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12.逃げ出すナリッタ
しおりを挟むナリッタは未だに聞こえる2人の罵りあいを聞きながら必要なものだけをもって、そっと裏から家を出た。
あんな2人がいる家にこれ以上いたらきっと命に危険が及ぶ。
そうなる前に逃げなければ。
そう思ったナリッタはとりあえず走った。
走って、走って、乗合馬車乗り場で隣街へ行く馬車に乗り込んだ。
「大丈夫、大丈夫………ここまでくればきっと大丈夫」
宝石を入れたバッグを必死に抱えながら、馬車の中で小さくなりつつ、揺れる光景を見つめた。
カダールが迎えに来る日が自分の人生の新たなスタートなのだと夢ばかり見ていた。
それがある意味現実となった。
家も捨て、恋人も捨てて、新しいスタートを切らなくてはいけなくなってしまった。
どうしてこんなことに………
それでも自分には宝石がある。
きっとこれまでよりも少しだけ裕福に、楽に暮らしていける。
そう思っていた。
乗合馬車で隣町まで着いたナリッタはその街で初めて見かけた質屋に入った。今後のために1つ残し、もう1つは今のためにと思い、1つだけ売ることにした。
店主が宝石に付けた値段は平民が1年間暮らしていけるほどの値段だった。
平民からすれば十分価値のある宝石と言える。
だが、ナリッタは少なくとも宝石1つで5年間、贅沢を言えば10年間程度は暮らしていけるのではないかと思っていた。完全にあてが外れてしまったのだ。
そうだ。普通に考えて夫の浮気相手に高価すぎる宝石を渡す妻などいない。恨んで当然の相手。それなのに宝石を渡すだけでもどうかしている。考えればわかることなのに夢を見てしまったのだ。
ナリッタは自分の中でそう受け止めて店主に言われただけの金額を受け取り1つの宝石を手放した。
とりあえずこれで家を借りることができる。そして仕事を見つけてまた今までのように生活をすればいい。
人に甘えて生きようと思ったことが間違いだったんだ。
そう思ったナリッタは2日間かけて違う領地へ行き、そこで家を借り、また踊子として生きることにした。
それから数年後、ナリッタは愛する人を見つけ結婚することを決めた。
相手はただ普通の平民。ただ自分だけを思い愛してくれる優しい人。
その人と結婚するために過去を全て精算しておこうと、あの時持って出た宝石を売ることにした。
どうせ1年分程度の生活費。
しかし質屋に渡されたお金は平民がゆうに10年以上、生活できるだけのお金だった。
キュリールは本当にナリッタに感謝していた。
酷くむなしい結婚生活に終止符を打たせてくれたナリッタに感謝していたからこそ、宝石をプレゼントすることにしたのだ。
それは平民にとって、かなり高価な品だった。
しかしナリッタが初めて行った街で見かけた質屋、そこは悪徳業者だった。
要するにナリッタは質屋に騙されたのだ。
それに気づいたナリッタはあの時『貴族なのに高価な宝石もくれないなんて』と心の中でキュリールを酷く罵ったことを恥じた。
他人の夫に手を出した自分を軽んじるでもなく、本当に良いものをプレゼントしてくれていたなんてと。
それと同時に自分のしたことへの嫌悪感が全身を襲った。
他人の夫へ手を出し、その男は自分を愛しているのだから離婚しろと迫った。自分が愛する男の元へそんな女が急に押しかけてきたら自分ならどうするだろう。
さらには口には出さなかったが、自分が伯爵夫人になるのだから、キュリールは出ていくのが当たり前だとすら思っていた。
彼女は何一つ悪いことさえしていないと言うのに。
まるで自分たちのやっていることだけが正義で、彼女が悪のように思っていた。
なんて自分勝手だったんだろう。
自分が同じことをされたら……浮気されたあげく家を追い出され、財産さえ取られそうになる。そんなことを考えるだけで申し訳なさに涙がこみあげてくる。
二度とあんなことしない。
ナリッタは心に誓って、結婚を機に踊り子も辞め、慎ましやかに幸せに暮らした。
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