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Stoty-4 運命のゆめ違え

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 パチ、パチ、という火がはぜる音がした。
 それと同時にサラは飛び起きていた。
「……モリス!」
 自分の叫んだ声に起こされた。
 サラは今、ヘイレーンの屋敷の客室に寝ていたのだ。
「サラ様……」
 驚いた様子で使用人の女たちが駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか?」
「モリスは……モリスは?」
「い、今は……部屋で休んでおられると思いますが……」
 サラは真っ蒼な顔でベッドから降りた。
 そして、寝間着のまま、羽織る者も羽織らず、すぐさまに部屋を飛び出した。
「モリス、モリス!」
 廊下を走るサラから、冬の凍るような風は容赦なく体温を奪った。
 靴すら忘れたサラの足は、モリスの部屋につくまでには感覚が薄れていた。
「モリス! 開けて!」
 サラはドアをたたいた。
 心配してサラの後をおいかけてきた使用人と、その騒ぎに気がついたグレイとシャタが追い付いてきた。
 キイと音を立てて、ドアが開いた。
 その場所にはモリスが立っていた。
 モリスはタルテンの衣装に身を包んで、その手は衣装の中へ隠すようにしてそこに立っていた。
「サラ……」
 サラはモリスの姿を見るや、いよいよ言葉を失った。
 モリスは失った左腕を包むようにして、腕を重ねていた。
「うそ、うそ……」
 サラの目から、涙がこぼれた。
 サラは震える指で、自分の口元を抑えて、モリスの包まれた左腕を見つめた。
「うそよ……」
 サラはその場に泣き崩れた。
 どうしよう、どうしたらいいの……。…………
 サラは取り返しのつかない事態に、もうなにも考えられなかった。
「サラ」
 モリスの声も届かないほどに、サラは声をあげて泣いた。
 モリスが何度も呼び掛け、サラの肩をゆすったが、サラは切なさで胸も頭もいっぱいだった。
 こんなことになるなら、はじめからベールも真珠もあきらめておけばよかった。
 こんなことになるなら、こんなことになるなら……!
 でも、どんなに後悔をしても遅かった。
 切り離された腕は、二度と元には戻らないのだから。
 サラはモリスの胸に抱き寄せられ、枯れるほど泣いた。
 泣いても泣いても、後悔と、苦しさと、切なさとが押し寄せてきて、サラは身動きできなかった。
 悲しいのはモリスのはずなのに、辛いのも痛いのもモリスのはずなのに、モリスはじっとサラを抱きしめ続けた。
 それがまた切なくて、サラは涙が止まらなかった。
 モリスがサラに上着をかけてくれたそして、その上からまたぎゅっとサラを抱いた。
 どうして、どうしてこんなときにもモリスは優しくできるのだろう。…………
 サラはモリスの腕に抱かれながら思った。
 腕に抱かれながら思った。
 腕に抱かれながら……。
 腕に……。
 うで? …………
 サラはようやく気がついた。
 そして、モリスから体を起こすと、改めてモリスの両腕を見た。
 そして手に取った。
 あれ、ある……。
 あれ……? …………
 サラは混乱していた。
 ないはずの腕が、モリスの腕がついている。
 モリスの左腕が、いや、両腕がきちんとそこについていた。
 サラは触れて確かめて、指も数えて、何度も確かめた。
「うでがある……」
 サラの間の抜けたようなセリフに、モリスが勢いよく噴出した。
「お前、また俺が腕を落としたと思ったんだな?」
「え……?」
 モリスは、あははと声をあげて大笑いした後、泣きはらしたサラをもう一度ぎゅうっと抱きしめた。
 サラには、何が起こっているのか、全然わからなかった。
 そのしばらく後、モリスをはじめ、部屋にやってきたグレイとシャタが説明するにはこういうことだった。
「その様子じゃ、きっとお前昨日のことを覚えていないんだな。お前は昨日、今日と全く同じようにして俺の部屋に来た。
 そして同じように俺の腕がなくなったといって、泣いてわめいたんだ。覚えてない? 
 そりゃあ、試合の時に俺の腕が落ちたと思って気を失ったんだろう?
 そう思ってしまっても無理はなかったかもしれないが、まさか二日にわたっておなじ下りをやらされるとは思わなかったぞ」
 グレイは穏やかな調子でサラを見た。
「モリス様は試合に勝ったんですよ。あの時落ちたように見えたのは、アッシムの剣です。極度に緊張か興奮していたサラ様には白い刃がモリス様の白い腕に見えたのでしょう。まさかアッシムの腕に見間違えるはずはありませんからね。
 実際には、アッシムがその前に戦ったソーとの一戦で、剣にはひびが入っていたのです。
 そこへモリス様の剣とが激しくぶつかって、アッシムの剣は折れ、アッシムはモリス様の剣によって腕に傷を負いました。
 血はアッシムのものです。モリス様は一つもケガを負ってはいません」
 そのあと、グレイは一昨日の決勝戦についても話して聞かせた。
「モリス様がアッシムに勝利し、第四ブロックからはグレイ様が勝ち進みました。
 昨日の準決勝では、ユージアとコロドが戦い、ユージアが勝利。モリス様とグレイ様の勝負は、グレイ様が勝利しました。
 そして、決勝戦ユージア対グレイ様では、みごとグレイ様が勝利しました。
 コロド戦で消耗したユージアから、グレイ様は堂々と勝利をもぎ取りました。
 サラ様のベールも真珠も、そしてヘイレーン社の威信も守り通せました」
 サラはモリス、シャタ、グレイの顔を順番にみつめた。
 グレイは顔に傷の手当てのあとを残しているが、すこぶる元気そうである。
 そしてシャタも、肩の傷の具合も回復にむかいつつあるという。
 サラはもう一度、モリスの手を取って、ひたすら触れて確かめ、数えては確かめ、何度も何度もそのてで握った。
「夢じゃないのね、こっちが現実なのね? 信じていいのね?…………」
「そのセリフ、昨日も言ってたぞ」
 モリスが言うと、男たちも笑ったが、サラはひとり、モリスの両手を胸に抱いて再び泣き出した。
「もういい加減離してくれ」
 モリスは言ったが、サラは首を横に振った。
「これも二度目だ」
 モリスは苦笑して、もう一度サラの背を抱いた。

 ・・・・・・




 その後、サラはじっくりと湯で温まって着替えると、やっぱりモリスのもとへやってきた。
 そして、決してモリスの自由を奪うためではないが、ただ安心をしたいために、向き合ってモリスの両手をつかんだ。
「ずっとこうしているつもりか?」
「昨日もこうしていたんじゃないの?」
「いや、昨日は腕がついているとわかったあと、お前は眠ってしまったんだ。夕食も食べずにな。腹が減っているだろう?」
「ううん、今は胸がいっぱいで……」
 サラはじっとモリスの両手を見つめ、その手や指ですりすりとなでている。
 その感触にモリスは身体に沸き立つものがあった。
 ただでさえ、サラにこんなひたすらに手を握られたことはないのに、サラは風呂上がりの甘い香りを漂わせ、胸がいっぱいなどと健気なことを言ってくれるではないか……。…………
 モリスにまんじりとした気持ちが湧き上がってくるのはしかたのないことだった。
「サラ」
「なに?」
「や、約束を覚えているか」
「約束?」
「……無事に試合を終えたら、私にお前のキスをくれると」
「ああ……」
 サラは思い出したように目をあげた。
 すると、モリスの予想とは裏腹に、サラはすぐに、わかったといった。
「でも、どこにするかは私の自由よね?」
「どこ……? いまさらそんなごまかしがあるか」
「だって……」
「いくらだってしてくれるんじゃなかったのか」
「ひゃっ!」
 モリスはサラの手をぐいっと引っ張って、わが身に引き寄せた。
「ま、まって……」
「待たない」
「わ、わたしがするのよ。あなたにさせるとは言ってない」
「それでもいい。お前が私の唇にしてくれるのなら」
「…………」
 サラはいよいよ逃れられないのを悟って、覚悟を決めた。
 サラはいざと思うと、胸がどきどきと突き上げてきて、自分でも驚いた。
「わ、わたしがするから、モリスはなにもしないでね? いい?」
「努力するが、約束はできない」
「やっ、約束して!  で、でなききゃできない」
「む……、わかった……」
 サラはモリスの腕のなかで居住まいをただすと、そっとその手でモリスの頬を包んだ。
「目、開けてるの……?」
「だめか?」
「見られてると緊張するの」
「いろいろ注文がうるさいな」
「だって……」
「わかった」
 モリスは目を閉じた。
 サラは、こわばったような息をついた後、もう一度、モリスの頬からえらのあたりに手を添えた。
 ゆっくりと、顔を近づけていく。
 モリスはサラの細い指や、息遣い、間近で登ってくるサラの体温に集中した。
 暗闇の中で、サラがゆっくりと近くに来るのがわかる。
 サラの吐息が、もう触れんという位置で漏れた。
 モリスは思わず唇を開きたくなったが、なんとかこらえた。
 その時だった。
「待って」
 サラがはっと離れた。
 モリスもぱっと目を開き、不満そうにサラを見た。
「まだじらす気か」
 サラは不満そうなモリスを上回るしかめ面でモリスを見つめた。
「本当はもう昨日キスをしたんじゃないの?」
「えっ?」
「本当はもう、私昨日モリスにキスをしたんじゃないの?」
「はあ?」
「だって、私昨日も同じことをしていたんでしょ? だったら、本当はもう昨日キスはすんでいるんじゃないの?
 私が覚えていないと思って、もういちどふっかけたんでしょ?」
「はああ? まさか!」
「だって、おかしいじゃない。モリスの試合が終わったのは一昨日でしょう?
 機会は昨日と一昨日と二日もあったのよ」
「だから、昨日はお前はすぐ寝てしまったし、一昨日は気を失ったりなんだりでそんな状況じゃなかったのだ」
「……なんか、信じられない」
「なんだと? サラ、お前。私に信頼をあげるといったのはどの口だ」
「ん……、だけど、うーん……」
 モリスが説明や反論すればするほど、サラはなぜか納得がいかない様子だった。
 サラは首をひねって昨日や一昨日のことを思い出そうとしているらしい。
「思い出せないけど……、なんか、なんか違う気がする」
「ぐっ……、だから、なんで……!」
 結局、最後はモリスが折れた。
 無理強いはしないとモリスはサラに約束している。
 モリスはそれを守ったのである。
 紳士たるものたとえ約束が破られても、自らがかした約束を破ることはできないのだ。
 そのあともしばらくサラはモリスの手を握っていたが、モリスはもはや無我の境地にわが身を置くほかなかった。
 紳士とはまことつらいものである。

 ・・・・・・



 平穏さを取り戻したヘイレーンの屋敷では、サラ一行の荷づくりが進んでいた。
 この後、テリーはさらに雪に包まれて、町を出るのにも困難をきたすため、あまり時間はかけられない。
 それでもグレイとシャタの指示の下、馬車や馬の準備、道中の備品や食料などが手抜かりなく整えられた。
 ペルッサは長旅に耐えられるほどには回復せず、ヘイレーン家に預かり置かれることになった。
 サラは、ペルッサのかいた家族への手紙を受け取り、十分な補償を約束した。
「シリネラについたら、まず裁判の進み具合を確認しなくては。それで、サラ様は処刑もご覧になるつもりなんですか?」
 応接間で温かい茶を手にベンジーがいった。
「その前に、まずシーラのところへ寄るわ。でも、シーラはシリネラへ連れて帰るのはむずしいわね。
 赤ちゃんと身体が第一だもの。それに、これから母になるというシーラには、マルーセルの処刑なんて見せたくない」
 サラは帰ったらするべきことに想いを馳せた。
「実際、今の私の考えていることは、マルーセルの処刑はもう半分くらいなの。
 それより、レイン様をどうするかってことのほうが、大事よね。シリネラに帰ったらまず、レイン様に会わなくちゃ」
 サラは仕方なく手紙箱の中に詰めた、見当違いのレインの手紙のことを思い出した。
 内容を思い出すだけで、いろいろと腹立たしくなってくるが、腹を立てても仕方がない。
 そんなことを話していると、シャタがサラたちを呼びに来た。
「お待たせいたしました。準備が整いました。いつでも出発できます」
「ありがとう、シャタ」
 サラはシャタと握手をした。
「なにからなにまで。勉強になったわ」
「こちらこそ、サラ様の数々のご厚意に救われました。またぜひいらしてください」
 サラは、うーんと首をひねった。
「……今度は武術競技会のない暖かい時がいいわ。私には武術や戦いのことがぜんぜん向いてないってよくわかったから」
 シャタはくすりと笑みを浮かべた。
「そうですか? 次回はもっと楽しめると思いますよ」
「冗談でしょう……? ナートゥリアから競技会まで、わたしがどれだけ大変だったか知ってるでしょう?」
 シャタはおかしそうに笑い、そして優し気な笑みで確信するように言った。
「サラ様にはその器がおありだとお見受けしました」
「そうかしら……」
 全く信じられないという顔で、サラは屋敷の出口へ向かった。
 出口ではグレイ、マシム、アニカがいて、競技会でともに検討し仲間や、これまでかいがいしく世話を焼いてくれた使用人たちがずらりとそろっていた。
「サラ様、またどうか来てくださいね」
 アニカはサラにタルで作った輪飾りをサラの首にかけた。
「サラ様、お手紙を書いたの。読んでください。そして、帰ったら、あたしにお返事ください」
 マシムはすこし拙いタルテン文字で、親愛なるサラ様とかかれた封筒を手渡した。
「ありがとう、アニカ。ありがとう、マシム。きっとお返事かくわね」
 そして、グレイはじっとサラを見つめた。
「グレイ様、本当にありがとうございました。お互い、頑張りましょうね」
「はい、サラ様」
 二人は固い握手を交わし、視線を交わした。
 サラとグレイのこの握手には、前日譚がある。

 ・・・・・・



 その日、グレイはサラが落ち着いたところでベールと真珠を返そうと準備をしていた。
 競技会直後のサラは精神疲労で、とてもそれどころではなかったからだ。
 それでも、約束を果たすことができたグレイは、サラに胸の内を告白することを心待ちにしていた。
 グレイが決勝戦でユージアに勝てたのは、確かにコロドがユージアの体力気力を削ってくれたという要因は大きい。
 しかし、モリスと戦ったグレイもまた、真剣勝負をしていたのだ。
 天はグレイに味方したが、それは決して楽な戦いではなかったのだ。
 モリスが優勝したらサラからキスをもらう約束をしていたということは、マシムからグレイの耳にも入っていた。
 サラの望みは優勝よりも、全員が無事であることに重点が変わっていたが、遊技場でモリスと相対した時、
 モリスは一度口にしたことを守るつもりでいることはグレイにも分かった。
 サラは、モリスのことを愛しているのだろうか?…………
 そう考えると、グレイの心は靄にとらわれたように曇った。
 シャタは故意に格付け表を操作した。
 シャタの見たてだと、グレイとモリスのちからの差はさほど大きくないと見た。
 しかし、シャタはヘイレーン社の頭取を失わないためにあえて、モリスにアッシムをぶつけさせた。
 シャタの判断は理解できる。
 しかも、グレイが知る限りシャタは判断を、間違ったことがない。
 グレイはいれまでも、これからも、いつだって、いつまでも、シャタを信じ重用する。
 だが、薄いが決して晴れない霧が取り囲むのだ。
 いつかは、シャタを越えなければいけない。
 シャタに頼りきりではなく、自分でヘイレーン社の舵をとらなくては。
 グレイは、サラにひとつうそをついている。
 それは、ファースランからの預かりものについてだ。
 ファースランの海洋地図とコンパスが預かりものだという話は、半分嘘だ。
 サラから出資の撤退をやめさせるために、シャタはファースランがヘイレーン社の仕事をサラに引き継いでほしがっていたとつたえるべきだと主張した。
 それを聞けばサラは確かに出資を継続する方に気持ちが傾くに違いなかった。
 グレイはシャタの言うとおりにそういう話を進めるつもりでいた。
 しかし、虎をはじめとする動物たちが戦闘や賭け試合のために売買されていることにショックを受けたサラは、父の仕事を引きつぐことを拒みかねなかった。
 だから、あえてグレイは動物の取引について話すのではなく、ファースランがサラのためにトワリを訪ねたがっていたという話をした。
 これは、グレイのでっち上げだ。


 ただし、もっぱらのうそではない。
 ファースランはかつて、グレイたちにサラの話やマハリクマリックの話をしていたし、トワリという町の民話であるマハリクマリックにも興味を持っていた。
 だが、ファースランはそのためにトワリを訪ねるつもりはなかった。
 ただ、先代であるブノアに、トワリで手に入るというマハリクマリックの本を入手してくれるように頼んだのだ。
 本当の預かりものとは、この本のことなのであった。
 そして、その本は今、グレイの手元にベールと真珠とともにあった。
「グレイ、入ってもいい?」
「どうぞ」
 サラは二人の時はすっかり呼び捨てで呼ぶようになっていた。
 グレイはそれがうれしくあったが、サラとは身分が違うために、グレイは終始サラを様をつけて呼んだ。
 サラはベールと真珠を見るや、ああと息を漏らして笑顔がこぼれた。
「よかった……、またこうして私のもとに戻ってきたのね。ありがとう、グレイ」
「もとはと言えば私どもの手落ちですから。どうかこれで治めていただけますか?」
「ええ、もちろんよ」
 サラは二つの品物を抱きしめてうなづいた。
「それにしても、あなたが無事でよかったわ。ヘイレーン社があなたを失うわけにはいかなかったもの」
「はい、おかげで私も約束通りサラ様に告白できます」
「そうね、告白っていったい何のことなの?」
「…………その前にこれを」
 グレイは、ファースランの残した本をサラに手渡した。
 本は見慣れない外国の文字がかかれている。
「これは、トワリで手に入れたマハリクマリックの民話がかかれた本です」
「わあ、これが?」
「ご存じだったのですか?」
「アニカから聞いていたのよ。私も落ち着いたらぜひ見せてって言おうと思っていたの」
「アニカが……」
「でも、この文字、全然読めないわ。ここだけしかわからない。マハリクマリック……」
 グレイはアニカがどこまでどう話したのかがよめずに沈黙した。
「でも、きっとシーラも喜ぶわ。私、きっとこの本を読んでみせる。そして、生まれてくる子供に聞かせてあげたいわ」
「こども?」
 グレイはやや驚いてサラを見た。
 サラはまだ話していなかったわね、と前置きした。
「シーラは今妊娠しているの。……さる高貴な身分のかたの子どもを身ごもっているの。
 シリネラに帰ったら、裁判のこともそうだけど、それよりシーラが安心して子供を産めるようにしなきゃいけないの」
「そうだったのですか……」
「それに、どういう手順や法律を使えばいいのかわからないけれど、私はシーラとお父様の遺産を半分に分けるつもりでいるの。
 戸籍上もちゃんとした姉妹、家族にしたいのよ。まだぜんぜん話は進んでいないけれど。シーラは私にとっては一番の家族なの」
「ちゃんとした姉妹に。そこまでシーラのことを」
「ええ。だって、私もあなたも、両親を失ったわね。そういうとき、私にとって唯一の支えがシーラだった。あなたにとっては、マシムやシャタやアニカがそうでしょう?
 だから、絶対に手放したりできないの。そんなことをしたら、私きっと死んでしまう」
「そうですね……」
「競技会の前日のあの日、あなたは泣いたわね。あなたもきっとすごく辛い思いをしたにちがいないと思ったのよ。
 故郷のことや両親のこと、会社のこと、まもるべき妹と仲間のこと。家族を失うことなら私にもわかるわ。
 だけど、私はここへ来るまで、あなたほど責任というものがわかっていなかったと思う。
 だから、ここへきてあなたにあって初めて、責任を負うことの苦しさがすこしは分かった気がするの。
 グレイは誰にも弱いところを見せずに頑張ってきたにちがいないと思ったわ」
「…………」
 グレイはサラをみつめながらその言葉にじっと見を傾けていた。
「あなたはとても立派よ。グレイ、わたしはあなたを尊敬する」
「サラ様……」
「あなたを見ていると、応援したくなるのよ。それに、私もがんばらなきゃ、って思えてくる」
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「私たち、お互いの夢を叶えるの。グレイはいつか私とシーラをトワリに連れて行って。
 私はいつかきっとグレイとマシムと一緒にあなたの故郷へ行くわ。あなたの故郷へ行くときは、私の取り分から旅費を出して、トワリへ行くときは、グレイが旅費を出すのよ。歌は、そうね、トワリの町と、あなたの故郷はなんていうところなの?」
「グラナシュデです」
「じゃあこうよ、いい?
 マーハリック、マリック、トワリの町~♪
 マーハリック、マリック、トワリの町~♪
 マーハリック、マリック、トワリの町~♪
 マーハリック、マリック、グラナシュデ~♪」
 サラとグレイは、手を取り合って、ステップを踏みながら踊った。
「あなたもやって」
 グレイは促されるままにサラの笑顔に従った。
「マーハリック、マリック、グラナシュデ~♪」
 マーハリック、マリック、グラナシュデ~♪
 マーハリック、マリック、グラナシュデ~♪」
 マーハリック、マリック、トワリの町~♪」
 サラは子どものようにくすくすと笑った。
 グレイもしばらく忘れかけていた童心を思い出して、くしゃくしゃした顔で笑っていた。
「これで私たちの願いは絶対に叶うのよ。マハリクマリックは最後には必ずほしいものが手に入るの。どっちが先に叶うかしら」
 二人がひとしきり笑った後、落ち着いたとき、グレイは言った。
「狩りの時、サラ様はシャタを止めてくれましたね」
「え? とめたのはグレイじゃない」
「いいえ。サラ様がああ言ってくださられければ、シャタはパルファムを撃つほかなかった。私では止められませんでした」
「そんなことないと思うわ」
「いえ、そうなんです。シャタはこのヘイレーン社の屋台骨であるがゆえに、己にも厳しい。
 シャタは必ずパルファムを射落として、サラ様にお詫びするつもりだったはずです」
「私はパルファムがシャタにとってどれほど大事な存在かわかっているつもりでした。
 だが、あの時は仕方がないと思ってしまっていたんです。
 サラ様があんなに必死に止めてくれるまで、私はあきらめていたのです。
 世の中にはあらがえないものがある、自分にはどうにもできないと、心のどこかで決めつけて」
「…………」


「けれど、あなたはシャタを動かした。それに、いろんな場面で、あなたは誰よりも必死だった。
 あなたは、自分の想い、その理想を手放さなかった。その強さにどれだけ私たちがすくわれたか。
 私はあなたから自分をあきらめないことを教えてもらいました」
 サラは首を振った。
「私も教わったわ。あなたが言うとおり、私は自分の意志で、いろんなことを乗り越えられると信じてきた。
 だけど、物事には優先順位がある。どんなに必死になってみても、どれほど高い理想があったとしても、全ての願いは同時には叶わない。本当に手放したくないもの以外を、手放す勇気と責任をおうことが必要なのね」
 グレイはサラの緑色の瞳を見つめた。
「サラ様のように、本当に手放したくないものがなんなのか、私も自分に問いかける機会になりました。
 サラ様、私の告白を聞いていただけますか?」
「……ええ」
「私はグラナシュデには戻れません」
「え?」
「行ったら、殺されるからです」
「……どういうこと?」
「私の名前は、オーレン。人の上に立つ者、という意味です。オーレン・スシュア・アビシャフスナ。
 ブラニカ一族に国を追われたナモール国王家の末裔です」
「……王家の、末裔……?」
 グレイが話すことにはこういうことだった。
「十数年以上前、スシュア・アビシャフスナ、つまり、アビシャフスナ王家はブラニカを始めとするいくつかの派閥を抑えられず、今からちょうど十年前、私たちは国外への逃亡を余儀なくされました。その時、私と生まれたばかりのマシムを連れてタルテン国へ逃げたのが、当時王の側近だったサヒール・スルファサナ。つまり、ブノア・ヘイレーンです。
 シャタとアニカはブノアの実子なのです。王と王妃は死にましたが、ブノアが王印を持ち出してくれました。
 ですから、統治者を名乗ってはいますが、その実ブラニカを王と認める部族長はいません。

 ブノアは名を変え、ヘイレーン社を立ち上げつつも、私に王としての教育を施しました。
 いずれは挙兵し、国を取り戻すのだと私に話していました。当時十四歳だったシャタは、ブノア亡き後もその意志を引き継ぎ、いずれは私を王位につかせるつもりでいます。
 ですが、私にはその気はありませんでした。幼い日に見た両親や王宮の思いで、故郷の風景はすでに私の中では思い出に過ぎず、テリーで暮らす日々が日常だったからです。それに、幼いマシムは何も知らない。

 そしてなにより、私は怖かった。国を取り戻すなどというおおきなことを私にできるとは思えなかったし、マシムやシャタやアニカ、みんなを今の平穏な日常から引きはがして、戦に巻き込むことになる。
 父や母の無念、ブノアの忠誠心と執念は痛いほどわかっているつもりでした。
 ブノアやシャタが求める通りの皇子になれたらよかった。けれど、私にはその勇気が持てなかった。

 しかし、サラ様が私に教えてくれたのです。私が、立ち上がらなければ、王家が再びグラナシユデの地を踏むことはできない。
 私が諦めたら、マシムは一生その地を踏むことはないでしょう。祖先の眠る墓も、本当の父母のことも、青い布がはためく街も。
 そしてまた、一応は安定しているといわれている滋養性の裏側で、ブラニカ一族が手広く人身売買しているという噂は耳にしていました。
 私はわが身の可愛さに、それすらもみないふりをしようとしていました。
 ですが、今私ははっきりと言えます。
 私はスシュア・アビシャフスナとして、国の平和を取り戻し、グラナシュデにもどります」
 だまって聞いていたサラは、やはりなにも言えず、ただひたすらに、オーレンという真の名を持つ少年の顔を見た。
「サラ様」
「はい……」
「そのときには、きっとあなたも同行していただけますか?」
「わ、わかりました」
 サラは一旦うなづいたものの、すぐに自信なさげに口を割った。
「だ、だけど、話が大きすぎて……、私、今、まだ、ついていけそうにないわ……」
 グレイはまっすぐな瞳で、サラを見つめ、その手を取った。
「私が国を取り戻した暁には、サラ様、どうか私の求婚を受け入れていただけませんか?」
「グレイ……、な、なにをいっているの?」
「ただの海運業の頭取では、あなたと釣り合わないでしょう?」
「ちょ、ちょっとまって……」
「すぐに答えないで。私が思いを遂げるまでは、どうか」
「グレイ……」
 いいかけて、グレイの瞳を見つめるとサラはなにか妙にすんなりと腑に落ちた。
「……オーレンなのね。あなたは、オーレンなのね……」
 グレイが、いやオーレンが背負っていた責任とは、これだったのだと。
「ヘイレーン社の中でも、私の真の名を知る者はシャタとアニカと、あと数名だけです。どうか、このことはサラ様の胸の内だけに」
「…………。わかりました、オーレン様」
 サラが神妙に答えると、オーレンとして初めて微笑むグレイは、なんとも晴れ晴れとしていた。


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「そなたは私の妻として、侯爵夫人として相応しくない!よって婚約を破棄する!」 愛する令嬢を傍らに声高にそう叫ぶ婚約者イグナシオに伯爵家令嬢セリアは誤解だと訴えるが、イグナシオは聞く耳を持たない。それどころか明らかに犯してもいない罪を挙げられ糾弾され、彼女は思わず彼に手を伸ばして取り縋ろうとした。 「触るな!」 だがその手をイグナシオは大きく振り払った。振り払われよろめいたセリアは、受け身も取れないまま仰向けに倒れ、頭を打って昏倒した。 「突き飛ばしたぞ」 「彼が手を上げた」 「誰か衛兵を呼べ!」 騒然となるパーティー会場。すぐさま会場警護の騎士たちに取り囲まれ、彼は「違うんだ、話を聞いてくれ!」と叫びながら愛人の令嬢とともに連行されていった。 そして倒れたセリアもすぐさま人が集められ運び出されていった。 そして誰もいなくなった。 彼女と彼と愛人と、果たして誰が悪かったのか。 これはとある悲しい、婚約破棄の物語である。 ◆小説家になろう様でも公開しています。話数の関係上あちらの方が進みが早いです。 3/27、なろう版完結。あちらは全8話です。 3/30、小説家になろうヒューマンドラマランキング日間1位になりました! 4/1、完結しました。全14話。

英雄一家は国を去る【一話完結】

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婚約者との舞踏会中、火急の知らせにより領地へ帰り、3年かけて魔物大発生を収めたテレジア。3年振りに王都へ戻ったが、国の一大事から護った一家へ言い渡されたのは、テレジアの婚約破棄だった。

神の加護を受けて異世界に

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親に言われるまま学校や塾に通い、卒業後は親の進める親族の会社に入り、上司や親の進める相手と見合いし、結婚。 その後馬車馬のように働き、特別好きな事をした覚えもないまま定年を迎えようとしている主人公、あとわずか数日の会社員生活でふと、何かに誘われるように会社を無断で休み、海の見える高台にある、神社に立ち寄った。 そこで野良犬に噛み殺されそうになっていた狐を助けたがその際、野良犬に喉笛を噛み切られその命を終えてしまうがその時、神社から不思議な光が放たれ新たな世界に生まれ変わる、そこでは自分の意思で何もかもしなければ生きてはいけない厳しい世界しかし、生きているという実感に震える主人公が、力強く生きるながら信仰と奇跡にに導かれて神に至る物語。

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