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#29、 10人目の攻略キャラ、ホレイシオ公爵令息*

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 奈々江は部屋に戻って準備を整えた。
 しばらくして、景朴の離宮にやってきたブランシュを迎えた。
 ブランシュはいつものようにエベレスト他数人の従者を連れている。
 その中にはセレンディアスもいた。

「だいぶ顔色が良さそうだな」
「お兄様、おかげ様で。
 エベレスト様、グランディア王国では大変お世話になりました」
「ナナエ……。
 セレンディアスにも声をかけてやらないか。
 バニティから教わった魔法薬の再現に注力してくれたのだぞ」

 見ると、セレンディアスがもじもじとしている。

「そうでしたか……。
 セレンディアス様、ありがとうございます」
「も、もったいなきお言葉です……!」

 チャーリーと同じ位真っ直ぐな瞳を向けられた。
 もはや、あの魔獣の印象を持ち越すことはなかったが、それでもどこか隷属的な雰囲気が残る。
 苦笑いを返しながら、奈々江の頭には、忠犬という言葉が浮かんだ。

「ナナエ、バニティからもらった魔法薬を持っているか?」
「はい」

 準備していたメローナが差し出した。

「では、それを飲んだら、魔術研究所に行くぞ」
「ここで飲むのですか?
 効きすぎると眠くなってしまうという話でしたが」
「魔術研究所には独身男が何人もいてだな、全員を人払いするのは無理なのだ」
「わかりました。えっと、じゃあどのくらい……?
 あの、まだ一度も試していないので、どれくらいなら眠くならないかわからないのですが」
「眠ったら眠ったで、俺が運んでやるから構わず飲め」
「はい……」

 クレアが心配そうに奈々江の手元にある緑色の小瓶を見た。
 それに気づいたブランシュが声音を和らげる。

「クレア様、心配には及びません」
「ええ……、だけれど、まだ私にはなにも聞かせてもらえないのかしら?」

 はっとして奈々江はクレアを見た。
 そういわれれば、クレアから太陽のエレスチャルのことはなにも聞かれていない。
 すでに知っていて聞かないのだと思って、奈々江からもなにも話していなかった。

「あの、お母様……」
「ナナエ、今はまだだめだ」

 ブランシュに止められて、奈々江はブランシュとクレアの顔を交互に見た。
 奈々江はそっとクレアの手を握った。

「お母様、全てが済んだら全部お話しますね。ブランシュお兄様はとても頼りになるんです。
 きっと、大丈夫です」
「そうね……、わかったわ。信じて待っているわ」

 奈々江は小瓶に向き合うと、目検討をつけた。

(半分……、じゃ多いかな。
 三分の一、いや四分の一位を目安にしてみよう)

 小瓶のふたを開け覚悟を決めると、奈々江は匂いも嗅がずに一気に口に含んだ。

(んっ、ん?
 思ったより、変な味じゃない……)

 驚いたことに予想に反して、漢方薬のような風味や野草のような青臭さはまったくない。
 なんの味かと聞かれたら首をかしげてしまうが、あえて近い飲み物を上げるとしたら、薄めたヤクルトだろうか。
 エベレストが興味深げにいった。

「効いてきたようですね」

 奈々江にはそれらしい体感は今のところない。
 こめかみを叩いて確かめてみた。

(あっ、ゲージが目減りしてる!)

 目の前にいるブランシュ、エベレスト、セレンディアスのゲージがそれぞれ七から八割ほどになっていた。
 クレアやラリッサ、メローナたちを見ても、はっきりと目減りしている。

「こ、この薬、すごいですね!
 もう少し飲んでみてもいいですか?」
「いや、残りは念のため研究に回したい」
「あ、そうでしたか……」

 すると、セレンディアスがそわそわしながらいった。

「研究所に僕が調合した薬がありますから、いくらでもお飲み頂けます」
「あ、うん……。ありがとう、セレンディアス……」
「眠気はどうだ?」
「大丈夫そうです」
「では行こう」

 早速、魔術研究所へ向かった。
 城壁の中を歩きながら、エベレストが簡単に説明してくれた。

「ナナエ皇女殿下はあまりなじみのない場所でしょうから、簡単に位置関係をご説明しますね。万が一、迷われたときのために」
「迷う? そんなに広いんですか?」
「いえ、そういう意味ではなくて、魔術研究所はエレンデュラ王国の機密を扱っておりますから、ところどころ外敵を想定したトラップや隠し扉などがあるのです」
「えっ……」
「我々と一緒にいる限り心配はいりません。
 今回行く場所は第七研究室です。この研究室は、四つの研究棟の中のアトラ棟と呼ばれる建物の中にあります。
 万が一、このアトラ棟の中で迷われたら、窓からブルーノ城をご覧ください」
「ブルーノ城」
「陛下のおわすあの一番大きな城です。
 窓からブルーノ城を確認したら、ブルーノ城の左側に向かって進んで下さい。そうすれば必ずアトラ棟の中央ホールに出られます」
「窓から見て、そして左ですね」
「はい」
「わかりました」
「その時に一つだけ注意しなくてはならないことがあります」
「はい」
「窓を見てからは、一度たりとも振り向いてはいけません」
「振り向いてはいけない?」
「はい。一度でも振り向いてしまうと、ブルーノ城の位置が変わってしまうのです」
「位置が変わる?」

 奈々江は首をひねって、ブルーノ城を確かめた。
 あの城が移動することなど、ありえるだろうか?
 ブランシュが代わりに答えた。

「一度位置が変わってしまうと、再びブルーノ城を窓から見て、今度は右に行くか、後ろへ下がるか、上に行くか、とにかくアトラ羅針盤を持たない者では、中央ホールに戻ることが難しくなる」
「つまり、それもトラップのひとつなのですか?」
「魔術研究所の四つの棟にはそうした曲者除けの魔法が多分に仕込まれている。
 だから、間違ってもひとりでうろつくな。万が一、いや、億が一にも迷ったら、エベレストのいう通りに、窓を見て左、そして決して振り向くなだ」
「な、なんか、ちょっと怖くなってきてしまいました……」

 奈々江が不安を口にすると、ブランシュがくるっと振り返った。

「だったら、お兄様と手をつなぐか?」

 差し出された手の平を見て、奈々江は自分に驚いた。
 初めてブランシュと会ったときには決して感じなかった安心感がそこにあったからだ。

「はい」

 迷わずその手を取った。
 ブランシュがいてくれるなら、きっと大丈夫。
 そういえば、さっきは気にも留めずにクレアにも同じことをいっていた。
 ブランシュに対して信頼を感じていること、兄妹としての親しみを覚えていることを自覚した。

「お兄様、頼りにしています」
「ははは! そうであろう!」

 その時、風の加減でブランシュからまたあの紅茶のような香りがした。

「お兄様、またスモークグラムを使ったのですか?」
「ああ、取急ぎシュトラスに知らせを入れておいたのだ。魔法薬についても少々確認しておきたかったしな」
「そうだったのですね。わたしもシュトラス殿下にお手紙を書いたのですが、お母様にスモークグラムを使ってみたいといったら、めったなことでは使えないなのものだといわれました。
 今度使うときには、ぜひ使っているところを見せてください」
「公務でなければ構わんぞ。しかし、おかしなものだ。
 魔法学校に通っている間に、一度も使っているところを見たことがなかったのか?」
「え……?」

 ブランシュ、エベレスト、セレンディアス、ラッリサ、メローナが不思議そうな視線を向けていた。

(えっ、えっ?
 主人公って魔法学校に通っていたの?
 ど、どういう設定だったっけ?)

 奈々江は記憶をさらってみたが、エレンデュラ王国に関する設定と描写が少なすぎて、当てにならない。
 しかし、この世界観でなら、通っていないほうがおかしいといえるだろう。
 とはいえ記憶にないことを、はいともいいえとも答えられない。
 奈々江がどうともできずに黙っている間に、魔術研究所アトラ棟に着いた。

 外観はいたって普通の中世西洋風の貴族的な建築物といっていい。
 しかし研究所というだけあって、統一された装飾は、城のような華美なものではなく、アカンサスの模様はもっと簡素で古典的なギリシャ文様のように見える。
 前を進むブランシュに続いて建物の中に入った。
 とたん、上映前の映画館で照明が落とされたときのように辺りが一瞬で暗くなった。
 どきっとして、思わず手に力が入る。
 ブランシュが大丈夫だというかのように、手を強く握ってくれた。

 辺りが明るくなった。
 それこそ映画のシーンの切り替えのようだった。
 そこには、建物外観から推測する大きさ、高さとは、全く異なる巨大な空間がそこに広がっていた。

「ここが中央ホールだ」

 ホールというだけあって、ブランシュの反響する声が空間の広さを物語っている。
 縦方向を見ると、天井が見当たらないが、当然屋外ではない。
 四方を見渡すと、サイズ感はやや小さいが、コロッセオのような円形劇場のようでもある。
 辺り一変通りに薄暗く、ぽつぽつと蝋燭のように揺らめく光が空間の奥行きを示していた。
 暗がりから突然人影が現れた。

「ブランシュ殿下」
「きゃあっ!」

 足音も、風も、布ずれの音も、何の前触れもなく奈々江のすぐわきに現れたので、驚いて思わず悲鳴を上げていた。

「こ、これは……。
 お、驚かせてしまい、申し訳ございません……!」
「大丈夫だ、ナナエ。
 俺の従者のパロットだ。先に準備をさせていたのだ」

 よく見ると、ブランシュの従者としてグランディア王国にも随行していた見知った顔だった。
 パロット・マグナーは、胸に手を当てて、丁重に頭を垂れた。
 その頬が少し赤くなっている。
 従者として感情を抑えているが、奈々江にどぎまぎしているのが、こちらにまで伝わってくる。
 彼は礼儀正しい立派な青年で、魔法薬のおかげで好感度は目減りしているはずだが、残念ながら独身だった。
 強制的に太陽のエレスチャルを持つ奈々江に惹かれてしまうことを否めないのだ。

「パロット、案内を頼む」
「はっ……はっ!」

 パロットの案内で、暗がりの中を進んだ。
 中央ホールを出て廊下に出ても、周りは暗いままだった。
 突然、真四角の風景画が右手前方に現れた。
 そのまま進んでいくと、それは絵ではなく窓だとわかった。
 奇妙な窓で、外界の光が建物の中に差し込んでいない。
 まるで逆方向に光源があるかのようで、いわばプロジェクターで風景を映しこんでいるかのように見えた。
 不思議ではあるが、確かにそこにはブルーノ城が見えた。

 いくつかの窓を通り過ぎ、一行はひとつの扉の前に止まった。
 パロットが扉に向かってそう唱えた。

「たち別れ アトラの棟の 窓に見ゆる しろとし聞かば 今帰り来む」

 奈々江は少しおかしくて口をゆがめた。

(あれぇ……、やっぱり百人一首っぽいんだけど……)

 奈々江の見ている夢なのだから、当然かもしれない。
 知識のない魔法の呪文のかわりに、奈々江でも知っている古文や百人一首がその呪文の様相に成り代わっているらしい。
 実は、奈々江は学生時代、なんのきっかけでか、古今東西のカードゲームで遊ぶというサークルに出入りしていたことがある。
 そこでは、トランプや百人一首を始め、ポケモンカードや遊戯王カード、海外のカードゲームや古いカルタなど、様々なゲームに触れた。
 自慢ではないが、百人一首のほとんどを空でいえるくらいだ。
 手慰みにトランプタワーのコツもそこで身につけたのだった。

(そっか、これもわたしの記憶が影響しているんだ……)

 扉が音を立て自動で開いた。
 扉の中に入り、そして閉まると、またも映画館のように辺りが暗くなった。
 そしてまた明るくなったときには、これまでの薄暗い印象は嘘のように取り払われ、理科室のような明るく清潔感のある空間がそこにあった。

「待ちしておりました。
 ブランシュ様、ナナエ様」

 呼ばれた方を見て、奈々江は目を丸くした。

「……えっ、え、ライル君!?」

 声を上げた奈々江をその場の全員が見た。
 それらに気を払うこともできずに、奈々江は目の前にいる幼馴染を凝視していた。
 髪の色や目の色は違うが、確かに小学校から高校を共にした幼馴染に間違いない。
 早稲田ライル、彼だった。
 まさか、なんの冗談かとも思ったが、クレアが母にそっくりだったのと同じように、彼としか思えない。
 だが、なぜ彼がここにいるのかは、奈々江には全くわからない。
 どう見ても、間違いなく幼馴染の早稲田ライルだ。
 カナダ人を父に持つ彼は体にも恵まれており、彫りの深い顔立ちに中世のドレスコートが驚くほど似合っている。

「えっと……、どうかされたのですか? ナナエ様……?
 僕です、ホレイシオです」
「どうかって……、その……、え……?
 ホレイシオ……!?」

 奈々江の頭はますます混乱した。
 攻略キャラであるホレイシオが、なぜ現実世界の幼馴染、早稲田ライルの顔をしているのだろう。

(こ、これも、わたしの記憶が補正をかけているってことなの!?)

 確かに、夢の世界に母や父が登場してきた辺りから、自分の記憶の影響が強く出ていることにははっきり気がついていた。
 だが、まさか攻略キャラにまでその影響が出て来るとは予想もしていなかった。
 だとすると、これはまさか、自分の願望なのだろうか。

「ナナエ様、大丈夫ですか?」
「え、わ、……えぇ……?」

 訳が分からず、おかしな返答になってしまった。
 ホレイシオが口元に手を当てて、ぷっと笑い出す。

「……ふははっ! 
 あ、すみません、つい……。でも、思ったより元気そうでよかった」
「は、はあ……。
 ひ、久しぶりだね、……あ、じゃない。
 えと……、ホ、ホレイシオ様もお元気そうで……」

 笑い方や話し方まで早稲田ライルにそっくりだ。
 だが、彼は早稲田ライルではなく攻略キャラのホレイシオのはずだ。
 ホレイシオのことを奈々江は隠れ攻略キャラで、エレンデュラ王国における幼馴染だということぐらいしか知らない。
 ホレイシオルートは奈々江の担当ではなかったからだ。
 それなのに、高校を卒業してから永らく会っていなかった懐かしい友人とそっくりな姿や声に混乱する。
 知らない相手のはずなのに、親しみを禁じえない。

 昔の記憶がまざまざとよみがえる。
 小学四年生のとき、奈々江は早稲田ライルの家から犬を譲り受けるはずだった。
 早稲田ライルの家は何年かに一度ブリーダーをしていた。
 奈々江は早稲田ライルの家を訪ねては、犬のいるその生活を間近に見ていて、四年生になったら早稲田ライルの家からコリーの仔犬を貰う約束をしていたのだ。
 早稲田ライルは犬の飼い方を覚えたい奈々江の付きあって、ペットショップで餌の選び方を教えてくれたり、散歩コースを一緒に考えてくれたりした。
 早稲田ライルとその家族が飼い犬の散歩に連れていくときには、幾度となく奈々江も一緒について行ったものだ。

「再会の挨拶は済んだようだな。パロット、人払いを」
「はっ」

 ブランシュの命令で人払いされると、部屋の中は奈々枝、ブランシュ、ホレイシオ、セレンディアス、エベレスト、ラリッサ、メローナの七名が残った。

「始めてくれ、ホレイシオ」
「はい」

 ブランシュに促され、ホレイシオが説明を始めた。

「エレンデュラ王国において、体内に魔法アイテムを有するという事例は少なからず存在します。
 それらの事例について詳しい説明は割愛いたしますが、それを取り出すとなるとやはりまずはそのアイテムの位置の特定が第一歩となります。
 早速ですが、ナナエ様、太陽のエレスチャルの位置を特定する試みを行ってみたいのですが、よろしいですか?」
「はい……」
「では、こちらにおかけください」

 ひとり掛けのソファを進められ、奈々江はそこに腰かける。
 ホレイシオがそのそばに来て、膝を折った。

「お手を拝借してもよろしいでしょうか?」

 奈々江が利き手を差し出すと、ホレイシオが口元に笑みを浮かべた。

「申し訳ありません。両手を拝借したいのですが」
「あ、はい……」
「これから右手から左手に向けて、僕の魔力をナナエ様の体内を巡るように送ります。
 ナナエ様の魔力が反応するのと同時に、魔法アイテムもなんらかの反応を示すはずです」

 ホレイシオと手を取り合いながら、奈々江は浮かんできた疑問を口をした。

「……あの、わ、わたしにも魔力があるのですか……?」
「当然だ、なにをいっている」

 代わりに応えたのはブランシュだった。
 ホレイシオが思い出を語るような口調で続ける。

「ナナエ様は魔法学校に入学したものの、特例ですぐに卒業されてしまいましたからね。
 魔法の探究にはあまりご興味がなかったように記憶しています」
「そうだったのか?」

 ホレイシオに向かってブランシュが尋ねた。

「ナナエ様は入学してすぐに数秘学のツィファー教授に見出されて、特別コースに編入されました。
 ツィファー教授の研究室で、数式や数秘術、図形数学や立体パズルの魔法陣などにおいて素晴らしい成績を修められたのです。
 一般コースの生徒たちには到底及ばないレベルでしたので、特例でその他の科目を免除されたのです。
 教授からは、そのまま大学に進学することを勧められるくらいでしたよね?」

 ホレイシオに同意を求められたが、奈々江はあいまいに答えた。

(……なんか、それっぽくつじつまが合わせられているみたい……。
 これも補正効果なんだろうな……)
「それで、魔法にこれほどまでに疎いのか。まったく、王族ともあろう者が」

 ブランシュやラリッサとメローナもが、合点がいったというような顔を浮かべた。
 補正が利いて理屈が通ったとしても、一般教養レベルの魔法を知らないというのは、王族としてあるまじきことなのだろう。
 奈々江は一応すまなそうにしておくことにした。

「す、すみません……」
「なぜいわなかったのだ。
 知っていたら、これほど無防備な状態でグランティア王国へなぞ行かせなかったぞ」
「それをおっしゃるのなら」

 ホレイシオがブランシュを仰いだ。

「ブランシュ様はナナエ様が魔法学校で孤立されているときに、どうしてなにも手を差し伸べてくれなかったのですか?」
「なに……?」
(え、今度はなんの補正なの?)

 奈々江は初めて聞く主人公の過去に耳を澄ませた。
 ホレイシオが続ける。

「ナナエ様と僕が同期で入学した年、第二皇女のニルマラ様と第四皇女のシビリア様は五年と三年に在籍されおり、第五皇女のイルマラ様は僕らと同期入学でした。
 ナナエ様以外の三人の皇女の方々は、みな同じ第二王妃のユーディリア様の娘。
 彼女たちに悪意があったとは申しません。
 でも、彼女たちが学校内で幅を利かせていたせいで、母君の違うナナエ様を生徒たちが敬遠してしまったのは事実です。
 もとより、第三王妃のクレア様には地位はあれど権力はなく、子どもとはいえ生徒たちも貴族である以上、どちらと付き合うほうが得かというのは明々白々。
 魔法学校での日々が、ナナエ様にとっては決して愉快なものではなかったことは、火を見るより明らかではありませんか」

 ブランシュが初めて聞いたかのように目を見開いた。
 すぐさまナナエを見ていった。

「ナナエ、なぜいわなかったのだ?」
「いえるわけがないではないですか、ブランシュ様。
 ナナエ様はそれまでクレア様のご実家であるワーグナー家でお隠れになって静かにお過ごしだったのです。
 それがクレア様のお輿入れとともに皇女の扱いになったものの、生まれたときから皇女としての教育を受けてきたニルマラ様たちと、簡単に打ち解けられるはずがない。
 そもそも、政局には決して関わらないとわかっていても、クレア様を召し上げたことをユーディリア様は快く思ってはいなかった。
 表立ってことを荒げるようなことはなかったものの、しかしクレア様やナナエ様が温かく迎え入れられていたかといえば、それは甚だ疑問です」
「し、しかし、父上と母上は、クレア様とナナエのことを大切に思っている。それは間違いない!」
「ですから、陛下と王妃陛下の前ではそのような気配を見せなかったのです。
 当然ではないですか。
 だから、ブランシュ様もお気づきにならなかったのではないですか?」
「そ、そういわれれば……」

 主人公の立場をすべてホレイシオが語ってくれた。

(なるほど、まあ確かに、いきなり皇女になったからって、簡単に王の一族になじめるわけもないよね……。
 皇女のくせにいろいろ粗があるのは、そういうことでつじつまが合うわけね)

 奈々江の脳裏に、ふと突然我が家にやってくることになったふたりの少年のことが浮かんだ。
 母の姉である伯母が死に、伯父が失踪したため、須山家に引き取られることになった従兄弟。
 木藤和左と木藤右今。
 拠り所をなくしたふたりを須山家で受け入れようと決めて、奈々江ももちろんそうしようと初めは思っていた。
 けれど、とりわけ和左のほうが警戒心が強くて、須山家に馴染もうとはしなかった。
 最初は柔軟なところがあった右今も、次第に兄に影響されて、ふたりだけの世界を作るようになっていった。
 奈々江は彼ことがわからないなりに、ふたりと仲良くなろうと努力してきたつもりだったが、ふたりの世界には結局入れてもらえなかった。
 今でもときどき思い出す。
 でも、今だにわからない。
 どうすれば、彼らと打ち解けあえたのだろう。

 奈々江の記憶の中で、彼らと少しだけ距離が近づいたと思えた瞬間がある。
 それは、小学校から帰ってきて、いつもは用意されているおやつが用意されていなかった時のことだ。
 母は買い物に出ているらしく、すぐ帰るという書置きがあった。
 しかし、右今がお腹が空いたとただをこね始めたのだ。
 キッチンを見て回って、奈々江がいった。

「お茶漬けなら作れるよ」
「それでいいよ」

 右今からそういう返事が返ってきて、奈々江は料理に取り掛かった。
 お茶漬けの作り方なら、いつもの母のやり方を見てすっかり覚えている。
 ご飯をレンジで温め、その上に鮭のフレークとたらこを一切れ載せる。
 顆粒のかつおだしをお湯に溶いて、そこへ注ぎ込んだら、ちぎったのりを振りかける。
 さいごにチューブの練りわさびを少し載せて完成だ。
 テーブルにふたつのお茶椀と箸を並べた。
 右今はいただきますもいわずに、お茶碗をかき込んだ。
 その隣で、和左はお茶碗をじっと見たまま、しばらく動かなかった。

「こんなのお茶漬けじゃない」

 和左がそういうと、右今が口にはいったままもごもごいった。

「でも、うめーよ、兄ちゃん!」
「ふーん……」

 右今とは違って、和左は慎重そうに箸をつけた。

「……うわっ、なんだ!?
 わさびか」
「あ、ごめん、苦手だった?」
「……別に」

 男の子は本当にお腹がすくのだろう。
 ふたりがすっかり食べ終わるのに三分もかからなかった。
 右今がいった。

「いつものお茶漬けと違うけど、うまかったよ」
「いつものお茶漬けってどんなのなの?」
「えっと、緑で、カリカリしたやつが入ってる」

 そのときの奈々江には、緑でカリカリしたやつというのがわからなかった。

「お茶漬けといえばあれだよな」
「ああ」

 和左と右今がうなづきあっている。
 どうやら、いつも食べ慣れているお茶漬けと、我が家のお茶漬けとは違うらしい。
 奈々江は母が帰ってきてから、そのことを母に尋ねた。

「あら、奈々江がおやつを出してくれたの? ありがとうね。
 え? 緑でカリカリしたやつ……って、ああ、即席茶漬けのことかしら?」

 後日、母はお茶漬けの素をスーパーで買ってきた。
 それを出されると、和左と右今が、これこれといいながら喜んで食べた。
 きっと、家でよく食べていたのだろう。
 ふたりでお茶漬けを食べている風景が、幼い奈々江にもなんとなく浮かんだ。

「わたしも食べたい」
「いいわよ」

 母が即席のお茶漬けをつくってくれた。
 確かに、お出汁が緑色をしていて、小さなあられのようなものが入っている。
 一口すすって、奈々江はつぶやいた。

「あ、おいしい」
「だろー!?」
「だよな」

 和左と右今がなぜかえばっていった。
 奈々江は素直にうなづいた。
 すると、和左がいった。

「わさびを入れるのもなかなかよかったけどな」
「ああ、わさびよかったよな」

 奈々江の記憶によれば、ふたりと笑顔を交わし合ったのはこれが初めてだったと思う。
 自分が即席茶漬けをおいしいと思ったように、和左と右今がお茶漬けにわさびもいいなと思ったように、こうやってお互いに少しずついいところを見つけて理解して行けたらいいな、と奈々江は思ったのだ。
 しかし、なにがいけなかったのだろう。
 結局、奈々江はふたりと理解しあうことができずに、ふたりは須山家を去っていった。
 奈々江にとってはこの従兄弟たちのことは、どこか消化されない骨のように、心に残っている。

 彼らは今どうしているだろうか。
 自分がこんな状況になったことを、ひょっとしたら父はふたりに伝えたかもしれないが、ふたりが自分を心配する様子など想像もつかない。
 いや、それでもお義理程度に見舞いに来てくれることもあるのだろうか。
 父の話によれば、職場でよい先輩に恵まれたおかげで、ふたりは以前より社会性が身についたという話だった。
 それでも、ホストクラブの先輩というのが、どの程度の社会性を教えてくれるのか、奈々江には全く見当もつかない。

「……エ、ナナエ!」

 肩を揺さぶられて、奈々江は自分がぼんやりしていたことに気がついた。

「行くぞ」
「え?」

 ブランシュに強引に腕を引かれて立たされた。
 つながっていたホレイシオの手が引き裂かれるように離れていった。

「お、お兄様?
 まだ太陽のエレスチャルの位置が……」
「そんなことはあとでいい!」
「えっ!?」

 振り向くと、ホレイシオと目が合った。
 互いになにかいいかけそうな空気があったが、ブランシュが強く引っ張るので、奈々江は引かれるがままに部屋を出るしかなかった。

「お、お兄様、急にどうされたのですか?」

 エベレスト、セレンディアス、ラリッサ、メローナが慌てて追いかけてくる。

「ブランシュ殿下!」
「どちらへ行かれるのですか!?」

 それでもブランシュは足を止めずに、パロットに案内をさせて大ホールを経て、アトラ棟を後にした。
 棟を出ると、とたん真昼の太陽が目に突き刺さる。

「お兄様、どこへ行くのですか?」
「審判の議卓だ」
「え……?」
「これから兄弟会を開く」



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エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

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