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Story-2 大女優ミランダ(2)

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 三人が部屋を出た後、サラはあっと声を上げた。
「しまったわ、一つ言うことを忘れたわ…」
 キューセランとアリスはあれ以上の暴言のほかに何を言うつもりだったのだろうかと顔を合わせた。
「叔父様、叔母様、少しだけ待っててくださる? すぐ戻りますから」
「ス、サラ…」
「大丈夫です、叔父様。言うだけ言ったらすっきりしましたから。でも一つだけ言っておくことがあるんです」
 サラは二人を置いてもう一度部屋をノックした。
 部屋に入るとレインは出たときと同じ場所に立ち呆けていた。
「レイン様、一つだけ言い忘れていたことがあります」
「…な、なにか」
「シーラと子どものことは、決して口外されませんように」
「え?」
 レインがまた驚いたように目を見開くので、サラは改めてこの愚かな皇子に呆れた。
「あのですね、今ですら我が家に何十もの女性が詰めかけてくるんですよ。それなのに、シーラがあなたの子を身ごもっていると彼女たちが知ったら、どうなると思いますか?」
「そ、それではサラが…」
「いまさらそんなしらじらしいお気遣いは無用です。身重のシーラに負担をかけるようなことはしないでください、いいですね?」
 サラは部屋を出た。
 するとそこでキューセランとアリスが微笑をたたえて待っていた。
「叔父様、叔母様、一緒に迷惑をこうむってください」
「そうしよう」
「ええ、生まれてくる子のためにね」
 三人は一緒に帰る道を歩き出した。


 ・・・・・・

 翌日、サラは朝から頭が痛いというふりをして部屋に引きこもった。
「ゆっくり休みたいから、ひとりにして」
 サラは朝食をわずかに口にしただけで、食堂を後にした。
 そのあとサラがベッドにクッションを詰め、服を着替え髪を三つ編みにし、カードから借りたショールを肩にかけ、こっそり屋敷を抜け出すまでにさほど時間はかからなかった。
 外出がばれたら大目玉を食らうことはわかっていたが、サラは心に決めていた。
 もう一度、ミランダに会うと。
 そして、今日のマルーセルの判決を自分の目で見届けること。
 そして、処刑は明後日。処刑場への道を確認すること。
 サラは当初の予定通り、ひとりでマルーセルの刑を見続けるつもりでいた。
 それは考えただけでも背筋が凍るような気がしたが、それを見届けない限り終われない。
 サラの気が済まなかった。
 それでも、そのことを思うとサラの気分はすこぶる落ち込んだ。
 テリーの武術競技会の時ですらあんな思いをしたのだ。
 とてもいい気分でいられるはずがないのはわかっていた。
 それなのに、ひとりでそれに耐えなければいけないなんて…。
 叔父と叔母が反対している以上、サラは忍んでひとりきりで行かねばならないだろう。
 しかも、その後このことについて、叔父と叔母の前では話すこともできない。
 考えただけでも精神疲労だ。
 だが、避けては通れない。
 裁判所は貴族平民問わず毎回多くの傍聴者が詰めかけるらしいから、変装したサラに気づくものはいないだろうが、サラは女の身一つでどこまで入り込めるか疑問だった。それでも、とにかく行ってみるつもりでいた。
 ・・・・・・


 サラは一通り処刑所までの道を確認した後、裁判所にいった。
 案の定、裁判所はつめかけた民衆や貴族の馬車で一杯になっていた。
 そばにいた民衆のひとりにどうやったら裁判を傍聴できるのかと尋ねると、一般席はもう一杯で入れないとのことだった。
 それでも、気の治まらない彼らは一目罪人の顔を睨み、悪態をついてやろうと詰めかけているのだ。
 サラは仕方なく、ミランダを訪ねた。
「あら、シーラ、来たのね」
 ドアを開けたカードは素晴らしく似合う黄色と白のドレスをまとっていた。
 そして奥に案内されると、ミランダは光の加減で青と紫と緑に色が変わる神秘的な雰囲気漂うドレスを着こなしてそこにいた。
 女優というオーラを持つ二人を前に、サラは言葉を失うほどだった。
「…とってもすてきですね、お二人とも…」
「ありがとう、シーラ。今日は裁判の判決があるの。わたくしたちもそれを見に行くのよ」
「えっ、本当ですか?」
「ええ、昨日も言ったけれど、わたくしはザルマータを揺るがしたこの一連の犯罪と、その傷を受けた人たち、そしてマリーブラン嬢のことを演目にすることをあきらめていないのよ。今日は脚本家も呼んでいるの。彼はあんまり乗り気じゃないけれど、わたくしきっと説得してみせるわ。だから、今日はとっても気合を入れて支度をしているところなの」
 サラにとっては何という好都合だろう。
 迷わずにサラは言っていた。
「私も、一緒に連れて行ってもらえませんか?」
「あら…、あなたも裁判に興味があったの?」
「はい…、実は、そうなんです」
「それは構わないけれど、その格好ではね。カード、なにか見繕ってあげてちょうだい」
「はあい、お母様。シーラこっちへきて」
 カードはてきぱきとサラにドレスと帽子をあてがい、サラの髪を結い上げた。
 そして、まるで魔法の粉を振りかけたかのようなスピードでメイクを施すと、鏡の前にはいつもの何倍も美しくみえる少女が座っていた。
「わ、私じゃないみたい…」
「女優はいろんな役柄を演じ分けるの。衣裳やメイクはその手法のひとつなのよ」


 支度が済んだサラがミランダの前に立つと、ミランダはにっこりとほほ笑んだ。
「あら、思った以上の出来栄えね。とっても素敵よ、シーラ。それじゃあ行きましょうか」
 ミランダとカードに続いて、サラも後についていった。
 ホテルの地下にある小劇場だ。
 そのドアを開けると、舞台には灯りがついており、客席には一人の男が座っていた。
「やあ、ミランダ。今日も…、いやあ、今日は格別に美しいね」
「ありがとう、シェムズ。あなたもそのスーツとっても素敵よ」
 シェムズはたれ目で鼻が大きく、個性的な顔立ちの男だ。
 だがそれでいて高い身長と面長の顔がうまくバランスが取れ、なんとも魅力にあふれる男だった。
 ミランダとシェムズは軽いキスを交わした。
「ふたりは今熱愛中なの」
 カードがひっそりとサラに耳打ちした。
「やあ、カード。君もそのドレスすごく似合っているよ」
「ありがとう、シェムズ」
「そちらは始めてみる顔だな」
 ミランダがサラを見やりながら紹介した。
「ちょっとした縁で預かっているの。シーラよ」
「よろしく、シーラ」
「はじめまして、シェムズさん」
 挨拶がすんだところで、シェムズは手にしていた台本を逆の手にぽんと打ち付けた。
「さて…、それじゃあ本題に入ると致しますか」
「そうね」
「君の様子からすると、この国の時事ネタをやりたいというのは変わらないようだね」
「ええ。あなたの書いた本が気に入らないというんじゃあないのよ。ただ、今年の演劇祭ではこの演目以上にやるべきものはないと思うの」
「時事ネタは難しいよ。君のような大御所女優がやるものでもない。切り取り方によっては反感を買うし、相応の批判も覚悟しなければ」
「ええ、難しいのはわかっているわ。でも、どんな舞台でも反感も批判もつきものだわ」
「いや、君の予想以上だと思うよ。実際、君は先の取材でこの事件を演目にした舞台をするつもりだと答えたね。その結果君が今巷で何と言われているか知っているかい」
「ええ、もちろん。落ち目の女優の悪あがき。大陸中で注目を浴びているこの事件を取り上げれば、否が応でも人は来る。そうでもしなければ、ミランダはもう客を呼ぶことができない。大陸一と呼ばれた大女優も、ついに潮時か」
「わかっているなら、わざわざ新聞社やゴシップの誘い文句に乗る必要はない。君は正統派な演目でその実力を皆に見せつければいい。君の本当の実力は、この僕が一番わかっている」
「シェムズ、あなたがそう言ってくれるのはうれしいわ。けれど、今回の主役はわたくしじゃあないの」
「え、なんだって?」
「このお芝居の主役はカード。カードが演じるのよ。サラ・マリ―ブラン嬢を」
 シェムズは驚いたようにミランダとカードを交互に見た。
「五十を過ぎたわたくしが十六歳の少女を演じるより、この子が演じた方が観客はすんなり舞台に入っていけるでしょう」
「いや、でも、観客は君を見に集まるのに…」
「いいえ、この舞台でこの子は話題をさらうわ。この子は将来わたくし以上の大女優になる。この舞台はその第一幕なの」
「ミランダ…、君はまさか、引退するつもりなのかい?」
 すると、ミランダはころころと笑った。
「いいえ、まさか。わたくしは死ぬまで女優。板の上がわたくしの墓場。スポットライトがわたくしの墓標。それはかわらないわ。でも、この子のこともわたくしはそろそろ本気で引き上げたいと思っているの。わたくしの経験のすべてを注ぎ込んだ、最愛の娘にして最高の女優よ」
 シェムズはミランダとカードの視線に覚悟のほどを見出すと、首を振りながらため息をついた。
「わかったよ…。全く、君たちには敵わないよ。わかった、この事件をテーマに脚本を書こう。僕も脚本家生命もここまでかな」
 ミランダはうっとりするような笑みと、そして薔薇の花が舞うような熱烈なキスをシェムズに与えた。
「ありがとう、シェムズ。決してあなたの名前を貶めるようなことにはならないわ」
「だといいけど。だが、君の取材に対しては、すでにマリ―ブラン家からは警告を受けているんだよ。舞台にするとなれば、まずマリ―ブラン家のお許しをもらわないと」
「そうよね。それについては、開演までにわたくしがなんとかしてみるつもり」
「君がそういうと本当になるから怖いよ」
「そうと決まれば、わたくしにアイデアがあるのよ。今度の舞台はマリ―ブラン嬢の独白式にしたいの」
「カードの一人芝居ということかい?」
「完全な一人芝居ではないけれど、この舞台で描きたいのはマリ―ブラン嬢そのものなの」
 シェムズは難しそうな眉根をさらに寄せた。
「それは難しいよ、ミランダ。新聞の取材どころか、裁判すらマリ―ブラン嬢は顔を出していない。
 マリ―ブラン嬢がどんな人物で、何を考えているかなんで、どこの何を読んでも一言も載っていないんだよ。
 聞くところによると社交界デビューもしていない上、叔父のキューセラン様は姪を守るために鉄壁の防御をしいているそうだ」
「だからこそ、人々はマリ―ブラン嬢のことを知りたいはずだわ」
「それこそマリ―ブラン家がうんというはずがないよ」
「いいえ、だからこそ、知るべきなのよ。マリ―ブラン嬢はかよわい深窓のお嬢様? かわいそうな被害者?
 いいえ、きっと違うわ。彼女は新聞記事のように体よく並んだ文字の羅列のような人物じゃあない。
 彼女には彼女の思いがある、叫びがあるのよ」
「君がそれほどまでにあの少女に肩入れしているとは驚いたね。だけど、それならなおさら難しいよ。
 彼女の思いを代弁するとしても、彼女が何を思っているかは誰もわからない」
「ええ、そうね…。だからきっと、わたくしは近いうちにマリ―ブラン家を訪ねてみるつもりなの」
「君はチャレンジャーだね」
「そうよ、なにごとも挑戦してみなければ。何もしないで後悔するよりはるかにいいわ」
「わかったよ。とりあえず、僕は脚本を書き始めよう。公演は演劇祭の最終日、大トリの大劇場。失敗すれば取り返しはつかないよ」
「ええ。でも最悪のことを考えて、もしもマリ―ブラン嬢に許しを得られなかったら、あなたのこの台本を演じましょう。セリフはもう全部頭の中に入っているわ」

 ・・・・・・

 そのあと、ミランダとシェムズは一通り台本の草案についてやり取りを交わすと、カードを舞台に立たせてその動きについて話し合った。
 サラはその様子を見ながら、いろいろな思いが胸に駆け巡った。
 サラはさほど気にかけていなかったが、言われてみれば、サラはキューセランとその指示を受けた部下たちによって、世間の好奇の視線から丁重に守られていたのだろう。
 思い返せばそんな節々が事あるごとにあったように思われた。
 そして、ヘイリーとスタイリーが言っていた注目の的、あるいはアビゲールがちょっとした、という言い方をしていたのも、この大女優の一言が影響を及ぼしたのだろう。
 サラ自身はわが身について頭を悩ませるようなことはなかったが、その周辺ではサラを守るために叔父や叔母が心を砕いてくれていたということだ。
 それだというのに、サラはひとり屋敷を抜け出し、このような勝手を振舞っている。
 そのことを思うとサラは叔父と叔母に申し訳なくなった。
 しかし、その一方でこの大女優はどうだろう。
 物腰や言葉遣いは女性らしくたおやかなのに、その芯の強さと押しの強さたるや。
 そして、自分の考えや望みをはっきり口にする潔さと批判や非難を恐れない強さ。
 女優という生き物は、こんなにも強くなれるものなのだろうか。
 サラは五十を過ぎているといいながらも、すこしも年を感じさせないその横顔をまじまじと見つめていた。
 そして、サラはこう感じ始めていた。
 ミランダに、シーラのことを相談したい。
 この人なら、何をどうすればいいのかを知っている気がする。
 しかし、それには自分がサラ・マリ―ブランだと名乗らなければならないし、叔父や叔母の心遣いを裏切ることになる。
 そして、名乗り出ればミランダはサラに事件のあらましを聞きたがるだろう。
 舞台でカードに演じさせるために。


 ・・・・・・・


「そろそろ裁判の時間だわ」
 ミランダの一声で、四人は馬車に乗り、裁判所へ向かった。
 その行く道で、めざとくミランダを見つけた民衆が、馬車を追いかけてきたり、歓声を上げたりした。そのたび、ミランダとカードはにこにこと笑い、民衆に向かって手を振った。
 裁判所の敷地の中に入り、馬車を降り、建物の中に入る。
 ミランダたちはいかにも女優然として慣れたものだったが、サラは次第に悪いものでも食べたときのように、胃が重くなって行く気がした。それを押し隠して、前方の三人に続いた。
 裁判所に入ると、ぎゅうぎゅう詰めの一般席と、こちらもまた箱詰めしたように狭い間隔で貴族席が人で埋まっていた。それでも、さすがは大女優だ。ミランダがやってくると、特に紳士たちがこぞって場所を開けた。サラもその恩恵を受けて、うまい具合に傍聴できる場所に立てた。
「開廷する!」
 そう声を上げたのは、国王だった。
 サラは知らぬ間に、手に汗を握っていた。
 法廷を見わたすと、国王を中心に、ドレイク、レイン、アビゲールが並んでおり、それに相対する側には、法務局で見たあのドルクレイ・マルーセルが縄で縛られてそこにいた。頬はこけ、目はくぼみ、髪は乱れ、シャツはくすんでいる。
「地獄へ落ちろ! マルーセル!」
「恥を知れ!」
 傍聴席のあちこちから怒号があがった。
 サラは異様な熱気に当てられ、足元がおぼつかないような気分だった。実際にふらついたのだろう、カードに肘がぶつかった。
「静粛に!」
 国王の声が一掃した。
 サラは堪えるようにして、歯を食いしばった。目のうつろなマルーセルを、じっと見つめ、サラはその顔に贖罪あるいは後悔、悲哀、そうした感情を見出そうとした。
「判決を言い渡す。長きにわたる一連の刑事事件、および民事事件の全ての罪状は、有罪である。被告人元法務局長ドルクレイ・マルーセル、並びマルーセル一族は、その一族全員の命をもってこれを償うものとする。十八歳以上の男女は絞殺刑、それ以下の者は服毒刑に処する。絞殺刑は以下の二八人である。……」
 国王は、手元の用紙を見ながら、次々にマルーセル一族の名と年齢を読み上げていった。その間、マルーセルは身動きもせずにじっと聞いていた。
「以下三十八名は服毒刑である。マリーナ・マルーセル十七歳。キリク・マルーセル十六歳……――ノーラン・マルーセル二歳。グリア・マルーセル一歳。リリア・マルーセル零歳。以上。処刑は明日、中央広場で執り行う」
 サラは途中から息ができないほど、胸が押しつぶされそうだった。
(生まれて間もない子どもまで……)
 マルーセルが親の仇であり、その一族が悪の元凶だったということはサラも理解している。こうして罪が暴かれ、罰を与えられることは、サラの望んだことだった。しかし、シーラがその体に子どもを身ごもった、それを知った今、まだしゃべれもしない子どもにまで、その罪を背負わせるのはいかがなものか。いや、わかっている。何世代にも渡って犯してきた悪行を注ぐには、その赤子の血をもって償わせる、それこそがこのザルマータ貴族社会を保ちながら、改めていくことにつながるのだ。これは、そういう戒めでもあるのだ。
(ああ、だけど……。だけど、もしシーラの子がもし同じ目にあうとしたらって考えたら、わたし耐えられない)
 サラは次第に体から力が抜けていくのを感じた。気がつくと、すとんと、尻もちをついていた。
「大丈夫ですか!?」
 隣にいた紳士がサラを支えてくれた。カード、ミランダ、そしてシェムズが振り向くと、ミランダがいった。
「モーリー、あなた、顔が真っ青よ! どなたか、手を貸してくださる? モーリーを落ち着ける場所へ」
 もはや自力で立てなかったサラは、ミランダのおかげで親切な紳士たちの手を借りて、傍聴席を後にした。
 サラは個室に運ばれ、ソファに横たたえられた。
(息が苦しい……、ああ、このコルセットのせいだわ)
 サラの額には脂汗が浮かび、胃はひっくり返りそうなほど気持ち悪かった。
 人払いをした後、サラの脇に、ミランダとカードが寄り添った。
「慣れない場所で緊張したの? かわいそうに。カード、コルセットを緩めてあげなさいな」
「はあい、お母様」
 コルセットを緩めたところで、ようやく息ができるようになってきた。
「ごめんなさい、ミランダさん……」
「いいのよ、シェムズさえしっかり傍聴していれば、脚本は書けるんだから。だけど、これくらいで倒れていたら、とても大舞台に立つ女優にはなれないわね」
「……」
「さあ、お水をお飲みなさいな」
 勧められるがままに水を飲み、ようやく落ち着いてきたサラは、考えていたことを口にした。
「あの、ミランダさん……。聞いてもいいですか?」
「なにかしら」
「どうしたら、ミランダさんのように強くなれるでしょう? わたし、わたしの手で守りたい人がいるんです。だけど、わたしの歳ではその権利もないし、お金も自由になりません。わたし、その人と離れたくないんです。血はつながっていないけれど、家族同然なんです」
「あら……」
 ミランダは少し考えた後、サラを見つめた。
「詳しいことはわからないけれど、この間自立したいと言っていたことと関係あるのかしら。あなたにとって、強いってなにをいうかしら。権力やお金があれば、あなたの守りたい人を守れるの?」
「ええ、きっと……」
「ならば、簡単よ」
「えっ?」
「権力とお金のある殿方と結婚すればいいのよ」
「そんな……」
 サラは非難めいた目を向けた。まさか、名高い女優の口からそのような陳腐な話を聞きたいわけではなかった。
「幸い、あなたがその気になれば、それなりの男性が目を向けてくれてもおかしくないわ。だって、あなたはただの町娘にしておくにはもったいないくらいだもの。今日も紳士がこぞってあなたに手を貸してくれたのはその証よ」
「それは、ミランダさんのおかげで……」
「それはもちろんあるけれど、わたくしはみこみのない子に目をかけてやるほど暇ではなくてよ」
「でも、わたしミランダさんのようになりたいんです。大勢の人に求められる素晴らしい仕事を持っていて、いつも堂々としていて、自分の意見を堂々と言えて……」
「そういってくれるのはうれしいけれど、わたくしだって、素晴らしい仕事や堂々とした振る舞いや、自分の意見、それを口にするだけの自信を、一度にすべて持てたわけではないのよ。今日にいたるまで、わたくしは失敗もしたし後悔もしたし、辛酸をなめたし人をうらやんだり人から恨まれもしたわ。そのとき欲しいものを手にするために、あきらめたものもある。わたくしが堂々として見えるのだとすれば、それはただ一つ、たった一つだけのことを、わたくしは守り通してきたからよ」
「た、たったひとつ……ですか?」
「そうよ。わたくしは、女優。生きていても死んでいても、どこにいても誰といても。世界で一番の女優ミランダ、それはこのわたくし。わたくしが守り通してきたこと、そしてこれからも守り通していくのは、たったこれだけなのよ」
 
・・・・・・・・

 ミランダたちと共にホテルに戻り、サラはメイクを落とし、元のワンピースに着替えた。
「本当にひとりで帰れる? 誰かつけましょうか?」
「ありがとうございます、ミランダさん。一人で大丈夫です」
 カードがサラの肩に肩掛けを掛けた。
「モーリー、あなたがもし本当にわたしたちみたいな女優になりたいのなら、それだけに懸ける気持ちがなきゃだめよ」
(懸ける気持ち……)
 サラはうなづき、よく考えてみると応えた。
 シェムズは帰りがけのドアを開けてくれた。
「じゃあね、モーリー。こういってはなんだけど、君が倒れてくれたおかげで、緊迫した法廷シーンが描けそうだよ。ありがとう」
 サラはあいまいに笑って部屋を出た。
 ホテルを出て、雑踏を踏むなり、サラは頭を巡らせた。
(そうよ、ミランダさんの言うとおりだわ)
 サラは雪道を行く自分の靴を見つめ、寒さも忘れて考えた。
(いっぺんになにもかも手に入れるなんてできない。大切なことをひとつだけ守り通せればいいじゃないの。そうよ、わたしにとっていちばんだいじなことはなに? 簡単だわ。シーラと赤ちゃんを守ることよ! 
  マルーセルのことなんてもうどうでもいいわ。一族もろとも処刑される赤ちゃんや子どもたちのことはかわいそう。だけど! それは今わたしが考える事でもすべきことでもないのよ!
  アリス叔母様の言っていた通りだわ。前を向かなければ、大切なものは守れないのよ!
  わたしは、どんなことをしても、シーラと赤ちゃんを守り通す。
 そのためなら、マハリクマリックでわたしの何と交換しても構わないわ!)
  サラは気持ちを固めると、雪景色にそまる町をみつめた。
 もう迷いはない。

 ・・・・・・


 サラがマリーブラン家に戻ってくると、家の前には王宮の馬車が止まっていた。裏口へ回り、そっと中へ侵入すると、すぐさまメイドに見つかってしまった。
「ス、サラ様! どこに行ってらしたんですか! 屋敷中探したのですよ! い、今、レイン皇太子さまがお見えになっていて……」
「またなの、あの人……」
 サラはげんなりとした顔を隠さなかった。
「それに、アビゲール様もさっきまで……、サラ様はもしや裁判所にいるのではと、たった今探しに行かれたのです!」
「アビゲールが? それは、悪いことをしたわ……」
「サラ様、さあ、そんな御召し物、すぐお着替えになってください! まあ、なんて冷たいお体でしょう!」
 メイドが騒ぐので、あれよと言う間に裏口にアリスがやって来てしまった。
「ま、まあ、サラ……!」
「アリス叔母さま、心配をかけて本当にごめんなさい。どんなお咎めも受けるつもりです」
 アリスは言いたい言葉がのどまで突き上げていたが、しおらしいサラの態度と、どうしても裁判の結末をこの目で見とどけなければならないという責任感ややりばのない想いへの同情もあって、ついぞ咎める言葉は出てこなかった。
「……さあ、もう、いいわ。あなたが無事に帰ってきてくれただけで。まず、身体を温めて、それから身支度を整えましょう。ああ、アビゲール様にサラが帰って来たと使いをやってちょうだい。わたしは、これから応接室にいる紳士がたに、あなたの帰りを知らせてきますよ。みな、ナスよりも青い顔をしていますからね」
「アリス叔母様……」
「さあ部屋へ行って、暖炉の火にあたりなさい。ジンジャーティーを持って行ってあげますからね。それでよく体が温まったら、ゆっくりお話ししましょう。いいわね?」
 サラは素直にうなづいた。

 部屋に戻り、着替えを済ませ、運ばれてきたお茶を飲みながら温まっていると、ようやく体が冷えていたことに気づかされた。サラの頭の中は、ただ一つのことしか考えていなかった。
(シーラと赤ちゃんを守るためには、きっとこれしかないわ)
「サラ、裁判所に入ったけれど、入れずに寒い思いをしたのでしょう? 大丈夫よ、判決は下されたわ。以前、キューセランが言っていた通りに、マルーセル一族は全員……」
「叔母様、そのことはもういいの」
「サラ……」
「叔母様はわたしにいってくれたわね。悲しみや憎しみを心に置いておくことはないって。わたし、その通りだとわかったの。それよりも、わたしにはもっと大切なことがあるって」
「大切な事って……」
「シーラと、その赤ちゃんのことよ。それで叔母さま、レイン様はなにしに来たの? こんなに早くシーラと結婚する準備が整ったとは思えないけれど」
 アリスは目をしばたいた。サラに何があったのかはわからないが、明日行われるマルーセルの処刑を話題にしなかったことは、アリスにとっては喜ばしいことだった。
「そうね……。とにかく、あなたがいないとわかってから大騒ぎで、そんな話もできなくて。それじゃあ、ひとまず、下におりましょうか?」
 サラはアリスとともに、応接室に向かった。

 応接室に入ると、一斉にサラにもとに視線が集まった。
「ああ、サラ! 無事でよかった、本当に心配したんだよ!」
 いの一番に声を上げたのは、アビゲールだった。
「アビゲール、わざわざ裁判所にまで行ってくれて、ありがとう。心配をかけて、本当にごめんね」
 サラは形だけ正式な礼を取ったが、くだけた言葉遣いを隠さなかった。アビゲールがなにか言う前に、サラは制した。
「ロイスとのことなら大丈夫。ちゃんと機会をつくるわ」
「サラ……」
 目を丸くするアビゲールを置いて、サラは紳士たちの顔を見た。
 キューセランは怒りや悲しみ、安堵や混乱など、様々な感情を交えてサラを見ていた。
 レインは相変わらず、美麗な顔にどこか報われない哀愁のようなものを漂わせている。
 モリスは明らかに怒っていた。
 ベンジーは呆れたような表情を隠さなかった。
「本当にご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
 サラは丁寧な態度でひざを折り、こうべを垂れた。
 キューセランが深々とため息をついた後、レインを見た。
「サラへの咎めは、このわたしからきつく受けさせるつもりです。レイン様、どうか、ご容赦くださいませ」
「ああ、そうしよう」
「それで、本日はどのような御用件でいらしたのでしょうか」
 ようやく本題になり、サラはじっとレインを見つめた。
「その……、つまり、どうしても、会って確かめたいのだ。どうか、シーラと合わせてもらえないだろうか」


 サラは、すっと目を細めた。その態度にレインは気おされている。
 女に関しては百戦錬磨のはずの皇太子と、町娘のような気性の十六の娘にしては、何とも妙な構図であった。
「先日サラに言われて、わたしは考えた。わたしのこれまでの女性関係についても、すべてきれいにするつもりだ。シーラに会い、あの夜のことを確かめて、そして納得できたら、その時には、きちんとシーラとその子どものことを考えよう。だが、その前に、とにかく、わたしはシーラに会いたいのだ」
 何も答えないサラに変わって、キューセランが言葉をつないだ。
「つまり、シーラに会って、互いに納得できれば、シーラを城に迎え、子をレイン様のお子として認めて下さると、そういうことでよろしいのですね?」
「ああ、そうだ」
「サラ、レイン様はこうおっしゃっている。シーラに会わせてさしあげてもよいな?」
 サラは聞こえるほどの長い深呼吸をした後、叔父を見た。
「叔父さま、それは、レイン様の身の回りがすべて片付いたらのお話ですわね。つもり、とか、考えよう、とか、そういうお言葉を聞きたいわけではないのです。きれいにするつもりではなく、きれいにしてからお話しなさるのが筋ですわ。それから、考えようではなく、具体的にシーラとお腹の子がどのような待遇に置かれるのかを決めて下さらなければ、わたしは、はいとは言えません」
 キューセランは姪のかたくなな態度に弱った。
「し、しかしだ、サラ……。貴族の娘でもないシーラにそこまでのことを皇太子に求めるなど……」
「いいえ、シーラはいずれ貴族の娘になります。お城へ上げるには、いずれにしても爵位のある家に養女となるのでしょう?」
「それはそうだが……」
 レインが焦れたように立ち上がった。
「サラ! これ以上わたしをじらさないでくれ! わたしがあの晩過ごしたのは、君なのか、シーラなのか? 君が望むなら、シーラごと君を受け入れてもいい、わたしはそうおもっているんだ!」
 サラのこめかみにピクピクと筋がたった。
(この馬鹿王子、まだこんなことを言っているなんて……)
 しかも、サラとシーラをいっしょに受け入れるなどとは、失礼もここまでくると笑うしかない。それでもサラは、表面上の冷静さを失わなかった。
(わたしには、やるべきことがある)
 行ってやろうと口を開きかけた時、応接室のドアがノックされた。
「王宮から、レイン様にお使いがお見えです」
 メイドが小柄な使者を連れてやってきた。
 キューセランは額に手をやった。
「通しなさい」
 小柄な使者はマントから一通の封書を取り出すと、サラ達の間に進み出てきた。
 レインがその封書を受け取ろうと、手を差し出したその時だった。
 使者のマントから、短刀がひらめいた。
 誰もが、ぎょっと身をこわばらせた瞬間、使者が叫んだ。
「貴方を殺して、わたしも死んでやる!」
 小柄な男性だと思われたその使者の声は、明らかな女性の声だった。
 その時、モリスが素早くレインを保護した。
 キューセランは慌てた拍子に高級なカップとソーサーを床にぶちまけ、ベンジーはアビゲールを後ろに追いやった。
「どいて!」
 女が叫んだその時、女を後ろから拘束しようとする者がいた。
 なんと、サラだった!
「離しなさいよ!」
 女はでたらめに腕を振り回し、そのひじがサラの頬に当たった。それでもサラは女を離さなかった。
 モリスとベンジーがふたりがかりで女の手から刃物を奪い、自由を奪うと、サラはようやく女から離れ、荒い息をついた。
「ばかなのか、おまえは!」
 思わず怒鳴りつけたモリスに対し、サラは一瞬だが燃えるような眼を見せた。
 使者を改めてよく見たレインがつぶやいた。
「アレン・フィルソム嬢……」
 するとアレンは、崩れるように膝をつき、泣き出した。
 キューセランが痛い頭を益々痛めた。
 ・・・・・・

 アレン嬢のレイン皇太子の殺害未遂は、キューセランの計らいによってレイン皇太子とフィルソム家との間で事を内密に抑えて終止符を打つことにした。迎えに来たフィルソム子爵によって、泣きはらしたアレン嬢は帰っていった。レインの心変わりを苦にし、ひとり悩みに悩んだ挙句の強硬だった。
 改めて、応接間に新しいお茶がふるまわれたころ、頬の傷の手当てを終えたサラが部屋に戻ってきた。レインは立ち上がり、胸に手を当てた。
「本当にすまない、サラ。アレン嬢がこのような強行に出るとは、思いもよらなかったのだ。だが、シーラに会いたい、会ってきちんとしたいという気持ちは本当だ」
 サラはますます冷たい目でレインを見た。
「誰が誰に会いたいですって? 一番シーラに会いたがっているのは、あなたじゃない。わたしです。さすがのあなたでも、おわかりになったでしょ? 今日のようなことがまたあるとしたら、あなたにシーラを会わせるわけにいきません。たまたまあの刃はあなたに向いていたけれど、それがいつシーラや赤ちゃんに向けられるかわからない。今のあなたに、本当にシーラとお腹の子を守れるというのですか? 申し上げたはずです。シーラと赤ちゃんを愛せないなら、あなたはいらない。わたしはもう覚悟を決めました。あなたも、本当にシーラに会いたいのなら、覚悟をして、それを示してください」
 シーラの声は低く抑えられていたが、言葉遣いは決して咎めを受けずにいられるものではなかった。しかし、キューセランですら、それをもう口にはしなかった。
 それでもレインはまだぐずぐずと口にした。
「か、覚悟はする……、いや、ある、いや! 意外に思われるかもしれないが、わたしは家庭を持つことに望みを持っているんだ。勘違いとはいえ、シーラと一夜を過ごし、そして子まで授かった。サラ、君の話からして、それは本当なのだろう。わたしは、その責任は果たすつもりで……、いや必ず果たす。だが、その……、シ、シーラはわたしのことをどう思っているのか、それを知りたいのだ……」
 なにを今さら、という気持ちになったサラだったが、冷静に務めた。
「わたしの大切なシーラは、とても腹立たしいけれど、レイン様、あなたのことを愛しています。そうでなければ、アレン嬢があなたを突き刺すのをわたしは高みの見物しながら、拍手喝さいしていましたわ」

*おせらせ*  本作は便利な「しおり」機能をご利用いただく読みやすいのでお勧めです。さらに本作を「お気に入り登録」して頂くと、最新更新のお知らせが届きますので、こちらもぜひご活用ください。

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