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第7章『人形』

13話

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 夕食を食べ終わって暫く経った頃。時間は夜の9時半を回っていた。
 ユキノはタクミに付き添い、タクヤはひとり、台所の椅子に腰掛けぼんやりとしていた。
 ――とその時、突然ドアをノックする音がした。
「っ!?」
 思わずびくりと体を震わせ、タクヤはハッとして玄関のドアの方を見る。
 こんな時間に誰が来たというのか。
 いつ魔物が現れるか分からない時間に出かける者などいないはずである。

(……誰だ? 魔物?……なわけないか……)

 タクヤはじっとドアを見つめたまま動かない。椅子に腰掛けたまま、ドアの向こうの気配を感じ取ろうとした。
「あれ?」
 ぼそりと呟く。必死に感じ取ったその気配は自分がよく知っている人物のものによく似ている。

(……まさかな……)

 自分の考えをすぐに否定し、神経を集中しつつゆっくりと椅子から立ち上がる。そして、じっとドアを見つめながら忍び足で近付く。
 すると今度は物凄い勢いでドアが強く叩かれる音がして、タクヤはビクッとしてその場に立ち止まってしまった。
 一体なんなのか、段々不安になり、それ以上近付きたくない気持ちになっていった。
 そしてもう一度強くドアが叩かれ、その次には蹴られたような音がした。
(やべぇ。家壊されるんじゃねぇか?)
 タクヤは顔を引き攣らせ、どうしたものかと考え込む。しかしこのままにしておいても何をされるか分からない。
 大きく溜め息をつくと、タクヤはもう一度歩き出し、ドアの取っ手に手を掛けゆっくりと鍵を開けた。そして、ドアを開けようとした瞬間、鍵が開けられたことを察したのか、向こう側から勢いよく開けられたのだった。

「てめぇっ、さっさと開けろよなっ!」
「イズミっ!?」

 目の前に現れたのは、何とも不機嫌な顔をしたイズミであった。先程タクヤが感じ取った気配はやはり間違いではなかった。
 タクヤはイズミを見て驚きを隠せない表情をして声を上げる。まさかイズミが目の前に現れるなんて……。
「ここ、探すの大変だったんだからな……」
 しかし、イズミはタクヤを見上げ、きつく睨み付けたかと思うと、突然ふらっとタクヤの方に倒れ込んできたのだった。
「えっ? イズミっ!?」
 ぎょっとしてタクヤは声を上げると慌ててイズミを抱き留める。
「ちょっとちょっとぉーっ。そこでいちゃつかないでくれる~?」
 そしてもうひとり、聞き覚えのある声がした。
「えっ?」
 再び『まさか』と思いながらタクヤは声がした方を見る。
「やっほー。レナちゃんでぇーっす。元気? タクヤ君」
 嬉しそうにひらひらと手を振りながら、レナが顔を覗かせたのだ。再び『まさか』が当たってしまったのだった。
「レナっ!? え? なんでここにいるんだ? っていうか、なんでイズミと一緒なんだよっ!」
 タクヤは『やっぱり』と思いながらも声を上げる。そして、今度は嫌そうな顔をしながらレナを見る。
「えー、何でって、デートよ、デートっ」
 レナは嬉しそうに話し、タクヤに向かってウインクする。そしてなぜか顔がほんのり赤くなっている。
「はぁ? デートって……」
 首を傾げながらタクヤは眉を寄せ、嫌そうな顔のままレナをじっと見る。
「なぁに? イズミ君ってば寝ちゃったの?」
 しかし、レナはタクヤのことを全く無視してイズミを覗き込みながら問い掛ける。
「え?」
 イズミがなぜ倒れ込んできたのか確かめる前にレナが現れてしまった為、タクヤはすっかりイズミのことを忘れてしまっていた。そして、レナの言葉で思い出すと自分に凭れかかっているイズミの顔を見る。言われた通り、いつの間にか寝息を立てて眠ってしまっている。
「あ、ほんとだ……。っていうか、酒くせっ。何? もしかして、ふたりで飲んでたわけ?」
 じっとイズミを覗き込み、タクヤはぼそりと呟くが、急にぷんっと酒の臭いがして顔を上げてレナを睨み付けるようにして見た。
「悪いか?」
「うわぁっ!!」
 レナに向かって話したつもりが、突然寝ていたはずのイズミが顔を上げて不機嫌に問い返してきた。思わずタクヤは驚いて声を上げてしまった。
「うわって……失礼だな」
 ぎゅっとしがみついたまま、じっとタクヤを見上げながらイズミが不機嫌な顔のまま睨み付けている。
「いや……ごめん。驚いただけだって」
 タクヤは慌てて弁解した。しかし、すぐ目の前で大きな目でじっと自分を睨み付けているイズミを見て、タクヤはなぜだか緊張していたのだった。酒のせいか、顔がほんのり赤く染まり、目が潤んでいるように見えたのだ。ドキドキと鼓動が速くなっていく。
「俺はなぁ、すっげぇムカついてんだからなっ。俺はお前なんか大嫌いだ」
 しかしイズミはタクヤの答えに反応することはなく、先程より酔っているのか、眉間に皺を寄せながらじっとタクヤを睨み付け、タクヤの胸をバシバシと叩きながら怒り出した。
「……イズミ、酔ってんの?」
 今までに見たことがないイズミの様子に、タクヤはどうすればいいのか分からず、ただ苦笑いしながらじっと見下ろす。
「うるせぇ。お前なんか嫌いだって言ってんだよっ」
「もっと言っちゃえー」
 相変わらずタクヤを叩きながら怒っているイズミの言葉に、レナは後押しするように話している。一体このふたりは何が言いたいのか。タクヤは全く分からず困ったように首を傾げる。
「俺の気持ちなんて、全然分かってねぇくせに。勝手なことばかりしやがって。お前はなぁ、自分勝手なんだよっ」
「そうだそうだぁー」
「イズミ? どうしたんだ? 大丈夫か?」
 酔っているせいとはいえ、イズミの態度がいつもとは全然違う為、タクヤはどうしたらいいのかと戸惑っていた。しかもレナ付きである。
「大丈夫じゃない。全然大丈夫なんかじゃない。……お前がいないから、静かすぎて気持ち悪い。飯を食う気にもならねぇ。酒も旨くねぇ。……どうしてくれるんだ?」
「えっ……」
 タクヤはじっと自分を見上げながら話すイズミの言葉に動揺していた。先程よりも更に鼓動が速くなっている。周りにまで聞こえてしまうのではないかと思うくらいに。
「そうよぉー。私まで付き合わされたんだから、責任取んなさい」
 横からレナが人差し指を立てながら割り込んできた。
「誰がだ。あんたが勝手に飲んで、勝手についてきただけだろうが。俺のせいにするな」
 酔っていても言われた意味が分かるのか、イズミはタクヤにしがみついたまま後ろを振り返りレナを睨み付ける。
「えー」
 レナは不満そうに頬を膨らませている。レナは普段からこんな感じの為、酔っているのかそうじゃないのかが分からない。
「えーじゃねぇ。もう帰れ。鬱陶しい」
「なによぉー。タクヤ君は居てほしくて私は鬱陶しいのぉー? ひっどぉーい。心配してあげたのにー。いいわよいいわよ帰るもんねー」
「誰も頼んでねぇよ。さっさと帰れ」
 イズミはタクヤから離れると、玄関口でレナと言い争っていた。
「ちょっとちょっと、待ってよ。ふたり共、喧嘩すんなって。イズミ、何言ってんだよ。レナも危ないから中入って。もう、ユキノさんに頼んでふたり共泊めてもらうから」
 タクヤはふたりの間に割り込んで喧嘩を止めると、溜め息をつきながら言い聞かせた。
「いいの? いいの?」
 くるっと向きを変えると、レナは嬉しそうにタクヤを見上げた。
「仕方ないだろ? こんな時間に外に出せるわけないじゃんか。早く入ってドア閉めて」
 ふぅっと溜め息をつきながら、タクヤは呆れた表情でレナを見下ろす。
「はぁ~いっ!」
 レナは嬉しそうに右手を上げる。そして中に入り、ドアを閉める。

「あの……どうかしたんですか?」
 さすがに騒ぎすぎたのか、ユキノが心配そうな顔をしてタクミの部屋から出てきた。
「あっ、ユキノさん。ごめんね。なんか連れと友達が来ちゃってさぁ。悪いんだけど、台所でもいいから泊めてもらえるかな?」
 ユキノを見ると、タクヤは慌てて頭を下げ、申し訳なさそうに話したのだった。
「台所?」
 イズミとレナは同時にそう呟き、片方の眉をピクっと上げる。
「いえっ、そんな……大丈夫ですよ。えっと、イズミさんはタクヤさんとあちらの部屋を使って下さい。両親の部屋だったんですが、そのままベッドもふたつ残してありますから。あと、お連れの方は私の部屋を使って下さい。私はタクミの部屋で大丈夫ですから」
 ユキノは慌てて首を横に振ると、それぞれの部屋のドアを指差しながら説明した。
「ほんと? ありがとう。ごめんね。それじゃあ、お世話になります」
 タクヤは嬉しそうにユキノにお礼を言う。
「お世話になりまーっす」
 レナは満面の笑みでユキノに向かって右手を上げながら元気にお礼を言う。
「お世話になりま……」
 イズミもぼそりと言い掛けたのだが、そのままふらっと後ろへ倒れ、タクヤが慌てて抱き留める。
「ふぅ……危ねぇ。……イズミまた寝ちゃったよ」
 タクヤは大きく息を吐くと、ぐっすりと眠ってしまっているイズミを見下ろした。
「あら。それじゃあ私、お布団出してきますね」
 ユキノはそう言って急いで中央のドアを開け、部屋の中へと入っていった。

「えへへ。迷惑だった?」
 ユキノがいなくなると、レナは楽しそうにタクヤに話し掛ける。
「俺は迷惑じゃないけど……。ユキノさんに申し訳ないことしちゃったなぁ」
「そうね。何かお礼しなきゃだわ」
 そう言ってレナは腕を組み、何やら考え出した。
「で? 何でイズミと一緒だったんだ? ほんとに一緒に飲んでたのか?」
 イズミを支えたまま、タクヤは再び同じ質問をレナに投げかける。
「うん? イズミ君がね、ひとりで寂しそーに、つまんなさそーに飲んでたから、勝手に一緒に飲んでたの」
「やっぱり勝手にくっついてたのか……って、え? 待って……イズミが寂しそうにって? まさかっ! だって、いっつも俺と一緒の時、うるさいだの黙って食えだの言うし、お前と一緒だと飯が不味いとか言うんだぜ? で、俺が『だったらひとりで食えばいいじゃん』って言ったら『その通りだな』とかって言ってんだよ?」
 タクヤは呆れた顔でレナを眺めたのだが、急にハッとすると驚いた顔をしながら早口で言い返した。
「それはあれよー。照れてるだけ。うふっ。さっきだって言ってたじゃない。あれがイズミ君の本音よ。タクヤ君だってほんとは分かってるんでしょ? イズミ君は素直じゃないだけなのよ?」
 ふふっと笑うと、レナはウインクして嬉しそうに答える。
「まさかっ! そんな訳……ないと、思うんだけど……」
 タクヤは声を上げて驚くが、自分の腕の中で眠るイズミを見つめ、段々『そうなのかなぁ』と思い始めていた。
「もうっ、じれったいわね。イズミ君、酔っ払ってたけど、あれが本音なのよ。あなたにそばにいてほしいのっ。あなたがいないと寂しいのよっ」
 レナは今度は怒った顔でタクヤを見上げた。腰に手を当て頬を膨らませている。
「ええっ!?……そんな訳……。そんな……俺はイズミがいなきゃ嫌だし、そばにいたいけど、イズミがそうなんて……。信じられないよ……」
 ぎょっとした顔で驚きながらもタクヤは自信なさげに俯いてしまった。レナが話す言葉を信じられなかった。自分はイズミが好きだからそばにいたい。しかしイズミはいつも鬱陶しそうにしているだけであった。そんな筈はないと落ち込んでしまったのだった。
「もうっ、あなた達見てるとほんとイライラしちゃう。そんなだからうまくいかないのよ。どうしてイズミ君は素直に言わないのか、タクヤ君もそんなイズミ君の気持ちに気付かないのかっ。もうっ、これだから意地っ張りと鈍感はっ!」
「鈍感って俺のこと?」
 声を上げるレナをタクヤはぼんやりと見下ろす。
「当たり前でしょっ!……まぁ、そこがタクヤ君のいい所でもあるんだけど。この子が素直になるとは到底思えないものね。ここはあなたがしっかりして、ちゃんと理解してあげないと、あなた達、何の進歩もないわよ?」
 レナは声を上げながらも、深く溜め息をつき気持ちを落ち着かせていた。
「進歩って何だよ?」
「はぁぁ……。もういいわ。もうタクヤ君はそのままでいいわよ。心配した私が馬鹿だったのね」
 レナの言葉の意味を本当に理解していないタクヤを見て、レナはがっくりと脱力していたのだった。
 そして溜め息をつくレナをタクヤは相変わらず首を傾げながらぼんやりと見下ろしている。

「あの……お布団の準備ができましたので、どうぞ」
 そこへユキノがドアを開け、台所へと戻ってきた。
「あっ、ありがと」
 タクヤはユキノにお礼を言うと、イズミを抱き上げ部屋まで運んだ。


 部屋に入り、片方のベッドにイズミを寝かせ、もう一方のベッドの掛け布団を捲る。その時、後ろでパタンとドアが閉まる音がした。自然に閉まったのか、誰かが閉めたのかは分からなかったが。ちらりとドアの方を見た後、タクヤはもう一度イズミを抱き上げると、布団を捲った方のベッドへとイズミを移す。上着を脱がし、靴と靴下も脱がす。そしてゆっくりと掛け布団を掛ける。
「…………」
 なんとも気持ち良さそうに眠るイズミを見つめ、タクヤはなぜだか安心したような表情になっていた。

(寝顔はまるで天使だな……)

 起こさないようにそっとベッドに腰掛け、穏やかな顔でイズミを見下ろす。
 まともにイズミの寝顔を見るのは初めてだった。
「なぁイズミ。さっきの本当? レナも言ってたし、俺、信じちゃうよ?……って、なんだ、そういやレナも酔っ払ってたんじゃん。なんだ、そうだよな……。そんな訳ないよなぁ……」
 タクヤは独り言のように眠っているイズミに話し掛けていた。
「でも、イズミが酔っ払うなんて珍しいなぁ……。めちゃめちゃ強いのに」
 そして今度は不思議そうに首を傾げる。
「もしかして、ほんとに寂しかったのか? 酔っ払っちゃうくらい……」
 真剣な顔になり、じっとイズミを見下ろしていると、トントンとドアを叩く音がした。
「はい」
 ドアに向かって返事をする。
「あの、タクヤさん? お茶の用意ができましたので、良かったらいらして下さい」
 ユキノの声であった。ドアが開かれることなく声を掛けられた。
「あ、はーい。すぐ行きまーす」
 そう言って立とうとした瞬間、ぐいっと腕を掴まれた。
「え?」
 驚いて振り返る。すると、イズミの手がしっかりと自分の腕を握っていたのだった。
 しかし、イズミが目覚めた様子はない。
「イズミ?」
 念の為、声を掛けてみるが、やはり反応はなかった。
「どうしよう……。無理に離すってのもなぁ……」
 うーんとタクヤはどうするべきか考え込む。
「タクヤ君? どうしたの?」
 ガチャっという音と共に、今度はレナが顔を覗かせた。
「あ……ごめん。もうちょっとしたら行くからってユキノさんに言っといて」
 タクヤは中腰になりながらレナに向かって答える。
「何してるの? そんな格好して」
 首を傾げ、レナは不思議そうにじっと見つめている。
「あはっ……いや、ちょっと。イズミが俺の腕掴んじゃって、どうしようかなって悩んでんの」
 タクヤは困った顔をしながら同じ姿勢のまま答える。
「あはは。もうなぁーに。すっかりラブラブなんじゃない。そばにいろってことでしょ? 無意識にやっちゃうなんてさすがね。ユキノさんにはタクヤ君は来ないって言っておくから。そばにいてあげて。じゃあね」
 レナは嬉しそうに話すと、ウインクをして部屋を出て行った。
「…………」
 タクヤは溜め息をつき、ゆっくりとベッドに腰掛ける。
「そうなの? イズミ……」
 しっかりと握って全く離そうとしないイズミをじっと見下ろしながら呟いた。
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