上 下
73 / 104
弟子と母親編

病の原因

しおりを挟む
 
「キャロライン!」

 アステルは馬車を降り、急ぎ足で家に戻るとリビングへ駆け込んだ。名前を呼ばれたキャロラインは食器を洗っている最中だったが、彼女の不安げな視線がアステルに向けられる。持っていた皿を静かに台の上に置き、何が起こったのか尋ねた。

「アステルさん?どうされたのですか?」
「兎獣人の子供が急に具合が悪くなったそうなの。専門医がいないから、私も見ることになったのだけど、同じ兎獣人のキャロラインなら原因が分かるかもしれない。だから、一緒に来てほしい……もちろんこれは別の仕事としての代金を……」

 心臓が高鳴り、言葉が早口になった。

「え、ええ。構いませんが、ステラさんはどうしましょうか?」
「それは……帰って来るまで一人にさせてしまうのは可哀想だけど……仕方がないわ」

 今日は学校が休みだったのでステラは今、自分の部屋で本を読んでいる。ここでの環境にも慣れ、ヴァンもいるから留守番を任せても大丈夫だろう。
 だがやはり心配だった。

「あ……どうも」

 ステラに説明を終え、二人は急いで支度を整え、家を出る。すると、ドアの前でノックをしようとしていたケルヴィンが、驚いた顔で二人を迎えた。

「ごめんなさい。実は……」

 アステルはケルヴィンに説明をして今日の作業は休みにしてもらうことすると伝えた。

「そうなんですか……そちらの方も一緒に行くんですか?」

 チラリとキャロラインを見たケルヴィンの表情には、不安の色が浮かんでいる。

「ええ、彼女も兎獣人だから何かわかると思って。」
「お子さんは?」
「留守番をお願いしているの。」
「……そうですか」

 アステルの説明を受け、ケルヴィンは頷きつつも少し悩んだ後に口を開いた。

「少しぐらいなら見ててあげてもいいですが……」

 その言葉に、二人は驚きを隠せなかった。普段、ダークエルフを嫌うケルヴィンが仕事でもないのにステラの様子を見てやると言い出すとは思ってもみなかったからだ。
 本当に任せても平気なのか?直接危害を加えるような少年ではないことはアステルも知っているが心の奥に不安が燻っていたが

「それじゃあ、お願いできる?」

 アステルは彼を信じ、ステラのことを頼むことに決めた。キャロラインは驚いた表情で、そのやり取りを見守っていた。

 ◆

 馬車の扉を開けて中に乗り込んだアステルは重たい扉を閉めながら、一瞬の静けさに心を整えた。

 キャロラインが隣に座り、馬車が揺れる度に彼女の兎の耳が揺れる。馬車の外では、馬たちの蹄の音が響き、アステルはその音に耳を傾けながら心の中で次の出来事を思い描いていた。

「大丈夫ですか?」

 キャロラインが不安そうな声をかける。その声に、アステルは自分の心のざわめきを振り払うように顔を向けた。

「ええ、もしかしたら原因がわかったら薬の調合に活かせるかもしれないし……」

 アステルは力強く答えようとしたが、その言葉の裏に潜む不安が声に滲み出てしまった。キャロラインはアステルの目をじっと見つめる。

「そうではなくて、ケルヴィンさんのことですよ」

 彼女の言葉にアステルは少し驚いた表情を浮かべた。確かにケルヴィンがダークエルフを嫌っていることは二人にとって共通の認識だった。

「自分から一緒に居ると言ってくれた彼の言葉を信じてみようと思うの」

 アステルはその強い意志をキャロラインに伝えた。心の中で不安を抱えながらも彼女はその決意を揺るがすことはなかった。

「ヴァンもいるし、それに何かあったら私たち大人がフォローをする」

 キャロラインはその言葉を聞きながら、アステルの目に宿る光を感じ取った。

「そこまでお考えでしたら、もう何も言いません」

 今更どうすることもできないキャロラインはやれやれといった表情で溜息をついた。

 ◆

 宿に着くとアステルとキャロラインは宿の主人に案内され、リョウイチたちが使用している部屋へと向かった。
 木製の扉をノックするとすぐにアリサが現れ、安心した様子で二人を迎え入れた。

「アステルさん、お待ちしてました。お願いします」

 部屋の中に入ると、目に飛び込んできたのは、ベッドの上で苦しそうに横たわる兎獣人の子供だった。
 彼女の小さな体はまるで痛みから逃れようとするかのように丸く縮こまっている。

「エル、薬師の人が来てくれたから一旦離れるんだ」

 リョウイチが、コルルに付きっきりのエルに声をかける。エルは「わかったわ」と返事をするものの、不安げな表情は消えなかった。
 彼女は立ち上がり、アステルの方を振り返ると恐怖の色を浮かべた目でじっと見つめてきた。

「この人はダメよ!帰ってもらって!」
「何を言っているんだ!」

 エルの声はヒステリックに響くとリョウイチが慌てて彼女の口を塞ごうとする。状況は緊迫し、部屋の空気が一層重くなった。

「落ち着いてください。この前のことは気にしていません。私を信じてください」

 アステルは冷静を装い、優しい声色でエルに語りかける。彼女の言葉には、穏やかさと真摯さが含まれていた。
 落ち着いたアステルの言葉にエルは動揺しながらも静かにうなずいた。

(やっぱり記憶があるのね)

 アステルは心の中で思った。エルは捨てた娘からの報復を恐れ、愛するコルルに毒を盛るのではないかと警戒しているのだ。
 そんなことはしないとアステルは目線で訴えかけた。その視線を受け、エルはリョウイチの手を叩いて腕をすり抜けると椅子に腰掛け、コルルの様子をじっと観察し始めた。

 アステルとキャロラインはコルルの側に寄り、彼女の症状を観察する。コルルはベッドの上で体を小さく丸め、苦しそうに息をついていた。顔には苦痛の影が色濃く刻まれている。

「わかりますか?」

 アリサが声をかけると、アステルもリョウイチに視線を向けた。

「何か症状が現れ始めたのはいつですか?」
「昼頃です。元々体が弱かったのですが、こんなに苦しんでいるのは初めてで……」

 リョウイチが声を震わせながら答えた。アステルはその言葉を心に留め、急いで症状を見極めようとした。彼女の心に不安と共に使命感が満ちる。

(お皿の上に何か……クッキー?)

 アステルの視線がテーブルに引き寄せられた。皿の上には食べかけのクッキーが残されている。

「お昼にクッキーを食べたんですか?」
「ええ、いつも食べているものです」

リョウイチは困惑した面持ちで答えた。

「ですが材料はこの国で買ったものですよね?」

 アステルの言葉に、リョウイチは一瞬口ごもる。

「え、ええ……そうですが」
「あ!材料!材料は余ってますか?」
「あ、はい」

 キャロラインはハッとして彼に材料は残っているのか尋ねるとリョウイチは余っている分のクッキーの材料を持ってくるとテーブルへ置いた。

「このハーブ、これは兎獣人には毒です!」

 キャロラインはその材料を見るとハーブを人差し指でつまみし、アステルに見せる。その表情には、驚きと恐れが混ざっていた。

「そ、そんな……」

 エルはそのハーブを見た瞬間、言葉が胸に詰まり、冷たい恐怖が彼女の心を侵食した。
 顔が真っ青になり、思わずコルルに覆い被さるように抱きしめた。彼女の手が震え、息を呑む音が部屋の静寂に響く。エルは愛する娘が自分のせいで危険にさらされていることを理解し、心が押し潰されそうになった。

 キャロラインのように同種族に育てられていれば食べられるものと食べられないものの区別は教えてもらえるはずだ。
 しかしコルルは人間とエルフに育てられたため、そのような知識がまるで欠けていたのだ。

 コルルの体の弱さもそのせいかもしれない。リョウイチとエルは自分たちが良かれと思って与えたものが娘の体に深刻な害を及ぼしているとは夢にも思わず、頭を抱えた。彼らの目には、無力感と後悔の色が浮かんでいた。

 部屋の空気が重く沈む中、アステルは心を決めた。彼女はコルルを救うために全力を尽くすと強く心に誓ったのだった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

ずっと好きだった獣人のあなたに別れを告げて

木佐木りの
恋愛
女性騎士イヴリンは、騎士団団長で黒豹の獣人アーサーに密かに想いを寄せてきた。しかし獣人には番という運命の相手がいることを知る彼女は想いを伝えることなく、自身の除隊と実家から届いた縁談の話をきっかけに、アーサーとの別れを決意する。 前半は回想多めです。恋愛っぽい話が出てくるのは後半の方です。よくある話&書きたいことだけ詰まっているので設定も話もゆるゆるです(-人-)

執着系皇子に捕まってる場合じゃないんです!聖女はシークレットベビーをこっそり子育て中

鶴れり
恋愛
◆シークレットベビーを守りたい聖女×絶対に逃さない執着強めな皇子◆ ビアト帝国の九人目の聖女クララは、虐げられながらも懸命に聖女として務めを果たしていた。 濡れ衣を着せられ、罪人にさせられたクララの前に現れたのは、初恋の第二皇子ライオネル殿下。 執拗に求めてくる殿下に、憧れと恋心を抱いていたクララは体を繋げてしまう。執着心むき出しの包囲網から何とか逃げることに成功したけれど、赤ちゃんを身ごもっていることに気づく。 しかし聖女と皇族が結ばれることはないため、極秘出産をすることに……。 六年後。五歳になった愛息子とクララは、隣国へ逃亡することを決意する。しかしライオネルが追ってきて逃げられなくて──?! 何故か異様に執着してくるライオネルに、子どもの存在を隠しながら必死に攻防戦を繰り広げる聖女クララの物語──。 【第17回恋愛小説大賞 奨励賞に選んでいただきました。ありがとうございます!】

抱かれたい騎士No.1と抱かれたく無い騎士No.1に溺愛されてます。どうすればいいでしょうか!?

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
ヴァンクリーフ騎士団には見目麗しい抱かれたい男No.1と、絶対零度の鋭い視線を持つ抱かれたく無い男No.1いる。 そんな騎士団の寮の厨房で働くジュリアは何故かその2人のお世話係に任命されてしまう。どうして!? 貧乏男爵令嬢ですが、家の借金返済の為に、頑張って働きますっ!

巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた

狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた 当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話

よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。 「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。

処理中です...