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第7章『人形』

14話

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 2時間が過ぎた頃、レナとユキノは寝てしまったのか、ドア越しに聞こえていた楽しそうな笑い声や話し声も、ドアの隙間から漏れていた明かりも消えて静かになった。ふたりで一体なんの話をしていたのだろうか。なんとなく聞き耳を立ててはいけない気がして、タクヤはレナとユキノの声には集中しないようにしていたのだった。
 そして現在。同じ姿勢のまま2時間過ごした為、体が痛くなってきていた。部屋はカーテンの隙間から入り込む月の光と豆電球の明かりだけで薄暗くなっている。疲労と体の痛み、そして薄暗い部屋にいるせいで、タクヤもまた、段々眠くなってきていたのだった。体も痛いがうとうととしてしまう。しかしこのまま眠る訳にはいかない……。

 いい加減イズミの手を離そうと、もう一方の手でイズミの手を掴んだ時、イズミの体がピクッと動いた。
 タクヤはハッとしてイズミの顔を見る。
 少し瞼が動いた。
「イズミ? 大丈夫か?」
 心配そうに見下ろし、声を掛ける。
「……頭が痛い……」
 イズミは顔を顰めながらもぼそりと呟く。
「水持ってくるよ」
 そう言ってタクヤが立とうとした途端、イズミはタクヤの腕を掴んでいた手に力を入れた。
「えっ? 何? どうしたんだ?」
 タクヤは驚いて振り返る。
「……行くな」
 するとイズミは寂しげな表情でタクヤを見上げ、ぼそりと呟いたのだった。
「っ!?……分かった。どこにも行かない。そばにいる。……大丈夫、ここにいるから。……あのさ、この体勢疲れたから横で寝てもいい?」
 まさかの発言にぎょっとして驚いたタクヤであったが、すぐに優しくイズミを見下ろす。
「…………」
 しかし、イズミはタクヤの言葉に何の反応も見せることなく黙って見上げている。
「……えっと、じゃあ、ちょっとだけ手離してくれる?」
 困った顔でタクヤがそう話すと、言われるままにイズミはスッと手を離した。
 タクヤはイズミが手を離すと、自分も上着と靴、靴下を脱いでイズミの横へと潜り込んだ。
「へへっ。なんか照れるなぁ。寝ぼけてイズミの隣に寝ちゃったことはあったけど」
 顔を綻ばせると、今度は自分からイズミの手をしっかりと握り締める。
 そしてイズミはその瞬間、安心したような顔をするとそのまま寝入ってしまった。
「また寝ちゃったよ……。もしかして寝ぼけてたんかなぁ……やっぱ。まずいかなぁ、これ。起きたら怒鳴られるだけじゃすまないかも……。ま、いっか」
 イズミを見つめながら独り言を喋る。
 そしてタクヤも疲れが出たのか、そのまま眠ってしまったのだった。



 ☆☆☆



「あ~らら。仲良く一緒に寝てるわよ」
 遠い意識の中でレナの声が聞こえた。
「どうしましょう。このまま寝かせておいた方がいいでしょうか」
 そしてユキノの声も聞こえてきた。
 しかし、ふたりの声は段々遠くなり、そのまま聞こえなくなってしまった。
「…………」
 やっと意識がはっきりとして、タクヤは体を起こそうとしたのだが――、
「っ!?」
 何かに引っ張られるような感覚があり見てみると、昨晩握った手がそのままになっていた。しかもイズミはタクヤの手を枕代わりに自分の頭の下に敷いていたのだ。本当の枕はというと……ふたりの頭上へずれてしまっていた。

(……痛い……)

 ジーンと手に痺れを感じる。
 目に涙を浮かべながら、そっと手を抜こうとする。
 しかし、イズミの手がしっかりとタクヤの手を握り返していた為、イズミの頭の下から出すことはできたが、手を離すことはできなかった。

(イズミぃー……)

 困った顔でイズミを見下ろす。
 イズミは相変わらず気持ち良さそうに眠っていて起きる気配はない。

(マジで手が痺れて痛いよー……)

 時々イズミが無意識にぎゅっと手に力を入れる為、その度にじんじんと電気が走るように手が痺れる。そして――、
「ひぃっ!」
 思わず声を上げてしまった。
 すると眠っていたイズミの体がピクッと動く。そしてゆっくりと目を開いた。

(起きたぁー……)

 やっと手を離してもらえると安心したタクヤであったが、イズミは低血圧の為、目を覚ましたものの、まだぼんやりとしているようだった。瞬きもせずじっとタクヤの方を見ているが、見えているのかいないのか、何の反応もない。
「イズミ? あのさ、手、離して……」
 しっかりと握られた手をそれ以上自分で動かすことができず、タクヤは涙目になりながらぼそりとイズミに話し掛けた。
「…………」
 暫くぼんやりとしていたイズミだったが漸く意識がはっきりとしてきたのか、数回ぱちぱちと瞬きをすると、自分を見下ろすタクヤをじっと睨み付けた。
「イズミ……睨むなってば。手、痛いんだって。離してくれる?」
 情けない顔でイズミに話し掛ける。
「あぁっ? 手?」
 寝起きでなんとも不機嫌なイズミは言われた意味が分からず、眉間に皺を寄せながら尚もタクヤを睨み付ける。
「手だよ。右手っ」
 今度は声を上げ、タクヤは分かるように必死に左手でイズミの右手を指差す。
「右手?……あぁ」
 イズミはやっと自分がタクヤの手をしっかりと握り締めていることに気が付く。
 しかし、なぜそんなことをしたのか全く記憶もなく、しばし握ったままじっと自分の手を見つめた。
「あのう……イズミ? 離してほしいんだけど……」
 タクヤは恐る恐るイズミに話し掛ける。相変わらずじんじんと手が痺れている。手を繋いでいるのは嬉しいものの、痛いので早く離してほしかった。
「……俺はなんでお前の手を握ってるんだ?」
 やはり理解できなかったのか、イズミは疑問をタクヤに投げかけた。
「それは……あれでしょ? 俺にそばに居てほしいっていう……」
 タクヤはほんのり顔を赤らめながら答えたが、イズミはその反応と答えを聞いた瞬間、全身に悪寒を感じ急いで手を離した。思わず手をパッパッと払っている。
「ちょっとっ! 何でそこで嫌な顔するんだよっ! 失礼なっ! 昨日だって大変だったんだからなっ!」
 露骨に嫌な顔をしたイズミにタクヤはムッとして声を上げる。
「……ていうかお前、何で俺の横で寝てんだよ」
 イズミは昨晩の記憶が全くなく、一瞬複雑な表情をしたが、体を起こすとすぐに隣に座っているタクヤを見て再び嫌な顔をする。
「それはっ……イズミが俺の手を離してくんなかったから、仕方なく添い寝してやったんじゃん」
 一瞬どう答えようか迷ったタクヤであったが、正直に、しかし頬を膨らませながら答えたのだった。間違ったことは言っていない。
「冗談は顔だけにしておけ。笑えないぞ」
「何だとぉーっ!! 冗談じゃねぇよっ!」
 無表情に話すイズミにムッとして大声で怒鳴りつける。
「……ここはどこだ?」
 頬を膨らませているタクヤをよそに、イズミは上体を起こすと周りを見回した。
「それを最初に言えよ……。何? もしかして昨日のこと全然覚えてないのか?」
 呆れて脱力したタクヤは今度は心配そうにイズミを覗き込む。
「…………。お前が出て行ってから夕方まで寝て、その後食堂に行って、ビール飲んで、酒飲んで……。その後、誰かが来たような気もしたが、覚えてねぇな……。金をどうしたのかも分からん」
 イズミは斜め上を見ながら昨晩のことを思い出し、ぼんやりとしながら答える。
「おいおいおい。全然覚えてねぇじゃんっ! じゃあ、レナと飲んで、その後ここまでどうやって来たとか覚えてないのか?」
 苦笑いしながらタクヤはじっとイズミを見つめる。
「レナ?……知らねぇな。だからここはどこなんだよ。宿じゃねぇだろ?」
 ふと上を見ながら考えるが、すぐに不機嫌な顔でタクヤを睨む。
「イズミ、まだ頭働いてないんじゃねぇ? 昨日俺が連れてきた女の子、ユキノさんのことは覚えてるよな? その子の家だよ」
「ユキノ?……あぁ、そういやお前、昨日女連れてたな……。で、何でその女の所にいるんだよ?」
 再び少し上を見ながら思い出し、イズミはぼそりと呟く。しかし、すぐにムッとした顔でタクヤを睨み付ける。
「それは……えっと……怒んない?」
 タクヤは本当のことを言わなければと思いながらも、イズミを騙していたことと、また『余計なことに首突っ込んで』と怒られるのが目に見えたので、答える前にじっとイズミを見つめ、反応を待った。
「……場合によっては分からないな」
 イズミはタクヤの態度で、自分が許さないような返答であることは気が付いたので、やはりすぐには了解しなかった。どうせろくなことではない筈だ。
「……怒んないでね……。実は、ユキノさんの弟が怪我してて、ユキノさんとこ親がいないから薬買えるようなお金ないっていうから、俺がなんとかしようと思って――」
「まぁーったお前はっ! 毎回毎回、何度言ったら分かるんだっ! すぐそうやって余計なことに首突っ込みやがってっ! そうやって甘やかすから、どいつもこいつも付け上がるんだぞ。お前はいいことと思ってるかもしんねぇけどなぁっ――」
「だってっ! そんなのほっとけないじゃんかっ! 別にユキノさんは甘えてなんていないし、こういう時代なんだから助け合わなきゃっ!」
 タクヤの話の途中でイズミが怒鳴りつけるが、タクヤもすぐに言い返す。
「じゃあ何か? お前は困ってる人間皆助けて回るのか? こりゃまた随分とご親切なこった」
「何だよそれっ! 俺はただっ……そりゃ皆を助けるなんてことはできないけど、皆苦しんでるんだからさ。自分達の力じゃどうにもならないことだってあるだろっ? だからっ、俺にできることならやりたいって思うよ」
 イズミの言葉に顔を真っ赤にしながら言い返す。しかしイズミはじろりとタクヤを睨み付けながら更に続ける。
「お前はいつから正義の味方になったんだ? 悪いが俺はそこまで親切じゃないんでな。宿に戻る。どうするつもりか知らないが、明日の朝までだ。明日の朝には出発する。お前が戻ってこなくても俺は行くからな」
「何でだよっ。なんでいっつも冷たいわけ?……あのさ、ちょっとでいいから手貸してよ。イズミの力が必要なんだよ」
 冷たく言い切るイズミにタクヤは怒鳴り返すが、すぐに大事なことを思い出し、頼み込むように真剣な表情でじっと見つめる。
「またそうやってすぐに俺に頼る。自分で何とかするって言ったんだろ? だったら最後まで自分の言ったことに責任を持てよ」
 再び冷たく返されるだけであった。イズミの言うことはごもっともである。
「そうだけど……。でも、ユキノさんの弟、あ、タクミっていうんだけどさ、足の骨が折れてて……。応急処置はしたけど、あれじゃあちゃんと治るか分からないし、この辺病院もなくて、医者もいないっていうから。イズミだったら何とかできるんじゃないかって」
 タクヤはイズミに冷たくされても、引き下がることなく必死に頼み込む。冷たくしててもいつも最後には自分を助けてくれているイズミだ。そう信じてじっと見つめるのだった。
「ふ~ん、そいつタクミっていうのか。お前の名前に似てるな。……かわいそうに」
 しかし、そう言ってイズミは溜め息をつくだけであった。
「ちょっとっ! どういう意味だよっ! っていうか論点ずれてるしっ!」
「うるせぇな。骨が折れてるって? そんなの固定しとけばそのうちくっつくだろ」
 今度は怒りまくるタクヤをイズミは鬱陶しそうに横目で見る。
「なんだよっ! 他人事ひとごとだと思ってっ!」
「他人事だろ?」
「なっ!?」
 さらりと返すイズミに、顔を真っ赤にさせ、タクヤは言葉を失う。
「お前が言い出したことに、何で俺が協力しなきゃならないんだ? これで何度目だと思ってるんだ。もう嫌だからな」
 そう言ってイズミは横を向いてしまった。
「それはっ……分かってるけど……。ねぇ、頼むよ。お願いっ!」
 口を尖らせ落ち込むが、ここで引くわけにもいかず、両手を合わせてイズミに頭を下げる。
「…………嫌だ」
 ちらりとタクヤを見るが、すぐにまた横を向き、ぼそりと答える。
「もうっ、何でだよっ! じゃあ俺が怪我したらどうすんの? それでも他人事だからって助けてくんねぇのかよっ!」
 いつまでも冷たいイズミの態度に、ついにキレたタクヤが怒鳴る。
「さぁな」
 イズミは横を向いたまま、何の感情もない声で答える。
「あーそうですかっ。もういいよっ」
 タクヤはむくれながらベッドの後ろへと這うようにして移動する。
「おい」
 不意にイズミが声を掛けた。
「何? おはようのチュー?」
 タクヤは何事もなかったかのように嬉しそうに振り返るが、次の瞬間、イズミの右足で顔面を蹴られた。顔にイズミの足の裏が容赦なく当たっている。
「……痛いです……イズミさん」
 足の裏で顔を蹴られた状態のまま、半泣きで呟く。
「お前、今すぐ死ね。何なら俺が手伝ってやろうか?」
 イズミはタクヤの顔に自分の足を押し付けたまま睨み付ける。
「遠慮しとく……。もう、イズミってば乱暴さんだなぁ……えーい、チューしてやるっ」
 タクヤは冗談っぽく言うと、イズミの足を両手で掴み、本当に足の裏に軽くキスをする。
「っ!? てめっ! 何しやがるっ!!」
 ぞわりと背筋に悪寒が走り、イズミは驚いて慌てて足を引っ込めた。
「いやぁ、イズミってば足にキスして欲しいのかなぁって」
 そう言った瞬間、今度は枕を顔に投げ付けられた。
「ったく……。お前、怒ってたんじゃねぇのかよ」
 イズミは溜め息まじりに、顔を押さえているタクヤに話し掛ける。
「え? だってさ。イズミが冷たいのなんていつものことじゃん。それに、イズミの本心じゃないってことも分かってるし。さっきはちょっとムカついて怒鳴っちゃったけどさ。俺に何かあったらいつでも助けてくれたもんね、イズミは」
 タクヤは枕を抱え、胡坐をかくとニッと笑う。
「…………」
 イズミは返す言葉がなく、軽く舌打ちしながら面白くなさそうな顔をして横を向く。
「えへへ」
「ったく……調子乗ってんじゃねぇよ。もう、今回限りだからな。今度余計なことしても俺は知らないからな」
 嬉しそうに笑うタクヤをイズミは横目で睨み付ける。
「ありがと。イズミ、大好きだよ」
「っ!? バカかお前っ! 知るかっ」
 嬉しそうに笑い、自分を見つめ、そんな言葉をさらりと言ってしまうタクヤを思い切り睨み付けながらも、イズミはなぜだかひどく動揺していたのだった。
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