【完結】忌み姫と氷の魔法使いの白くない結婚

白滝春菊

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忌み姫を守るもの

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 シエルにとって絵を書くこと以外に好きなことは本を読むことだ。それ以外にすることがないので必然的に暇があれば読むようになった。
 簡単な読み書きは家庭教師について学んでいたが、それ以上のことは教えてもらえなかったので本を読んで独学で勉強をしていた。

 使用人は皆、彼女を恐れて必要最低限のこと以外は何も言わない。聞いてこようとしない。
 彼女にとって世界を知るには本だけが頼りである。今日もまた読みかけの小説を手に取りソファに座っている。

 暇を持て余すシエルにグラッセが貸してくれた魔物の生態に付いて書かれた図鑑を読み終え、次に手を出したのは大人向けに書かれた小説だった。
 こちらは成人した際にクリアに渡されたものでこれを読んで覚悟を身につけるようにと言われたものだ。

 性知識に関してはこの本のお陰でかなり詳しくなった。おかげで恥ずかしさはあるもののパニックになることはなかったのだ。

(私の方から旦那様にもっとお願いするといいのかな)

 彼女は小説を読みながら悩んでいた。グラッセとの夜の営みが好きだ。優しく触れてくれることもキスしてくれることも可愛いと言ってくれる言葉も全部嬉しいと思っている。

 でもグラッセはシエルに触れるだけで最後まではいかない。彼は寝ている間にしていると言っているが目覚めた時に感じる鈍い痛みや怠さが無いのだ。儀式の時のような感覚がない。それに

(起きている時にしたいな……)

 どうせ体を繋げるならグラッセの全てを感じたいと思うのは我がままだろうか? 痛くても辛くても彼を受け入れることが出来るようになりたい。彼が気持ちよくなって欲しい。
 そこまで考えてハッとする。自分がとんでもないことを考えていることに気がつき、顔を真っ赤にした。

(はしたない……)

 子供を作る行為に快楽だの愛情だのなんだのと求めるのは不謹慎だと思いつつ、シエルは悶々としながら本のページを捲っていると、ドアをノックする音が聞こえ、ビクッと肩を震わせた。

「は、はい」
「入るぞ」

 入ってきたのはグラッセだった。本を閉じてテーブルに置こうとしたが本の表紙が見られてはまずいと咄嵯に魔物の図鑑の下へ隠してから立ち上がる。

「お帰りなさいませ。旦那様」
「ああ」

 にこりと微笑んで出迎えると彼はそのまま真っ直ぐこちらに向かってきた。

「今日は本を読んでいたのか……」

 机の上に本が置いてあることに気がついたグラッセの言葉にドキリとした。さっきまで官能的な小説を読んでいたのを彼に知られてしまうのではないかと不安になったからだ。

「旦那様が貸してくださった魔物の図鑑を、魔物の図鑑を読んでました!」
「そ、そうか。どうだった?」

 誤魔化すように早口で繰り返して言うとグラッセは戸惑う様子を見せながらも頷いてくれたのでホッと安堵の息をつく。さっきまであんな破廉恥なことを考えていたなど知られるわけにはいかないのだ。

「興味深い内容ばかりで面白かったです。あ、でも……」

 気になっていた内容を思い出したシエルは魔物の図鑑を取り、パラリとページを捲り、ある部分を指差す。

「このフリーズバードなのですがこちらの図鑑では弱点が火の魔法なのに別の図鑑では雷魔法が弱点でした。これはどういうことでしょうか?」

 先程読んだ時はどちらもほぼ同じ内容のことが書かれていたが、一部の内容が違っていた。何故違うことを書かれているのか不思議でならなかったのだ。
 するとグラッセはふっと笑みを浮かべた。

「その答えは簡単だな。調べて書いた作者が違うんだ。魔物にも個体差があったり、生態が変化したり、作者の勘違いなどで情報が変わってしまうことがあるんだよ。だから必ずしも同じ情報が書かれているとは限らないんだ。だから全ての情報を鵜呑みにするのは危険だ。あくまで参考程度に留めておくべきだろうな。それに……」

 急に饒舌になって説明を始めたグラッセに驚いたが、その内容はとても興味深く、シエルが質問しても嫌そうな顔一つせず、丁寧に分かりやすく教えてくれた。
 彼の話は面白く、とても勉強になるものだったため、あっという間に終わりの時間を迎えてしまった。

 *

 夕食後、シエルとグラッセは向かい合って紅茶を飲みながらゆったり過ごしていた。
 今日の食事も美味しかったしデザートも最高だったが何故かグラッセはあまり元気がないように見えた。何かあったのだろうかと思いつつも尋ねようとした瞬間だった。

「きゃっ!?」

 シエルに新しい紅茶を入れようとしたメイドがポットを落としてしまい、熱いお茶がシエルの腕にかかってしまった。一瞬だけ驚いていたが、すぐに冷静になり、熱湯がかかった場所を見て確認していた。

「シ、シエル様!も、申し訳ございません!」
「大丈夫ですよ」

 顔を真っ青にしたメイドが謝罪するが、シエルはそれを笑顔で制す。
 火傷していないことは自分が一番わかっているから大丈夫だと伝えようとしたが、それよりも先にグラッセが立ち上がってシエルの隣に来て彼女の腕を掴んだ。

「何をしているんだ!早く冷やして……」
「氷の加護があるので平気です」

 慌てるグラッセに対してシエルが落ち着いた声で答えると彼は目を見開いて固まっていた。お湯を被った箇所を見ると変化はないように見える。

 軽く肌に触れてみても水ぶくれが出来ているような感触もなかった。ジャリっと何かを踏んだ音がして足元を見れば紅茶の氷塊があった。

(気味が悪いって思われちゃったかな……)

 シエルは悲しげに目を伏せる。氷の精霊の加護は外敵から彼女を守ってくれる。命を狙われれば過剰防衛が発動して相手を凍らせることもあるらしい。

 そのせいで使用人が怖がって必要最低限しか近寄らなくなった。これがある限り自分は外傷で死ぬことはない。
 こんな力は欲しくなかったがこれが自分に与えられた運命なのだと何度も言い聞かせてきたことだ。嘆いてもどうしようもない。

「このメイドの教育係は誰だ?」
「旦那様、大丈夫ですから……」

 グラッセがクリアに問いかけるとそれを見たシエルは慌てて彼の袖を掴む。これ以上、迷惑をかけたくないと思ったからだ。

「彼女だけじゃない。この屋敷の使用人は怯えてばかりで気に入らない。主人を何だと思っている」
「そんな……私は皆に良くしてもらえて感謝しています」

 嫌がらせをされているわけでも、無視をされているわけではないのだ。ただ自分の力を恐れているだけ。最強の魔法使いのグラッセと違って彼らは武力を持たない人間。妻の必死の訴えに大きく溜息をつくと掴んでいた手を離してくれた。

「別に解雇すると言っているんじゃない……もう少し落ち着いて行動しろと言うだけで……」

 小さく咳払いをした後、グラッセは言葉を続ける。

「確かに今のは横暴だったのかもしれない。悪かった」
「旦那様は悪くありません……私のために怒ってくれてありがとうございます」

 グラッセの言葉に胸の奥が温かくなる感覚を覚えながら微笑む。彼が愛おしくて堪らない。優しく抱きしめたい衝動を抑えながら彼の大きな手に触れる。
 
「いや、妻を守るのは夫の役目だからな……」

 照れ臭そうにするグラッセの表情はどこか嬉しそうだった。それにつられてシエルも頬を緩ませる。


 メイド長には教育の見直しに加えてあまり強く叱らないよう頼んでおいた。
 その結果、今回失敗をしたメイドのアンナは解雇されなかった安心からなのか、涙ぐみながら喜んでシエルに感謝を伝えているのが見えたのでグラッセは苦笑いを浮かべたのだった。

 彼女はまだ新人だったらしく、今回の件を教訓にしてこれから頑張ってくれると言っていたのでまだ伸びしろがあるのだ。少しは改善をするだろう。

 *

 グラッセはベッドの上で悩んでいた。中途半端に優しくするのは止めようと決めたばかりなのに結局は甘えさせてしまっている自分に苛立っていたが同時に彼女が喜ぶならそれでいいとも思っている。

 だが、それは良くないことだと思う自分もいる。このままではいけない……と何度も考えが堂々巡りを繰り返していた時、ふとあることを思い出す。

(シエルが官能小説を読んでいた……)

 彼女が魔物の図鑑を持ち上げた際に下敷きになっていた本の表紙を偶然見てしまったのだが結婚前に読んだことのある官能小説だったため、あの時は動揺しそうになったが見ないフリをしてやり過ごした。

 つまり読んでいた。ということは彼女なりに勉強をしているということなのだろう。いくら箱入りで純粋無垢な姫でもあの誤魔化しは無理があったのかもしれない。

 懐から錠剤の避妊薬の入った包みを取り出すとそれを口に放り込み、上半身を起こすとサイドテーブルに用意してある果実水を手に取って一気に飲み干す。
 そしてそのまま寝転がると窓の外を見つめながら大きくため息をついた。

 *

 湯浴みを終えてメイドに髪を乾かしてもらっている最中、シエルはぼんやりとしていた。今回、髪を整えているのはアンナだ。
 彼女はあの日から少しずつ話しかけてくれるようになったり、こうして身支度を手伝ってくれたりと積極的に関わってくれるようになっていた。

「……男の人ってどんな女性が好きなんでしょうか?」

 シエルがぽつりと呟くとアンナのブラシをかける手が止まる。鏡を見ると驚いたような顔でこちらを見て固まっていたので不思議に思って首を傾げる。するとハッとした様子で再び動き出した。

「グラッセ様はシエル様をとても大切になさっていますよ」
「旦那様は優しいけど……あまり女性として見られてないような気がします」

 シエルがしょんぼりした声を出して俯いてしまうと今度はブラシを持ったままアンナは固まってしまった。

「そ、そんなことはございません!きっとシエル様を大切にしすぎて……無理をさせたくないだけですよ!」

 シエルは不安げに瞳を揺らし、再び鏡に向き直る。その表情は曇っていて元気がないように見えたので無理矢理笑顔を作ってみるがすぐに消えてしまう。

「何をすれば旦那様に魅力的に映るのかわからない……」
「シエル様なら何もしなくても十分魅力的ですよ」

 アンナは美しい純白に近いホワイトブロンドに櫛を通す。
 シエルの容姿は完璧だ。使用人達が口をそろえて「精霊の加護が怖いけど美人だ」と口を揃えて褒め称えるほどに整っており、スタイルも細身だったのが食欲が増したせいなのか全体的に肉付きが良くなったことでより美しさに磨きがかかったように見える。

 これで愛人の娘で氷の精霊の加護持ちの肩書きがなければ誰もが羨む美女だと絶賛されるに違いない。
 だが、彼女は今まで他人に容姿を褒められることが無かったので自分に自信を持てずにいた。
 グラッセは今頃何をしているのだろうと想像してみて胸の奥がきゅっと締め付けられる感覚を覚えた。
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