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アステルの仕事

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 温かいシチューを器に盛り付け、ハーブを練り込んだチーズを添えたパンと一緒に部屋へと運ぶとベッドの上で上半身を起こして座っていたシリウスが不安そうな表情でこちらを見つめてくるがアステルの首に残った痛々しい痣が目に入ると申し訳無さそうに目を逸らした。
 ベッドの脇にあるテーブルに食事を置くとアステルは安心して食べやすいように距離を取る。

「口に合うのかわからないけど、よかったら。食器は後で片付けるからゆっくり食べてね」
「あ……」

 そう言ってアステルは部屋を出ていこうとするとその背中に向かってシリウスが口を開く。
 その声に立ち止まって振り返ると、彼は俯いたまま何かを言いたそうにしている。アステルは静かに待つと彼は絞り出すような声で言った。

「……ありがとう」

 たった一言。それだけの言葉だったけれどアステルにとっては嬉しい言葉だった。

「どういたしまして」

 アステルは笑顔で返すと、そのまま部屋を出た。

 彼女が出て行った後、一人残されたシリウスは目の前に置かれた食事をじっと見下ろしていた。先程まで漂ってきた美味しそうな匂いに空腹を感じる。
 スプーンを手に取ると一掬いし、毒が入っていないことを信じてゆっくりと口に運べば温かく、優しい味が体と心にしみる。

 こんな気持ちになったのはいつ以来だろうかと思いながら黙々と食べ続けた。気がつくと器と皿の中身を綺麗に平らげ、すっかり胃袋と心を満たしていた。久しく忘れていた感覚にずっと昔のことを思い出した。

 あの頃はまだ両親は生きていた。幸せに暮らしていた頃のことを。だが、もう戻らない日々を思い出しても虚しいだけだ。シリウスはため息をつくと食べ終えた後の食器を持って立ち上がる。


 シリウスに食事を運び終えた後、アステルは首の治療をしながらこれからのことを考えることにした。彼の存在を他のエルフに決して気づかれないようにしなければならない。
 ここは閉鎖的な場所であり、余所者を嫌う、そんな所にダークエルフがいることが知られれば大変なことになるだろう。最悪殺されるかもしれない。

 せめて怪我が治るまでは隠し通そう。幸いにもこの家の周りには誰も住んでいない寂しい一軒の家。アステルはシリウスのことは自分一人でなんとかしようと決意をする。

 寝る前にシリウスの使った食器を片付けようと彼のいる部屋に向かうと、部屋の前の扉の隣の床に綺麗に平らげ空になった皿が置かれていた。

(全部食べてくれた)

 嬉しさを感じると同時にこれできっと大丈夫だと安心をしながらアステルは食器を持ってその場を離れた。

 ◆

 翌朝、アステルは朝食の準備をしている最中にふと昨日の晩のことを思い返した。結局シリウスはあの後もまだ警戒しているようだが何事もなく、大人しく部屋に籠っている。
 アステルに対して危害を加えるつもりはないようだ。とりあえずはこのまま様子を見て、問題がなければ徐々に距離を縮めていけばいい。

 出来上がった野菜のスープと焼きたてのパンをトレイに乗せてシリウスの部屋へと向かい、扉の前に立つとノックをしてから中に入った。

 シリウスは既に起きていてベッドの上に座りながらカーテンの隙間から外を眺めているようだったが、アステルが入ってきたことに気づくとすぐにこちらに顔を向けた。
 その視線がアステルの首の包帯に注がれていることに気づいて目を伏せて「すまない」と呟く。

「気にしないで。ちょっと大袈裟に巻いてあるだけ」
「…………」
「それより、朝ご飯ができたの。食べられそう?」
「……ああ」

 シリウスは小さく返事をすると机の上に置かれた料理にはまだ手を付けずにただじっと見つめていた。

「傷は大丈夫?ちょっと見せて」

 アステルはシリウスの側に行くと大人しく触らせてくれたのでその傷を確かめた。出血は止まっているが腫れは引いていない。シリウスもやはり痛みがあるようで顔をしかめていたがそれでも文句は言わなかった。

 そっとシリウスの腕を取ると古い包帯を解いて持ってきた治療箱から薬を取り出し、傷口に塗っていく。一番酷い胸の傷は少し膿んでいるがそれ以外の傷は化膿していないことにアステルは安堵する。

 彼女の手つきはとても優しく、傷口に触れる度に魔法を使われていないのにシリウスは不思議とその瞬間だけ痛みを忘れそうになった。

 消毒を終え、新しい包帯を巻き直すとアステルは顔を上げて安心をさせるために微笑んだ。優しくされることに慣れていないシリウスはその表情を見ると居心地が悪そうに目を逸らす。

「少しだけ外に行ってくるね。何かあったらヴァンが知らせてくれるから……ああ、フクロウの名前なの」

 そう言うとアステルは古い包帯と治療箱を持ってシリウスに背を向けると部屋から出ていった。
 一人残されたシリウスはアステルが巻いてくれた新しい包帯に触れてみる。彼女を殺そうとしたのに優しくしてくれて今まで感じたことのない温かさに戸惑うばかりだった。

 ◆

 アステルは薬のたくさん入った大きな木箱を持ってヴァンと一緒に家の外に出るとヴァンを見張りと餌取りを兼ねて森の中へと放ち、その間にアステルは薬を店まで納品に向かった。

 家から離れた所にある建物が多い地区までやってくると彼女は真っ直ぐに一軒の建物を目指す。そこが彼女の目的の場所だった。建物は周りの民家と比べても大きく、他の家よりも年季が入っている。

 入り口には木製の看板がかけられておりそこには掠れた文字でこの店の名が書かれていた。その建物の扉を開け、カウンターの奥にいる店主に軽く頭を下げてから声をかけると彼はいつものように不機嫌そうな表情でアステルを見る。

「こんにちは、頼まれていた商品をお持ちしました」
「遅かったじゃないか」
「ごめんなさい、作るのに時間がかかったんです」

 アステルが謝りながら持っていた木箱を差し出すと彼はそれを手に取り中身を確認し、それを一つ一つ丁寧に見ながら満足げに笑った。

 薬屋の店主の名前はロディ。金髪を後ろで纏めた見た目は二十代半ばぐらいに見えるが実際の年齢はもっと上で、エルフ族特有の若々しい容姿のため年齢の判別が見た目だけではつかないのだ。

「ふん、確かに受け取ったぞ。それでこの避妊薬は本当に効くのか?」

 避妊薬の入った小瓶を手に取ってじっと見つめるロディにアステルは説明をする。

「絶対では無いそうです。でも効果はあります。もしも妊娠してしまったのならこちらの墮胎薬を使ってください。こっちは確実です」

 そもそも子供が欲しくないのなら子供が出来て困るような行為をしなければいいのに、とアステルは内心思ったが口には出さず墮胎用の薬の説明もする。
 エルフでも結婚をして子供を産んで育てることが当たり前だと思われているが、中には結婚したくない者や子供を望まない者もいる。

「そうか……ところでその首はどうした?」

 突然話を変えられアステルは首を傾げる。
 首と言われて思い出したが昨日シリウスにつけられた痣を隠すために包帯の上に白いスカーフを巻いて隠していたが包帯が見えてしまい、それを見たロディは眉間にシワを寄せて彼女を見下ろす。

「お前まさか魔物に襲われたんじゃないだろうな?」
「ちょっと木の枝に引っ掛けてしまって……」

 慌てて否定をしたアステルを見てロディは疑いの目を向けたままだったが、興味を失ったようで深く追及することはしなかった。

「まあ、いい。次からは朝一に持ってこい。そうすれば今日みたいに待たなくても済むからな」
「はい、わかりました」

 アステルはそう返事をすると代金を受け取り、その場を後にする。「明日までならいつでもいい」と昨日言ったのはロディのはずだと理不尽な思いを抱きながらアステルは市場に向かうため足を進めた。

 ◆

 まずは食材を買いに行こうとアステルはまず肉を売る店を探した。肉を売っている店を見つけるとアステルはそこに向かい、肉と卵と牛乳『一人分』を買う。

 彼女は肉をあまり好まないが体力の落ちているシリウスには栄養を取らせなければならない。野菜と魚も同じように『一人分』買うといつもどおりの速度でシリウスの待つ家に帰る。

 たくさん買いたい所だが、一人暮らしのアステルがいきなり大量に買い物をすると怪しまれてしまうから彼女の食べる量を減らすしかないのだ。

 ◆

 家に戻ると庭で干していた洗濯物を取り込んでから家の中に入り、洗濯物の中から男物の衣服を選別して畳んだ。
 シリウスの着ていた服はボロボロで血だらけになってしまったが、新しく男物の服を買おうとすれば彼の存在を知られてしまう可能性があるため、父親が着ていた服を洗って彼に着せることにした。

 アステルの父親はいない。死んでしまったわけではなく、昔この集落に訪れた人間の女と恋に落ちて妻子を捨て、エルフの集落を出て行った。
 それが原因で母親は病んでしまい、無気力になると次第に精神を蝕まれていき、ついにおかしくなった。

 幼かったアステルは必死に母親を励まして介護をしていたがある日、母親は姿を消してそれ以来、行方知れずになっている。
 それから最後に一人残されたアステルは父親が残したレシピを元にして独学で薬の作り方や薬の効能について調べて薬を作り、売ることでなんとか生活をしていた。

 身一つで駆け落ちをした父親の私物が家に残っていたのはなんとなく捨てられなかったからだ。いつか父親が帰ってくるのではないかと心のどこかでは思っていて父親の部屋も定期的に掃除をしていた。

 そんなことを考えながらアステルは父親があまり着なかった衣服を選んで綺麗に折り畳むとそれをシリウスがいる部屋へと持って行った。


 ノックをして部屋に入るとシリウスは起きていたが眠たそうな目をしている。朝食を取った後、すぐに寝ていたのだがアステルが帰ってきたことに気がついてすぐに起きたのだ。

「これ、お父さんのだけどよかったら使ってね」

 アステルが彼のベッドに近づき、新しい着替を手渡すと、シリウスはそれを受け取り、不思議そうに服を見つめる。

「父親……?」
「今は居ないけどね。私が小さい頃にここを出て行ったからこの服は貴方に貰ってほしいの」
「そうか……」

 シリウスは「出て行った」と聞いて何かを察してそれ以上は何も聞かなかった。彼が服を受け取るのを見届けるとアステルはすぐに外に出ようと扉に手をかけたが、扉を開ける前にシリウスに声をかけられる。

「……アステル」

 初めて名前を呼ばれた事に驚いて振り返る。その表情は慈愛に満ちていた。それはまるで母親が子供に向けるような優しい笑顔だった。

「なに?」
「俺の武器を見なかっただろうか?槍……なんだが」

 槍という言葉を聞いてアステルは首を横に振った。シリウスを見つけた時は視界が悪く、周りがよく見えていなかった為、彼の持ち物は見ていない。

「ごめんなさい、よく見てなかったの」
「そうか……」

 残念そうにする彼にアステルは申し訳なさを感じた。何かシリウスにしてあげなければと焦る気持ちでいると、ふと考えが思いつく。

「じゃあ、探して来るから少し待ってて、すぐに戻るから」
「ダメだ。ここにいろ。俺だけで行くから場所だけ教えてくれればいい」
「あの辺りにはそんなに危ない魔物は居ないし大丈夫よ?」
「いる……奥に」

 突然、シリウスの顔つきが険しく変化し、怖い目をした。まるで敵と対峙しているような鋭い目付きにアステルは怯んでしまう。その様子に気づいたシリウスは我に返ると慌てて謝り、自分の身に起きたことを話した。
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