シークレットベイビー~エルフとダークエルフの狭間の子~【完結】

白滝春菊

文字の大きさ
上 下
90 / 104
ダークエルフの誘惑編

敵か、救い手か

しおりを挟む
 シリウスが騎士たちと共に戦地へ赴いたその日、ガレットの屋敷にはアステルとステラが滞在することになった。大きな木々が並ぶ庭を抜け、静かな空気に包まれた屋敷の玄関に立つとアステルは深く息を吸い込み、心を落ち着ける。

「カレンさん。しばらくの間ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「お願いします」

 アステルが少し緊張しながらそう言った後にステラも真似をしてお礼を言うとカレンは柔らかな微笑みを浮かべる。
 カレンは騎士団長ガレットの妻であり、アステルがこの国に来たばかりの頃から親身になって彼女を支えてくれた貴族の女性だ。

「全然いいのよ。しばらくとは言わずに、ずっといてもいいんだから」

 その時、カレンの視線が外に向かい、屋敷の敷地の向こうでダークエルフの女性が早足で横切る姿が見えた。

「あの人があの噂のダークエルフ?」
「ええ……でも様子がおかしい……」

 問いかけるカレン。アステルはその質問に小さく頷いた。ヴェラはシリウスがしばらくの間、国を出ていくのを知ったから追いかけたのだろうか?
 正直、不安であるがアステルにはどうすることもできないのでシリウスを信じることしかできないのが歯がゆかった。

「まあ、ここなら警備は厳重だしアステルたちに危害は及ばないわ」

 カレンの自信を持ったその言葉にアステルは少し安心した。

 アステルは、緊張した手を優しく握るステラの手をしっかりと握り返し、屋敷の中へと足を進めた。温かい陽射しが差し込む屋内に入ると、二人の心も少しずつ和らいでいく。新たな場所での生活が始まることを感じながら、彼女たちはこれからの運命に思いを馳せた。

 ◆

 数日後。屋敷の中でアステルとカレンは広々としたリビングにゆったりと座り、テーブルには香り高い紅茶と美味しそうな軽食が並んでいた。
 穏やかな光が窓から差し込み、最近まで続いていた緊迫した日々からは考えられないほどの静けさと安らぎが漂っている。

「それにしても、こうしてお茶を飲むのは久しぶりね」
「そうですね」

 カレンが柔らかい微笑みを浮かべるとアステルは小さく笑いながら頷く。薬師としての仕事が忙しくなるにつれ、カレンと時間が少なくなっていたことを思い返していた。

「……シリウスのいない生活は寂しい?」

 カレンが少し悪戯っぽい笑みを浮かべながら、さりげなく尋ねるとアステルの頰はほんのりと赤らみ、視線を落としながら小さな声で答える。

「はい。最近はずっと一緒にいたら……」
「そうよね。やっと会えたのにまた離ればなれなんて寂しいわよね」

 カレンは静かにカップをソーサーの上に戻した。アステルもカレンの言葉に共鳴し、目を伏せたまま寂しげに呟く。

「だからダークエルフの里に行かれるのは絶対に嫌なんですけど、どうしたら解決できるのかわからなくて」
「この国の法律は面倒だからね。直接手を出せば捕まることも、国外追放もできるけど、付きまとう程度ではそうもいかないから……そういえば、お弟子さんはどうなの?」

 アステルの言葉に空気が一瞬重くなる。カレンは微妙な沈黙を打破すべく、話題を変えることにした。

「ケルヴィンですか?ええ、彼は飲み込みが早いし、頭も良いからあっという間に上達していますよ」

 アステルは心配する気持ちを込めて話し続けた。現在は親の介護のためもしばらく仕事を休んでもらっているが、アステルとは別に薬の注文を受け、貸し与えた道具を使ってできる範囲の仕事をしているらしい。道具屋もすっかり彼に信頼を寄せている様子だ。

「ケルヴィンね。ステラが妹ほしいって頼んだら、馬鹿にしてくるんだよ」

 カレンの幼い息子と遊んでいたステラが自慢の三つ編みを引っ張られながら話に混ざってくる。

「妹?なんの話?」
「ああ、いえ、友達に妹がいて、ステラも欲しいって駄々こねちゃって」
「ケルヴィンにステラの妹、買ってきてってお願いしたの」
「買ってきてって言ったの?それは馬鹿にされちゃうわね!」

 ステラの純真なお願いを知ったカレンは驚きを隠せず笑いを漏らすとステラは頬を膨らませて無言になってしまう。

「でもアステルが頼めば、シリウスも聞いてくれるんじゃない?」
「そう簡単にはできないので……」

 カレンが冗談めかして言うとアステルは苦笑した。エルフのような長命種は子供は簡単には授かれない。ステラは奇跡的に授かったようなものなので気長に待ってほしいものだ。

「失礼いたします、カレン様」
「何か用かしら?」
 穏やかな午後の光がリビングに差し込み、静かな時間が流れていたその時、屋敷の扉に軽くノックが響いた。カレンが目を向けると、使用人の一人が入り口に立ち、緊張した様子で告げた。

「はい、実はケルヴィン様がアステル様とお話ししたいとおっしゃって、屋敷にお越しになりました」
「ケルヴィンが?」
「わざわざここまで来るってことは何か相談でもあるんじゃない?」

 カレンが使いの者に手を振り、ケルヴィンを通すように伝えると数分後、ケルヴィンがリビングの扉を静かに開け、少し緊張した面持ちで足を踏み入れた。

「失礼します」

 その声には、普段よりもどこか固さがあった。彼の背筋はきちんと伸びており、その表情には一瞬の戸惑いと、何か大切な用件を抱えているような重みが感じられた。少し不安げにアステルとカレンを見つめると、彼は小さく頭を下げた。

「ケルヴィン、どうしたの?」

 アステルは席を立ち、優しく声をかける。彼女の柔らかな瞳がケルヴィンに向けられると彼はしばらく言葉を探すように黙っていた。その沈黙がほんの少し長く感じられ、アステルは軽く息を吐き、静かに待った。

 「実は、アステルさんに相談したいことがあって……」

 やがて、ケルヴィンは重い口を開いた。彼の声には、どこか焦りが滲んでいる。

「……あのダークエルフの女性が……倒れたんです」
「ヴェラさんが?」

 ケルヴィンがぽつりと告げると、アステルは驚き、顔色を一瞬で変えた。
 その名前を口にした瞬間、胸の奥に何か冷たいものが走った。あのヴェラが? 倒れるだなんて。

「倒れたのは、国を出る前だって聞いています。ですが、最初に運ばれた病院での治療がうまくいかなくて、状態が悪化してしまった。回復魔法をかけても治らなかったんです」
「え?病院で回復魔法を掛けてもらえばなんとかなるから、大丈夫なんじゃないの?」

 カレンが不思議そうに尋ねると、アステルは静かに首を横に振った。

「ダークエルフには回復魔法があまり効かないんです」

 ダークエルフは強靭な肉体と回復力を持つ反面、回復魔法をほとんど受け付けないという弱点があった。そのことを、アステルはシリウスから聞いている。

「じゃあ、それで、ケルヴィンが薬を頼まれたと?」

 カレンが話の核心に触れると、ケルヴィンはしっかりと頷いた。彼の表情には、少しの不安と、何か決意したような強さが見える。

「実はアリサさんを介して依頼が来て、ダークエルフに合う薬を調合してほしいと頼まれたんです。薬師として少しでも役に立てればと思って、調合に取り組んだんですが……ダークエルフの体質に合う薬の調合は、まだ僕には難しくて……」

「ダークエルフの用の薬の作り方はまだ教えていなかったわね。特にヴェラさんのように体調が不安定だと、何が原因で症状が悪化するか予測するのも簡単ではないから、聞きに来て正解よ」

 アステルはケルヴィンをしっかりと見つめながらシリウスとのやり取りを思い出していた。
 体調が悪い時に買った薬を飲んだら余計に悪化したことが何度かあったのでそれ以来はほとんど自然治癒に任せている、と。
 なのでそんなシリウスの体に合う調合を作ってあげていたのだ。
 怪我を治す薬はほとんどの種族には効くが、病気を治すための薬は種族によって効き目が違う。ダークエルフのように特殊な体質を持つ者にはどんな薬が必要か、まだ分からないことが多い。

「だから、私も行くわ。カレンさんはステラのことをお願いします」

 アステルは決意を込めて言った。ケルヴィンを助けたい、そしてヴェラを救いたいという思いが胸の中で強く膨らんでいる。

「流石にそれはダメよ! シリウスに守るように頼まれているんだから!」

 カレンが驚きながら言うと、アステルは少し困ったように眉を寄せたが、ステラが一歩近づき、寂しそうに小さな声で呟いた。

「お母さんのお薬で治してあげないの? あの人、雨の中立ってて病気になったんだよね?」

 その言葉がアステルの心を揺さぶった。ステラは、ヴェラが危険な存在だとシリウスから何度も教えられていたにもかかわらず、なぜか彼女に対して悪い印象を抱いていないようだった。アステルは深く息を吐き、静かに言った。

「……そうね。このままじゃ手遅れになってもおかしくない」

 その言葉に、どこか切なさが含まれている。

「どうしてそこまでして助けようとするの? 敵なんでしょ」

 カレンの言葉は、アステルの胸を刺した。ヴェラは、確かにシリウスの敵だった。しかし、アステルが感じていたのは、単なる敵意ではなかった。何かが心の中で引っかかっていた。

 「あの人を見ていると思い出します……昔、シリウスを助けた時のことを」

 アステルは一度目を伏せ、静かに言葉を紡いだ。初めてシリウスと出会った日のこと。彼は行き倒れていて、弱りきっていた。そんなシリウスとヴェラの姿がどこか似ているように感じられたのだ。

「だから、助けたいと思って」

 アステルの声は穏やかでありながら、決意が込められている。

「せっかくシリウスが貴女達を守る為に身を削ってくれたのに」

 カレンの言葉は痛いほど正しい。しかし、アステルは引くことができなかった。

「本当にごめんなさい。それでも彼女を助けたいんです」

 深く頭を下げ、心から謝罪の気持ちを伝えるとカレンは少しの間黙って考え、そして重い息を吐き、ついに小さく頷いた。

「わかったわ。でも、絶対に一人で行動しないって約束して」
「はい! ありがとうございます!」

 アステルは顔を輝かせ、深く頭を下げて感謝の言葉を口にした。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

【完結】番(つがい)でした ~美しき竜人の王様の元を去った番の私が、再び彼に囚われるまでのお話~

tea
恋愛
かつて私を妻として番として乞い願ってくれたのは、宝石の様に美しい青い目をし冒険者に扮した、美しき竜人の王様でした。 番に選ばれたものの、一度は辛くて彼の元を去ったレーアが、番であるエーヴェルトラーシュと再び結ばれるまでのお話です。 ヒーローは普段穏やかですが、スイッチ入るとややドS。 そして安定のヤンデレさん☆ ちょっぴり切ない、でもちょっとした剣と魔法の冒険ありの(私とヒロイン的には)ハッピーエンド(執着心むき出しのヒーローに囚われてしまったので、見ようによってはメリバ?)のお話です。 別サイトに公開済の小説を編集し直して掲載しています。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています

水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。 森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。 公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。 ◇画像はGirly Drop様からお借りしました ◆エール送ってくれた方ありがとうございます!

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

ずっと好きだった獣人のあなたに別れを告げて

木佐木りの
恋愛
女性騎士イヴリンは、騎士団団長で黒豹の獣人アーサーに密かに想いを寄せてきた。しかし獣人には番という運命の相手がいることを知る彼女は想いを伝えることなく、自身の除隊と実家から届いた縁談の話をきっかけに、アーサーとの別れを決意する。 前半は回想多めです。恋愛っぽい話が出てくるのは後半の方です。よくある話&書きたいことだけ詰まっているので設定も話もゆるゆるです(-人-)

処理中です...