上 下
8 / 28

7私の感情教室

しおりを挟む
 次の晩、私はこっそりと悪天使のいる牢へ向かった。蝋燭を片手に、冷たい廊下を感覚を研ぎ澄ませながら歩く。腐乱臭が鼻を衝く。ここで食べるご飯は、例え高級ディナーでも不味い気がする。一歩踏み出すごとに揺れる炎が、鼠や虫が這っていても可笑しくないような気色の悪い鉄の床を照らした。天井からは結露が滴り、凹んだ床に水が溜まっている。引き寄せられるように蝋燭を近づけてみると、そこには何やら緑色のものが生えていた。嫌な気分になったので、それ以降は周囲をなるべく照らさないよう細心の注意を払い、結露で蝋燭の火が消えないようにすることだけを考えた。
 無駄に曲がり角が多いこのエリアを歩くには、足音を気にする必要があった。角でうっかり軍の見張りと鉢合わせてしまう可能性も十分にあるからだ。私も悪天使もようやく信用されるようになり、この時間帯は見張りなど殆どいないはずだが、この不気味な空間で、何が起こるかなどもはや何も分からない。
 大丈夫。万が一見つかっても、ケアだと偽ればいい。そのために得た信頼なのだから。
 それにしても。ある意味、悪天使に感情が無くてよかったのかもしれない。こんな空間でまともに感情をもって過ごしていたら、間違いなく気が狂うだろう。毎日のように殺戮を命じられ、こんな湿っぽいところで自由を封じられていたら、ほんの少しの負の感情があるだけで命取りになる。
 一瞬、顔に何かかかったような気がしたが、気のせいだと思いたい。
 そうこうしているうちに、とうとう悪天使の牢に辿り着いた。
「ミリア、マリア、ユノン。まだ起きてる?」
 私が空虚の部屋に呼びかけると、三人は感情のない淡々とした声で返事をした。
「ハイ、起キテイマス。用件ハ、何デショウカ」
 私は、悪天使がまだ起きていたことに安心して、話を始めた。
「大切な話があって来たの。話す前に、一つだけ約束してくれる?今から話すことは、他の人……特に、アリス兵長とクーデ副兵長には、絶対に話さないでくれる?」
 これは正直不安だった。アリス兵長の方が悪天使をよく従えているからだ。
 だが、私の不安を裏切って、悪天使は頷いた。
「承知シマシタ」
「え?」
 耳を疑った。ここまで簡単に了承されるとは、夢にも思わなかったのだ。
「承知してくれるのはありがたいんだけど、どうして私のことを信用してくれるの?」
 アリスは自分とクーデの言うことだけを聞くように悪天使をしつけている筈だった。
    不思議に思っていると、ミリアが意外な質問をした。
「『あなた達は、それでいいの?』トハ、ドノヨウナ意味ナノデショウカ」
「え?」
 マリアが続ける。
「悪天使保護施設に行ッタ時、甲高イ声ノ人ガ私タチニ言ッタ言葉デス」
 甲高い声の人……ルナのことか。
「私達ハ、ソノ意味ガワカラナイ。ダケド、貴女ナラ知ッテイルト思イマシタ」
 何かが、動いている気がした。悪天使が口々に言う。
「ソレガ彼女ノ最期ノ言葉デシタ」
「眼帯ノ人ハ何故私タチヲ殺サナカッタノデスカ」
「死ニ際ノ彼女ハ何故口角ヲ上ゲテイタノデショウカ」
「彼女ハ何ヲ思ッテ死ンダノデショウカ」
「ソモソモ、アノ人タチハドウシテ、暖カイノデスカ」
「私達ノコトガ怖クナイノデショウカ」 
そして、皆口を揃えて言う。

「教エテクダサイ」

と。


 それを聞いて私は、心に引っかかっていた何かがすーっと溶けていくのを感じた。

 ルナもイアンも、一度死んでしまった。天使は、二人を思っていたがために犠牲になってしまった。だけど、悪天使は僅かだが心を開いてくれた。そう考えると、昨日起こった悲劇の連鎖も、無駄ではなかったように思える。

 悪天使は、感情に関する疑問を抱いた。だったら、教えるしかないじゃない!

「いいよ。全部教えてあげる。私はね、虚無の心を持つ悪天使である貴方たちに、感情を教えに来たの!」



しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

好色一代勇者 〜ナンパ師勇者は、ハッタリと機転で窮地を切り抜ける!〜(アルファポリス版)

朽縄咲良
ファンタジー
【HJ小説大賞2020後期1次選考通過作品(ノベルアッププラスにて)】 バルサ王国首都チュプリの夜の街を闊歩する、自称「天下無敵の色事師」ジャスミンが、自分の下半身の不始末から招いたピンチ。その危地を救ってくれたラバッテリア教の大教主に誘われ、神殿の下働きとして身を隠す。 それと同じ頃、バルサ王国東端のダリア山では、最近メキメキと発展し、王国の平和を脅かすダリア傭兵団と、王国最強のワイマーレ騎士団が激突する。 ワイマーレ騎士団の圧勝かと思われたその時、ダリア傭兵団団長シュダと、謎の老女が戦場に現れ――。 ジャスミンは、口先とハッタリと機転で、一筋縄ではいかない状況を飄々と渡り歩いていく――! 天下無敵の色事師ジャスミン。 新米神官パーム。 傭兵ヒース。 ダリア傭兵団団長シュダ。 銀の死神ゼラ。 復讐者アザレア。 ………… 様々な人物が、徐々に絡まり、収束する…… 壮大(?)なハイファンタジー! *表紙イラストは、澄石アラン様から頂きました! ありがとうございます! ・小説家になろう、ノベルアッププラスにも掲載しております(一部加筆・補筆あり)。

処理中です...