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弟子と母親編
病の原因
しおりを挟む「キャロライン!」
アステルは馬車を降り、急ぎ足で家に戻るとリビングへ駆け込んだ。名前を呼ばれたキャロラインは食器を洗っている最中だったが、彼女の不安げな視線がアステルに向けられる。持っていた皿を静かに台の上に置き、何が起こったのか尋ねた。
「アステルさん?どうされたのですか?」
「兎獣人の子供が急に具合が悪くなったそうなの。専門医がいないから、私も見ることになったのだけど、同じ兎獣人のキャロラインなら原因が分かるかもしれない。だから、一緒に来てほしい……もちろんこれは別の仕事としての代金を……」
心臓が高鳴り、言葉が早口になった。
「え、ええ。構いませんが、ステラさんはどうしましょうか?」
「それは……帰って来るまで一人にさせてしまうのは可哀想だけど……仕方がないわ」
今日は学校が休みだったのでステラは今、自分の部屋で本を読んでいる。ここでの環境にも慣れ、ヴァンもいるから留守番を任せても大丈夫だろう。
だがやはり心配だった。
「あ……どうも」
ステラに説明を終え、二人は急いで支度を整え、家を出る。すると、ドアの前でノックをしようとしていたケルヴィンが、驚いた顔で二人を迎えた。
「ごめんなさい。実は……」
アステルはケルヴィンに説明をして今日の作業は休みにしてもらうことすると伝えた。
「そうなんですか……そちらの方も一緒に行くんですか?」
チラリとキャロラインを見たケルヴィンの表情には、不安の色が浮かんでいる。
「ええ、彼女も兎獣人だから何かわかると思って。」
「お子さんは?」
「留守番をお願いしているの。」
「……そうですか」
アステルの説明を受け、ケルヴィンは頷きつつも少し悩んだ後に口を開いた。
「少しぐらいなら見ててあげてもいいですが……」
その言葉に、二人は驚きを隠せなかった。普段、ダークエルフを嫌うケルヴィンが仕事でもないのにステラの様子を見てやると言い出すとは思ってもみなかったからだ。
本当に任せても平気なのか?直接危害を加えるような少年ではないことはアステルも知っているが心の奥に不安が燻っていたが
「それじゃあ、お願いできる?」
アステルは彼を信じ、ステラのことを頼むことに決めた。キャロラインは驚いた表情で、そのやり取りを見守っていた。
◆
馬車の扉を開けて中に乗り込んだアステルは重たい扉を閉めながら、一瞬の静けさに心を整えた。
キャロラインが隣に座り、馬車が揺れる度に彼女の兎の耳が揺れる。馬車の外では、馬たちの蹄の音が響き、アステルはその音に耳を傾けながら心の中で次の出来事を思い描いていた。
「大丈夫ですか?」
キャロラインが不安そうな声をかける。その声に、アステルは自分の心のざわめきを振り払うように顔を向けた。
「ええ、もしかしたら原因がわかったら薬の調合に活かせるかもしれないし……」
アステルは力強く答えようとしたが、その言葉の裏に潜む不安が声に滲み出てしまった。キャロラインはアステルの目をじっと見つめる。
「そうではなくて、ケルヴィンさんのことですよ」
彼女の言葉にアステルは少し驚いた表情を浮かべた。確かにケルヴィンがダークエルフを嫌っていることは二人にとって共通の認識だった。
「自分から一緒に居ると言ってくれた彼の言葉を信じてみようと思うの」
アステルはその強い意志をキャロラインに伝えた。心の中で不安を抱えながらも彼女はその決意を揺るがすことはなかった。
「ヴァンもいるし、それに何かあったら私たち大人がフォローをする」
キャロラインはその言葉を聞きながら、アステルの目に宿る光を感じ取った。
「そこまでお考えでしたら、もう何も言いません」
今更どうすることもできないキャロラインはやれやれといった表情で溜息をついた。
◆
宿に着くとアステルとキャロラインは宿の主人に案内され、リョウイチたちが使用している部屋へと向かった。
木製の扉をノックするとすぐにアリサが現れ、安心した様子で二人を迎え入れた。
「アステルさん、お待ちしてました。お願いします」
部屋の中に入ると、目に飛び込んできたのは、ベッドの上で苦しそうに横たわる兎獣人の子供だった。
彼女の小さな体はまるで痛みから逃れようとするかのように丸く縮こまっている。
「エル、薬師の人が来てくれたから一旦離れるんだ」
リョウイチが、コルルに付きっきりのエルに声をかける。エルは「わかったわ」と返事をするものの、不安げな表情は消えなかった。
彼女は立ち上がり、アステルの方を振り返ると恐怖の色を浮かべた目でじっと見つめてきた。
「この人はダメよ!帰ってもらって!」
「何を言っているんだ!」
エルの声はヒステリックに響くとリョウイチが慌てて彼女の口を塞ごうとする。状況は緊迫し、部屋の空気が一層重くなった。
「落ち着いてください。この前のことは気にしていません。私を信じてください」
アステルは冷静を装い、優しい声色でエルに語りかける。彼女の言葉には、穏やかさと真摯さが含まれていた。
落ち着いたアステルの言葉にエルは動揺しながらも静かにうなずいた。
(やっぱり記憶があるのね)
アステルは心の中で思った。エルは捨てた娘からの報復を恐れ、愛するコルルに毒を盛るのではないかと警戒しているのだ。
そんなことはしないとアステルは目線で訴えかけた。その視線を受け、エルはリョウイチの手を叩いて腕をすり抜けると椅子に腰掛け、コルルの様子をじっと観察し始めた。
アステルとキャロラインはコルルの側に寄り、彼女の症状を観察する。コルルはベッドの上で体を小さく丸め、苦しそうに息をついていた。顔には苦痛の影が色濃く刻まれている。
「わかりますか?」
アリサが声をかけると、アステルもリョウイチに視線を向けた。
「何か症状が現れ始めたのはいつですか?」
「昼頃です。元々体が弱かったのですが、こんなに苦しんでいるのは初めてで……」
リョウイチが声を震わせながら答えた。アステルはその言葉を心に留め、急いで症状を見極めようとした。彼女の心に不安と共に使命感が満ちる。
(お皿の上に何か……クッキー?)
アステルの視線がテーブルに引き寄せられた。皿の上には食べかけのクッキーが残されている。
「お昼にクッキーを食べたんですか?」
「ええ、いつも食べているものです」
リョウイチは困惑した面持ちで答えた。
「ですが材料はこの国で買ったものですよね?」
アステルの言葉に、リョウイチは一瞬口ごもる。
「え、ええ……そうですが」
「あ!材料!材料は余ってますか?」
「あ、はい」
キャロラインはハッとして彼に材料は残っているのか尋ねるとリョウイチは余っている分のクッキーの材料を持ってくるとテーブルへ置いた。
「このハーブ、これは兎獣人には毒です!」
キャロラインはその材料を見るとハーブを人差し指でつまみし、アステルに見せる。その表情には、驚きと恐れが混ざっていた。
「そ、そんな……」
エルはそのハーブを見た瞬間、言葉が胸に詰まり、冷たい恐怖が彼女の心を侵食した。
顔が真っ青になり、思わずコルルに覆い被さるように抱きしめた。彼女の手が震え、息を呑む音が部屋の静寂に響く。エルは愛する娘が自分のせいで危険にさらされていることを理解し、心が押し潰されそうになった。
キャロラインのように同種族に育てられていれば食べられるものと食べられないものの区別は教えてもらえるはずだ。
しかしコルルは人間とエルフに育てられたため、そのような知識がまるで欠けていたのだ。
コルルの体の弱さもそのせいかもしれない。リョウイチとエルは自分たちが良かれと思って与えたものが娘の体に深刻な害を及ぼしているとは夢にも思わず、頭を抱えた。彼らの目には、無力感と後悔の色が浮かんでいた。
部屋の空気が重く沈む中、アステルは心を決めた。彼女はコルルを救うために全力を尽くすと強く心に誓ったのだった。
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