この俺の傷と返り血まみれの身体も、悪くないような気がした。
俺が元団長の手を取ると、彼は喜んだ。彼は、悪天使を愛していると言ってほほ笑んだ。俺もそうだと頷いた。
「嗚呼、行こう」
俺はあの時と同じように、団長の手を取って立ち上がった。
ルナがリュアのために行くというのなら。俺は悪天使の、ルナの、ローシャの、リュアの純白を守るために行く。
一度死んだ俺たちに託された、天使たちの尊い命。悪天使保護団に俺たちは、最初から使命をもって集結していたのだ。
死んでも死なせてもらえないような残酷なこの世界線で生きろというのなら。目的地がないまま走り続ければ道に迷うというのなら。意地でも死の向こう側まで走り抜いてやろうと思った。
「俺の入団理由は、穢れた世界の門番になるためだ」
俺は戦争孤児だった。親との記憶はほとんど皆無に等しく、稲光と断末魔がだけが俺と親を繋ぐたった一欠けらの断片的な記憶だった。
気づいたら俺は一人で走っていた。走りながら何かを蹴飛ばし、何度も叫び、何人ものニンゲンを殺した。
生きるためには、仕方がなかった。
どれくらいの距離を走っただろう。俺は傷だらけになっていた。何度も転んだせいで、膝が擦り切れていた。誰かと争ったらしく、身体中切り傷や痣だらけだった。手は赤黒く汚れていた。どれだけ地面にこすりつけても、川で濯いでも、赤いシミが落ちても、それは綺麗にならなかった。もう俺は、綺麗になれないのだと知った。元に戻るには、俺は走りすぎた。生きるために、惨めな現実から逃げすぎた。
俺は純白と引き換えに、卑怯な強さを手に入れた。穢れの数だけ純白を失い、傷の数だけ強くなった。
気が付けば俺は、どうして走っていたのか分からなくなった。目的地のないまま走ることしかできない俺は走り続けた。
どれだけ走っただろうか、俺は人も家もないところに辿り着いた。とうとうこの星に居る全員を殺してしまったかとさえ思った。しかし俺は一人ではなかった。
ふらりと現れたのは、漆黒の天使の輪と羽を持つ虚ろな目をした少女。俺は彼女にすっかり目を奪われてしまった。穢れた世界を何も知らない、幼気な少女のようだった。俺は、自分が彼女の前に立つにはあまりに血の味を知りすぎていると思った。
「俺を殺してくれ」
気づいたらそう呟いていた。
バン!
俺の言葉とほぼ同時に、俺に飛び掛かる彼女。俺は彼女の攻撃を咄嗟に交わした。速い。今まで何人もの大人と戦ってきたが、ここまで素早い動きをする者はいなかった。彼女は綺麗だった。鋭い爪と牙で俺の皮膚を削り、噛みちぎる。彼女の手は、とっくに俺と同じ色に染まっていた。綺麗だった彼女が、穢れていく。俺と同じになってしまう。何度も攻撃を交わしているうちに足がもつれて、横に重心がずれる。身体のバランスが取れず、攻撃の方へよろける。彼女の槍のように尖った爪が俺の目に突き刺さる。利き目を破壊された俺は、ぶれた彼女を見た。その時俺は、自分がどれだけ馬鹿なことを頼んだかを思い知った。俺の返り血が彼女の顔にかかる。嗚呼、どうして生き物はこんなにも簡単に穢れてしまうのだろう。俺だって元は純白の心を持つ少年だったというのに。自分が傷つき穢れたことを悔やみながら、どうして彼女すらも穢れた世界に手招きしてしまったのだろう。
彼女に俺を殺させてはいけない。
決意を持った俺は、多少強くなった。彼女からの意識が遠のくような攻撃を恐れずに、彼女の間合いに入る。今まで幾度となく戦ってきた俺にとって、相手の動きを分析するのは容易いこととなっていた。彼女の場合、攻撃は強いがよく観察すれば動きは極めて単調だ。すぐに読めた。俺は彼女の死角を器用に使って彼女に手刀を喰らわせた。
無事、彼女は気絶した。俺はその場にへたり込んだ。戦いがこれ以上長引いていたら、相手が複数いたら、俺は完全に彼女を穢す素となっていただろう。
パチパチパチ
疲労で意識が朦朧とする中、遠くから手を叩く音が聞こえた。やがてその音の発信源は俺の隣に来た。見ると、黒髪で背は低く、優しそうな瞳をした団服姿の男が立っていた。
「いやぁ、君はすごいね。あの悪天使に一撃を喰らわせるなんて。この辺は野生の悪天使が多いからね。助かったよ」
そういって、男--当時の団長は気絶した彼女を担ぎ上げた。
「そいつ、悪天使っていうのか?」
そして、俺にハンカチを差し出し、指で自分の目を指した。
「そうだよ。っていっても、悪天使はみんな、悪天使保護団で感情を与えて天使にしてあげるんだけどね」
そこで俺は、悪天使の特性、残酷な運命をすべて聞かされた。そして勧誘された。「悪天使とまともに戦えるのは君くらいだ」と。
俺はハンカチを受け取り、目を抑えた。しっかり洗濯されたそれに、俺の血液で赤黒いシミを作ってしまった。
気絶して担がれている、ハンカチと同じ色をした少女。彼女がこれ以上穢れたら、俺は悲しい。彼女が金色の羽を広げて大空を飛ぶことができたなら、俺は嬉しい。この俺の穢れた手で、悪天使が穢れた世界に踏み込まないようせき止めることができるのなら、この俺の傷と返り血まみれの身体も、悪くないような気がした。
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「嗚呼、行こう」
俺はあの時と同じように、団長の手を取って立ち上がった。
ルナがリュアのために行くというのなら。俺は悪天使の、ルナの、ローシャの、リュアの純白を守るために行く。
一度死んだ俺たちに託された、天使たちの尊い命。悪天使保護団に俺たちは、最初から使命をもって集結していたのだ。
死んでも死なせてもらえないような残酷なこの世界線で生きろというのなら。目的地がないまま走り続ければ道に迷うというのなら。意地でも死の向こう側まで走り抜いてやろうと思った。
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