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旦那様はアップルパイがお好き
しおりを挟む「グラッセさん、森に行くので護衛をお願いします」
朝食を終えるとアサヒが出来立てのアップルパイを彼の前に差し出しながら頼みごとをしてきた。目上の人間に対して失礼な言葉遣いだがグラッセは咎めない。アサヒの料理の腕は認めているからだ。替えが効かないほどに重宝しているので些細なことなら受け流すようにしている。
「森へ何をしに行かれるのですか?」
シエルがアップルパイを一口サイズに切り分けながら尋ねる。
「食材を探しに行くんですよ」
「買えばいいだろ」
グラッセが呆れた口調で反論をするとアサヒは首を横に振る。
「欲しい物はリンゴなんです。この国のリンゴはあまり美味しくないので調味料で誤魔化せるのですが、やはり素材そのものの甘さで勝負したいですから」
「……確かに甘すぎる」
その言葉を聞いてグラッセがアップルパイを一切れ口に運ぶと渋面を作る。
「そうでしょうか?」
シエルも一口食べてから疑問の声を上げるとアサヒが苦笑した。シエルからしてみれば十分美味なものだが舌が肥えたグラッセには不評だったようだ。
「グラッセさんはアップルパイが好きなんですがリンゴの形をできるだけ残して甘さも控えめな味付にして欲しいと言う人なので、好みの問題ですよ」
「旦那様、アップルパイが好きなんですね」
意外な一面を知ってシエルが目を丸くしながら呟くとグラッセは綺麗に完食した皿を眺めながら小さくため息をついた。
「それにしばらくは魔法騎士としての仕事が休みだって言ってましたし体が訛らないよう運動代わりになると思いますよ」
仕事がないと聞いた途端にグラッセの顔色が変わった。シエルとの子作りを優先させるために王から休暇を言い渡された彼はそれを受け入れたものの暇を持て余していたのだ。
雪しかない庭で魔法の訓練など体を鍛えることはできるのだがそれも毎日行うと飽きてしまう。
「わかった。森へ行こう……クリアも一緒に来い」
「失礼ですが私が行っても回復と浄化の魔法しか出来ませんよ?」
皿を下げようとする執事を引き留めると彼は無表情のまま聞き返す。
「いいから手伝え。命令だ」
「かしこまりました」
主の命令ならば従うだけだと言わんばかりの態度だった。アサヒ同様に戦闘経験の無いクリアを森まで連れて行くメリットは無いに等しいが、屋敷から離れる時は念のために彼を自分のそばに置いて置こうとグラッセは考えていた。
この屋敷で一番若い男はクリアだ。そして彼は容姿も整っている。シエルが托卵をするなら彼を選ぶのかもしれないのでその可能性を潰すためにクリアを連れて行くことにした。
そんな思惑があるとは知らず、シエルはグラッセ達を見送る為に玄関先へと向かう。
「旦那様、気を付けて下さいね」
「ああ……シエルにはこいつを渡そう」
心配そうな表情を浮かべるシエルにグラッセが気がつくと彼は魔法で作り出した白いウサギを足元に作り出した。
ただの小動物に見えるが実際は違う。高度な魔法により生み出された疑似生命体であり普通の生物のように餌を食べる必要も無いし魔力の供給さえあれば半永久的に活動が可能なグラッセの分身のようなもので主の命令と自分の意思で行動をし、絶対に裏切らない存在だ。
それでもシエルにとっては初めて見る生き物だったので興味津々といった様子で見つめていた。
「わぁ、可愛いですね。お名前は何というのでしょう?」
「名前は無いがスノウラビットと呼ばれる魔物を参考にして作ったものだ」
シエルがウサギと目を合わせながら尋ねるとグラッセは素っ気なく答える。何度か偵察や連絡用に使っていたが名前で呼んだことは一度として無かった。
「名前がないと不便……じゃあスノウとお呼びしますね」
シエルは勝手に名無しの白ウサギに可愛らしい名前を付けてしまった。こうなると思ったのかグラッセは何も言い返さずに諦めたように肩をすくめただけだった。
「行ってくる」
「はい、旦那様。旦那様達のご無事をお祈りしております」
シエルが笑顔で送り出すのを見てグラッセ達は森へと向かって行った。
彼らが見えなくなるのを確認するとシエルは自室に戻り、窓辺に座って外をぼんやりと見ながら考え事をしていた。雪一面の庭にはグラッセが魔法の訓練で作っていたアイスゴーレムと呼んでいた氷の人形が屋敷の周りをズシン、ズシンと重い足音を立てながら巡回警備をしている。
(やっぱり最後までしてない……)
シエルの悩みはそれである。グラッセは最後までしたと朝、情事の報告をしてくれたが昨日の記憶が曖昧な彼女はそれを鵜呑みにすることはできなかった。それでも言い争いになるのは避けたかったのでその時は信じるふりをしていたのだ。
(女性として魅力が足りないのかな?)
それを疑問に思ってもシエルに相談ができる相手はいない。シエルは精霊の加護を受けているおかげで外敵からの攻撃をシエルの意思関係なく防いでくれるのだがそれを恐れて使用人達は必要以上に近寄ろうとしない。
初めてシエルを恐れない、嫌悪しなかったのはグラッセだった。政略結婚で結ばれた仲とはいえ彼の優しさに惹かれて今ではほんのりと恋心すら抱いている。
「でも、子供ができないとお別れ……」
まだ新婚中、時間は二年も残っているはずなのに焦りを覚えてしまう。子供ができなければ今の夫とは離縁をして別の男と再婚をして子供を産むことになるだろう。それは嫌だと思った。産むならグラッセとの間の子供を産みたいと思う気持ちが強い。
そもそもシエルの体は子を宿せるのだろうかと疑問を覚える。精霊の加護を持つ人間は子供が出来にくいという噂もあるし、シエルの父親の場合は特にその傾向が強くて子供は三人しかできなかった。
そして事前に契約に入っていたのはグラッセに愛人、または恋人がいても寛容に受け入れることだった。これはシエルに幸せになってほしくない父親からの嫌がらせの契約なのだろう。
だからグラッセが他の女を抱いてもシエルは我慢をしなければと思っているのだが、やはり実際に目の当たりにしたくはない。自分以外の女性がグラッセの隣に立つ姿を見たくなかった。
「魅力が……」
シエルは自分の体を触って確かめる。グラッセと暮らすようになってからは肉づきが良くなり、肌艶も良くなった。それに胸も大きくなっているような気がする。最近は食事が楽しめて美味しいものを食べることが増えた。
この体が彼にとって魅力的かどうかはわからない。彼が向けてくれる感情は全て優しく温かいもの。だけど時々寂しげに見える時があるのは何を意味しているのかシエルには理解できない。ただ一つだけ言えることがあるとすればグラッセが与えてくれたものを少しでも返したいということだけだ。
ふう、とため息をつくとシエルは足元で待機をしている名前をつけたばかりのウサギのスノウの頭をしゃがんで撫でるとスノウはシエルの手に頬ずりする。その仕草が可愛くて彼女の顔には自然と笑みが浮かんだ。
「スノウの絵でも描きましょうか」
ウサギをひと撫でしてから立ち上がると画材を持ってくるよう、侍女に頼むことにした。
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