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#66、 シュトラスとの再会*

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 数日の期間を経て、セレンディアスからシュトラスと会う準備が整ったと知らされた。
 朧月夜を練習していた奈々江が鍵盤から視線を外して、ほっとため息を漏らす。

「よかったわ。このところ、波風立てないように無難に過ごすのに飽き飽きしていたの」
「今夜、旧イェクレール聖堂に行きましょう」
「ええ、わかったわ。えっと、ラリッサ、今日の予定はどうなっていたかしら」
「午前いっぱいはピアノの練習、午後からダンスの練習、午後のお茶をクレア様とお過ごしになった後、アトラ棟で魔法の研究ですわ」

 形だけは婚約者選びの体を取っているため、社交のための礼節や躾のあれこれを勉強しなければならないのだ。
 以前に比べて魔法の研究に費やす時間がかなり減った。
 祝賀会も終わってしまった手前、それに対して文句はいえない。
 でも、少しずつではあるがEボックスショックから回復してきたおかげで、奈々江の中でまた魔法の研究に対する意欲も復活しつつある。

「もう少し研究に時間を使いたいけれど、お母様の理解が得られない今は無理ね。
 わたし、昨日ちょっとした試してみたいことを思いついたのよ」
「どんなことでございますか? 僕ができることであれば準備だけでもしておきます」
「ありがとう、セレンディアス。午後話すから、ぜひまた力を貸して欲しいわ」
「はい、喜んで」

 奈々江のとなりでメローナが思い出したようにいった。

「そういえば、トラバットのほうはどうなっているのですか? あれからなにか情報を聞き出せましたか?」
「ああ、明らかになにかを知っているようだ。だが、ナナエ様ご本人にしか話さないと突っぱねている」
「まあ、懲りないですわねぇ」
「ナナエ様、いかがいたしましょうか」

 奈々江がうなづく。

「わかったわ。近いうちにまた旧イェクレール聖堂で落ち合う様にわたしから通信魔法を送ってみる」
「でも、きっとあの破廉恥なドレスをまた持参してきますわ。どういたしましょうか……」
「そ、そうね……。でも、約束は約束だから着てみるわ。一度着て見せれば、きっとトラバットも納得してくれるはずだから」
「申し訳ありません、ナナエ様。僕の力が足りないばかりに」
「セレンディアスはよくやってくれているわ」

 ラリッサがトレーを手に持ってきたメイドから手紙を受け取った。

「あら……。またブランシュ殿下からのお手紙でございますわ」

 奈々江がぐるりと視線を上に向けた。

「スモークグラムの返事が返ってこないからって、一日になんども手紙を寄こされたって……。こっちの気持ちは変わらないわ」
「でございますね。では一応中を改めまして……、ああ、やはり昨日と同じ内容でございますね」
「じゃあ無視でいいわね」
「さようでございますね」

 ラリッサが開いたばかりの手紙をまた封筒に納めて、メイドのトレーの上に戻す。
 初めは驚いていたメイドもすっかり見慣れた様子とばかりにトレーを手に一礼すると部屋を後にした。
 奈々江のもとには注文しておいた梅の花の香りがするスモークグラムが届いているが、今だ一度もブランシュに送ったことがない。
 今のところ、奈々江のスモークグラムの香りを知っているのは、セレンディアス、ラリッサ、メローナら従者と警護の者たちと、クレア、マイラ、イルマラだ。
 奈々江のスモークグラムは城の検査を通っていることもあり、当然ファスタンとブランシュもその香りを知ることができる。今のところとくに用件はないが立場上ファスタンには奈々江から知らせてある。
 ファスタンからは今までスモークグラムが届いたことはないが、ブランシュからはいつものあの紅茶のスモークグラムが毎日のように届く。
 もちろん奈々江はそのスモークグラムをことごとく無視している。
 口もききたくないというのは、当然手紙やスモークグラムも入るのだ。

 側近と身内以外で奈々江の香りを知っているのは、今のところツイファーのみだ。
 おそらくライスのいるロカマディオール修道院に赴くときには神官長にも送ることになるだろうが、今のところ奈々江はライスに会うつもりもない。
 奈々江にとってはライスもブランシュと同罪なので、マイラにでも頼まれない限り、今後しばらくは自分から会いに行く気は起こらないのだった。
 きっとそのうちブランシュのほうからライスに会いに行くために、ナナエに同行して欲しいと依頼が来ることと思うが、そちらが早いか、あるいはブランシュがファスタンに許しを取り付けるのが早いかは今のところ不明だ。
 だが、ブランシュが父親の許しを得るのはブランシュにしかできない重要なことなので、早く実現すればいいと奈々江も思っている。

 一日の予定を終えて夜、奈々江たちは部屋で顔を突き合わせた。

「ナナエ様、それでは変身魔法をおかけいたします」
「ええ、お願い」

 チャーリーの姿になった奈々江をメローナが抱き上げ、ラリッサは本物のチャーリーの興奮をなだめる。
 互いにうなずきあい、素早くそれぞれの仕事に進んだ。
 前回同様にうまく城を抜け出した一匹とふたりは、旧イェクレール聖堂に向かった。
 聖堂についた後、セレンディアスは奈々江にかけた魔法を解いた。
 犬の体にまとわりついた緑色の光が消え去ると、奈々江の姿はすっかり元通りの人の形に戻っていた。
 セレンディアスがさっと手を差し伸べた。

「ナナエ様、こちらです」

 セレンディアスが示した方には、闇の中にゆらゆらと揺れる空間のゆがみがあった。

「この中でシュトラス殿下がお待ちです。
 中は狭く揺れますが、焦らず揺れに体が慣れるのをお待ちください」
「わかったわ。セレンディアス、あなたは来ないの?」
「小舟はふたりで向き合って座るのが精いっぱいなのです」
「小舟?」
「はい。行けばわかりますよ」

 うなづいて、奈々江はそっと歪みの中へ足を入れた。
 同時に、ぐらっと足場が大きく揺れるのがわかった。
 はっと気がつくと、そこはもう月夜に照らされた大海の真っただ中だった。
 セレンディアスにいわれたとおり、焦らずに船の揺れに慣れるまで、じっと身を固めた。

 (す、すごい……、まさかあの空間のゆがみが、海のど真ん中に浮かんでいる小舟につながっているなんて……)

 揺れに慣れてきたところで、そっと目線を上げた。

「ナナエ姫」

 声のする方を見上げると、月影から金色の髪が浮かび上がった。

「えっ……」

 どきっ、と心臓がはねた。
 淡い光に映し出されたのは、シュトラスではなくグレナンデスだった。

 (えっ、え!? グレナンデス!? なんで……っ!?)

 余りの衝撃に言葉を失ってしまった。
 頭の中が真っ白だ。

「ナナエ姫、御無沙汰しております」
「あ……、あの……、な、なぜ……?」
「え?」

 グレナンデスがにわかに小首をかしげた。
 奈々江の心臓がまるで別の生き物のようにどくどくと高鳴る。
 自分でも止められない。
 今まで閉じ込められていたものがあふれ出てきたみたいだった。
 とめどない衝動に、自分でも驚いた。

 (グ、グレナンデス……!
 わたし、あなたに会いたかった……!)

 鼓動が静かな波の音を打ち消して、相手の耳にまで届くのではないかと思えた。
 体中に血が駆け巡り、首から頬から指先まで、熱が高まっていくのがわかった。

「ナナエ姫、大丈夫ですか?」
「は、はい……」

 揺れる小舟の上で、奈々江はグレナンデスに視線を外さずに見つめた。

 (どうして、どうしてここにグレナンデスが……。
 一体、なぜ? 何が起こっているの?)

 熱っぽい視線に気づき、シュトラスが妙だと思いいたった。

「あの、ナナエ姫、僕のことが誰だかわかりますか?」
「……ええ、わかりますわ……。
 グレナンデス殿下、お会いしたかったですわ……」
「やっぱり」
「え?」

 シュトラスがおかしそうに口元に手をやった。

「ごめん、僕だよ、僕。シュトラスだ」
「……えっ……!?」
「セレンディアスは僕の姿のことを伝えてなかったんだね。無理もないよ」
「え、えっ……え?」
「ナナエ姫、兄上と僕を勘違いしているよ。僕は紛れもない第二皇子のシュトラスだよ」
 (えっ、えっ、えええ~っ!?)

 思わず、熱い頬に両手をやった。

「シュ、シュトラス殿下……?」
「うん、そうだよ」
「う、うそ、やだ……っ! わ、わたし、勘違いを……!」
「そのようだね」
「あああっ、や、やだ……! もう、わたし、信じられない! 
 待っているのはシュトラス殿下だと聞いてわかっていたのに、そ、そのお姿を目の前にしたら、わたしとたんに勘違いしてしまって……」
「あはは、しょうがないよ。でも、それだけ兄上に会いたかったんだね」
 (いゃあぁ~……っ、やだもう! なんで、なんで!? 恥ずかしいっ!
 冷静に考えたらわかることなのに!
 夢の中だし、ゲームだし、キャラクターが成長するなんて思っても見なかった!
 でも考えてみたら、このくらいの年の男の子が一気に身長が伸びるなんてよくあることだろうし。
 ああもう、やだ、ばかなのわたし! 恥ずかしすぎる!)

「セレンディアスも気がきかなかったね。
 確かに驚くよね。こんなに急成長していたら。これ、魔法薬で成長を促進させているんだ。
 兄上の代わりにいろいろと僕が表に立って調整しなきゃいけないことが多くて」
 (ああっ、そ、そういうこと!
 セ、セレンディアス! こういうことはちゃんと先にいってよ~!!)
「本物の兄上じゃなくて、ごめんね、ナナエ姫」
 (はああ~っ、もう、冷静になって良く見たら、ちゃんと耳にほくろがあるし、しゃべり方もこれまでのシュトラスそのものじゃない)

 奈々江はひとりでに脳内でじたばたしたあげくに、ようやく冷静になってきた。

「シュ、シュトラス殿下……。と、取り乱してしまってすみませんでした。
 ようやく理解しましたわ。ご、ご無沙汰しておりますわ……。す、すっかり大きくなられて、本当に驚きました」
「必要以上に驚かせてこちらこそ悪かったね。ナナエ姫は相変わらずきれいだよ」
 (うわっ……! その顔でそのセリフはなしでしょ!)

 落ち着いたはずの心がすかさず波打つ。
 奈々江がおろおろと手を横に振って釘をさす。

「シュ、シュトラス殿下……! 
 その、そ、そういう不意打ち攻撃はなしですわ……。わたし、まだ少し頭と目が混乱していますの」
「あはは、そうか、ごめん」

 笑った顔も、いつか見たグレナンデスとそっくりだ。

 (う、うう~……、わかっていても、これは食らってしまうわ……。落ち着け、落ち着け……)

 自分に言い聞かせて何度も深呼吸をする。
 その姿を見ながら、シュトラスが声を立てずに笑っている。

(これはシュトラス、これはシュトラス、目の前にいるのはシュトラス……、よし……)

 奈々江は居住まいを正して、改めてグレナンデスそっくりな青年を見つめた。

「そ、それで、シュトラス殿下、グレナンデス殿下のことですが……」
「うん、セレンディアスから聞いているよ。
 身を隠していたはずの靴屋から姿を消したんだってね。
 兄上のことだから、ナナエ姫からそう離れた場所にはいっていないと思うんだけど」
「わたしもできるだけ早くグランディア王国に無事お戻り頂ければと思っているのですが」
「それより、兄上のことを真剣に考えているというのは本当なの?」

 シュトラスの目がきらきらと輝く。
 頭ではわかっているはずなのに、まぶしい笑顔を見ると奈々江の気持ちが否応がなく揺れる。
 本人ではないのに本人を前に告白しているような気分になってしまう。

「はい……」
「ナナエ姫が我が国に来てくれるのなら、全ての問題が解決するよ。
 僕もナナエ姫が姉君になるなんてこんなにうれしいことはない」
「ありがとうございます……、ただ、いくつか問題がありまして……」
「兄上にそれをどう知らせるかということのほかにだね。
 つまり、まだ太陽のエレスチャルがとり出せていないということだね」
「それもそうなのですが……」

 歯切れの悪い奈々江にシュトラスがかすかに首をかしげた。
 聖水のエレスチャルをもってしても、太陽のエレスチャルを持っている奈々江の本心をすべて見通すことはできないのだ。
 それを、何も口にせずぼんやりと自分の状況や立場をわかってもらうことなどできない。
 聖水のエレスチャルを持っているシュトラスには、呪いの仲間として、できるかぎり正直でいると約束をした。
 だが、国家間の軋轢を鑑みたとき、どこまで正直に話していいものなのか悩ましい。
 けれど、奈々江の魔力のことに一言も触れずにシュトラスに理解してもらうことは決定的に無理だ。
 以前から考えていたが、どう考えてみても、シュトラスに味方になってもらわなければ、きっと現状は打破できない。
 奈々江は心を決めて視線を上げた。

「シュトラス殿下、わたしが従兄弟のライスと婚約させられそうになったというお話はお聞き及びでしょうか?」
「うん、聞いたよ。隷属魔法をかけられそうになったそうだね。怖かったろうね」
「ええ……、それでライスは修道院に送られ、わたしは目下婚約者を決める様にと迫られているのです」
「ファスタン国王陛下は太陽のエレスチャルを持つナナエ姫をできるだけ手近に置こうとしているようだね」
「それが……。実は、問題は太陽のエレスチャルだけでないのです。わたしの魔力が……」
「ナナエ姫の魔力?」

 シュトラスがますます不思議そうに首をかしげ、にわかにセレンディアスが作った緑色の輝石に目をやった。

「ナナエ姫の魔力はどちらかというと少ない方じゃない? その補助のためにそのブレスレットをつけているのだろう?」
「量は少ないのですが、特殊な魔力というものらしくて、国で保護するために結婚を推し進められているのです」
「特殊な魔力、ナナエ姫が?」

 シュトラスがさらに不思議そうに声を上げた。

「だったら、おかしいよ。なぜナナエ姫は兄上の皇太子妃候補になったんだ? 特殊な魔力の持ち主なら初めから他国に嫁がせようとするはずがない」
「それが、わかったのがつい最近のことで……。もう一度皇太子妃候補になりたいと気づいたときには、もう……。わたしもこんなふうになってしまうと思わなくて……」

 シュトラスがかすかに眉をひそめた。

「それが本当なら、困ったな……」
「シュトラス殿下……」
「我が国でも特殊な魔力の持ち主は優先的に国家で保護されるのが習わしだ。
 その多くが単純に魔力の多い少ないとは比べ物にならない貴重なものや特異なものが多いんだ。きっとそれはエレンデュラ王国でも同じはず。
 セレンディアスのときのようにはお金で融通が利くというものではないと思う」
「そうなのですね……」
「装備から外せる太陽のエレスチャルならまだいいけれど、魔力はナナエ姫から切り離しようがない。
 それに、わかったのが最近というのはどういうこと?」
「言葉の通りです。皇太子妃候補としてグランディア王国にいたときにはわたしは自分が魔法を使えることを知らなかったんです。エレンデュラ王国に戻ってから太陽のエレスチャルを外すために自分でも回復魔法が使えたらと思って魔法の勉強を始めたところ、特殊な魔力があるとわかって……」
「それまでナナエ姫は魔法教育を受けてこなかったの?」
「いえ、一応学校には通ったのですが……。わたしの母は第三王妃なのですが、政治や権力とは切り離されたところにおりまして、世情とはあまり関わらないといいますか……」
「なるほど……。それで、音楽の才能もこれまで日の目を見てこなかった、というわけなんだね」
「え?」

 うわさは聞いているよ、目の前の青年がくすりと笑った。

「アキュラス叔父がナナエ姫の組曲を大絶賛していた。
 噂を聞いてグランディア王国の貴族たちもこぞって楽譜を申し込んでいると聞いているよ」
「え、もう楽譜まで……?」
「ナナエ姫はいろいろな才能を隠していたわけだ」
「隠していたわけでは……」

 思わず視線を下げると、シュトラスが困ったように笑った。

「全く兄上は、どうしてこんなに素晴らしい人を捉まえておけなかったんだろう。
 あなたを返してしまったのはグランディア王国歴史上にまれに見る大失態だ」
(それをいうなら、わたしのほうこそ帰国したのは失敗だったよね……。
 仕方なかったこととはいえ、結果的に乙女ゲームの難易度が上がってしまったから。だけど……)

 乙女ゲームの設定を借りているとはいえ、奈々江はこの夢の中で、自分と向き合うことができたとも感じている。
 分かり合えなかった従兄弟たちとのこと。
 くすぶり続けた過去の感情との向き合い方。
 機会が訪れたなら、記憶を上書きしていくための挑戦をすること。

(この夢の中で出会った人たち、もらった言葉、自分の中に生まれた新しい気持ちや考え。
 それはきっと無駄じゃない。
 だからこそ、ゲームをクリアして、わたしは現実に帰るんだ)

 奈々江は顔を上げる。
 そこには決意のまなざしが真っ直ぐに輝いて、シュトラスをはっとさせた。

「困難があるのはわかっています。
 だけど、わたしはもう一度グレナンデス皇太子殿下ときちんと向き合いたいんです」
「ナナエ姫……」
「わたしはどうしたらいいですか? シュトラス殿下」

 奈々江の真剣なまなざしに、シュトラスが考え込む。
 しばらくの後、ためらうように口を開いた。

「ナナエ姫、ちなみにあなたの魔力はどんな力なの?」
「それは……」
「いや、いいんだ。言えるわけなかったね」
「魔法陣や立体魔法陣を作ることです」

 驚いたようにシュトラスが口をあける。

「複雑な魔法陣や立体魔法陣を組み立てるのが得意なんです。今はツイファー教授に師事して魔法を学んでいます」
「ツイファー教授? あの、数秘や数学で有名な?」
「はい」
「ツイファー教授が君を認めたって、そういうこと?」
「教授のもとで音を記録する新しい立体魔法陣を作りましたわ」
「音を記録……? それって、どういうこと?」
「録音という機能です。これがその実物ですわ」

 奈々江は自分のエアリアルポケットからツイファーが作りなおしたEボックスを取り出した。
 目の前で分解し、再組立してみせる。
 その速さにシュトラスが目を丸くする。
 だが、組み上がったパズルのピースから花歌が流れてきたとき、シュトラスはさらに驚愕し息を飲んだ。

「こ、これは……!」
「今流れているのは、先日の祝賀会の時に演奏された組曲水上の音楽ですわ」
「これが、録音!? こ、こんな立体魔法陣は初めて見るよ!」
「祝賀会のときの音を録音し、こうしてピースを組み替えることで音が鳴ります。音が鳴ることを再生といいます」
「それに触れても……?」
「ええ、どうぞ」

 手渡された立体魔法陣をしげしげと見つめるシュトラスにも、すぐさまわかった。

「これは、もう一度組み直すのは僕でも四○分……いや五○分……、かけてもちょっと難しいかも。
 こんな複雑な立体魔法陣をつくり、しかもこんな新しい機能を持たせるなんて、あなたはすごい魔力の持ち主だね。
 それに、この音楽もとても新鮮だ。すばらしい」

 手放しでほめるシュトラスの様子を観察しながら、奈々江は続けた。

「実は、これはわたしの作った失敗作からツイファー教授が機能を抜粋して作ってくれたものなんです。
 わたしが作ったものは、もっといろいろな機能がついていたのですが、それが軍事に転用できる技術だったのですべて処分したのです」

 急にシュトラスが真顔に戻るのが見えた。

「そうだね、見る者が見ればこれだけでもこの魔法技術力が、他のなにに転用できるかすぐに思いつく。
 ナナエ姫、あなたはそれをわかっていてこれを僕に見せたんだ。
 どういうことかわかってる?」
「わかっているつもりです。
 でも、これを知ってもらわなければ、わたしはシュトラス殿下のお力を借りることができません。
 わたしの魔力は戦争に役立ちます。だから、エレンデュラ王国はわたしを手放さない。
 だけど、わたしはグレナンデス殿下にお会いしたいんです。
 両国の外交摩擦を回避しながら、なんとか穏便に道筋をつけられませんか?
 わたしは戦争なんて見たくありません。
 だけど、グレナンデス殿下への思いをあきらめたくないんです」

 シュトラスの表情をなに一つ見逃すまいと見つめた。
 ここでシュトラスに協力を得られなければ、両国をきな臭い関係に貶めてしまうかもしれない。
 この事実を話したからには、なにがなんでもシュトラスには協力者になってもらわなければならないのだ。
 そんな面倒くさいものを放り出して、エレンデュラ王国とグランディア王国の間に戦争でもなんでも起こして構わないというのなら、それなりの方法はあるだろう。
 だが、それでグレナンデスと再会したとして、心から素直な気持ちでグレナンデスと向き合えるのだろうか。
 両国の衝突を引き起こし血を見るようなことにでもなったら、いかにゲームクリアを最重要目的とする奈々江でも、さすがに気持ちが引ける。
 その上、両国の全面戦争にでもなったらそれこそ乙女ゲームどころではなく、きっと正規のゲームクリアはさらに遠のくのではなかろうか。
 いっそ、破滅エンドで現実に戻れるならそれもありかもしれないが、現状その可能性に賭するのはまだ早い。
 今はそうならないよう、グレナンデスルートに戻れるよう最善を尽くすしかない。
 だからとにかく奈々江ひとりでは解決の糸口すらつかめない今の状況に、手を差し伸べてくれる人物が必要だ。
 それは、ほかならぬ今目の前のエレンデュラ王国にいるなかで最も信用のおける相手でなくてはならない。
 奈々江は心の中で祈りながら、グレナンデスの弟を静かに見つめ続けた。
 しばし難しい顔つきを見せていたシュトラスが息をついた。

「……あなたの覚悟はわかった、ナナエ姫。
 だけど、これは簡単なことじゃない。
 でも、僕を頼ってくれたことは間違ってないと思うよ」
「シュトラス殿下……」

 シュトラスが以前のような和らいだ表情を見せた。
 シュトラス本人だとわかる、以前の面影をはっきりと感じさせるようなそんな顔だった。

「だってうまく運べば、グランディア王国は三つの特異を持ったナナエ姫を王家に迎えることができるんだから。セレンディアスの帰化でやり取りした金額なんて目じゃない。太陽のエレスチャル、特殊な魔力、音楽の才能、どれも莫大な利益を我が国にもたらすのは明らかだ。
 しかも、ナナエ姫は自らそれを望んでいる。我が国にとっては是が非でもないよ」
「では、方法があるのですか?」
「それはこれから考えるよ。 
 下手に動いて国交によけいな緊張をもたらしたくないからね。お互いに情報は慎重に扱おう」

 ようやく奈々江から力みが抜けた。

「よ、よかった……。今さらですが、シュトラス殿下に味方してもらえなかったら、どうしていいかわかりませんでした」
「ナナエ姫って、意外と大胆なところがあるよね。
 でも、僕は初めからあなたの味方になるって決めていたよ。
 僕らは呪いの仲間だし、前にもいったけれど僕は兄上とナナエ姫との結婚には賛成なんだから」
「シュトラス殿下」
「この件はひとまず僕に預けてくれる? いろいろと根回しと慎重な作戦が必要だ」
「わかりました。お願いいたします」
「安心して、ナナエ姫。今度こそ僕が役に立ってみせるよ。未来の姉君を不幸になんてしないから」
「今度こそなんて、前回だってとても頼りになりましたわ」
「そういってもらえてよかった」

 シュトラスがはにかんだように笑った。
 その後、まだまだ聞きたいことがあるけれど、と前置きをした後で、シュトラスがすっと右手を前に出した。

「そろそろ戻らないと。その前にこれを渡しておくよ」

 奈々江が手の平を差し出すと、シュトラスはそこに卵型のペンダントトップを静かに置いた。
 金属のようだがよく見ると金属ではなく、半透明の銀色の鉱物でできている。
 小花柄の透かし彫金が施されており、中になにかが入れられるように空洞になっていた。

「これは?」
「僕の作った魔法アイテムだ。ほら、見て」

 シュトラスが襟元から銀の鎖を引き出した。
 その先には同じ形のペンダントトップが釣り下がっていた。
 キラと光ったのは、その中に入っているなにかのようだ。

「これが僕の聖水のエレスチャルだ」
「えっ……!?」
「ナナエ姫が帰国した後、いろいろと研究を重ねてようやく完成したんだ。
 そのペンダントを肌身離さず身に着けて、そうだな、二週間くらいかな。
 体内に癒着結合しているエレスチャルを、その中に移すことができるんだ」
「えっ、えっ!? それは、どういう……」
「ナナエ姫に出合うまで、僕は聖水のエレスチャルをこの身から取り出そうなんて考えてもみなかったんだけど、やってみたら案外とすんなりうまくいったよ。
 しかも、こうしてペンダントとして取り外しが自由になると、やっぱりすごく楽だ。
 必要なときだけこれを身に付ければいいんだから。
 周りの声をシャットアウトする労力がいらなくっただけで、頭も心もこんなに軽いのかと自分でも驚いているよ。
 ナナエ姫に会ったら、これをあげようと思っていたんだ」
「シュトラス殿下……」

 感激のまなざしを上げると、シュトラスが歯を見せて笑った。

「これで呪いが解けて、ひとつ問題解決だ」
「はい……。ありがとうございます……!」

 奈々江が笑顔でうなづくと、シュトラスがにわかに身じろぎをした。
 慌てて聖水のエレスチャルをその胸の中に戻す。
 月夜の下では、シュトラスの頬に朱が走ったのを奈々江が気づくことはなかったが、シュトラスは奈々江のもつ太陽のエレスチャルの力の強さに気づかされたのだ。

「シュトラス殿下がいてくださって、本当によかったです。
 かつてもそうでしたが、これからもどうかわたしの強い味方でいてくださいね」
「う、うん……」

 兄の思い人の微笑みが、やけにずきんと胸に刺さる。
 それを打ち消すように、聖水のエレスチャルがあるその胸に手を当てた。
 エレスチャルの効果が相殺し合って、少しずつ胸のざわめきが収まっていく。
 シュトラスは小さくほっと息を漏らした。
 正直油断していた。
 アイテムのせいだとわかっていても、太陽のエレスチャルの力には抗い難い吸引力がある。
 シュトラスは気持ちを強く持つように自分にいい聞かせる。
 兄の思い人に横恋慕なんて不毛なことはあり得ないのだ。

「これからもできるだけ密に情報を交換し合おう」
「はい、そうですね。あっ、わたし最近スモークグラムを作ったんです」
「えっ、今頃?」
「ええ、今頃なんですけど。今度シュトラス殿下に送りますね」
「うん、わかった」

 そう約束をしあって、奈々江は歪みの中を通って旧イェクレール聖堂に戻った。

 

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